バイト戦死は休めない
午後5時、カエデは院の仕事が終わった為、レストランへと戻って来た。ロードピープルの家を探す前に、自分が住む家を見つければよかったと冗談を呟きながら、店の中に戻っていった。
「おかえりにゃ。今日は何か食べるにゃ?」
一番初めに出迎えてくれたのはシーヤンだった。カエデは院で働いている内は、バッグを預けておく約束をしていたからだった。
なぜわざわざチャラ神を預けていたかと言うと、周星院には、生命以外は入ってはいけないと言う、仕来りがあったからだった。
そして現在のチャラ神は、バッグに魂が宿っているだけであったので、院に入る事が許されず、院で仕事をしている間はシーヤンに預ける事になったのだった。
「約束通り、しっかり持っといたにゃ。大きすぎないから、邪魔にならなくて逆に結構便利だったにゃ。注文を全部覚えてくれるなんて大助かりだったのにゃ」
「ははっ、シーヤンは注文を忘れる事がよくあるんだね」
「うちのババは紙に書けっていうけど、にゃーは文字が苦手なのにゃ。いちいち書くなんて嫌なのにゃ」
そのババの気配を察知したのか、シーヤンはカエデにバッグを返し、急いで仕事に戻った。
チャラ神は、満足そうな声でカエデに話した。
「いや〜、カエデくんと違ってシーヤンちゃんは優しかったよぉ〜。頼ってくれるし、叩いたり投げたりしないし。いや〜充実してたなぁ〜」
「じゃあ明日からシーヤンのバッグになるか?」
冗談を言ったつもりだが、まんざらでもない事を言っていたので、力強く叩いた。
「いだああ!?ほらすぐそうやって叩く!!」
「うっせ、バッグに痛覚なんてあるわけ無いからいいだろ」
マジックアイテムは基本、痛みを魂にダイレクトで感じるので、通常の痛みより数倍痛みが強く感じると言う事実を、カエデは知らなかった。チャラ神は薄々と気付いていたが、今のカエデにそれを言うともう一度キツい一撃をくらいそうなので、黙っておいた。
チャラ神とのじゃれ合いも終了し、カエデはある頼み事をする為に、店主を探した。
既に店を開けているレストランには、時間は早いが既に数名の客が来ている。客が来ている以上、店主なら店を優先するだろうと思ったが、一応話しをしてみる事にする。
その時、ちょうど店主が店の表に姿を見せにきた。
「おや、帰ってたのかい。ほらそこ座りな、今日もあれ、作ってやるからさ」
店主は想像通り淡白に接して来たが、カエデは躊躇をしなかった。
「あの、ママさん。実は頼みたい事があるんですけど」
「なんだい」
気怠そうに応える店主、仕事の手を止める事は満更嫌がるその人物に、話を持ち掛けた。
カエデは場所を変えようと、指で階段の方を指差したが、店主は首を横に振り、指を下にさした。ここで話せ、と言う事らしい。
「仕事の話なんですけど、実はロードピープルの為に、保護をし、職業訓練をする施設を作ろうとしてるんです」
「そうかい、そいつは立派な事だね」
「そこでなんですけど、暇な時だけでいいので、生徒たちに仕事の手順を指導してくれませんか?ママさんの話なら、きっといい参考になると思うんです。代わり私が出来る事なら、出来る限りの事はしますから」
「一ついいかい、カエデ。あたしゃ確かに店の奴にはママと呼ばれたりする事もあるが、他の奴に言われるのが大っ嫌いなのさ」
店主は、突然話を変えた。迂闊だったと後悔したカエデだったが、店主はさらに言葉を続ける。
「だけどそいつが従業員なら話は別さ。あたしをどうよぼうと、もうそいつの勝手なのさ。もう一度聞くよ?本当に、あんたの出来る事なら何でもやるんだね?」
カエデは寒気がした。身震いを抑えつつ、必死に言葉を返す。
「可能な事であらば、ですけど…」
しかしその言葉が間違いだった。今のカエデには、数時間後、まさかあんな事になるとは、想像もしていなかった。
「実は今日、えらくうちの店を気に入った客が大人数連れて来るらしいんだ。だけど今日に限って非番が多い、休みの奴にまで働けって言うほどあたしゃ鬼じゃないから、今日ばかりは人が足りないのさ。そこでだカエデ、あんた、キサツが言うには相当店の仕事が出来るんだろう?」
「似たような経験はありますけど、ちゃんと働けるかどうか分かりませんよ…?」
まさか臨時で入れ、と言われるとは思ってもいなかったカエデは、保険のような言葉をかけた。あわよくばそのまま話自体が無しにならないかと、カエデは期待したが、店主はカエデが思っている程甘い人物ではなく、強引に話をすすめた。
