心変わり
某日の早朝、今日も今日とてキサツはカエデ達を浴場に誘おうとカエデの部屋に立ち寄っていた。
いつも通り、部屋の扉をノックすると、なぜか聞き慣れたドタバタと走り回る音が聞こえなかった。
疲れが溜まり、まだ眠ったままなのだろうか。そんな一般的な想像より先に、キサツは悪寒を感じる。
その瞬間、キサツの脳裏にあるシーンがフラッシュバックした。
血で滲むベッドのシーンが乱雑に引き裂かれ、赤く染まった羽毛に埋まる一つの肉体。その傍らに佇む、一人の少女が、刃物を持った死体の腕を、ただ眺めている。
そんなシーンだった。
「カエデさん、入りますよ!?」
キサツが扉を開けようとドアノブを握ると、同時に反対側からドアノブが回されたらしく、勢いよく引くあまりにその場に転びそうになった。
「のわ!?」
「あっ、ごめんキサツ!大丈夫?」
転びそうになった体勢を立て直し、キサツはようやくカエデの顔を見た。そこには、転げそうになった友人を心配し、手を差し伸べようとしていた白亜の姿が、広がっていた。
「もう、びっくりさせないでくださいよ!もう少しで、勢い余って階段から転げ落ちそうだったんですからね!?」
「ごめんごめんって。後でミルクでも奢るから」
「お砂糖増し増しのフルーティーミルクですよ?」
「はいはい。高いから毎日飲むとお金が無くなっちゃうとか言ってる、あれね」
「それで手を打ってあげます。ところで、今朝はやけに静かでしたね」
「うん。昨日は早めに寝かしつけたから」
その言葉に答えるように、部屋の奥から少女三人組が駆け出してきた。
カエデとキサツの足元をスルスルと抜け、階段を勢いよく降りる。
「早く早くー!!」
一階の方で、ウーの声が聞こえる。その声を聞き、カエデとキサツはクスッと笑い、階段を降りた。
そこでふと、キサツはある気がかりを思い出す。事件以来、ずっと気を悪くしていたヴィヴィが、ウーやサリッジと同じく部屋から駆け出していた。思わず口元を緩めたが、ヴィヴィの持っている、ある物に気が付いた。
「カエデさん?ヴィヴィちゃんが持ってる花束って…」
そんな問いに、カエデは答えを返す訳でもなく、似通った返答をした。
「…浴場の前に行きたいところがあるんだけどさ、いい?」
「私は別にいいですけど…寄りたい所ってどこですか?」
「笑いのモニュメントに、ね」
それが何の事なのか、キサツはカエデに聞こうとしたが、待つ事に飽きたウーが二人をせかした。
「遅いよ!はやくー!!」
「ごめんごめんって、今行くから」
カエデの言った笑いのモニュメントとは何の事なのか、キサツには理解出来なかった。しかしその実態を知る為に、それ以上の事は聞かなかった。
ついて行けば、それが何の事なのか、分かるだろうから。
カエデ達は、例の暴動事件の最も激化していた、周星院へと向かっていた。キサツはある程度方角から察していたが、院の前に記念碑が建てられていた事など、知らなかった。
その記念碑である二人の少年少女の石像は、笑顔で手を繋いでいた。
「こんなの、造られてたんですね」
「そりゃそうだよ。ヴィヴィ」
カエデの呼び掛けにヴィヴィは頷き、抱えていた花束を記念碑の前に供えた。他に供え物は無かったが、無理して奮発した花束が、そのもの寂しさをかき消した。
ヴィヴィとサリッジは、しゃがんだまま目を閉じ、手を合わせて何かを念じていた。その行動にウーも反応し、先程までフラフラと走り回っていた足を止め、立ったまま手を合わせた。
今までロードピープルに距離感を感じていたキサツも、過去の事を思い出すと、冥福を祈らざるを得なかった。
「今日は誓いに来たんだよ」
祈りの最中、一番初めに声を出したのはカエデだった。キサツの隣から、記念碑の前まで歩き、ヴィヴィとサリッジが、入れ替わりで記念碑から離れた。
しゃがんで二人の石像の頭を撫で終えると、カエデは振り向いた。
