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五人のメイドと面倒な事件簿  作者: 杉村雪良
メイドがベビーシッターをする面倒な事件
47/54

メイドがベビーシッターをする面倒な事件 1

 この回顧録では、人名はイニシャル表記にしてあるし、地名や店名などは伏せ字にしたり改変したりして、特定できないようにしてある。しかしもちろん見る人が見ればわかるので、話の中心になる人たちには事前に許可を得ることにしている。

 それで、私が連絡した人たちからの口コミにより、当時我が家と親交のあった人達がこの回顧録を読んで、連絡をくれることがある。

 先日も、この回顧録を読んだというある懐かしい人物から連絡があり、ひとしきり思い出話を交換した。その際彼に「ところでなぜ僕の例の事件のことを書いてくれないんです」と言われて思い出した事件は、五人のメイドと暮らしていた当時に起こった事件の中でも、ひときわ些細な事件であり、それでいて印象的な事件でもあった。


「ベビーシッター?」

 私と、四人のメイドの声が揃う。

「そうなの。裏のマンションのT橋さん。もう三歳で、かなりしっかりしてる男の子だから、ベビーとは言わないかもしれないけど。……んしょっと」

 I海さんが両手に下げた買い物袋をダイニングテーブルに乗せる。一日置きに買い物に行ってくれているというのに、袋はどれもはち切れそうなくらいに膨らんでいる。

「お友達からランチに誘われたんですって。お子さんを連れて行けるお店にしてもいいんだけど、T橋さん、幼稚園前のお子さんと毎日二人でしょう。だから、たまにはお一人で行ってらしたらって言ったの」

「それで、I海さんがT橋さんのお宅でお子さんの面倒を見るっていうんですね。いいじゃないですか。うちの仕事はどうせ暇ですから、行ってあげてください」

 私があまり深く考えずに呑気な声を出すと、

「何をおっしゃっちゃってるの?」とI海さんが笑顔のまま諌める。「旦那様も一緒よ」


 I海さんというメイドは当時我が家の炊事を一手に引き受けてくれていた。本来持ち回りであるはずの料理を任せきりにしてしまうことに、私も他のメイド達も申し訳なさを感じてはいたものの、I海さんは率先してキッチンに立ってくれたし、なにより彼女の料理の腕前は料亭に出しても恥ずかしくない程だったので、つい甘えてしまっていた。

 いきおい、日々食材の買い物に行くのももっぱら彼女の役割になっていた。そしてその行き帰りには、駅前商店街で近所の奥様やメイド達との井戸端会議が頻繁に開催され、おかげで彼女が持ち帰るのはスーパーや商店街の買い物袋だけではなかった。

 その日も帰宅するなり、「旦那様、ちょっとご相談があるんだけど」と切り出したので、これは立ち話で何かを拾いこんできたな、と直感したのだった。

「えーと、すみません、その日はちょっと急な仕事の予定が」と逃げようとすると、

「まだ何にも言ってないじゃない」と柔らかい笑顔で行く手を遮る。「それとも未来永劫ずっとお忙しい?」

 メイド五人を雇う館の主人と思えないほど、私は暇な人間だった。私はどこかに勤めに出ている訳ではなく、生業といえば、無駄に古いだけの洋館の番人、ただそれだけである。その生業も暇すぎて、最近では閑古鳥さえ鳴かない有様だ。メイド達は仕事が無くて連日冷房の効いた事務室でゴロゴロしていたのだが、私自身も同様だった。

「……忙しくはないですね。でも別に僕が行く必要ないんじゃないですか? そういうのは女性の方が」

「相手は男の子だし、何かと男手があったほうがいいから」

 私が何か言っても、I海さんの圧力のある笑顔は変わらない。

「あのさーご主人さま、あんたそうやってなんでもすぐ面倒くさがるけどさー」横からFヶ崎というメイドが、およそ雇用主に対するものとは思えない調子で口を挟む。「もうちょっと近所の人に親切にした方がいいと思うよー」

 彼女は終業後すぐにメイド服を脱ぎ、キャミソールにジーンズという姿で、ソファの上で胡坐をかいている。頭のフリル付きカチューシャを取り忘れていなければ、その口調もあいまって、決してメイドには見えないだろう。

「いや、いつもは親切にしてるんだけど、子供だけはどうも」

 私が言い逃れを口にすると、K条というメイドがこれ見よがしにカタカタと指を動かす。

「あ、では大伯母さまに電子メールを送りましょう。『先代様へ、ご主人様がご近所の方に不親切にします』」

 何もないダイニングテーブルの上で細い指が跳ねる。パソコンのキーボードを叩くジェスチャーだ。当時、大伯母も電子メールを使い始めたと言うことで、実に厄介なことになったと思っていた矢先だった。

 K条は仕事が終わっても、制服のメイド服を折り目正しく着たままだ。

「おー、パソコンのメールだ。流石、タイピングが速い」

 U月というメイドが、ただのジェスチャーに対して妙な感心をする。この場合タイピングの速度は問題になるのかどうか私には不明だ。U月もメイド服のままだが、彼女は私服でもメイド服姿でも、スカーフと言うのかストールと言うのか、何かしら布を首に何か巻いている。時折それに顔をうずめるので表情が読めず、発言の真意がわかりにくいことが多い。

「旦那様、また大奥様に叱られちゃいますよ。早く謝ってください」

 A田というメイドが、握った両手を上下に振りながら、気の早い進言をする。その慌てぶりから察するに、K条の電子メールがただのジェスチャーであることを忘れているようだ。彼女は私服に着替えているが、メイド服によく似たワンピースなのであまり変わり映えがしない。

 大伯母にとって、我が家が率先して地域に奉仕することはとても重要なことであり、それを軽んじることは彼女の逆鱗に触れる。私は名目上この館の当主なのだが、我が家は先代の当主である彼女からの定期的な寄附金以外には収入がないため、実際のところは大伯母に雇われているようなものなのだ。したがって彼女の機嫌を損ねることは我々の生存に危機的状況を招くことになる。

 

 それにもう一つ。I海さんは一見全く変わりなく微笑んでいるものの、その眉や広角に微妙な温度変化が見え隠れしてきた。つまりこれ以上抗うのは得策ではなさそうだ。

 7月になったばかりで気温は30度を超えている。しかし、私の背中を伝い落ちる汗はそればかりが原因でもなさそうだ。

「わかりましたよ。ご近所づきあいは大事ですからね。我々にできることは進んでお手伝いしましょう」

「あらー、分かってくれて嬉しいわ」

 I海さんの笑顔から微妙な圧力が消える。

「じゃあ、ポチッ」K条がマウスのボタンをクリックするジェスチャーをする。

「今のは?」

 U月が尋ねると、

「メール送信キャンセル」

とK条が答え、

「よかったですね、旦那様! 間に合いましたよ!」

とA田がまた両手を上下に振る。

「ありがとうございます、旦那様」

 I海さんがあらたまった顔で私に頭を下げる。

「ま、確かに暇ですしね。ただ僕、子供の扱いは下手だし、子供に好かれもしませんので戦力にはならないかもしれませんよ」

「あらー、そんなことないじゃない。前の職場でよく…」

「昔の話はよしましょう」私は、I海さんが余計なことを言うのを遮る。「そんなことより、何かよほど事情でもあるんですか?」

「あら、どうして?」

「だって、無理やり僕を同行させようとしたり、それにそもそも奥さんが食事に行くからって、頼まれもしないのにベビーシッターを買って出るなんて」

「そうね……」I海さんは迷うように「実は、ちょっと気になることがあって……」と続けた。

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