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就職戦線


 一九九三年四月、中原もついに就職の時期が訪れたが、やはりどうも企業探しは苦労しそうな様子だった。九〇年ごろの先輩たちは黙っていても内定がもらえたというのに、と恨み言の一つも呟きたくなるほどに。中小企業同友会が開く就職説明会はもちろん、日経連が主催する説明会は学生の山でごった返していて、どの学生も黒いリクルートスーツに身を包んでいたその姿はまるで式場で喪に服すように感じられた。横浜はもちろん、東京や地方で開かれる就職説明会に足繁く通ったし、求人冊子を手にとって幾多の企業にハガキを送ったが、どうもどの企業も採用の意思はそれほど高くないようだった。

 返事が来ないのはまだマシな方で、試験の案内を頼りに企業へ赴いてもそこで終わることが多かった。なんとか面接までこぎつけても、一回目の面接で早々に不採用を告げられることが多かった。聞くところによれば女友達なんかは、体のスリー・サイズを効いてくるような「不快面接」に遭遇するほどだった。こんな状況が秋まで延々と続いていく中、周囲の友人がなんとか内定を勝ち取っていく姿が羨ましくもあり、とても悔しかった。

 中原は別にこれと言って夢見る職業がある訳でもなく、単に父親と同じような平凡で、日本的なサラリーマンになりたいだけだったのに、その関門さえ超えることができない状況がもどかしかった。最も周囲が掴んだ内定も、パチンコ屋の従業員だの、サラ金の営業マンだの、証券会社の営業マンだのといった物が多く、どれも含み笑いの顔をしていたのが印象的だった。

 一二月暮れ、瀬谷の実家に帰った中原は父に説教をされていた。なぜ就職が決まっていないんだ。お前を何のために大学へ行かせたと思っているのか。俺がお前と同じ歳のころにはすでに仕事も決まっていた、だのと。母は何も言わなかった。まるで穢いものをみるような視線を投げかけてくるだけで、中原は大晦日の晩に古いアパートの階段を昇った。結局この年、就職の機会には恵まれなかった。



 大学は進級したけれど、という感情が色濃い複雑な気分だった。一九九四年四月、ついに大学四年生になった中原だったが、未だに就職は決まっていなかった。最近は新聞を読むのをやめた。なんとなく大人ぶって新聞の紙面を開けば、大手企業がリストラを始めたとか、もう終身雇用は維持できないだの、悲観的な記事ばかりが並んで気持ちが沈んだ。親とはもう連絡を取らなかった。たまに実家に顔を出せば言われることはたかが知れているし、向こうもきっと、学費以外の支援はしたくないんだろうと容易に想像できる。この年もやることは去年とそれほど変わらなかった。暇さえあれば仕事の情報を探しに説明会に足を運んだ。就職案内を求めるハガキを、それこそ学費と家賃以外の全てを費やすほどに書いて送ったが、企業からはほとんど相手にされなかったし、学業と就職の板挟みになり、とりあえず休戦することを決めてしまった。

 このころ学業の方はこれまでの”詰め込み”の甲斐もあってかそれほど苦戦しておらず、学んだことをどうにか社会のどこかで役立てたいと言う思いもあって、単位も落とさず、悪い遊びも覚えず、至って真面目に学生生活を送ることができたので、あえて気持ちを切り替えることができた。「大学は学業と良識の府である、就職だけが自分の全てじゃない」とー。しかし一方で、父と同じステージにさえ立つことが出来ない自分の愚かしさと悔しさが、心のどこかで暴れていた。中原は思い切って、敗者復活戦とも言える一〇月の入社式以降の勝負に打って出ることにしたが、その選択が間違いでも正解でもなかったと知るのにそれほど時間はかからなかった。

 一一月七日月曜日、横浜公共職業安定所の求人コーナーはごった返していた。この頃のハローワークはどこの地域も失業者や就職の決まらない学生たちでごった返しており、受付の順番待ちが一時間にも及ぶ始末だった。その黒山の人だかりの列の中に、中原もいた。あたりを見渡すと、一見企業の中間管理職くらいに見える恰幅の良い中年の男や、自分と同年代くらいの無精髭を生やした男も、老若男女問わず仕事を求めに来ていた中で、不思議なことに中原には自信がついていた。

 「自分は若いし、大学にも在籍している」「新卒だからきっとどこかの会社に採用されるはず」という根拠のない自信だけが心の支えになっていた。求人冊子を捲り、とりあえず「サラリーマン」と呼ばれそうな仕事をひたすら探したが、目に入ってくるのは足場職人、長距離運送、清掃員といった仕事ばかりだった。ようやく数少ない営業や事務などの仕事を一〇枚ほど選んで受付に並んだ。待合の椅子に腰掛けながら、様々な”なぜ”という思いを巡らせた。

