【五】ライア様への謁見
くすんだ深い青緑色が更に沈んだ鈍い色調のベールと腰紐をつけたメッツァ神官が、神殿入り口で迎えてくれた。
神殿の神官が着る服は皆同じで、暗く濃い深い青色の神官服だが、神官の階級によってベールの色や腰部分の紐の色が違っていて、階級が上がるほど薄く淡くなっていく。
案内をしてくれている神官はその中でも四番目のメッツァという階級になる。こういった外部とのやり取りもそうだが、主に畑や神殿、孤児院や神殿に併設しているダイナーの管理がメッツァ神官の仕事である。
礼拝室には入らず左に進んでいくと、白く温かみのある壁に、素材を活かした木目の表情が豊かな扉が現れた。
扉にはカードの認証装置が付いており、騎士団のカードを使用して識別をすると淡く控えめに光り扉が開いた。礼拝堂とは全く違う、飾りも彫り物もない質素な通路はこの施設の本来の姿であるのだろう。礼拝堂はロライア様への敬愛なのだと伝えるかの様なそんな空気が流れている気がする。
この神殿の主である今代ライア様は、心身共に美しく、ライアの名に相応しい魔力と振る舞いをされる方だと評判で、ロライ様よりライア様の方がスミンフィジャ王国を統べるのに相応しいと噂されているらしく、ロライ・トゥフムシュ様は脅威に感じていると騎士団内でも話があがることが多々あるのだ。
(今代ロライ様は人気があまりないからなぁ)
トゥフムシュ様の祖父、先々代ロライ・ピルトゥフ様の時代に王宮財政は大きく傾いた。
ピルトゥフ様も王妃のマリャーヤ様も散財を重ねる方々で、享楽的な雰囲気に最初は民も流され、好意的に思われていたのだが、ゆっくり緩やかに坂道を登っていたはずの王国に、歪みや欲望という名の鉛は重さを増していき、気がつけば民にもはっきりと実感できるほど王国は転がり落ちていっていた。
これでは千年以上前の過ちをまた繰り返してしまうのではないかと危機感を募らせ、国中が不穏な空気に飲まれかけた時に、突如ピルトゥフ様が退位を宣言し、ピルトゥフ様の息子であるアレクシ様がロライとして立ったのだ。
この突然のロライの交代劇は未だ不可解だと言われていることが多数あり、その中で最も噂されているのは、三男であったアレクシ様がなぜロライとして立つ事になったのか、という事だ。
次代ロライとしてピルトゥフ様の代わりに政治を行なっていた、王妃マリャーヤ様との子である長男ニカトゥフ様とその補佐を行なっていた次男トゥフーリャ様を差し置いて、側室の子である三男のアレクシ様がなぜ⁉︎という声は当然あり、反発した家臣も多かったはずだが、悪政の一端を担っていたピルトゥフ様の側近衆を追い落とし、マリャーヤ様の取り巻き達は甘い汁を吸っていた身内共々謹慎処分に。義理の兄であるニカトゥフ様は幽閉、トゥフーリャ様と義理の母であるマリャーヤ様は罪人として処罰されるという結果に、民も家臣も理解が追いつかぬまま、あっという間に全て終わっていたのだ。
しかもアレクシ様は政敵であったはずの、ピルトゥフ様やニカトゥフ様達の重臣を味方につけており、滞りなく政治を行うと同時に、王国を立て直すための政策を次々と行なっていった。
それは民にとって厳しいものもあり、不満を持つ者も現れたが、ピルトゥフ様の時代に栄えたものを全て廃止するわけではなく、王国にとって重要な資産となりうるものには手厚く保護もするなど柔軟な対応をしており、産業を発展させ、王国内が上手く循環できる様に腐心した名君であった。
また、視察に訪れた時には気軽に民とも会話をする人物で、ロライア様の子孫であるという誇り高さを持つ歴代ロライにおいて、最も気安く、最も好かれているロライでもある。
ただ、そんな理想的なロライの決定的な弱点は子宝に恵まれなかったことだった。
