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かく有れかしと祈む  作者: 湖守 汀琴
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【一】苦労性の男

こういう時に背筋に震えが走ってしまうのは習慣かもしれない。



「はああああああああ…」



オフホワイトを基調に襟や袖口、ベルトをネイビーで色付けされている王都騎士団守護師団所属第一大隊、通称王宮守護隊の制服が、訓練用の重りがついた模擬剣よりも更に重く感じるのは”あること”のせいだ。


長く深い溜息を吐き出した男、マティアス・ユハニ・スツゥシュ。


念願叶って第一大隊、しかも憧れの第一大隊長率いるマッツ班に配属となって一年、厳しく指導を受けながら日々真面目に勤務をしてきた。


『苦労を背負う男』と二つ名が付いたマティアスの努力が実ったと、マティアスの背負う苦労を間近で見てきた仲間はもちろん、同じ守護師団とはいえ別の地域に配属となった同僚達も、第一大隊に入りたいと切磋琢磨してきたライバルでさえも皆揃って喜んでくれた配属だが、今回の事で彼らはマティアスの二つ名を改めて心に刻むだろうし、同情もしてくれるだろうが、決して役目を変わろうとはしないだろう。

あの二つ名は返上だなと軽口を叩いていた頃が懐かしい。配属先の連絡を受けた時は一年後にこんなことになるとは思いもしなかったのだ。


制服が圧迫するように肌に密着してきているような気がして、隊長室の前にもかかわらずボタンを外し、空気を流したくてたまらない。

つい隙間を作ろうと襟に指をやるものの、あまり意味が無いと言うことに気づいて整える素振りで手を下ろすと、今度は腰周りが気になりだしベルトに視線を向けた。


ウェストの肌付は、魔法使いならここの論文は出来うる限り読むべきだと推奨される王都魔力効果加工研究所と国際都市ラウマッジャにある付与魔術・魔術方円専門機関の協力の元、スミンフィジャ屈指の大手防具製作所が開発した

《軽さ滑らかさと素肌と一体化しているかのような違和感の無さ》

が売りの最新の防具下着だが、数分前、食堂で呼び出しをもらってから数十年昔の骨董品のように重く感じている。



「この下着は失敗だったかな。俺には合わない気がする。」



何代前かのロライが、騎士達の防具だらけの姿が見苦しいという理由で緊急時以外の防具の着用を王宮内で禁止し、王宮隊は平時、制服の着用となったのだが、防御が著しく下がる事も良しとしなかった為、布の防御を上げる研究がなされるようになった。

今では物防魔防共に性能の高い布製品を産出するようになったスミンフィジャ王国は服飾の国として名高く、その中でも性能に優れ、質が高く、伝統を忘れないデザインと機能性を兼ね備えたスミンフィジャ国の王宮隊の騎士達が着用する制服は国民の憧れでもある。


今回の下着も王宮隊用に開発されたもので、研究段階でレポート提出必須の試作品でありながら任意の実費購入を原則としたハードル高いものだが、数時間で売り切れるだろうと予想されていた一品だ。

激戦の中、その装備を購入できた運の良さにマティアスはロライアに感謝し、翌日の訓練でその性能を試す姿は王都守護隊から王宮守護隊に配属になった時のような期待と興奮に溢れていて、購入できなかった者達の妬みの視線を受けていた。


お昼を告げる三番鐘がなった騎士団の食堂ではその装備の着け心地や性能についてひっきりなしに質問され、大勢に囲まれながらも、同じく運良く購入することができた守護隊の先輩騎士とともに熱弁を振るっていたマティアスの興奮に水を差したのが、マティアスの二つ名を知らない王宮警備隊に配属になったばかりの後輩騎士であった。