 ーどうしてこんな時に仕事を探しているんだろうか、バブル景気だか、なんだか知らない経済に振り回され、貧乏くじを引くか引かないかのゲームにまで付き合わされなければいけないのか。こんなことなら、大学なんか進まず仕事していたほうがまだ幸せだったんじゃないか。中年くらいのサラリーマンが平然とリストラの憂き目に遭い、失業者の仲間入りをすることさえ珍しくない時代になった。隣のオッサンも、もしかしたらそんな失業者の一人かも知れない。世の中の企業は一体何を考えているんだろう。

 ようやく窓口に通された。窓口の男に目をやると父より一〇歳位若いくらい老け込んでいて、氏名標には石黒と記載されている。「今日はお仕事を探しに来たんですね」と当たり前のことを聞かれる。求人票に目をくれてだみ声でつぶやく。「やっぱり最近はこういうご時世ですからねぇ。お兄さんくらいの人でも中々苦労されてるみたいですけど、頑張ってくださいね」。少し胸に不快感がこみ上げた。自分はアンタより頑張ってきたはずだ。どうしてそんな言葉を投げつけられなければならないんだと、そんな思いを押しつぶしながら、「そうですねぇ、仕事がやっぱり中々決まらなくって・・・周りも苦労してるんですけどね」と世間話を交え、石黒は求人票の電話番号に電話を架け始めた。

 「お世話になっております。日本総合建材様でしょうか。こちら横浜公共職業安定所の石黒と申しますが。求人の件で高橋様は居られますでしょうか」。話を聞いている限り、どうもやはり書類を事前に送ってほしいという企業が殆どだったが、運良く二社ほど面接が決まった企業に巡り合うことが出来て、心の中で小躍りするような気分になった。他の七社は書類を郵便で送ってから面接の可否が決まるが、二社だけ、ぜひ面接に来てほしいと言われた。石黒は申し訳なさそうに「やはりこういう時勢ですからね、丁寧に履歴書を書いて送ってあげてください」と謝ってきたが、大して不快感もなかった。なにせ今まで一社も内定を得ることができなかったのだから。

 一、二社ともに面接は一一月一〇日に決まった。一社はカナショウという食品会社の東京本社での営業職で、もう一社は大阪に本社を構える阪神綜合機材という建築機材会社の横浜支店の営業職だった。家に帰った中原は、学業と就職活動でペンだこまみれになった手で、履歴書にペンを入れていった。

 それから中原は喜びと不安の両方が織り交ざった心境で二日間を過ごした。それこそ、夜もまともに寝付けないくらいには切羽詰まった。忘れようとしても忘れらない思いに押しつぶされそうになる。「これが最後のチャンスかも知れない」。「もうこれを逃したら、俺に就職のチャンスは無いかも知れない」と。青白い顔を下げて大学に行って卒論に取り組む姿を見た同級生が体調を気遣ってくるほどだったが、中原が逆に手を動かしていないと不安に押しつぶされて気が狂いそうになるのだった。そんな不健康な二日間を過ごし、一〇日を迎えた。

 朝、横浜駅から東急線に乗り、路線図と地図を頼りに新宿へ向かった。通勤でごった返す駅のホームに並ぶ、背広姿のサラリーマンに自分もなってやるという野望を胸にして、自らもその列に紛れ込んだ。一社目の面接は東京の新宿で、二社目は横浜の幸区だった。ハローワークの職員が「この方が回りやすいでしょう」と配慮してくれたらしい。渋谷で山手線に乗り換え、新宿に降り立った時間は九時三二分。ここから歩いて西新宿の食品会社のビルを目指して西口改札を出ていった。



 再開発が進みつつある西新宿の官庁街の一角のオフィスビルの入り口をくぐったのはちょうど腕時計の針が五二分を指すころだった。担当者が慌てもせず、自分も遅れもせずという時間がちょうどこのくらいだろうと思ったのは正解だった。一二階までエレベーターに上がり、カネショウの文字を探すのにそれほど時間は要さなかった。通路はドラマや映画にでも出てきそうなグレーのじゅうたん敷きに、白色の衝立で仕切られていて、まさにドラマかなにかに出てきそうな厳粛な雰囲気が漂い、中原も緊張がこみ上げてくる。「今日の面接が、自分の将来を決めるのかも知れないな」と。

 カネショウの事務所は目の前が事務用品を入れてそうな棚で仕切られていて、その左側の方にいくつか会議室が並んでいる。そのカウンター向かい側の方には事務机が奥まで並んでいて、そこに背広姿の従業員がそれぞれの仕事に向かっており、まさに「普通の企業」という印象だった。受付で呼び鈴を鳴らすと、自分より一〇歳位年上くらいのOLが応対に来た。

 「私中原と申しまして、本日一〇時から面接のお約束を・・・」、「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」と会議室の一つに案内された。仕立てたワイシャツの首のあたりに汗が滲む。一分もしないうちに、齢四〇歳位の営業部長が姿を表した。

