メイドが出前を取る面倒な事件
あの頃のメイド達との生活について、もう一作書くように頼まれた。ただし今回は、ごく短い物を、との依頼だった。それでこの奇妙な話を思い出した。
当時私の館で働いていた五人のメイド達は、皆よく食べる方だった。しかしある時、Fヶ崎というメイドが、毎日決まって午後三時頃ラーメンの出前を取って食べるようになった時には、流石におかしいと思った。
1
館の庭が新緑に包まれる爽やかな季節だった。メイド達は、相変わらずのんびりと仕事をしながら、いただきものの新茶の味や、洗濯物の乾きぶりについてなど、のどかな話をしていた。その中で、はす向かいのお宅が増築工事を始めたという話が聞こえた。
近所で工事があるとどうしても騒々しくなるし、業者の車が幅をきかせたり埃を立てたりといろいろなことがあるので、多少気持ちが下を向いていた。
仕事で外出したついでに恐々そのお宅を覗いてみた。立派な木造の二階建ての、一階部分を広げるようである。職人さんが二、三人、木材を運んでいるのが見えた。昔ながらの豆絞りをキリッと締め、威勢のいい声を掛け合って動き回っていた。胸のすくような働きぶりは五月晴れと相まって、辺りに活気を振りまいており、こちらの気持ちも晴れてくるようだった。話を聞いただけで疎ましく思ってしまった自分を恥ずかしく思った。
そんな清々しい時期に起きた不可解な出来事である。いつも気ままな時間に休憩を取っているFヶ崎が、ある日からぴったり午後三時に休憩を取るようになった。そして決まってその時間に、駅前商店街の○龍軒から出前が届くのだった。○龍軒のお兄さんが持ってくるのは、何の変哲もない醤油ラーメン一人前だ。Fヶ崎はそれを毎日一人で平らげている。メイド服のブラウスの前ボタンを二つも三つも外し、袖をまくりあげて麺を啜る姿はなかなか豪快だ。そんな光景がすでに二週間も繰り返されていた。
本人に理由を尋ねても、特に理由はない、最近この時間にお腹が空くのだ、というそっけない答えを並べた後、
「どーでもいーじゃん、そんなこと。それよりご主人さまは仕事しなよー」
と言い放つのであった。
なお初めての読者の方はFヶ崎のことをおよそメイドらしくないと心配されるかもしれないが、雇い主である私も当時そう思っていたので安心してほしい。
他の四人のメイドに尋ねても、彼女の奇行の理由はわからなかった。
「私が思うに」四人のうちの一人、K条というメイドがもっともらしい顔で私に応じた。「駅前商店街の売上に貢献しようとしているとか……」
私は首をひねった。
「もしそうだったら皆を誘って店に行ったほうがいいだろ。わざわざ毎日三時に出前を取る必要はないんじゃないかなぁ」
「じゃあ、もしかして、タイムサービスで三時以降は割引、とかのキャンペーンでもやってるんじゃ?」
「この間皆で行った時、そんなサービスはやってなかったじゃない」
「ですよね……」K条はそれ以上続かないらしく、考え込む。
「いつも出前を持ってくるの、あの冴えな……もとい、素朴な感じのお兄さんだよね。もしあの人がもっとかっこよかったら、彼目当てかと勘繰るところだけど」
「……確かにあの、汗だくの感じは、そんな感じじゃないですね。デートの時ジャージで来そうな感じは、彼女の趣味に合わなさそうです」
「さらっとひどいね。ま、もしそうだとしてもFヶ崎ならもっと直接的な方法を選ぶだろうな」
「それはそうです」
「それから、土日は出前を取らないのも不思議だよな。○龍軒、土日も営業してるのに」
「そういえば、昨日と、先週の木曜日も頼んでませんでしたね」
「……それ、本当か?」
「はい。確かです」K条はメイド服のポケットからスケジュール手帳を取り出し、ページをめくった。「記録してありますから間違いありません」
K条が普段から手帳に何でもメモしていることは知っていたが、流石にこれには驚いた。
「他の人が出前を頼んだかどうかまで書いてあるのか……すごいな……」
「ま、これくらいは基本ですね」
K条がなぜか胸を張る。
「別に褒めてる訳でもないんだけど。でもおかげで、わかった気がする。昨日も先週の木曜日も、雨が降った日だ。Fヶ崎のやつ、面倒なことしているな……」
2(解決編)
