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5.

卓也は遺影の中で、屈託なく笑っていた。

 通夜と告別式、どちらも出席して卓也の亡骸を見送ったはずなのに、広夢は卓也の死を受け止めることが出来なかった。もっとも、息子を失った卓也の家族の悲しみの方が計り知れず、泣き崩れて半狂乱になる母親を広夢も悲痛な思いで見つめていた。

 悲しむ家族を目の当たりにしながら、卓也の不在を現実とは思えない広夢がいた。自分はただの友人。それも複数いる友人の中の一人。それなのに、体の一部をもぎ取られたような喪失感が消えない。


「卓也の家に、線香を上げさせてもらいに行かないか」

 あまり気は進まなかったが、友人の啓と優馬に誘われるままに、広夢も卓也の家を訪れることにした。

──仏壇に手を合わせれば少しは実感が湧いてくるかもしれない。

 広夢は卓也の家へ行く道すがら、そんなことを考えていたが、辿り着いた卓也の家の外観を眺め、息を呑んだ。

 家から不穏な空気が漏れ出ていた。プランターの花は枯れ、玄関には泥が積もっていた。扉も吹き付けられた雨風がそのまま固まったように汚れていた。

──家が、死んでる。

 朔子に教えられた今なら広夢はそう表現しただろう。しかしそのときは禍々しい雰囲気に胸騒ぎがしただけだった。

「卓也のお友達?……よくいらしてくれたわね」

 そう言って迎えてくれた卓也の母は、顔の肉が削げ落ち、どう声をかけてよいかもわからないほど衰弱していた。色褪せ、得体の知れない汚れのついたエプロンを身につけていた。焦点の合わない目で、彼女は異様な微笑みを浮かべていた。

 家の中はさらに巨大な混沌だった。いつのものかわからない、食べかけの食事がそのままのテーブル。洗い物がうず高く積み上げられた流し台。

──これは、ヤバイ。

 広夢は啓と優馬と目を合わせてすばやく頷き合った。

 足の踏み場もなく散らかった床の上をどうにか隙間を見つけて歩き、仏壇に手を合わせて線香を供えた。卓也の母親はぼんやりとした表情で、台所に突っ立っていた。

 その目が何も映していないことに恐怖を覚えた広夢は、啓と優馬を引っ張って慌てて卓也の家を飛び出した。

──卓也のお母さんは壊れてしまったんだ。

 帰ることも告げずに出てきてしまったが、卓也の母親は身動ぎもせず、台所に突っ立ったまま何も言わなかった。扉が閉まると、ぴったりと空間が閉じ、広夢たちはひどく安堵した。が、卓也もその母親もあの壊れた家の中に永遠に閉じ込められてしまったような気がした。

「死んだ家を俺は見たことがある」

朔子の言葉を思い出しながら、広夢はつぶやいた。


 ベースを抱えて帰ってくると、朔子はまだ庭にいた。夜露が下りて寒くはないのか、半袖のワンピースから白く細い腕が露わになっている。

「こんな遅い時間に女の子が外にいるのはよくないよ」

 広夢が声をかけると、朔子は吹き出した。「大丈夫、私は基本的には見えないから」と言い、まんざらでもなさそうな顔をする。

「それに、夜の方が空気が澄んでいて庭仕事が捗るのよ」

「……怪我しないようにね。葉っぱで手を切ったりとか、意外と危険だから」

 広夢は朔子の剥き出しの腕をちらりと見て言った。家霊は怪我とは無縁なのかもしれないが、と思いながら。朔子は嬉しそうに「ありがとう」と笑う。

「ね、私いくつに見える?」

 草取りの手を止めて朔子が尋ねる。女の子の口から試されるように聞いたことならば何度かある台詞だったが、目の前の朔子はいたって真剣なまなざしをしている。

「十五、六歳くらいかな」

 ふふふ、と朔子は笑った。広夢としてはお世辞を言ったつもりはなく、見た目に正直に答えたつもりだったが、言ってみて初めて家霊の年齢というのはどういうものだろうと気付く。

「ずいぶん若く見られちゃった。嬉しいなー」

 くるくると朔子はその場で小さく回った。いつもの生意気な朔子とは違い、言動が素直だ。朔子の若草色のワンピースの裾が翻る。何だか平和な光景に思え、広夢は目を細めた。

「本当はいくつなの?」

 せっかちねえ、と朔子は眉をひそめたが、まだ上機嫌な様子だ。

「五十歳」

「マジか!?」

 広夢は思わず声を裏返した。朔子はそんな広夢を楽しそうに眺めている。

「この家が築五十年だから」

「……そんなに古いんだ、この家……」

 朔子はこっくりと頷く。広夢は改めて自分の家をしげしげと眺める。古い家だとは思っていたが、五十年も経てきている割には綺麗に保たれている。それは朔子の日々の「手入れ」によるところも大きいが、広夢にはこれまでの住人達の愛着が滲み出ているようにも思えた。家の存在感や佇まいは、大きさや立派さと言った基準とはまた違ったところで現われる。死んだ卓也の家とこの家では、醸し出される空気がまるで違った。

「住人の皆さんが大切に住んでくれたから」

 過去を懐かしむように、朔子もしみじみと言う。広夢と朔子はしばらく並んで家を見上げていたが、広夢はふと茂雄の家で目撃したおばあさんのことを思い出した。

「箕輪さんの家で、おばあさんに会ったんだけど、彼女もひょっとして……」

「ええっ!? 貞さんにも会ったの? 広夢くん、あなたやっぱりすごいよ」

 言いかけた広夢の言葉を朔子が遮った。はじめ朔子は目を輝かせていたが、次第に訝しむような目で広夢を見る。

「あのおばあさんは、やっぱり家霊なの?」

「そうよ。茂雄ちゃんの家を代々守っているベテランの家霊。あの家は見ての通り築百年を超えてるから、私の大先輩」

 そうなんだ、と広夢は答えたが、一つ疑問が湧いてくる。茂雄の家の家霊は確かにベテランらしく老婆の外見をしていたが、朔子はどうして少女の外見なのだろう?

「私はどうして五十歳なのにこんな見た目なのかと思ってるんでしょう?」

 広夢の心中を読み取ったように、朔子が静かな声で答える。

「それは私の経験が足りないから。修行が足りないから」

 広夢には朔子の存在が計り知れなかった。自分が何故、この少女と話すことができるのか、言葉を交わすことが日常になってしまったのか今でも時折信じられなくなる。

 それでも確かに、広夢はこの家と朔子に確かに愛着を抱いていた。

「朔子ちゃん」

 広夢が名前を呼ぶと、朔子がきょとんとした顔で見つめ返す。

「死んだ家を生き返らせることってできるのかな」

 広夢は言った。朔子は神妙な顔つきになり、広夢の言葉の続きを待っている。早くも次の展開に思いを巡らせているような聡明な目をしていた。

「怖くて逃げ帰ってきてしまったけど、助けることはできたのかな」

 懺悔のようだ、と広夢は思った。卓也の家。あの家は今のあのままなのだろうか。近付くことすら恐ろしい──。

「できると思う」

 朔子が広夢を後押しするように、目に力を込める。

「広夢くんが助けたいと思うのなら、きっとできる」

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