珍しく側室を持たないロライであって、後継者がいない事で散々周囲から側室の打診があったそうだが、頑なに拒否し、義理の兄であるニカトゥフの長男、トゥフムシュ様を次代ロライとして教育した。トゥフムシュ様にロライの座を譲り一線を退くと、北のオファヴァリウに籠り、俗世との関わりを極端に減らして生活していたという。
そんな先代ロライ様は病で数年前に亡くなっている。
今代ロライ、トゥフムシュ様は、叔父であるアレクシ様を尊敬されているようだが、いかんせん先々代ロライ、ピルトゥフ様に瓜二つの容姿をしているのだ。
つい、民の見る目は懐疑的になり、人気も上がらない。
(名君であらせられるなら、アレクシ様が教育された御方だと不信はいずれ払拭させるであろうが、これがまた、なんとも微妙なところだからなぁ)
案内された待合の部屋で神殿併設のダイナーとはまた違う香りと味のカフヴィを飲みながら、待ち時間にふと目に入った中指にはまる指輪から今代ロライ、トゥフムシュ様の事を考え始めていると、控えめなノック音と共に緑がかった鮮やかな青色のベールと明度がやや高い柔らかな薄青色の腰紐を付けたメリ・マア神官が現れた。
ベールと腰紐の色が違うのは半階級といい、次の階級へと進む為の勉強期間の神官が現階級のベールと次の階級の腰紐をつけている。
こういった神官は現階級の仕事と次階級の神官の補佐としての仕事をしており、この神官は現マア階級でメリ階級になるためにメリ神官の補佐も務めているということだ。
ちなみにマア神官は三番目の階級、メリ神官は二番目の階級となる。
「ライア様の準備が整いました。これより接見を行いますのでお部屋の移動をお願いいたします」
静かに両手を反対の腕へと触れ少し膝を曲げ微笑むと、ゆっくりとした足取りで奥にある扉へと向かう。
周囲は基本的に飾り気のない扉や窓であるが、その扉には上部にミュゲの花が描かれている。
ミュゲはロライア様が好んでいる花の一つで、春を告げるスィーニーヴの花と共によく描かれる人気のデザインである。この扉にも控えめながら美しく可愛らしい花が扉を見守るように彫られている。
メリ・マア神官が四度扉を叩くと、中から涼やかな声が響いてきた。
「どうぞ」
神官は扉を開けると一歩前に進み、静かに両手を反対の腕へ触れ膝を深く曲げ、扉の内側へと移動した。それに続くようにマティアス達も中へ入る。
「失礼致します」
最初に目に入ったのは雪の様な白い衣装だ。挨拶もせずに腑抜けた顔を晒してしまうのは失礼極まりないと、神官と同じように両手を反対の腕へと触れ深く膝を曲げると、中央にある椅子の前で敬仰の礼をとった。
神官が行ったように挨拶をするのは神殿という場所や信仰に対して誠意を示すことで、敬仰の礼は神殿ではあまり意味のないものではあるが、神殿への敬意を騎士が一番示せる行動である。
数秒の間下げていた頭を上げると、和かに微笑むライア様がマティアス達へ椅子に座るように促した。
「どうぞ、このカフヴィは私の好みに合わせて作った特製なんです。お好みでスパイスもいくつかご用意しておりますので、遠慮せず申してください」
白い衣装には複雑で細かな刺繍されておりレースもふんだんに使われている。しかし、その全てが白い糸であるため、こうして間近で拝見する機会がない限り素晴らしい衣装には気づかないだろう。その上には同じく真白のフードが付いたマントの様な形状の上衣を羽織っており、波打ち美しく輝く金色の艶髪がライア様の動きに合わせて踊っている。
カップを持つ手は爪のあたりまでレースで覆われているが、氷の精霊も嫉妬するほどの透き通った白い肌は隠しようもない。
ふわっと香るカフヴィはライア様に似合う品の良いもので、一口飲むと味の深みの奥にしっかりとした苦味があるが、それを感じたらスッといなくなり鼻の奥の香りが少し変化する。