 「山口と申します。中原さんですね、どうぞお座りください」。早速面接が始まったが、以外にもそれまでの面接とは違い、かなり雰囲気だけは良かった。

 「今は学生さんってことだけど、どんなことを学んでいるんかな?」、「仕事で何を重要視していきたいんだい?」と、少し砕けた話し方にこちらの緊張も少しほぐれていった。「仕事にはやはり、誠実さは勿論ですけれど、営業と言う仕事であれば目に見える数字で結果を出し、会社を伸ばしていくことが重要と思います」。こんな風に形通りの面接を進めていき、あっという間に一〇時は二五分を過ぎたころ、山口営業部長の口から「わかりました。今日はここまでですけど、悪くないですね。ただ結果だけはどうしても、後日お伝えさせてください」と言われ、その言葉に一抹の望みをかけて中原は腰が抜けていくような感情に襲われた。

 「じゃあ履歴書に書いてある電話番号に、合格でも不合格でも一週間以内に連絡しますからね」と言われ、出口へと案内された。

 中原は気が気でなかった。「悪くないですね」は本当だろうか、「後日お伝えする」は本当だろうかー、様々な「だろうか」が頭の中でめぐり、足が地につかないような感覚でビルを後にした。幾度となく書類さえ通らなかった自分が、もしかしたらこの面接で採用されるかも知れないし、されないかも知れないと言う両方の不安に心は弾けそうになりながらも、二社目の面接のために再び横浜へ向かうため、新宿駅の自動改札を通り抜けた。



 一四時三〇分。横浜駅の相鉄口前にある古びた立ち食いそば屋は建設などの労働者たちであふれていて、その中で中原も遅めの昼飯をすすっていた。さっきの面接の「悪くないですね」の言葉が何度も繰り返され、汁の味さえわからなかったが。

 二社目の阪神綜合機材は横浜駅相鉄口の眼の前にある幸区の方に一五分ほど歩いたビル街の中に支店を構えている。未だに空を歩くようなふわふわとした気持ちで、中原は皿を店員に返して街中に歩みを進めた。

 道中頭の中で様々な考えや思いを巡らせた。「もし就職が決まったら、俺もやっと父に認められるんだろうか」。「母はどんな返事をするんだろう」とそんなくだらないことが大半だったが、そんなくだらないことを考えているうちにあっという間に一五分の歩みで雑居ビルが目の前に飛び込んできた。少し時間には早いが、ビル五階の支店に入るためにエレベーターに乗り込んだ。

 一社目に比べると少し小さな会社という感じは拭えなかったが、一応リフォームでもされたのか室内はキレイで、エレベーター前の狭い通路には観葉植物が置いてある。その目と鼻の先位にオープンドアの形で阪神綜合機材の事務所があり、目の前には日焼けして浅黒い顔色をした男が受付越しに立っていた。

 「中原さんですか。お待ちしておりました」と、心の準備をする暇もなく会議室へと案内されたので、事務所の中を見渡す暇はなかったが少し狭い事務所の中に、二、三人は作業服で、もう五、六人は背広を着て電話を架けたりワープロを打ち込んでいるように見えた。椅子にかけるように指示されると、男は早速履歴書を出すように言ってきた。男もテーブル越しに椅子に深く腰掛けると申し遅れたことを詫びながら、自己紹介をしてきた。「中原さん、申し遅れました支店長の榊原と申します」。早速面接が始まったが、建築業界ならではなのか直球ながらも含みのない、率直なやり取りが始まった。

 「中々仕事決まらなかったんだね」。「だけど人に頼らないで自分で仕事探してるんだ」と、少し返事に困るような内容もあったが、一社目よりもまだ角ばっていないやり取りが多かったし、それに中原も少し快活な感じで声を張りながら、今までの真面目一筋の人生を仕事で活かしたい、そして父を超えたいという意思を示し、それに榊原支店長も感心するような、呆れるような物言いを返してくる。そんなやり取りが一五分位続いたあとに言われた質問に、中原はようやく安心を得ることができた。ビルを出るとき、ようやく全身の力が抜けるような思いになりながら、自宅を目指したことしか覚えていない。



 「中原さん、あなた大学卒業したら本当にウチに入ってくれるんだよね?」という質問に、半ば慌てながらも「はい、絶対に御社に入ります」と答え、「もういい、分かった。アンタの熱意と人柄を買ってやる」と答えを返されて、ようやく中原の就職活動にピリオドが打たれたことを、実家に電話した。久しぶりに電話に出た父は半分見捨てた感じながらも「よかったな、これでお前も一人前になる一歩を踏み出したんだ」と言ってきたし、母とも久しぶりに口をきくことができた。嬉し涙が頬を伝っていた。ギリギリの時期で掴んだ就職切符を握りしめ、その日は久しぶりに寝込んだ。

 六日後、入社の案内のため阪神綜合機材の支店を訪ね、そこで契約書を二、三通交わして就職が確定した。大学の同期の連中も、「ようやく決まったのか」、「羨ましいよ」と褒めてきたし、何よりも自分自身が一番安堵することができた。一九九四年一二月の大晦日、去年と違って喧嘩をすることもなく、瀬谷の実家で大晦日の鐘を聞くことができた。

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