私の婚約者が変態紳士で困ります 短編Ver.
アイは激怒した。
昔読んだ小説の一文を思い浮かべたアイは、まさにその通り、激怒していた。
長年、物作りに没頭した結果、完全に婚期を逃すことになった彼女を哀れに思った父親が漸く見つけた結婚相手──それは、スタンボード家の伯爵令嬢であり、二十八となった彼女にとって不相応の身分、国随一の力を持つブルクファルト辺境伯の嫡男であった。
そして今日、初の顔合わせの為に両親と共に実家から遠く離れたブルクファルト地方へ訪れた彼女は、そこで初めて嫡男の年齢を聞かされ驚く。齢、僅か十一。
自分とは十七も離れた相手であり、結婚出来る年齢になるまで五年もある。即結婚とはいかないが故に、今は婚約という形なのだと教えられた。
相手方の両親と挨拶を済ませた彼女は、婚約者に呼ばれて部屋を訪ねる。
コンコンと扉をノックし、「アイリッシュ・スタンバーグです」と部屋の外から呼び掛ける。
「どうぞ」と、中から聞こえた声は、確かに声変わり前の高いボーイソプラノ。「失礼します」と相手が子供であっても身分差から、礼を逸するわけにもいかない。
そして、扉を開いて初めて対面した婚約者に、アイは、その小さな口を目一杯開き、絶句した。
エメラルドグリーンの輝く髪、初顔合わせとあってか綺麗にオールバックで整えられている。此方に向けてくるブルーサファイアのような瞳に、輪郭に幼さは残るものの整った目鼻立ち。
誰が見ても美少年の類いに入るのだが、彼女が絶句したのは、それが理由ではなかった。
「よく来てくれたね。僕の子猫ちゃん」と、初対面相手に噯もなく、ホスト紛いの台詞を幼い笑顔を向けて吐く少年。
つまり彼は現在の状況を嫌がってはいない──下着一枚だけの姿で縄に縛られているにも関わらず。
これだけだと彼女も、子供である彼がイタズラでもして、お仕置きでもされているのか程度にしか思わなかっただろう。
体を縛る荒縄が亀の甲羅の模様を描ていなければ。
裸の胸元に六角形に描かれた縄から肩、脇の下、脇腹を通り腕を後ろ手に縛られており足まで腕と共に縛られ巾着袋のような姿で天井から吊るされていた。
ゆらゆらと揺れては、此方に向かって恍惚とした表情を見せてくる。
彼女は、そのまま、そっと扉を閉めた。
「いやあああああああっ!!」
思わず悲鳴を上げ、エアリーなピンクの髪を掻き乱しながら彼女は涙を流し、辺境伯夫妻と談笑していた両親の元へと向かい、思わず「変態がいます!」と泣きついた。
両親は辺境伯夫妻の前ということもあり困った顔をしながら彼女の話を聞いていたのだが、子供のように泣く彼女の肩を掴んで立たせると、彼女に悟らせるように、こっそりと辺境伯夫妻を指差す。
彼女もここで漸く不味いことになったと気づいた。
相手は国随一の力を持つ貴族であり、その嫡男を変態呼ばわりしては、侮辱されたと怒らせてしまう事に。
しかし、そんな心配は無用であった。
彼女の両親は、彼女の肩を逃がさないぞと言わんばかりに力強く掴み「我慢しなさい」と諭し始めた。
「お、お父様?」
絶望に落とされる言葉から彼女は母親に無言の助けを求めるが「そこさえ目を瞑れば、問題ないわよ」と更に突き落とされた。
彼の両親である夫妻は、彼の狂行を知っているようで、自分に向かってニコニコと笑顔を向けているのを見て、最早四面楚歌なのだと気づかされた
思わず彼女は「マジか……」と令嬢らしからぬ言葉を発するのであった。
後戻りは出来ないのだと悟った彼女は、今度は一転して婚約者を説得しようと試みる。
再び部屋を訪れた彼女は、ノックをすると中からは先ほどと同じく「どうぞ」と聞こえてくる。声や顔は好みなのに……と思いつつ扉を開くと、少年の姿は先ほどと比べて変化していた。
左足だけ、縄から脱出している。
バランスよく縛られて吊るされていた前よりアンバランスになった分、右側に負担がのし掛かる。しかし、彼女へ向けられた婚約者の笑顔は、より負担がかかったことによる苦悶と悦楽の喜びに満ちており、少し頬を赤く染めていた。
「お帰り、僕の子猫女王様」
「“子”でもなければ、“猫”でもないし、“女王”でもありません」
彼女が再び扉を閉めると中からは「あぁん」と声が漏れ聞こえ、思わずその場で膝をついてしまうのであった。