「すぐに着替えて来な!安く見た罰だよ!!あたしがどれだけ高くつくか、今日その身でしっかり覚えときな!!」
店主はカウンターの下から店の制服を取り出し、カエデに押し付けた。
「ほら、自分の部屋でもいいからさっさとしな、それとも、ここで着替えてすぐにでも働くかい?」
「っ!き、着替えて来ます!!」
カエデは急いで階段を駆け上がり、自分の部屋に入り、店の制服に着替えた。レストランなどでよく見る在り来たりなデザインの制服だったが、女物の制服を初めて着るカエデにとっては、新鮮な反面心がやさぐれた。普通に街の商人に頼めばよかったと、今更ながら後悔した。
午後7時、店が本調子に混み始めて来る頃、例の団体客が店に現れた。
人数をしっかり聞かされていなかったカエデは、自分で人数を数え始める。そこで驚いた。
なんだ、たったの8人か、と。
ところがキサツやシーヤンは慌てふためいていた。一旦、店の裏に戻り、互いに焦せらすように不安そうな言葉を上げあっていた。
「私、あんな団体様一度に相手した事ないです…」
「私もにゃ。あんな人数、カルナかババくらいしか相手に出来ないのにゃ」
ポツポツと泣き言を上げ始める店員たち、しかしカエデは、見せ付けるように作業を始めた。
体力の少なくなった現在の体では、いくら慣れ仕事と言っても限界がある。温存し続けてきた体力を、存分に発揮しようと、思っていた。
「いらっしゃいませー!!」
カエデの声が、店中に響いた。女性店員の多いこのレストランにおいて、来店時の挨拶は、注文を取る時と勝手に相場が決まっていた。
しかし、活気をつけるかのように、カエデはあえて声を上げた。
「じゃあ、他のお客さんはよろしく。しばらく団体様の対応してるから」
「カエデさん、それならカルナさんに任せて、私達は他のお客さんの対応してましょうよ…」
キサツは仕事こそ出来るものの、ややペースの遅いカエデを心配した。それは10名を越すだろう団体の為の温存である事を、理解していなかった。
「大丈夫。私の本番は、ラスト上がりの3時間って、相場が決まってるから」
カエデは元気よく店先に立つ団体客の方へと向かった。
「こちらになります」
店の奥側の4人席の空席が並ぶ3つのテーブルに、団体客を案内した。ご予約席、と言う紙を回収し、それぞれ椅子を引く。
白亜に案内され、照れながら座りだす団体客達。全員が座る事を確認すると、カエデは早速注文を聞いた。
「お飲み物等のご注文はございますか?」
客側はヘラヘラ笑い、とりあえずビール、と答えた。最近は聞かなくなったそのセリフに、なぜか懐かしさを感じる。全員がビールで間違いが無いか、顔を見て確認する。そして大声で、裏にあるキッチンの従業員に伝えた。
「トリ生8つ、ビール8本入りまーす!!」
トリ生とは、料理注文前の飲み物単品での注文を指す、カエデが働いていたレストランであった略称の事だが、勢いで言ってしまう。しかし初めにだす大声がキッチン側に聞こえる保証は無いので、聞き始めとしてはいいだろう。
カエデの大声が聞こえれば、キッチンの従業員も耳をすます。そこでビール8本と言う言葉だけ届いたとしても、注文自体は漏れないので安心出来る。
「それでは、ごゆっくり談話をお楽しみになってお待ち下さい!」
それだけを告げ、カエデは店の裏へと戻った。以前シーヤンに伝授した、つま先とカカトの重心移動のステップで、テーブルとテーブルの間をスルスルと抜けていった。
通り掛けカルナが声をかけてくる。
「団体は私が対応しましょうか?」
「大丈夫!」
それだけを言い、裏に戻った。キッチンの方を覗くと、既にビールが4本程入れ終わっていた。
「おっ、サンキュー!やっぱり入れといてくれたんだ。これ、団体様の奴だよね?」
話した事もない従業員は、そうですと答え、両手に2本ずつ樽状の木製ジョッキを持ち、再び団体客の方へと戻った。本来なら8本一気に持って行く事が出来るが、現在の力では、途中でしんどくなりテーブルに置く時強く置くようになってしまい、ビールが溢れる事を考慮して、やめておいた。
「ビール通りまーす!!」
零すと面倒な飲み物を持ったまま大声で言い、料理を運び終えた店員はカエデを避けるようにズレた。そしてまたテーブルとテーブルの間をスルスルと抜け、団体客の、比較的年が上であろう方のテーブルに、ビールを4本置いた。
