メイドが映画のメイドに憧れる面倒な事件 4
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K条と私が忙しいのはその後も数日続いた。予算と決算の作成で神経をすり減らしていた。予算計画は、予定されている大伯母からの寄附を割り振るパズルのようであった。決算は、あとからあとから出てくる「ごめーん、この領収書も忘れてたー」の声の度に書き換わった。
K条のオーバーワークは傍目にも明らかであったが、経理や財務は重要な業務のほとんどでパソコンを使用するということもあり、いつのまにかK条しかできない状態になっていた。そのため他のメイドが手伝えることは限られていた。
いつもならちょうど良いタイミングでI海さんの紅茶が出てくるのだが、その日淹れてくれたのもエスプレッソだった。以前毎日のように飲んでいた紅茶はここしばらく目にしていない。もちろん息抜きにエスプレッソも悪くはないのだが、紅茶になれてしまった身としては調子が狂う。
「あ、ありがとうございます」
K条の礼には、私と同じ居心地の悪さがにじみ出ていた。
「どういたしまして」
I海さんはその表情に気づいていない訳はないと思うのだが、全く取り合う様子を見せなかった。
エスプレッソだけではない。I海さんのおかしな行動はそれにとどまらず、ある時更に不可解なことを言いだした。
「ところで、ちょっと皆に相談があるんだけど」
「メイド服を替える?」
事務室の応接セットに集まった、四人のメイドの声が揃う。
「そう。毎日おんなじ制服で、みんな飽きちゃったでしょ? この際、違うのにしてみない?」
満面の笑みでI海さんが持ち掛けたのは、唐突な提案だった。
「とは言っても、突然すぎて……」
「ですよね……」
K条とA田があっけにとられた顔をする。これまで制服として毎日当たり前に着ていたメイド服なので、それを変えるなどというのは考えもしなかったのだろう。二人がすぐに反応できないのもよくわかる。
「おしゃれな奴ならいーかなー」
Fヶ崎は特に深く考えた様子もなく、即答する。
「あのね」I海さんは用意していたらしい冊子をローテーブルの下から取り出した。メイドや執事などための制服業者のカタログだ。「これなんだけど」
I海さんが指さした写真を皆が覗きこむ。私も彼女たちの頭越しに写真をなんとか視界にとらえる。そして愕然とする。
彼女たちが現在着ているものよりもスカートが短く、フリルが大きい。飾りリボンがあしらわれており、モデルさんの体のラインがとても強調されている。白を基調としてスカートなどは紺だが、鮮やかな赤や黄色が差し色に使われている。
「これは……」
誰かが心の声を漏らす。
I海さんの意図はすぐにわかった。例の映画に登場するメイドが着ていたメイド服に似ているのだ。
「あたしは別にいーけどさー、なーさんはこれでいいの?」
うんうんと皆が頷く。
I海さんは、これに比べればぐっと地味な今のメイド服でさえ、わざわざフリルやリボンを外して着ている。「歳もそうだけど、こういうの私には似合わないから」とはにかむように笑っていた。そのI海さんが、こんなメイドというよりはアイドルか何かの衣装のような服を着たがるとは到底思えない。
「かわいいと思うけど」I海さんはこともなげに言うが、皆は怪訝そうな顔で見返す。
「そりゃ、かわいいですけど……」
K条の切れの悪い返事は無理のない反応だ。
服がかわいらしいのは否定しないが、それが似合うかどうか、着たいかどうかは別問題で、I海さんはその辺りを問題にしていた筈なのだ。だが本人にそれを言うと、この服はあなたには似合わないですよと言っているように聞こえないだろうか。おそらくK条はそんなことを考えたのだろう。
普段のI海さんの言動との違いは、そこはかとない不安を感じさせるものだった。しかしメイド達の制服の事なので私が何か言うのは憚られた。
「私は替えてもいいです」もやもやした雰囲気の中、U月が手を挙げた。「このメイド服なら、結構ビッとしてるから」
この服は「ビッと」しているらしい
「あ、あたしも、かわいいなって、思いました……替えてもいいかも……」
A田が遠慮がちに手を挙げる。A田は私服もどちらかというとフリルやリボンのついたもの、可愛らしい物が多い。きっと好みに適うのだろう。
「まーあたしもいーけどさー」私には意外だったが、Fヶ崎も気だるげに追随した。「かわいーには違いないし」
我が家のメイドたちは思ったよりも可愛いものが好きらしい。
これで三人が賛成した。提案者のI海さんを除けば、きちんと意見を表明していないのは、K条だけだ。
「うーん」集まった視線を意識してか、K条がゆっくり口を開く。「私は賛成できません」
「あら、どうして?」I海さんが尋ねる。
「ちょっと可愛すぎて、仕事が捗るような気がしません」
論点が仕事の効率なのは非常にK条らしいと思えた。
「じゃあ、反対?」
「うーん、皆が賛成しているんなら、強く反対という訳でもないですけど……」
K条の声には戸惑いと逡巡が混ざっていた。
「なるほど、迷っているという訳ね」I海さんはなぜか満足げだった。「じゃあ、今の時点で、全員一致ではないのね」
一応、メイド服の変更とうのも、皆に関わる重要事項に含まれるだろう。とすると、多数決ではなく全員一致でないと駄目だということになり、I海さんの提案は却下と言うことになる。
「じゃあ、私ももう一度考えてみるから、皆も考えてもらえる? いきなり全員に賛成してもらえるとも思ってないから」
とI海さんが妥協して、その話題についてはその日は終わりとなった。
定時きっかりにFヶ崎とU月はどこかに遊びに行ってしまい、A田はやることがあると言ってすぐに管理棟の二階に引っ込んでしまった。K条は伝票とパソコンを見比べて唸っているので、本館の戸締りは私が一人で行った。
ところが寝る間際に、本館の玄関に施錠していないことを思い出した。面倒だと思ったが施錠しないわけにはいかないので事務室から鍵を取って本館に行き、また管理等へ戻った。入り口を通る度に、壁に貼られたフランスの国旗が目に入り、落ち着かない気持ちにさせられた。
事務室に鍵を置いて出てきた時、管理棟のドアを静かに開けてI海さんが外から入ってきた。
「あれ? I海さん? 出かけてらしたんですか?」
「あら、旦那様……ええ、ちょっと用事で……」
いったいどこへ何をしに、と口に出せずに、目で問うたものの、彼女は気まずそうに顔を伏せ、さっさと階段を上がって行ってしまった。
考えてみると、ここ数日夕食後にI海さんの姿を見た記憶がない。今日はたままた鉢合わせただけで、どうやらどこかに出かけているようだ。だが、本人があんな態度でいる以上、行き先を知るすべはない。
壁一面に広がるトリコロールも、何も教えてくれはしなかった。




