風が吹いて揺れる枝葉
お母さんが窓から見ていた木は、のっぽなお兄ちゃんと、これからのっぽになるはずのぼくを、同じ、ちっぽけにしてしまった。
その大きな木には、みどり色の葉がたくさんついていた。でも、それだけだった。
「どうしてお母さんはこんな木が気になるんだろう。見下ろしてもつまらなかったから、いざ見上げてみたら、矢張りつまらなかった」
「みどりは目にいいのさ」
「せっかくお父さんが本を持ってきたのに、少しも読まずに返してしまった」
「文字を読むのもつかれるんだよ」
「ぼくが読み聞かせてあげようかな」
「ちいさなおはなしがいいよ。はなしが途中でおわったら残酷だからね」
「ざんこくってなに?」
「はなしが途中でおわること」
ちょうど風が吹いてきた。枝が揺れて、その先にある葉も揺れた。さあさあと音がした。
でも、それだけだった。
「通学路で見かけた気がする」
「病室は殺風景だから、ありふれた木でも珍しく見えるんだよ」
「お母さんとぼくたちでは立っている場所が違うから、同じものでも見えるものが違う?」
「そうそう」
「そんなばかな、どう見てもただの木だ」
お兄ちゃんは何も言わなかった。辺りは静けさにみちていたから、いよいよ葉の擦れあう音しか聞こえなくなった。
さあああ、さわわわ、ささわ……。
「さよなら、さよならと言っている」
「かなしいときには、どんな音もかなしく聞こえるね。それでも、希望を見つけてみよう」
さわ、さわあ、さわさわわわ……。
「だめだ、さわさわしているだけだ」
「ああ、あそこに荒れくるう葉がいるよ」
ぼくはお兄ちゃんの指した先を見た。
一枚の葉がぎゅるんぎゅるんと高速回転していた。
「バイバイしているように見える」
「もっとたのしいことであれ」
「こっちにおいで、こっちにおいで」
「明るく不吉になってしまった」
ちらりとお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんもぼくを見ていた。その偶然の気まずさから逃れるように、ぼくは口を開いた。
「どうしてあの葉だけ、あんなにぎゅるんぎゅるんと激しく回転しているんだろう」
「がんばっているんだよ」
「あの葉だけ、落っこちる寸前なんだ」
「がんばっているんだよ」
お兄ちゃんはぼくの肩をだきよせ、木を見上げた。ぼくもその視線をたどって、大きな木の、一枚の葉を見た。
「落ちそうだから揺れるんじゃない。がんばっているから揺れるんだ。闘っているから必死に見えるんだ。勇敢だから抵抗するんだ。簡単に風に流されやしないし、簡単に落ちもしない。それが生きている証なんだよ」
そう言われてみると、この荒ぶる葉だけは生き生きとして見えた。生きている気がした。がんばってほしいと思った。負けないでほしい。打ち克ってほしい。ずっと落っこちないでほしい。
でも、最初に落ちるのはこの葉だろう。
「落ち葉になれば、どれも同じに見えるだろう。ぼくは平気で踏み潰してしまうだろう」
ぼくと目を合わせるようにしゃがんだお兄ちゃんは、ごつん――と、無防備だったぼくの頭に自分の頭をぶつけて、にやりとした。
「目に焼きつけて、忘れないようにしよう。生きていたことは記憶に残せるから」
枝葉にはどうすることもできない風が吹く。そのたびに枝葉は揺れる。ぼくたちは中庭を後にする。病室に戻る。窓から木を見るお母さんを見る。そして、家に、帰る。