【六】不審人物
指輪の時と同じように、腕飾り全体を覆い隠すような金の輪を通すと、メリ・マア神官が小瓶の中の赤い水滴を一滴垂らし眩い光が辺りに広がった。目を開けると、先ほどまで目を引かれ気になっていた腕飾りは白い刺繍されたレース調の腕飾りに変わっており、制服のオフホワイトと相まって全く目立たなくなっていた。指を刺されたのだろう、ジェナは眉を寄せ中指の先を抑えている。
微笑みを浮かべたままこちらを見ていたライア様はノクトグアルのカードを出してほしいと手を差し出してきた。
ジェナは喉元を触りカードを取り出し渡すと、ライア様は用意された大きめの盆のような形をした容器に魔力で水らしきものを溜めていくとカードをスッと沈めた。
聞き取れないほどの小声でいくつかの呪文を呟いた後、紫のような薄い色味の粉を一つまみ入れ混ぜるとカードを取り出した。
「これでこのカードはノック様と共鳴いたします。腕飾りをしたままカードに魔力を通してください」
カードを受け取り、魔力を通して確認してみると、マティアスのカード同じくレイラスタの葉が浮かび上がった。
「基本的にはマティアスのカードと同じです。資金の入出金の記録も王宮へ届きますし、ノック様の情報が入っているのも同じです。お二人のカードにノック様の情報が入っているのは、あなた達がノック様の守護者である証拠であると同時に、ノック様がどういった方か証明するものでもあります。ノック様も似たようなものをお持ちになっていただいておりますので、全て揃って身分の証明、ノクトグアルと認識されると考えてください」
微笑みを向けながらカフヴィを一口飲み、口を潤すと、優雅にソーサーにカップを置き二人へ視線を戻した。
「マティアスのカードと違うのは、ジェナのカード、いえ腕飾りはノック様にお持ちになっていただいた装飾品と共鳴をするということです。各地を巡り準備を整えていく中でノック様の負担が軽くなるよう、お手伝いができるように作ってあります。カードはその腕飾りから魔力を通した事で、腕飾りの、いわば窓口のような状態になりました。騎士団のカードのように制服と一体化収納すれば自身の魔力を通してその部分の防御能力を上げられるといった機能はそのままですが、離れた場所にいてもこのカードをノック様に預けていれば、間接的にですがお手伝いが可能です」
「このカードはノック様に預けていた方が良いという事でしょうか?」
「できればそうした方がいいですが、その判断はジェナにお任せします。どういった選択であれ、わたくしは騎士たるあなたの意思を尊重致します」
考え込むように俯いたジェナを端に見ながら、マティアスは自分が抱いた疑問を口にした。
「私のカードにそういった機能が付いていないのはなぜでしょうか?」
「一つはノック様が女性であり、ジェナもまた女性であるからです。護衛は二人で行うものでしょうが、日常的な細やかな部分はジェナが常に共にあるでしょう。そういった部分を鑑みて判断しました」
「私のカードには王宮で受けた説明以上の機能はないということでしょうか?」
「あなたの上官が何かを考えていればその限りではないと思いますが、説明を受けたのでしょう?」
「はい…」
「では、私から伝えることはありません。私が管轄するのはジェナへ渡した腕飾りとカードです。マティアスの指輪とカードは王宮の管轄になりますから気になるのであればマッツを問いただすのが良いでしょう」
クスクスと笑いを零すライア様に切ない表情を浮かべたマティアスは、諦めの境地で窓の外に見える樹々に揺れる青々しく茂る葉に癒しを求めた。
「さて、これからどうする?」
神殿から出ると周囲は仕事終わりの人達の酒盛りで賑やかな雰囲気だ。陽が空にある時間が長くなっていくと、夜遅くまで街は賑やかになる。これから夏になるにつれて催し物が増えていき、最も盛んな時期はほぼ毎日どこかで行われるのだ。
王都守護隊や警備隊にとって忙しい季節になるが、寒冷期が長いこの国において短い涼暖の夏が一年で最も楽しいのは、騎士達にとっても同じだ。
普通ならば、ここで解散し明日に持ち越すのだが、雪も降らなくなったこの時期なら昼間にできなかった話し合いをある程度済ませてしまうというのも選択肢に入る。
なにせ、明後日にはノック様と対面し、明々後日には旅へと出発しなければならないからだ。
