メイドが見学される面倒な事件 8(解決編)
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「本当にごめんなさい……」
「いえ、別にうちに迷惑をかけたわけではないので、謝っていただくには及びません。ただ、こんなことをされたその理由はご説明いただけると後顧の憂いがなくなります」
我が家の応接室のエアコンは暑い日には利きが悪いというなんとも頼りない代物だった。こんな部屋ではご令嬢には申し訳ないと思ったが、メイド達や業者などの出入りがある事務室で話を聞くのは忍びないと思い二人で応接室に身を隠したのだった。
取調室のつもりではなかったが、小さい体を一層縮こまらせている彼女の向かいに座った私は、か弱い容疑者をいじめている刑事にでも見えたかもしれない。
「家では絶対にできません。でもだからといって、誰にも相談できなくて……」
「で、うちの事務室の電話番号を使うことを思いついたんですね」
彼女が我が家の事務室に二週間も居座ったのは、メイド達を見学するためではない。彼女はその長く豊かな髪でイヤホンを隠して、二週間ラジオ番組を聴いていた。そして、DJからの電話がかかってくるのを、キャビネットに置かれた電話の前に座って待っていたのだ。
「C星ユイさんっていう、すごく素敵なアイドル歌手の方で……」
まだ駆け出しでほとんどメディアに出ていないそのアイドル歌手が、夏休みの間だけラジオ番組を持つことになった。夏休みの特別編制に合わせた、試験的な企画らしいとのことだ。平日の四時から四時二十五分という微妙な時間帯、誰も注目しないような番組だ。まだ固定ファンのいないような駆け出しのアイドル、抜擢なのか穴埋めなのか、その辺りは素人には判然としないが、とにかく彼女が定期的にメディアに出演する初の機会ということだ。
以前、彼女がその他大勢の中の一人として何かの番組に出演しているのを見て大ファンになってしまった我らがご令嬢は、どうしてもそのラジオ番組を聞きたくなった。テレビを見る時間もろくにないご令嬢が、お気に入りのアイドルと電波越しに一緒の時を過ごせる、思ってもみない機会なのだ。
だが、習い事の時間を変えて毎日アイドルのラジオ番組を聞きたいとは、とても親に言えるものではなかった。親や兄弟の前では、品行方正な淑女でいなければならない。
「ラジオをこっそり聞くだけでしたら、うまくすれば家でもできたかもしれません。でも……」
そのラジオ番組にはどうしても彼女が無視できない、あるコーナーがあった。お便りを出してそのコーナーで読まれると、彼女から電話がもらえるというのだ。
「はがきは家でこっそり書きました。でも、家では電話を執事が取ることになっていて、運よく電話をかけていただいても、私がこっそり出る方法は、思いつきませんでした。次に考えたのは誰か同じ学級の方にでもお願いすることでしたが……」
クラスの誰かに言って、その家の電話を使わせてくれるように頼むのは現実的ではなかった。夏休みの間、毎日特定の家にあがるなどというのはお互いの親が許す訳がない。かといって、その家の人に事情を話して協力を仰ぐという方法も、必ず秘密を守ってくれるとは限らないし、むしろJ泉寺家に伝えられてしまうだろう。良識ある大人なら、おそらくそうする。
それに、これは彼女には言わなかったが、『同じ学級の方』という言い方でわかるように、彼女にはそもそも、そんな頼みができるような友人がいない、ということも考えられる。
「それで、宿題と偽ってうちに入り浸る方法を考えたわけですか……」
「以前、お宅の事務室を拝見した時のことを思い出して、あの電話機をどうにか使わせていただけないか、頭を絞りました。それで……。あっ、宿題は本当なんです。そうでなければ、毎日こちらに伺うのをうちの親が許す訳はありません。もっとも、本当の宿題にはこんなに長期間なんて指定はありませんでしたが」
はがきは読まれるとは限らないし、運よく読まれるとしてもいつになるかはわからないので、毎日我が家に通い詰めておく必要があった。毎日事務室にいて電話の前に陣取っていれば、かかってきた時に自分が電話を取ることができる。ラジオを聴いていて、自分の名前が読まれた時に鳴った電話だけに出ればよいのだが、それはその時になって初めてわかるので、ずっと電話の前に待機している必要があった。そこで、宿題を口実に用いることを思いついたと言うのだった。
私が側頭部の髪に触ろうとした時あれだけの反応を見せたのは、イヤホンをしていたためだった。この猛暑にも関わらず髪をまとめたりせず、またカーディガンを必ず羽織っていたのは、イヤホンのコードを隠すためだった。コードは、耳から後ろに垂らし、背中を通ってポケットの中の小型ラジオにつながっていた。いつもおろした長い髪とやや大きめのカーディガンがそれを隠していた。「見学」の前後にお手洗いに行くのは、番組が始まる前にそれを密かにセットし、終わった際には片付けるためだった。
突然リモコンを所望したのは、ラジオの電池が切れたからだった。咄嗟に他の電池、例えばリモコンの電池で代用しようとしたものの、そんなことをすればラジオを聴いていたことを白状することになるし、隠れて電池を取り換えるためにリモコンをどこかに持ち出すのは非常に不自然な行動だ。何より、人の家の電池を勝手に使うということは彼女の清廉な心が許さなかったのだろう。ラジオからの電話を受けるために人様の家の回線と電話機を勝手に使うだけで、ぎりぎりの選択だったはずだ。結局電池は使わず、駅前商店街まで行って手近な店で乾電池を購入したのだ。
雑談で皆が笑った時に笑わなかったのは、そもそもメイド達の話を聞かずラジオを聴いていたからで、逆にラジオを聴いて笑った時には、我々からは的外れなことで笑ったように見えていたのだ。
幸運なことにラジオ番組で彼女のはがきが読まれ、電話がかかってきた。電話の後で肩を震わせていたのは、電話に出たことを私にたしなめられて泣いていたのではなく、応援しているアイドルと会話できたことの喜びに震えていたのだ。
「しかし、電話のためにうちに毎日通うだなんて、よくそんな面倒なことをする気になりましたね。電話さえ諦めれば、録音して聞くとか、楽な方法はあったじゃありませんか」
私が尋ねると、冷静沈着なお嬢様が、突然身を乗り出した。
「それは絶対だめなんです。どうしても、どうしても電話が欲しかったんです」
「なぜです?」
「だって、だって、だって」思いつめたような目は、俄かに熱を帯びる。「だって、お電話に出ると、C星ユイさんのサイン入りのお写真がいただけるんですもの!」
彼女の手には、早速封筒から出した『サイン入りのお写真』があった。私はその方面に疎いのでそのアイドル歌手の存在を知らなかったが、実に屈託のない笑顔の女の子が映っていた。
また同時に、その写真を私に見せている女の子もそれ以上にかわいらしく、あどけない笑顔をしていた。名家の大人達に薫陶をうけ礼節を弁えた冷静沈着な表情でもない。私だけに見せた底意地の悪い目つきでもない。
小学生のとびきりの笑顔がそこにあった。
その写真をこっそり受け取ろうと、したくもないメイドの恰好をして炎天下で掃き掃除をしたことを思うと、笑顔の輝きも増して見えるのだった。電話を勝手に使ったこと、プレゼントの送り先として我が家の住所を使ったこと、それに、そもそも正直に相談せず五人のメイドと私をだましていたこと、それらを全てきれいに忘れさせる輝きだと思った。人工的な臭いは一切なかった。
そして、私とご令嬢はある取引を行った。




