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苦手な方はご注意ください。

私の人間関係不器用日記

作者: 桃 桜花

虐待サバイバーの幼少期

3歳

私の幼少期の記憶は真っ赤なネイル

平手打ち。

母からあんたなんか産まなかったらよかった。

ご飯もある日と無い日があり、その3歳の頃からある時は食べると言う習慣がある。

多分その頃から、摂食障害だと思う。

父はニヤニヤ見ていただけ。

生きるのに必死で、弟の記憶があまり無い。

保育園に入る前でも、父は屋台。母は夜の仕事。

いつも寂しいかったのを、覚えている。

お腹も、食べても食べても満たされる事が無くいつも心は寒かった。

友達の家に行くと、家族は笑っていてそこで私は笑い方を覚えた。

常に気を使い、親にワガママを言った事がない。

愛情が、分からない。

子供は愛せますが、他人の愛し方が分からない。

恋愛で、相手が好きとか思った事がない。

どこか欠陥品なんだと思う。

猫だけは、無性に愛しいと思った。

私の親友です。

未だに人間がしんどい。

嫌いでは無いし、笑顔が見たいと思うし大切にしたいと思うが、心を預ける事が出来ない。

PTSDなのかな?

親は夜中に帰ってきて、怒鳴り合い殴り合いの喧嘩。

同じ宗教なのになんで?

とずっと思ってた。

祈れば幸せになる。

私は欠片も信じていなかった。

幸せを運ぶどころか、悲しみしか運ばない。

蹴ったり、殴ったり。

その翌日は、私で母はストレス解消か殴ったり蹴ったり、掃除機の棒で息が出来ないくらい殴られた。

3歳で生きるの邪魔くさいなって思っていた。

常に体が痛いので、熟睡出来ないし、玩具は与えられたが、私は穏やかな生活を望んだ。

父は、母は私にお母さんがヤキモチ焼いているだけだと。嬉しそうに笑っていました。

だからなに?

私はずっとずっと、殴られて気分でご飯を出され。

生きていて良かったと思ったことが無い。

安心できる場所は無かった。

いつの間にか、笑う事を忘れテレビで笑うタイミングとか、勉強した。

まだ、3歳か4歳ですね。

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