正確には、日時の指定があったわけではないのだが、おそらく、そうなるだろうと予想している。
ノック守護隊の管轄は王宮になるが、全てマッツ隊長の掌であるだろうし隊長ならそういう段取りだろう。事実、数ヶ月前に現れたノック様のノクトグアルはそういう流れであった。
守護師団と警備師団の師団長はマッツ隊長に委ねているだろうし、王宮側も余程のことがない限り師団長達と同じ選択だろうという予想を伝えると、
「さすがマッツ班ですね」
と心底納得した顔で呟くが、少しの呆れが混じっている気がするのは気のせいだろうか。
帰って酒を一杯飲みたいのは山々なのだが、隊長は待ってはくれない。あの青い目で見つめられると何か失敗したのかと不安でたまらなくなるし、無言の場合は、自分のやれる仕事とやるべき仕事を頭で思い浮かべ順序を組み立て、隊長が何かを口にする前に率先して仕事をこなそうと必死になるのだ。
失敗したら恐ろしい、仕事が出来ないともっと恐ろしいと、配属した日の三番鐘までに骨まで染みるほど理解した。
しかし、隊長の「よくやったな」という一言は、個人的にはロライやライア、ノック様やロライア様であってもおそらく越える事のできない、心の真ん中にズシンと感じる何かがあるのだ。
マッツ班の仲間は多かれ少なかれ似たような感覚だと思う。
「分かりました。これの大きさや容量の確認もしたいですし、ここからなら警備師団の本部が近いです。会議室を一室借りれるか聞いてみましょう。」
レース調の腕飾りがある手首を触ると、警備師団の本部がある南東へ向かって歩いていく。
王都の南東は警備師団の本部の他に民間団体である冒険者組合の王都支部もある。民間団体の中で最も大きく最も古い歴史の冒険者組合はサファロロ連合国の中の一つサイーファ国で誕生した。
冒険者組合の礎はおよそ千八百年ほど前、二人の男性と一人の女性が作り上げたという。
「ノック様が持っている装飾品とやらに同じ収納の魔術方円があるか分からないから、詰め込むわけにはいかないが、場所によっては歩いての移動や野宿もあるだろう。保存食も含めて準備するものは沢山ある」
「今が夏に入る頃で良かったですね。もう一方のノクトグアルは寒冷期の真っ只中でしたから。我々も旅が続けば今年の寒冷期も旅の真っ最中でしょうけど、体感温度調節付きのマントの準備をしておけば、あとは現地での調達でいい分、荷物に余裕があります。ある程度の時間があれば大まかな流れが把握できると思いますので、整理整頓もしやすいでしょう」
本部へと続くアルホクミ通りを歩きながらも、人に聞かれても構わない範囲で話し合いをしていると、不意に、通りにある路地の一つ、その陰から視線を感じた。
無言のままジェナを制止し視線の感じた方へ指をさし警戒を促すと、戸惑うことなくバックアップに入る。
「準備します」
この辺りは騎士団関係者が多く行き交うため比較的治安はいい方だが、路地を一つ入るとガラリと変わったりする。
防寒服が必要なくなり、日が長くなってきたからこそ危険は増えるものだ。さらに、この時間の人通りは少ない。暖かくなり外で過ごすことが多くなっても足早に職場から離れるのは変わらない。みな大通りへと繰り出しているのだ。
マティアスは物音一つ逃さぬように、静かに周囲を伺いながらゆっくりと、視線を感じた路地へと歩いていき様子を伺うが、見える範囲には誰もいない。警戒を崩さぬまま、奥へ進もうと一歩進むと、どこから現れたのか口のあたりまで覆われた特殊な服を着た男が目の前にいた。
上半身は体の線に合わせ、ズボンは比較的ゆったりとした遊びの多い形になっている。上下ともに灰色であり、どこをどう取っても全く一般的ではない服装だ。
その奇妙な服より濃い灰色の髪が乱れた状態も、どこか様になる飄々とした雰囲気の持ち主だが、ジェナより少し低い小柄な男だ。
先ほどまで決していなかった場所に立っている男に理解が追いつかない。魔法で移動してきたならば風と魔力の揺らぎ、魔力音で分かるはずだが、この男が現れた時は風の揺らぎだけで魔力の揺らぎも魔法の行使による魔力音も一切なかった。その風の揺らぎも非常に静かなもので、こちらが警戒し周囲を伺っていたから感知できたが、でなければ気づくのは難しいのでないかと思う。気味の悪さと得体の知れなさで警戒を高めていると、その男は何の予備動作もなく目の前へと瞬時に移動してきた。