「昔は、白亜なら全てを救えるって、そう思ってた。私なら、ロードピープルを救えるって、そう思ってた。確かに白亜なら、全員救えたかもしれない。でも結局、私はロードピープルの事しか考えない、ただの人間だったんだよ。だから私は、全員を救えなかった」
「違いますよ!悪いのはカエデさんじゃなくて、カエデさんを傷付けたロードワームのせいなんですよ!カエデさんが気にする事なんかじゃ…!!」
キサツは怒鳴るようにカエデに言った。しかしその言葉に、サリッジがぼやいた。
「キサツお姉ちゃんも、私たちロードワームが悪いって言うんだ…」
「ちがっ…私が言いたいのはそうじゃなくて、一部のロードワームが悪いって言いたいだけで!!」
キサツは腕に胸を当て、カエデに訴えた。その言動は、決してサリッジに向けた言葉ではない。カエデの為だけの弁解に、カエデの目が変わった。
「そう言う所だよ、キサツ。そう考えていたから、私は救えなかった。でも違うんだよ、そんな悪いロードワームを作ったのは誰か、救わなかったのは誰か。それは私たち王国民が、ロードワームを蔑んでいたから」
「やめてくださいよ…カエデさんまで、ロードワームなんて呼び方をするのは…!確かに私も、力のない者と蔑んでいた頃もありました。でも、カエデさんがそんな私を変えてくれた。軽蔑する訳でもなく、救いの手を差し伸べてくれた、ママさんと同じ事を言ってくれるあなたに!ロードワームなんて言葉…使って欲しく無いんですよ!!」
次々とボロが出て、キサツはその場に膝をついた。キサツは、自分には出来ない、ロードピープルを救おうとするカエデに、惹かれていた。尊敬とさえも思うその人物に、自分の嫌う全てを言われ、心が折れそうだった。
しかしカエデは、慰めの言葉などくれなかった。
「キサツも昔はロードワームだったって事は、カルナから聞いてる。でも自分の胸に聞いてみてよ、キサツはママさんに救われて、自分もそんな存在になりたい。少しでもそう思った事はある?過去のトラウマと重ね合わせて、キサツは嫌煙してきただけだよね?」
「…はい」
「私も似たような物だよ」
「えっ…?」
キサツは、カエデの言葉を疑った。あれほど正論を掲げているのにもかかわらず、何が似ているというのだろうか。カエデは構わず、言葉を続けた。
「私も、ロードピープルを救いたいと思ってた。でも、アウターゲートに散々罵倒され、おまけに怪我までさせられた。一度はあんな奴がいるから、ロードピープルの偏見があるんだって思ってた。でもそうじゃない、そんなロードピープルを生み出したのは、拒絶してきた私たちでしょ?そこで思った。悪いのは、こんな悪循環を変えようとしない、全員が悪いんだって。弱者を救おうとも、また別の弱者が生まれると言うのなら、初めから全員を救えばいい。間違った思想があるのなら、その全員を正す。私はそれが出来なかったけど、白亜ならそれが出来る。この場で誓おう、だれかの為でなく、人々の為。パルドランドの為に、世界その物を変えてみせる!!」
その誓いの言葉を言い切ると、カエデは背後に誰かの気配を感じた。カエデの後ろには、記念碑と周星院しかない。道であらぬ場所から、気配を察知する理由など、数える程しか無いだろう。カエデはその気配の正体が、院の誰かだと言う事を容易に想像させた。
エルバであって欲しい、カエデはそう願いつつも、振り向いた。
「カエデくん…やっぱり…!!」
院の扉から出て来たのは、長身の男、エイハブだった。エイハブはカエデに駆け寄り、両肩を掴んで、言った。
「やっぱりカエデくん、記憶を失ってなんかいなかったんだね!?それならカエデくん、今日からでも院に!!」
「い、いやそれは…」
キサツにとって、最近良く店に来る常連客が、店員に言い寄っているその異常事態に、割って入った。取り乱していたが、カエデの為なら、冷静になれた。
「ちょっとエイハブさん!カエデさんから今すぐ離れてください!!この場で叫びますよ!?」
