【九】ノック様との対面
ほぼ駆け足で追いかけたにもかかわらず、優雅に歩くラヘネンに追いつくことのないまま正門入り口に辿り着いたマティアスとジェナは、顔パスで通されたラヘネンを横目に門番の騎士にノクトグアルのカードを提示して許可をもらうと、門番が開けた扉の向こうへと足早に進んでいった。
ロライア宮の迎賓館にあたるこの建物は大人数を迎え入れることを想定されて縦にも横にも広々とした作りになっていた。玄関ホールに入って右手の扉の前にラヘネンが立っており、二人を促すように扉を開けた。
「控えの間になります。お声をかけるまでこちらで待機してください」
「はあ、はあ、申し訳ありません、マティアスただいま到着いたしました」
「はっ、はっ、ジェナ、同じく、到着、いたしました。遅れて申し訳ありません」
マティアスと身長はそう変わらないはずなのに息一つ乱すこと無くマッツの後ろに佇むラヘネンに内心首を傾げながら、急いで息を整える。
控えの間にはソファがあり、マッツは正面奥にあるソファに座っている。左右のソファは向き合うように並べられており、控えの間入口から見て左のソファの前には、なぜが座る事はせず、立って待っているハルバーマの姿があった。
両手は後ろへ回し、まっすぐ前に向けられた目線の先には色とりどりの花が花瓶に飾られているが、観賞しているようではない。
「ハルバーマ…に質問があった為に早く来ただけだ。指定した時間にはまだなっていない」
左手の指で軽く空いてる方のソファを指差し座るように指示をするが、ハルバーマが気になってしまい、マティアスもジェナも困惑したように座るのを躊躇う。
「いいから座れ、これは今から話があるそうだ」
ぴりっとした空気が漂うことに気後れするが、引きつったままの顔で移動し、マッツ側へマティアスが手前にジェナが座った。
ハルバーマへと視線を向けると、騎士のように姿勢正しく直立不動のハルバーマは直角に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「…その謝罪は先日、連行した際の小部屋で、アレク…、貴方の対応をしていた騎士と関係がありますか?」
ジェナの問いかけに、顔を上げながら困ったように眉を下げたハルバーマは、確認するようにちらりとマッツへ視線を向けたあと、マティアスとジェナを交互に見ながら話し始めた。
「先に伝えたいのは、わざとではないって事です。確かに、捕まったまま数日警備騎士本部で過ごすのは勘弁だなと思って、たとえ、ノック様に近づかないとかの制約の契約を結ぶ事になってもいい、いろんな方向に話を持っていって、こいつ面倒だから、もういいやって思われて早く釈放されようと頑張ったのは本当だけど、害しようとか、そんな事は考えてなかったし、する気もなかったんです」
伝わっているだろうかと伺うようにマティアスたちを見るハルバーマは、上目遣いで水分の多い愛玩動物のような瞳を向けてきている。恐らくわざとであると思うが、立ったままであるのに、座っている相手に不自然に感じさせない絶妙さで、なんとも嫌らしい。ちらりと横を見ると、ハルバーマの言葉を素直に受け取り、潤ませた瞳に真摯に向き合おうとジェナが真っ直ぐにハルバーマを見ていた。
「俺の能力の一つに《話術》というのがあります。まあ、あれだけ頑張って喋ったんだから予想はついたかもしれないですけど。それとは別に《思い込み》という能力があるんです。俺は主に斥候や潜入が得意で、普段はこの二つの能力で仕事をしてるんだけど、今回、その思い込みが俺にじゃなくて、俺に対応してくれていた騎士さんに大きく影響を与えてしまったみたいなんです」
彼の能力の一つ《思い込み》は、設定を現実だと思い込み、自然にその人物に成りきるというものだそうだ。
一度作った人物はきちんと保存してあるが、よく使用するものはすぐに使えるよう常に待機状態にしてあるらしい。
基本的にはハルバーマへ影響するタイプの能力だが、微量ながらその能力の影響は周囲にも及ぼし、ハルバーマの設定を受け入れやすくなるそうだ。しかし、他者に及ぼす影響は本当に僅かで、効かない人も大勢いるという。しかし、今回ハルバーマの対応をしたのが《聞き上手》の能力を持つアレクであった。アレクの能力について簡単に説明すると、他者を肯定し受け入れ、話を聞き出す事に特化したものだそうで、ハルバーマの《思い込み》の能力が非常に効きやすい相手だった。
