花見の夜の邂逅
俺の名前は花田レン。
大学二年になりたての春の夜、サークルの男友達三人とお花見に興じていた。
満開の桜の下、酒瓶を傾ける友人たちの顔はすでに赤く染まっている。
「レンももっと飲めよー」
なんて渡された缶ビールを飲み干し、つまみを口にしながらふと桜を見上げていた。
月明かりに照らされた桜は、薄ピンクとも紫ともつかない、この世のものとは思えないような不思議な光を放っていた。
その幻想的な光景に、俺は言葉を失った。
その時、風が吹き、花びらが舞い踊る。
桜吹雪を背景に佇む女性の姿に、俺の視線は釘付けになった。
酒のせいか、あまりの美しさに息を呑んだ。
いや、酔っていたからだけじゃない。
その姿は、俺の理性では理解できないほどに完璧だった。
「あの女の人、綺麗だよな……いつの間にあそこに居たんだか……」
俺が呟くと、友人は怪訝な顔をして言った。
「女? そんなやつどこにいるんだ? さてはお前、もう酔ってんのかー?」
「え……? そんなわけない、だってそこに」
しかし、再び目をやったその場所には、誰もいなかった。
「あれ、おかしいな… 俺が見た時は確かに……」
友人は俺の言葉を訝しげに聞いていたが、すぐに興味を失ったのか、別の話に切り替えた。
「そういや……この桜の木の下に死体が埋まってるって話知ってるか?」
聞いたことない……そう思いながらも、俺は他の友人たちと一緒に話に耳を傾けた。
友人曰く、どうやらこの桜の木の下には死体が埋められており、その血を吸って満開の花を咲かせている……
そんなおぞましい言い伝えがあるらしい。
「お前こそ酔いすぎじゃないか? バカバカしい……大体、そんなもん迷信に決まってるだろ?」
俺はそう言って笑ったが、友人はまだぶつぶつと何かを言っていた。
その様子が妙に気味悪く、酒も回ってきたことだしそろそろ帰ろうと
俺がブルーシートから立ち上がろうとした、その時だった。
急に強い風が吹き荒れ、桜吹雪が激しく舞い散った。
風に煽られ、酒が服やブルーシートに飛び散り、空になった缶が地面を転がる。
身震いするほどの不快感に、友人の一人が「うっわ、最悪だな……やべ、シャツがびしょびしょだわ」と叫び、水飲み場へと走っていった。
残りの二人はトイレに駆け込む。
俺は濡れたブルーシートを、リュックから取り出したポケットティッシュで拭き始めた。
そんな中、再び桜の木の横に立ち尽くす人影に目を奪われた。
あれ……あの女の人……さっき見た人じゃないか……?
だが、さっきは確かにいなかったはずだ。
もしかして俺、相当酔ってるのか?
そんな考えに囚われた俺がふと我に返ると、いつの間にかブルーシートの傍らにさっきの女性が立っていた。
散った花弁を手のひらに乗せながら、その手が俺に差し伸べられる。
その表情は恐ろしいというほどではないが、栄養の足りない、血色の悪い顔をしていた。
「えっと…あの……?」
俺がそう呟くと、彼女は静かに、というように口元で人差し指を立て、俺の手を引いて桜の木の裏へと連れて行った。
「ちょ、なにするんですか!離してください…!!」
そう抗議するも、彼女は聞く耳を持たず
唐突に語り始めた。
それは、こんな話だった。
その昔、この桜の木の下には死体が埋められていた。
しかし、その死体は生きたまま埋められたものだったという。
埋められたのは、十四歳の中学二年生の女児。
当時、彼女は一つ上の三年生の男児と、よく近くの公園で遊んでいた。
いつも大きな木の下で走り回ったり、木に直接自分たちの名前を彫ったりして
「大人になっても二人でまた来ようね!」と約束を交わしていたという。
しかし、そんな二人の仲の良さに気持ち悪さを感じた男児の友人三人に、ある日言われたそうだ。
「あの公園の一番大きな木の裏って、人がハマるような穴あったろ? あそこにあの女、埋めてこいよ」
そう言われて断ると
「じゃあお前を突き落としてもいいんだけど?」と脅され、男児は従うしかなかった。
女児を四人がかりで木の裏まで連れていき、穴にハマって抜け出せないまま涙を流して助けを請う。
男児の足に縋りつく女児。
しかし、男児はその手を振りほどき、彼女の身体を穴に押し込み、上から土を被せたらしい。
それから数週間が経ち、その公園から遺体が発見された。
しかし、彼女は自分が死んだことに気づいていなかった。
その後、自分を突き落とした男児を恨み、怒りを糧に生霊となったのだと。
そう語り終えた後
「ねえレンくん、私のこと突き落としたの…レンくんだよね?」
俺は背筋が凍った。彼女はいつの間にか俺の真後ろに立っていた。
そして、俺を突き飛ばしたかと思えば、ストッと足が沼にハマるように土に浸かった。
「レンくん、私も同じことしてあげる。」
驚いて抜け出そうと彼女の足にしがみつくと、冷たい指が俺の頬をなぞった。
「……でも、また逢えてよかった……これからはずっと一緒だね……?」
彼女の指が、俺の頬をゆっくりとなぞる。
その感触は、死人のように冷たかった。
懐かしいような、それでいて悍ましいほど恐ろしい瞳が、俺の目を射抜く。
その目には、過去への怨念と、未来への狂気が入り混じっていた。
「わ、悪かった! あの時は、脅されて仕方なく……た、頼むよ、謝るから助けてくれ!」
声は掠れ、喉の奥から絞り出すのがやっとだった。
友人の名を叫ぼうとするが、声帯が凍り付いたように動かない。
全身から力が抜け、指先一本動かせない。
まるで金縛りにあったかのように、俺の体は土に引きずり込まれていく。
桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちてくる。
それはまるで、俺の最期を祝福しているかのようだった。
土は、俺の胸元まで迫っていた。
呼吸が苦しい。
鼻と口に土が入り込み、窒息しそうになる。
それでも、彼女の瞳は俺を見つめ続けている。
その瞳の奥には、憎悪と悲しみが混じり合った、形容しがたい感情が渦巻いていた。
「どうして……」
俺の問いに、彼女は静かに微笑んだ。
その微笑みは、恐怖というよりも、絶望に近い感情を俺にもたらした。
「約束したでしょう? ずっと一緒だって」
彼女の声は、どこか幼く、そして哀しかった。
しかし、その声は俺の命を確実に奪おうとしている。土が、俺の顔を完全に覆った。
視界が、闇に閉ざされる。
意識が遠のいていく。
もがくことも、叫ぶこともできなくなった。
全身を締め付ける土の重みに、骨が軋む音が聞こえるようだった。
どれほどの時間が経っただろうか。
ふと、意識が浮上する。
しかし、体は動かない。
目を開けることもできない。
五感はすべて閉ざされ、感じるのはただ
土の冷たさと、重さだけだった。