「なあFヶ崎」私は率直に尋ねた。「○龍軒の出前持ちのお兄さんに頼まれたのか? それとも自分から提案したのか?」
「何なに? 何の話? わかんないんだけどー」
Fヶ崎は目を泳がせた。私は続ける。
「もうすぐタイムリミットだろ、うまくいきそうなのか?」
「えーっと、言ってることがわかんないなー。悪いけどご主人さま、あたし忙しいんで」
「就寝前に共用のダイニングでポテトチップス食べながらテレビのお笑い番組見てて、どこが忙しいんだ。他のメイド達はみんな寝たから聞かれる心配はないよ」
Fヶ崎はパジャマ姿でソファーセットの一角に陣取っていた。私が正面のソファーに座ると、彼女は目を逸らした。
「いやー、秘密にするって約束したしさー」
半分は観念しているようだった。
「じゃあ、僕が勝手に話をするよ。それならいいだろ。君は、出前持ちのお兄さんが店を抜け出せるように、毎日出前を取ってあげていたんだ。彼が営業中に理由なく店を出るわけにいかないもんな。それで、お兄さんのお目当てはきっと、うちのはす向かいのお宅で増築工事をしている職人さんの中の、女性の職人さんだ。僕も通りがかりに何度か見たよ。きっぷがよくて、愛想もいい。今時、腹掛に豆絞りなんて珍しいよな。ああいう女性がタイプな人なら、そりゃ惚れるだろうね。Fヶ崎が出前を取れば、お兄さんは大手を振って店を抜け出して、うちへの出前の行き帰りに、すぐはす向かいで働いている彼女に会えるってわけだ。毎日きっちり三時の注文だったのは、その時間なら彼女が休憩中で、世間話の一つもできるからだ。そうだろ?」
「……全くさー、あの兄さん、あんなナリして気が小さいんだよ」Fヶ崎は頭を掻いた。「二週間くらい前にさ、向かいの塀に隠れて、こそこそ何か見てるわけよ。で、○龍軒の兄さん、どーしたの出前の途中でって声かけたんだよ。そしたら、『あ、お館のメイドさん。いえ、あ、あ、あの職人さん、綺麗ですよね』とか言っちゃってさ。あとはご主人さまが言ったとーり。近所のよしみで、一肌脱いだってわけ。ほんと、その後、声かけるだけで一週間かかったってんだから純朴にもほどがあるよ」
「もうすぐ増築工事終わりそうだよな。うまく行きそうなの?」
「さーね。『明日あたり、次の約束をこぎつけろ。映画のチケットでも半チャーハンサービス券でもなんでもいい、とにかく工事が終わって会えなくなる前に、絶対に次の約束だ!』って言っておいた。結局は本人次第だね。……でもさー、ご主人様よくわかったね」
「雨の日は出前を取ってないことに気づいたからさ。職人さんは雨の日は仕事をしないから、あの職人さんがお目当てなんじゃないかってピンと来たんだ」
「それだけ?」
それだけではなかった。いい加減で気ままな彼女が、二週間も毎日忘れずに電話して決まった時間に出前を取り続けるなどという面倒なことをする理由が、何であれ彼女自身の利益のためだとはとても思えなかった。彼女がそんな面倒なことをする時は、いつも誰かのためなのだ。仮にも当主として、それなりの期間を彼女と過ごしてきた中で、放埓な言動の向こうにある彼女の本心が少しはわかるようになっていた。
「それだけだよ」私は答えた。「ただ僕が思うに、そんな面倒なことをせずに、最初から君が彼の代わりに声をかけてあげて、直接縁結びをしてあげればよかったんじゃないか?」
Fヶ崎は途端に落胆の表情を見せた。
「あのねーご主人さま、そんなだからあんたって人はこんな……」
「な、何だよ」
「んー、やっぱ別にいーや。じゃー寝るから。秘密って約束だから他の子に言わないでね」
「何だよ、最後まで言えよ」
Fヶ崎はテレビを消して、自室に戻っていった。
二、三日後、館の門の前で、大声で「やったじゃん!」と叫びながら○龍軒のお兄さんの背中を何度も叩いているFヶ崎を見かけた。その時の彼女の満面の笑顔を見ながら、もしメイドという仕事が、ごく雑駁に言って自分以外の誰かの世話を焼くという仕事だと捉えるなら、彼女は誰よりもメイドらしいメイドなのかもしれないと思ったのだった。
ところであの夜彼女が何を言いかけたのか私にはわからなかったし、あれからかなりの年月が経った今でも、わからないままである。この文章をもし現在のFヶ崎が読んだら余計に呆れられるかもしれないが、それはあくまでも仮定の話である。