「キサツちゃんは黙ってて!これはカエデくんと僕の問題なんだから!!」
「そうはいきません!いいから離れてくださいっ!!」
キサツは強引にエイハブを引き離し、カエデの肩を押さえながら、自分の体で守るようにエイハブに背を向けた。
その上睨み続けるキサツに、エイハブは戸惑った。
「ああもうっ!こんなんじゃまともな話もできないじゃ無いかっ!!」
「今のエイハブさんは到底人とまともな話が出来る状態には見えませんけど!?みんなも、私の後ろに隠れて!!」
キサツの言葉に、ヴィヴィとサリッジはすぐに従った。一足遅れてウーもキサツの後ろに回ると、キサツはスカートのポケットから、ある物を出した。
「一般人には使いたくなかったけど…!!」
そう言いつつ、護身用のカランビットナイフを取り出す。初めはリングに指を通していただけだったが、素早くナイフを回し、しっかりと握りなおした。
まるで威嚇をするかのように、ナイフを握る右手を突き出し、エイハブを睨み付けたまま少しずつ後ろに歩く。
そんな異様な騒動に気付いたエルバが、急いで院から飛び出して来た。おそらく、また暴動が起きたのでは無いかと、焦っているようだった。
「な、何やってるんですかっ!!?」
「皇鳳様っ!?」
エルバの登場にさすがに戸惑うキサツ、しかしその隙にやられるのでは無いかとキサツは警戒したが、エイハブはエルバに歩み寄り、状況を説明していた。
「エルバ〜、キサツちゃんったら酷いんだよ。僕がいきなりカエデちゃんに言い寄っただとかなんとか難癖付けてきてさ。ナイフまで出して来て、おっかなくて仕方なかったよ」
「ああ、そう言う事ですか。その事は、院の中でゆっくりご説明しましょう。粗末な物ですが、茶菓子もご用意しますよ」
キサツは頭が混乱しそうだった。カエデの方を振り向くと、ただ頷くだけ。終いにはウーが茶菓子と言う言葉に反応して、キサツの後ろから駆け出して行ってしまった。
「お菓子!?」
「はい、お菓子です。あまり高価な物ではありませんけど」
カエデは至って落ち着いていた。キサツの肩をポンポンっと叩くと、カエデも院の入り口に向かって歩き始めた。途中、お菓子を貰っても変な人にはついて行ってはいけないと、教えなくてはと呟いていた。
ヴィヴィもサリッジも、エルバの顔をみて安心したのか、カエデに付いて行く。
キサツは不本意ながら、ナイフを懐に納め、院へと入って行った。
エルバの居住地である、院の個室に招かれ、渋々とその部屋に入る。清潔感の漂う聖堂とはかけ離れた、生活感丸出しの部屋の中央に、やや大きな丸いテーブルが置かれており、イスが6個周りに置かれていた。
エイハブは慣れたように、部屋の端に置かれた土台代わりに使用されているイスを持って、テーブルに面するように置いた。
当のエルバは、キッチンでお湯を沸かしながら聞いてきた。
「飲み物は紅茶でよろしいでしょうか?」
「出来れば、この子たちも飲みやすいように温めにね」
「わかってますよ、カエデさん」
エルバは先にシュガーとミルクの入ったティーセットの容器をテーブルに置き、ウーの餌のお菓子を、戸棚から取り出した。
「自作のクッキーです、お口に合うかどうかはわかりませんが」
「そんな事より!どう言う事なんですか皇鳳様!?この男と、カエデさんに何か関係があるって言うんですか!?」
そんな事は御構い無しにキサツはテーブルを叩いだ。ウーがテーブルの中央に置かれたクッキーに手を伸ばそうとしていた途中で、ほぼテーブルに乗っていたウーが飛び跳ねた。その他、先に飲み物を自分で用意していたエイハブの飲み物が、テーブルにこぼれた。
「あっ!あーあーあーあー…もう!急に何すんのさキサツちゃん!僕のミルク溢れちゃったじゃん!!」
「ああ、チャラ神。ウー苦いの苦手だから、ウーの分はミルクにしてあげて」
「やっぱりカエデくん覚えてるんじゃん!!ったくも〜仕方ないなぁ…はい、ウーちゃんの分!!」
