メイドがベビーシッターをする面倒な事件 5
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「あんたが寝てどーすんのよ」
Fヶ崎が呆れ顔で言い放つ。手に持った海苔が揺れる。
その日の我が家の夕食は手巻き寿司だった。我が家では、手巻き寿司が食卓に上る度に誰かが新たな具を提案する。そのため、定番のものから奇抜なものまで二十種類以上の具がテーブルを埋め尽くしていた。
Fヶ崎は、ベビーシッターが寝てたら世話ないじゃん、とからかいの目で私を見ながら海苔に酢飯とシメサバとウドを乗せる。それを、巻くというよりはただ丸め、口に放り込む。
うるさいな、と私は応じつつ、「寝かしつけって案外、大人の方が寝てしまうものなんだよ。ね」とI海さんに援護を求める。
「そうなのよね。寝かしつけをしてて、大人の方が寝ちゃうって、よくあるのよね。だけど自分がそんなことになるなんて思ってなかったし恥ずかしいわ。ベビーシッターなんかするの久しぶりだったから油断してたみたい。ごめんなさいね」
I海さんはいつになく饒舌であった。ごまかすように、イカときゅうりと大葉を手早く器用に巻く。
「で、二人とも寝ちゃったんですね」A田が散々迷った挙句選んだのはエビとサーモンと玉子という子供味覚の王道のような組み合わせだ。「カズキ君は寝なかったんですか?」
「それがね、やっぱり、数字の練習をしていたの」I海さんが私の顔を伺う。「それで、疲れたのか、クレヨンを握ったまま寝ちゃってたの」
「かわいいですねえ」A田がゆるい顔がさらにゆるむ。
「小さいのに数字の練習なんて、賢いですよね」K条がマグロ、カイワレ、大葉を包んだ手巻き寿司を齧る。彼女の手の中の寿司は、具が全くはみ出さず、海苔も歪みのない花束型にきっちり巻かれている。
「先日のものと、同じような感じだったんですか?」U月は、今回新登場の鶏のささ身とバジルをどっさり酢飯の上に乗せる。
「そうみたい。画用紙に大きく数字が並べて書いてあってね。T橋さんが帰宅した時に見て、前回と同じようだって言ってたわ。カズキ君『かべにかざってー』なんてママにいって、とてもかわいかったわ」
「カズキ君、かわいいですよね」A田が、今度はツナにマヨネーズを乗せて巻く。先ほどからどうも違和感を覚えていたが、彼女は巻いた寿司を両手で持って食べている。リスを彷彿とさせる食べ方だ。
「聞き分けもいいし頭もいいし、いい子よね」
「やっぱいいとこの子はちがうねー」
呑気な声のFヶ崎は、いつの間にか持って来ていた三本目の缶ビールを開ける。明らかにペースが速いが、ビールに合う献立の時の彼女は常にこんな調子である。
「そんなに呑んで、食べて、よく太らないわねぇ」I海さんがため息をつく。
うんうんと他のメイド達が揃って頷く。
「あたし、なぜか太らないんだよねー」Fヶ崎は楽しそうにビールをあおる。「昼間、一生懸命働いてるからかなー」
その説にはかなり大きな疑問符が付くが、確かに他のメイド達と違ってFヶ崎が体重を気にしているのを見たことがない。
「あとねー、体重計が壊れてて、いまいち自分の体重がわかんないんだよね」
「体重計が壊れたの?」
他のメイドたちが同時に尋ねる。
「あのねー、あたしの体重計、最近、乗る位置によって体重が変わるんだよ。右上に重心をかけると三キロくらいは軽くなるし、左後ろに重心を掛けると、三キロくらい重くなるし」
「何それ、じゃあ、乗り方で体重が変わってくるってこと?」
K条の疑問に
「そー」
とFヶ崎が鷹揚に答えると、
「それ、貸してください!」
突然A田が勢いよく立ち上がる。
「え、いいけど、どうしたの?」
「私実は少し太っちゃいまして、体重減らなくて困ってるんです。その体重計なら、少しは痩せるかも」
「なるほどー」
「ちょっと待て」私は黙っていられず口を挟んでしまう。「それ、どういう意味があるんだよ」
「だって、ダイエットしてるのになかなか体重が減らないんです……」
「いやいや、体重計の数値だけ減っても意味ないだろ」
「まー、そこは気分の問題よ」Fヶ崎がビールを呷りながら割って入る。「細かいことはいいんだよー。まったく、あんたは相変わらず女心がわかってないねー」
全く納得できないが、K条もI海さんも苦笑したまま反対意見を述べない。
仕方なくそのことは深追いするのをやめ、あらためてカズキ君のことを考える。
I海さんが察したようで「旦那様、やっぱり何か気になることがあるの?」と尋ねてくる。
「ずっと気になっていることがあるんですけど、カズキ君は自分では、数字の練習だとは言わなかったんですよね」
「え? どうだったかしら……。そうかもね。カズキ君自身は『かべにはって』って言っただけだし、奥さんが、数字の練習したのねって言ったら戸惑ってたっておっしゃってたし。でもだって、他に理由なんかないじゃない。紙に数字を書いて何になるっていうの?」
「わかりません。だけど、数字の練習だと思ったのはT橋夫人の思い込みだってことなんですね?」
「……それはそうね」I海さんは納得できたようなできないような中途半端な表情を見せる。「でも、だったら他になにか理由があるってこと?」
「それはわかりませんけど……でも、数字の練習をしたから見てほしい、っていう態度じゃなかったんですよね。もっとこう、切実な何か……」
「なにそれ?」Fヶ崎に問われても、私だって答えを持ち合わせていない。
「わからないけど、なにかこう……」
もう一度、昼間見た画用紙を思い出してみる。画用紙一面に書かれた、クレヨンの拙い数字は三歳児が書いたにしては整然と並べられている。
「そういえばI海さん」私は朧げな記憶を呼び起こそうとする。「今日の画用紙は数字がいくつまで書かれてました?」
「えっ? どうだったかしら。そんなこと気にしなかったけど」
「前のは、1から30までっておっしゃってましたよね」
「えーっと、そう、たしかT橋さんが、そうおっしゃってたわ」
「今日書いたものは、31までなかったですか?」
「そうね……30より多かった気がする。見たとき、また少し増えたのねって思ったから」
「やっぱり……」私は目を瞑る。確かに、数字は1から31まであった。前回は30まで、だった。
画用紙を思い出す。カズキ君の寝顔を思い出す。カズキ君の部屋とリビングの景色を思い出す。
答えは突然私の頭の中に現れた。目を瞑ったまま、ある物に私の焦点が当たる。あらためて考えると、カズキ君が何を書いたのかは明白だ。むしろなぜ今まで気づかなかったのか。
「カズキ君、練習して、書ける数字が増えたんですかね」A田の遠慮がちな声が聞こえる。
「そうかも。やっぱり単に数字の練習をしているのかもね」気のないU月の返答。
「いや、違う」私は目を開けてメイドたちを見る。私以外に気づいている者はいないようだ。「数字の練習、に見えるものが何なのかは分かった。だけど、なぜなのかはまだわからない」
五人のメイドは顔を見合わせる。