自分の能力が相手にとって非常に有利なものであると知らなかったアレクは、《聞き上手》を使用したそうだ。ハルバーマは能力を使用しなかったそうだが、待機状態にしてあるものがアレクの能力に引っかかり影響を及ぼしたのではないかということだった。
「ロライア様に誓って能力の使用はしていません。途中でおかしいなと思いましたが、まさか発動もしていない能力の影響下にあったとは思わず、俺の話にうんざりしてきたんだろうと思って、その…話し続けていました」
目を細めて見てしまうが、大きく肩を落とし心底申し訳なさそうに話すハルバーマに嘘はなさそうだ。
マティアスとジェナは顔を見合わせるとマッツの様子を伺う。
マッツもマティアス達に視線を向けており、軽く頷いた。
取り調べ部屋やハルバーマを入れた聴取を行う小部屋には魔法や能力を使えないように結界をはってある。聴取する側の騎士は特殊な装備を身につけ、アレクのような能力を持つ者が使用できるようにしてあるのだが、なんの能力を使用したのか分かるようにしてあり、今回アレクが《聞き上手》を使用した事は確認してある。
小部屋にいたハルバーマは不審な行動はしておらず、アレクに対して何か行動を起こしたわけでもないのに、アレクの状態がおかしくなったことに上層部は解明をノクトグアルに関する事を引き受けているマッツに委ねたのだろう。
ハルバーマの能力は小部屋の結界で発動しなかったのは間違いないだろうが、待機状態の能力が、いくら相性が悪かったとはいえ、騎士に対して影響を及ぼした可能性を示したので、改善策を練らなければならないだろう。
マティアスはハルバーマの後ろの壁へ視線を向けると、ハルバーマへと焦点を合わせ直した。
「《思い込み》の影響を自覚させる、つまり嘘だとバラせば解けるんだそうだ。アレクには事情を説明すれば解けるだろう。ジェナ、オリヴェールに伝えてくれ」
「畏まりました」
「あとはこちらで対処する。ハルバーマのノクトグアルへの参加は維持だ。ノック様と対面された後は警備本部へ連れて行く」
スッと立ち上がると同時に扉を叩く音が響いた。マッツは扉に目線を向けたまま、行くぞ、と発すると長い足で優雅に進んで行く。マティアス達も慌てて後を追うが、マッツの後ろを影のように沿って歩くラヘネンがくるりと振り返り、優雅に、と一言付け加えられた。
扉が開きホールに戻ると、にこやかに微笑む女性が、左右に広がる階段の真ん中、ホール中央奥にある豪華な意匠を施された扉へと案内していく。
シンプルながら生地の上質さ、さり気なく入れられた細かな刺繍、洗練された立ち振る舞いを見ると、おそらく、王宮でロライに付いている使用人ではないかと思う。
気後れしそうなほど美しい彫刻装飾の扉の先は、更に場違いだと感じる豪華な広間であった。
煌びやかな内装は勿論のこと、天井にはスミンフィジャの風景などの見惚れるほど素晴らしい絵や、ロライア様がお好きだというレイラスタの花が壁にも天井にも美しく掘られており、先ほどの控えの間が淡く馴染み深い翠が使われた陽の光を感じさせる部屋に比べて、白を基本としたこの広間は、花弁の灰色の帯びた淡く薄い紫色が温かみを、白い壁に巡られた金色に縁取られた蔦が威厳を感じさせる。
「わー、凄いですね」
「ノック様がいらっしゃいました」
美しい装飾の数々に目を奪われ、子どもの様にきらきらした瞳で見上げていたジェナは、ノック様という言葉に我にかえると、即座にマティアスの横に戻り真面目な顔を取り繕うが、扉で待機している先ほどの女性も含めてこの広間にいたみんなが微笑ましいものを見るようにジェナへと視線を向けている。
マッツが軽く眉をあげ斜め後ろにいるジェナが護衛の顔に戻ったことを確認すると、女性に頷いて合図した。
ガチャッという音でゆっくりと開かれていく扉は勿体ぶっているかの様に慎重だ。
マティアス達が入室した扉と同じはずなのに感じるその差異は、その御姿を拝見した時に理解できた。
(ノック様…)
会ったことなどないはずなのに、マティアスはこの方がノック様だと確信していた。
二人目のノック様。どちらかが本物、もしくはどちらも偽物。
慈悲を受けた人々の声が広がり、一人目のノック様こそが本物だというのが世論であり二人目のノック様は悪意に晒されている。
マティアス自身、流れてくる噂や王都で遠目から拝見したその麗しい御姿から一人目のノック様が本物だろうと思っていた。
しかし、今まさにその考えが吹き飛ばされてしまった。彼女こそがノック様だろうと、膝をつきながらマティアスはノクトグアルという仕事に震えていた。