ノック守護隊(ノクトグアル)に選ばれる人は、やっぱり違うんですねー。」



寝耳に水の言葉に理解する暇もなく周囲がおめでとうと祝ってくることに、ただただ戸惑っていたところ



「マッツ隊長の元へ向かってください。」


と守護師団第一大隊長マッツ・サラの侍従が呼びに来たのだ。








最近王都で話題の”あること”に関わることは一般的には名誉であり、出世とも捉えられるほど重要で責任ある仕事なのは間違いない。

ここで勘違いしてはいけないのは、マティアスが責任感がないだとか事なかれ主義の日和見だとか怠け癖があるといった人間ではないということだ。

堅実に任務をこなし真面目すぎるわけでなく柔軟な思考を持ち、上司の印象も良く、後輩には慕われ友人も多い。


ただ世話焼きな面があり、妙な人間に好かれ大変な目に合うことが多く、あまり運が良くない。

不運が襲うというよりは苦労を呼び込むタイプの人間なのだ。


そう、例の二つ名である。



例えば、入隊試験の時にはランダムに選ばれる担当試験監督の中、守護騎士として優秀ではあるが偏屈で頑固で少々問題を起こすと評判の試験官に当たった。

普通はそんな癖のある試験官に当たった事が不運だと思うかもしれないが、マティアスは違う。


その『優秀な騎士だが偏屈で頑固で少々問題を起こす』と評判の試験官に、えらく気に入られてしまったのである。

優秀な騎士であっても周囲との軋轢(あつれき)が多々あったその試験官は、マティアスを己の元に置いておくために指導官の役割を上層部から無理矢理もぎ取った挙句、自分に降り掛かる厄介ごとや面倒な事務作業を全てマティアスに押しつけ、移動や出世の話がマティアスに行く前に阻んでいた。


優秀な人材にさせるべく教えられていた内容は、他の騎士と比べても格段に多く、厳しく、通常の指導もきちんとしてもらえたものの、全ては面倒事を引き受けさせる使い勝手のいい部下にする為の指導官の企みであり、数十年の歳月はその指導官に食いつぶされていたと言っても過言ではない。

王宮隊に入れていなかったら、恐らく一生その指導官に使い続けられる人生だっただろう思う。



また、守護師団の宿舎では、情報精査の為の情報官候補として入団した先輩騎士と同室だったのだが、幼い頃から騎士に憧れ、王宮守護隊のマッツ第一大隊長を尊敬する先輩騎士は、情報官候補の訓練ではなく騎士訓練ばかりをする人であった。


しかし残念ながら騎士としての能力は低く、吹けば飛ぶような神経の細い持ち主であったため、上手くいかない騎士訓練を終えた後のフォローは同室のマティアスがするといった関係ができてしまった。

その先輩騎士に関することはマティアスへという認識を騎士団内で持たれ、最終的には騎士よりも情報官の才能があるんだと説得してくれと先輩騎士の上官から頼まれる羽目になったこともある。

胃の痛みで何度医務室に駆け込んだか覚えていない。



『マティアスと会うといつも背中に苦労を背負っている』と揶揄されるぐらいには苦労性の人生を歩んでいた。

気がつけば苦労の素になりそうなものには勘みたいなものが働くようになってしまっていたほどだ。回避できたことはあまりないのだけれど。


そんな男に嫌な予感を感じさせてしまうというのは、どんなに名誉なことだと言われていることだとしても逃げ出したくて仕方なくなってもしょうがないというものだ。



「いや、大丈夫。今回は外れるさ。…今まで外れたことなんかないけど…もしも、もしもそうならこんな凄いことはないんだし。」





ここで冒頭に戻る。


食堂で熱弁を振るっていた姿はどこにもなくなり、腰が引けてしまっているのを肌着のせいにしてしまうほどにはこの男の精神状態は追い詰められていた。

いつの間にか溜まっていた口の中の不安をぐっと飲み込むと、強さの象徴でもある魔獣の獅子を模したドアノッカーをゆっくり三度叩いた。

返事をもらい扉を開けると、視界に入った顔は驚きに溢れていてマティアスを視認するとわかりやすくため息をついた。



「第一大隊一班所属マティアス、ただ今参りました。」

「何だ、その顔は」

「…はっ?」



綺麗な金色の髪は短く刈り上げられ、薄く淡い色合いの青い瞳はマティアスにまっすぐに向けられている。

無表情さは彼を知らぬものには怒っているようにみえるが、その表情は冷静に人を、状況を見ており、声色は穏やかだが口数は少なく、見た目通りかなり厳しい守護師団第一大隊隊長マッツ・サラである。