先程のカフヴィも美味しかったが、これは別格の美味しさである。ダイナーのカフヴィといい、神殿のカフヴィはどこも美味しいという噂はあながち間違いではないのだろうと、ライア様の侍従の助言を聞きつつ二種類のスパイスを足しながら、これからの旅の楽しみに心を踊らせ、ジェナは暖かい白い牛の乳を頼み、少し砂糖も入れて甘いカフヴィを堪能している。
「さて、こんな時間にお呼びしてごめんなさい。予定が詰まっていて一番融通が利いたのがこの時間なのです。今日以降だと一月ほど接見が難しいと思ったの。でも、そんな悠長にはできないでしょう?ノック様とお会いする前にあなた達へ説明をしておかなければいけないですから」
そう言うと、側に控えていた先ほどの神官へ合図をし、何かを用意させ始めた。
盆に何かを乗せて戻ってきた神官は、ライア様とマティアス達の間にある机に盆を置くと、隠すように被せてあった光沢のある布をとり、ジェナへ差し出した。
淡いものや透明度の高いもの濃い色や白っぽいもの、紫を基調とした石で作られた腕飾りは可愛らしく品もある。
磨き上げた宝石や魔力のこもった魔石のように光り輝いているわけではないが、つい目を向けてしまう魅力に溢れたものだ。
(これをつけるとかなり目立つんじゃないのかな)
そう不安げに思っていると、そんな考えはお見通しだと言うようにライア様はにこりと微笑んだ。
「ロライの指輪はマティアスが付けたと伺いました。これはジェナがつけなさい。マティアスが付けている指輪とほぼ同じ役割です。契約者はジェナ。契約の内容や緊急時の対応など指輪の時に説明を受けたと思いますけれど、もう一度致しましょうか?」
優しげに聞くライア様に、返事と一緒に首を大きく横に振ると、にこりと微笑んだ後に折りたたんだ一枚の紙をジェナに渡した。
「一応、これを渡しておきますので分からない時は読んでください。ジェナは野営において宿営施設作りがとても早く、得意だそうですね。この腕飾りには必要な魔石を入れております。容量の問題で他のものとまとめてありますが、ご理解ください」
「入れてある、ものですか?」
「はい。ケースを一つ入れております。そのケースには収納の魔術方円を組み込んでありますので、一定量の荷物を入れることができます。旅の道中はどうしても荷物が増えて行きますが、ジェナであればその中の魔石だけで宿営施設内部の維持と保存までできるとお墨付きがありましたので、増えすぎたらそちらに移してしまうというのもよい思います」
「なるほど、これには保管の魔術方円が組み込まれているのですね」
つけている指輪に視線を向けて頷くと、少し驚いたような目がこちらを向いていた
「指輪の説明の時に聞いておりませんか?」
頬に指を添え首を少し傾けるとにこりと微笑みながら翠色の瞳がこちらを伺っている。
一通りの説明を受けていると思ったから簡易的なやり取りで済ましたのだが、そうでなければ一から説明をし直さなければならない、という事だ。
ライア様から伺ってくださいとラヘネンから言われていたが、王宮でそうであったように、神殿でもライア様の側近が対応をするのだろうと思っていた。
ライア様への接見はノクトグアルへお言葉をかけてくださる慈悲であろうと考えていたが、実際はライア様ご自身で説明してくださっているのだ。
こうなるとラヘネンのあの言葉は別の意味合いが生まれる。
兎にも角にもこれらの流れがライア様の王宮への不信に至るのは避けなければいけないと、マティアスは少し困った顔をしながら口を開いた。
「いえ、『言えない』とマッツ・サラ隊長の側近に言われましたので、おそらく隊長の判断によるものだと思います。隊長は不必要な命令は出しませんので、なにか考えがあるものと思うのですが」
「ああ、そうでした。マティアスはマッツの部下なのでしたわね。でしたら、私もここまでと致しましょう。マティアスの言う通り、彼がする事には意味がありますから」
得心のいった様な顔で頷くと、にこりと微笑み、侍従が入れ直したカフヴィをどうぞと勧めた。