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エピローグ

 オリーブの樹の下で、朔子はいつの間にか眠ってしまっていたようだった。

「いけない、もう夕方かな」

 慌てて起き上がるが、朔子には特に予定などない。ふらふらと周囲の家を見ながら散歩したり、友達の家霊に会いに行ったり、茂雄の家に遊びに行ったりを繰り返すだけだ。

──私はいつからここにいたんだろう。

 朔子は考えながら家を見上げる。

 数日に一度の割合で、朔子はまるで他人の家を見るように客観的に自分の宿る家を見つめる。

──そして、私はいつまでここにいるんだろう。

「永遠」という言葉が浮かぶと、朔子はあまりの言葉の重さに眩暈がした。あるいは家がなくなってしまえば──。あるいは──。

 朔子が目を閉じた時、

「朔子ちゃん」

 誰かが朔子に声をかける。目を閉じていても朔子には声の主がわかった。それなりにたくさんの数の住人と、関わりのあった人たちの人生を朔子は見送っていた。

 それぞれの人たちと過ごした数年間を、きちんと頭に焼き付けていた。

「茂雄のことを、よろしくお願いします」

 何か予感があったのだろか。折に触れて、彼女は朔子にそう言い置いた。

 透明感のある女性だった。朔子の存在に気付いて交流を持ち始めてからは、朔子をモデルにと言ってたくさんの人形を作った。彼女の心のささいな変化に気が付いていれば、死を止められたのだろうかと何度も何度も後悔した。

 朔子は今でも茂雄を見るたびに、美しかった茂雄の母親を思い出さずにはいられない。

 人々の人生の中の一部でありながら、とてつもない幸福があり、どん底の不幸があった。それらの全てを見なければならないのだ。これからも。

「……広夢くん」

 目を閉じたまま朔子が答えると、声の主が笑うのが気配でわかった。広夢が近付くと、空気が揺れるのだ。

「あたりー」

 目を開けると、広夢がおどけた顔をして朔子を見下ろしていた。やはり広夢は不思議な子だ、としみじみ思う。

 進路を決めてから、ますます広夢は輝きを増した。美しい外見は元からだが、性格も少しずつ変わった。心酔していた友人に近付いているのだろうか、以前よりも楽天家になったように思える。

 変化していく人間が、朔子は羨ましくなることがあった。たとえそれが、限りある時間の中のことだとしても。

「ずっと外にいて、風邪とかひかないの?」

 広夢の無邪気な質問に、朔子は目を細める。

「そう言えば、ひいたことないわね……」

 朔子は五十年前、自分がどのように出現したのか、思いを馳せようとするが、まるで思い出せないのだ。頭の中に靄がかかったように思考が遮られる。

 ずっとずっと昔、誰かに手を引かれていた気がするのは誰かの記憶が錯綜して混ざったのだろうか?

 つないだ手の温かみを今でも覚えているようで、時々両手を見つめてしまう。貞さんよりもずっと年上で、しかし朔子を「朔子」と呼んだ存在。

 朔子がぼんやりと記憶を辿っていると、広夢が顔を覗きこんできてはっとした。

「あの話……徳を積むと人間になれるって本当?」

 広夢が尋ねた。以前から真っ直ぐだったまなざしが、迷いが晴れてからはまぶしいほどになった。

「ああそれ……ふふ」

 朔子は笑ってごまかした。朔子自身にも、今後の朔子のことはよくわからない。永遠なのか、有限なのか。自分の使命は何なのか。

 でも、できることは今を生きること。それは人間と変わらない。錯覚かもしれないが、朔子は日々を「生きていた」。

「話したくなかったらいいんだ。ただ……朔子ちゃんは今のままの外見でいて欲しいなって」

 朔子は予想外の言葉に、驚いて広夢を見つめたまま黙ってしまう。

「レベルアップしておばあさんなんかにならないで。今の朔子ちゃんのほうがいいよ」

 朔子が吹き出すと、広夢は急に照れたように俯き、「言いたかったのはそれだけ」と小さく呟く。

 広夢の存在が嬉しかった。茂雄の存在も、朔子の「家」を大事に守ってくれた人たちも。

「また明日―」

 笑いながら手を振って広夢は庭を去って行った。

「……また明日」

 朔子も小さく手を振り返しながら笑う。

──そうだ。私には明日がある。

朔子は胸の中で呟き、もう一度自分に言い聞かせるように繰り返した。

 明日には庭の手入れの続きをしよう。茂雄ちゃんに手伝ってもらってもいい。何か料理を作ってもいい。

 新しい住人がやってくれば自己紹介をして、その人の人となりを知って一から関係を組み立てて──やることは幸いまだまだあるようだ。

 朔子には明日が続くことが嬉しかった。

大きくあくびをした朔子は空を見上げ、そして満足そうに微笑むと、オリーブの樹の下で再びゆっくりと目を閉じた。


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