「ビール4本、お待たせしました!後の4本も、すぐにお持ちしますね!」
会釈をする客、その動作はしっかり見届け、カエデはまたキッチンへと戻った。
先程から店の中を横断し続けるカエデの姿を見て、店主は団体は邪魔になるからと、カエデが提案した予約席の案を、店の奥側にしてしまった事を後悔した。しかしカエデの働きぶりがカバーするのを見て、カウンターでただ立っているだけにはいられず、裏に戻り、活気付けた。
「ほらほら、今日初めて働き出したって奴があそこまで動いてるんだ!あんたらもお客を待たせないよう、しっかり動きな!!」
「ママ、料理が追いつきません!誰か手を回してくれませんか!?」
キッチン側は人数が5名程いるが、ホームはカエデを含め同じく5名。冷凍食品やレトルトのある店ならまだしも、1から注文を受けた後作り始めるこの店では、キッチンに5人しかいないと言うのは、あまりにも少な過ぎた。
「仕方ないねぇ、カルナ!ホールは頼んだよ!!」
「わかりました」
店主がキッチンへと入り、腕を捲ってフライパンを手に取る。
「で、何が出せて無いんだい!ほら、バーム!突っ立ってないであんた教えな!!」
唯一の男性店員、キッチンのバームがそれぞれ書かれた伝票を読み上げた。
「今手を出せてないのがホグアのバターソテー3つ、後はタングアミアビーフロースが4つです!!」
「じゃあバームはビーフロースを頼んだよ!あたしゃバターソテーをやるから!!」
ようは焼くだけのビーフロースをバームに任せ、切って炒めて味を絡めるやや面倒なバターソテーを店主が引き受けた。
そこにカエデが現れ、追加の注文を言った。
「ナペ2つ、ホグア追加で2つ入ります!ママさん、ホグア残り5つってことで!!」
「おやカエデ、あの団体客にナペでも勧めたのかい!あんたが来てから、うちの定番料理がよく売れるね!!」
苦笑いをし、残りのビール4つをカエデは取り、ホールに戻った。キサツは負けていられないと気合を入れ直し、キッチンから出された料理を急いで運んだ。
その後も忙しさは続き、団体客が帰った後もしばらく入店は止まらなかった。
店主曰く、店を開いて以来の売り上げだったらしい。
午後10時頃、最後の客が店を後にし、ようやく店仕舞い。戦場のようだったその店は、朝の静けさを取り戻した。
カエデは死体のように椅子に座り込み、微動だにしなかった。
「あんたのおかげで店がよく回ったよ、お疲れさん」
店主の言葉に気付いたカエデは、閉じていた目を開き、改めて座り直して店主の方を向いた。
「でも、色々迷惑かけちゃったみたいで。ご覧の通り、私が仰いだせいで空回りしちゃった子も、結構多いみたいですし」
カエデが広げた手の先には、キサツやシーヤン、その他ホールの従業員はおろか、キッチンにいた従業員ほぼ全てが椅子に座り疲れ果てていた。
しかし店主は、その言葉を受け付けなかった。
「あの忙しさじゃこうもなるさ、むしろこの人数でよく動けたよ。ほんと、あんたがいて助かったよ」
「じゃあ、さっきの話!!」
「ああ、昼間くらいなら相手してやるよ。どうやら、人を安くみてたのはあたしの方だったみたいだねぇ」
店主のおだてに、カエデは手を横に振った。
するとそこに唯一ダウンしていない、カルナもそのテーブルの椅子に腰を下ろした。
「私でもよければ、いつでもご協力します。今日の成功は、カエデさんあっての物ですから。この私が言うのだから、間違いは無いはずです」
カルナの会話の参加に、店主は少し嫌な顔をした。それもそのはず、店主がキッチンに応援に入ったにも関わらず、キッチンは絶えず追われる一方だったからだった。それに比べ、ホールは余裕の顔が見える。その悔しさが、店一番の働き者、カルナに向けられていたのだ。
「あたしゃ今日という日を絶対忘れないよ。もう決めたのさ、明日から、あたしもキッチンに戻るってね。どうにかしてカルナを、もうどうしようも無いってくらいに追わせる日まではね」
「どうでしょう?私はまだ若い部類に入りますが、店長はそろそろいい歳ですよ?」
「小娘が言うようになったね。この店開いた時なんかは、まだあんたも右も左も解ってなかったじゃないかい」
「もう10年も前に話です。それにあの時の私はまだ、子供でしたから」
まだ若いと言っても、おおよそ20台前半であるだろうカルナの言葉は、カエデに疑問を作った。20台なんて、まだまだ若い、カエデの固定観念とこの世界の年齢認識では、大きな違いがあるように、感じた。