「っ!防御!」
「ぐっ」
打撃を加えられると判断したマティアスは、待機状態で準備していた魔法の一つを発動すると、反撃のために攻撃魔法の一つである氷降らしの呪文を唱えようとしたのだが、攻撃を仕掛けてきた男の声で中断した。
「マジかよ!呪文なしって何なんだよ。…ちょちょ待った待った、もう攻撃はしない」
「いきなり腕を振り上げてきて何を言っている。制服で王宮隊だと判断できただろう」
街中で攻撃を仕掛けることもそうだが、何より王宮隊の騎士相手に攻撃したことが、反乱勢力と見なされてもおかしくない。酒に酔って気が大きくなったのだとしても王宮隊が相手だと非常に分が悪いのだ。
酒に酔うどころか姿を現してすぐに一気に距離を詰めた行動は素面以外の何物でもないので、もう攻撃はしないといったところで、どうにもならないが。
「分かってた!分かってたけど、王宮隊やましてや王国に攻撃を仕掛けたわけじゃないんだよ、…あんたらはノクトグアルでしょ?」
なるほど、そう呟くと警戒はそのまま維持するが攻撃体勢を戻し、両手を上げ降伏の意思を示している男に問いかけた。
「新たに現れたノック様が信用ならないということか?だが、我らの過ちを忘れたわけではあるまい。ノック様と名乗られる以上、我々は、」
「いや違う違う、逆」
てっきり、一番目のノック様の信奉者か何かで、二番目のノック様をよく思わない人間かと思ったのだが、男は違うという。
「ノクトグアルは基本、二人の騎士が同行するんだよね?でも今回は、二番目のノック様は、事情が普通とは違う。今までのノクトグアルより厳しいものになると思う」
“千八百年前の人族最大の過ち“を想像する人は沢山いる。なんせ、それ以来となるスミンフィジャ王国への御降臨だ。必要以上に神経質になる人はいるのは仕方がないと言えるだろう。
しかも一番目のノック様が物腰柔らかく慈悲に溢れ、人々を癒しているというのだ、二番目のノック様が何と言われているか想像に難くない。
「あんたらがお役目をこなせる技量があるか、それを確かめたかったんだ」
「つまり、アンタ流の試験を勝手に行ったってことか。…合格でいいか?」
「ああ、あんたみたいな魔術師はそうはいねえよ。後ろの騎士も連携を取ろうと動き出してた。あんたみたいに詠唱なしとはいかねえけど、俺の動きを阻害する魔法を撃とうとしてたし。多分、鈍重魔法の、重さの方…でしょ?」
視線を隠すほど長い前髪の隙間から、琥珀のような色味の黄褐色と日に焼けた茅のようなくすんだ茶色が混ざった瞳が自慢気に細められ、指摘されたジェナは驚き目を丸くする。
詠唱の言葉を悟らせないようにマティアスの後ろへ移動し、男から見て死角となる位置で唱えていたのだ。にも関わらず、魔法の系統だけでなく種類まで当てられるとは思っていなかった。事実、捕縛系や鈍重魔法でも素早さを阻害する魔法もあり、移動魔法ではない何かで不意をつかれたからには素早さの低下や蔦や氷で動きを制限するといった対処する方が常套手段として使われるのだ。
「世間の言葉を鵜呑みにせずに、王宮側がちゃんと役目を果たそうとしているのは分かったよ」
幾らかは安心かな。
男は穏やかに目を細めると、仕事は終わったとばかりに立ち去ろうとしたがそうはいかない。男がくるりと向いた方には魔法で瞬時に移動したジェナが退路を断っている。男の背中に向けて動いたら容赦しないと唱えると、びくんと大きく体を震わせた男にジェナの捕縛魔法が全身を這うように絡みついてゆく。蔦のような木の根っこのような見た目でジェナの瞳の色を考えると土か樹が得意属性なのだろう。
最も見た目の安全な属性だったので、マティアスは心の中で安堵した。
マッツ隊長はいつも炎か氷の属性で行うので、捕縛魔法は温度を感じないとはいえ、見た目が精神に何かしらの影響がある気がするのだ。捕縛された人も周囲も。
ぞわりとなにかが背筋を通ったような気がしてマティアスは余計な考えを投げ捨てると真面目な顔で男と向き合った。
「どんな理由があるにせよ王宮隊の騎士に襲いかかってきて、そのまま返すわけがないだろう。ちょうど警備師団の本部に向かうところだったんだ。連行する」