ガッシリとした印象はないが、(しな)やかな筋肉は無駄がなく、狙撃を得意としているが接近戦においてもこの国において十本の指に入る手練(てだれ)だ。

高級木材であるガトダの木で作られた椅子に深く座り、少々体勢を緩めていたマッツは呆れるように眉を動かすと手前のソファに座れと左手の指を軽く動かした。


反射のように敬礼したあとソファに向かうものの、先ほどとは違う冷や汗でマティアスは微かに震えていた。


(しまった、四回叩かないといけなかったのに。)


扉の前の人物がおおよそ分かるように騎士団内においては合図としてノックの回数に決まりがある。

近衛兵は一度、友人などの親しい者、または階級が同じ場合は三度。主に対してを除き侍従は三度叩いた後声掛け。部下や階級が下の者には声掛けのみ。階級が上の者や上官に対しては四度となっている。

今回の事がどのくらい問題かというと、始末書の提出が必要な大失敗である。




「いい印象がないか?」



あまり良くなかった精神状態が更に下降し、恐縮して震えていたマティアスに目線を向けたまま、カフヴィから漂う香ばしい香りを堪能しながらマッツはカップに口を付けた。

ハッと我に返ったマティアスは慌てて否定すると、先程の行動を謝罪し(こうべ)を垂れた。



「始末書はあとから書いて提出しますので」

「お前らしくない失敗だったな。」



俺の仕事を増やさなくていいと軽く首を振る隊長に視線だけを上げると、ふと笑みをこぼしている姿にドキリとした。


犯罪者への尋問を行う時、保身の為か恐怖のせいか情報を隠して全てを話さない人間に、優位性を示すように笑みを浮かべるところは見たことがあるが、リラックスした状態で見る事ができるのは、マッツ班の中でも数少ない人間だけだ。

自分も信頼を勝ち取れていたのかと先程までの震えは彼方に飛んで行き、しっかりと顔を上げると姿勢を正した。



「無理なら他の人間に回そうか?」

「可能なのですか?」



真正面から見ると瞳の意味が正しく理解できた。身体はリラックスした状態で何かのリズムを刻んでいるように僅かに揺れ、別に構わないぞという余裕を感じさせながら、何を考えているのか分からない、でも有無を言わせない圧を纏った青い目をマティアスに向けている。


(尋問の方だった...)


糠喜びでしっかりと目を合わせてしまった今、氷を背筋に落とされたような、ぞわぞわとした悪寒を感じる。


(《大蛇と視線が合った角ウサギ》とはこの事だ、絶対に。)



「俺が陛下に頭を下げ隊長の名を返上すれば可能だ。…頬が引きつったが大丈夫か?」



引きつるどころの話ではない。

マティアスは即座に立ち上がり了承の返事をした。そうせざるを得ないほどの圧が言葉とともに一気に叩きつけられたのだ。


(締め上げるどころじゃなく丸呑みだ...)


鼻の奥がツンとするぐらいには、動揺しているしショックだが、騎士らしく表情を引き締め、胸に対して平行に構えていた敬礼の腕を下ろすと、当然だといった顔をしているマッツは椅子に座れと再度指を動かした。



ノック守護隊(ノクトグアル)。またノックを名乗るものが現れたので結成することとなった。サファロロ連合に降臨されたロライア様の死後二百十三年。スミンフィジャ国からは千八百五年ぶりだ。先祖の過ちを繰り返さない為にも誠心誠意守護するように。」




“また”現れたノックを名乗る人物。

苦労はまだまだ終わることなく続いていくのかと、マティアスは虚ろな目のまま隊長室を後にした。






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