「一つ気になったんだけすけど、皆さんって今おいくつなんですか?私は、今年16ですけど」
店主には睨まれたが、店主も言う程歳をとっているようには見えない。せいぜい30台に入っているかいないかの境目で、これはカエデの勝手な想像だが、10年前に店を開いた事が、同時に婚期を逃したのではないかと、想像した。
「じゃあやっぱり私の方がお姉さんでしたね〜、カエデさん。私、実はもうすぐ18歳になるんです!!」
仕事の疲れはどこに行ったと突っ込みたくなるような笑顔で、キサツが会話に参加してきた。
しかしどうも年上と言う事に納得出来ないカエデが、首を傾げた。
「まっ、キサツは大人になっても子供のまんまだったからね。そう思われるのは仕方ないさ」
「ちょっ、ママそれどう言う事ですか!私だって、もう立派な大人のレディですよ!?」
「キサツ、レディは声を荒げたりしません」
悔しがるキサツに、年下であるカエデが肩を叩いた。
「まあまあ」
そこでキサツは怒る事はせず、何かを思い出したかのようにカエデに聞いた。
「そう言えばカエデさん、カエデさんって聖職者になったんじゃないんですか?まさか今日限りで辞めたって訳じゃないですよね?」
その言葉には、店主が答えた。
「実はカエデから頼まれた事があったのさ、その代償として、今日だけ特別に入ってもらったのさ」
「なーんだ、そう言う事なんですか」
「ママさん、実はその事で、相談があるんですけど」
「もうママさんはよしておくれ。それとも、まだ何か頼みがあるって言うのかい?」
「…私を雇ってください、院の仕事が終わった後の数時間だけでもいいんです、お願いします」
「はぁ?何を急に言い出すかと思えば、雇って欲しいだって?あんた、今日聖職者になったばっかりじゃないか。そんなに稼いで、どうするって言うんだい」
カエデは、決心と共に言葉を並べた。
「…院の仕事をしても、収入はありません。ここに泊まり続けるにも、何かを食べるにも、絶対お金が足りなくなるんです。だからせめて、生きる分だけのお金は、稼ぎたいんです」
全員、話が全く理解出来なかった。聖職者と言えば、年々王国から報酬を貰い続け、王国民からも、お礼金と言う形で金銭を受け取っている。そんな貧困とはかけ離れた職についたカエデの口から出る言葉とは、とても思えなかった。
キサツとカルナは、皇鳳に無知と言う事を利用され、給料が貰えないのではないかと疑った。しかし店主は、その言葉を受け入れた。
「あんたみたいな仕事の出来る奴が、働きたいって言うんなら雇う以外ない。あの部屋も、従業員として使い続けていい。飯もタダで食わせてやる、もちろん小遣い程度には多少の給料もくれてやるさ。ただ一つだけ教えな、あんたがそこまでする理由は何だって言うんだい?」
「それが、私がこの街で見つけた、やるべき事だと思うからです」
店主はその言葉を聞くと頷き、立ち上がって合図を出した。
「ほらほら、客は帰ったけど、まだまだ片付けは残ってるんだ。仕事が終わるまで、気を抜くんじゃないよ!!」
「あの…カエデさん。白亜なら、王国に王国民登録をすれば、生活費くらいは援助して貰えますよ?今ならまだ、店長も話を取り消してくれるはずです。それでもいいって言うんですか?」
キサツが心配そうな声でカエデに尋ねた。その言葉と同じ事を言いたそうなカルナも、頷きながらカエデを見る。
「もちろん、王国からも援助してもらう。でもママさんには、こうでも言わないと働かせて貰えないじゃん? 今はお金が必要だからさ、仕方ないんだよ」
「でもカエデさん、結構お金は持ってるんじゃ…」
キサツの言葉に、カエデは答えなかった。
カエデはおそらく、エルバも同じ事をすると想像していた。王国から贈られる生活費を削り、街の復興に全力を注ぐ。おまけに保護した老婆の事もある、一人で生きて来れていたのが不思議なくらいの老婆には、介護も必要だろう。
そんな事全てをエルバに押し付けていては、申し訳がつかない、カエデはカエデに出来る限りの事を、やろうとしていた。
どうも、読者さん。投稿主のブックです。
今回読み返して思ったのですが、カエデは仕事が出来るのか遅いのか、はっきりしていないのでここで表記させてもらうと、動き自体は早いわけでは無いが周りをよく見て動いてるタイプの従業員、と言った所でしょうか。私も読み返していて混乱しました。