「どうも。ウー、ちゃんとミルクにしてもらったんだから、ティーセットに入ったミルクティー用のミルク飲まないでよ?」
「うえぇ!?えへへ…」
「えへへちゃうやろ」
カエデはウーの頭を手刀で軽く叩いた。どことなくキサツもそんな会話に、懐かしさを感じていたが、エルバに言われるまでその事に気付かなかった。
「気付きました?キサツさん。エイハブさんって、元はカエデさんのマジックアイテムの、あのバッグですよ」
「あのマジックアイテムですか!?でも、じゃあなんて人に!!?」
「それは僕にもわかりません、ですがどうです?言われてみれば、と言うの風には思いませんか?」
そう言われれば、キサツもかすかに納得出来る。しかし、キサツはカエデとエイハブの客と従業員と言う関係が色強く根付いていた。
その上、前はカエデがエイハブを全く知らない素振りだった事を覚えている。そのせいで、信じられなかった。
「でも、カエデさんはこの人が来た時も無反応でしたし、到底知り合いのような関係には見えませんでした」
「そうかもしれませんね。ですがその時は、カエデさんはマジックアイテムから魂が抜けてしまったんだと思っていただけなら、どう思います?まさか同名の人物が現れて、生まれ変わりだと都合のいい解釈をするような人には、見えませんよね?」
「うぬぬ…そうですけど…」
キサツは再びエイハブの方を見た。確かに、女性店員とベラベラと喋りたがるこの男なら、バッグのチャラチャラとした言動には頷ける。
しかし、マジックアイテムの魂が人に変化するなどと言う事は聞いた事がない。キサツはその事をエイハブに指摘したが、カエデが答えた。
「確かに、マジックアイテムの魂が人に変わるなんて前例はないよ。でも魂そのものをエーテルとして変換して、エーテルそのままをルーンで作成した擬似的な肉体に植え付ければ、理論上は可能だよ。最近本で読んだ程度だけど」
少しばかり理解に苦しむが、思考を繰り返せば納得出来ない事もない。実際、パルドランドには人型のマジックアイテムも存在する。人型と言わず、何らかの動物の形をしている場合もあり、ひと昔前にペットブームが訪れていた。
最もその場合は、マジックアイテムとは呼ばず、召喚獣や使い魔と言った表現をする場合が多いのだが。
「じゃ、じゃあエイハブさんはカエデさんの使い魔って事なんですか!?」
「そう言う事になるのかな〜、しばらく一人にさせてくれって、無理矢理人型にされちゃったようなもんだし。しかも覚えていないふりってどう言う事さ!?僕、本当に心配してたんだよ!?」
「わ、悪かったって。でもいろいろあるんだよ。な?エルバ」
「どうなんでしょうね」
「おいっ!!」
キサツは、前々から不思議に思っていた事がある。カエデは、エルバやエイハブと話す時はだいたい、強張った声や口調をしている。しかし店では、優しさに溢れた柔らかな声で話している。
そのギャップが、カエデに興味を持った、第一の理由でもある。
しかし近頃は、そんな様子を見せる事も無く、言ってしまえば、退屈そうにしていた。落ち込んでいるせいだと思っていたが、何かを吹っ切ったカエデなら、再びそんな表情を見せても、おかしくないのかもしれない。
キサツはゆっくりと座り、エルバの入れた紅茶を啜った。
「そう言う事でしたか。それなら、私はもう何も」
しかし、何かに気付いたカエデはキサツの顔とティーカップを交互に見た。
「あれ?キサツって、ストレートで飲めたっけ?」
たかが啜っただけでも、本人はとても苦そうな顔をしていた。
「大丈夫ですっ!!」
誰かに頼られる事が、まるで無い。いつも肝心な所で失敗してしまう、そんな街のレストランで働く従業員は、意地を張ったまま紅茶を飲み続けた。
どうも、読者さん。投稿主のブックです。
キサツの話の掘り下げですが、もうちょっと細かく書けたら良かったなーと後悔しています。
ですがあまり書きすぎても長くなってしまうだけなので、難しいですね。




