表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/26

4.


 深夜のコンビニバイトを続ける傍ら、広夢はあの一軒家への引っ越しを済ませた。実家から持ち出した荷物は両手で持てるほど少なかったのであっという間に終わった。

 さすがに布団や最小限の家電はリサイクル店で揃えなければならなかったが。

──ここはどこだっけ? ああ……引っ越ししたんだ。

 目覚めて見知らぬ天井が見えると、広夢は何度も今いる場所がわからなくなってしまった。その度に、新しい家のことを思い返さなければならなかった。

 昼間は卓也から譲り受けたベースを弾いた。どこかで発表する当てなどなかったが、弾いていると気持ちが落ち着くのだ。

 夜になると身支度をしてバイトに出かけ、朝になると家に帰ってくる生活を繰り返した。

「おはよう。今日もいい朝ね」

 バイトから帰ってきた広夢を時折朔子が出迎えてくれた。雑草の間からひょっこりと顔を出し、柔らかく微笑む。初日に言い合いをした険のある表情はすっかり見せなくなった。彼女は家霊だというのに?、毎回違うワンピースを着ている。今日は庭木に溶け込むような若草色のワンピースを着ていた。

「はあ……おはよう」

 広夢も真の抜けた挨拶を返す。広夢の思惑通り、朔子は時折現れた。大抵、彼女は庭掃除をしていた。華奢な体で草を刈り、枯葉を履き集めていた。庭仕事をするような格好ではなく、少女らしいふわふわとしたワンピース姿で汚れることも厭わず作業をしているので広夢は気を揉んだが、この不確かな存在にとっての服のあり方がよくわからないので考えないようにした。

 また朔子は、家の中に不用意に現れたりはしなかった。家霊といえども、礼儀をわきまえているのだろうか。それとも広夢の生活自体には興味がないのか。

「そんなに熱心に掃除しなくてもいいよ」

 バイト明けに何度目かの挨拶を交わした朝、広夢は朔子に話しかけた。朔子はかがんだまま、唇をわずかに持ち上げて笑った。

「知ってる? 家って手入れしないと死ぬのよ」

 朔子の鮮やかな笑顔と「死」という言葉の落差に、広夢はどきりとした。

「家が死ぬと住んでいる人も死ぬ。逆もまたしかり、人が死ぬと家も死ぬ。だから私は家霊の務めとして、こうやって日々手入れをしているわけ」

 いたずらっぽい顔で朔子は言い、再びしゃがんで雑草をむしり始めた。

「死ぬ、って……」

 すっかり逃げ腰になっている広夢を見て、朔子は言い直した。

「物理的に死ぬ場合もあるけれど、心が死んでしまうこともある。私の言う死は両方を指しているわ。家が衰退すると、住んでいる人も荒廃する。これならわかるでしょ?」

 広夢は頷いた。朔子の言う意味はわかる気がした。

 心が荒むと家が荒んでいく。それが朔子の言う「死」なのだろう。広夢には過去にその例え通りの家を目にしたことがある。

「今夜は茂雄ちゃんの家で楽器を練習したら? 何だか広夢くん、疲れてるみたいよ」

 今夜はバイトのシフトはなく、休みの予定だった。確かに休日は眠っているだけで、たまに朔子とこうして言葉を交わす程度だった。言われてみれば広夢は、誰かと話したかったのかもしれない。あの寡黙な不動産屋の茂雄では話し相手にならないだろうが……。


 その夜、広夢は朔子の助言に従って素直に茂雄の家を訪れた。広大な庭のある立派な日本家屋だった。

 背中にはベースを背負い、少し気恥ずかしかったので玄関先で呼び鈴を押していいものかためらっていた。

 すると、「ご在宅ですよ」と背後で声がして広夢は危うく腰を抜かしかけた。

 振り向くと和服姿のおばあさんが、柔和な笑顔を浮かべて広夢に呼び鈴を押すように手真似で促した。

「ありがとうございます……」

 広夢はおばあさんにお礼を言おうともう一度振り返ったが、そこには誰もいなかった。

──何だ……? 今の……。

 不審に思ったが、広夢は今度は迷わずに呼び鈴を押す。

少しの間があって「はい」というくぐもった男性の声が引き戸の内側から聞こえてきた。

「あ、すみません。滝内です……」

広夢が名乗ると、すぐに鍵の開く音がした。引き戸から茂雄が顔を覗かせると、広夢は何故だかとてもほっとした。

「……本当に住んでるんですね」

 思わず口にした広夢の言葉に、茂雄は「嘘をつくわけないでしょう」と眼鏡の奥の目を光らせる。

「今日は……そうか、楽器の練習ですね」

 茂雄は広夢の背中のベースを一瞥して頷くと、上がって自分についてくるようにと手短に告げる。

 さして音楽に興味はなさそうな茂雄だが、「それはベースですか?」と一目で楽器を当てたことに広夢は驚いた。

「そうです。箕輪さんも何か楽器を……?」

 広夢が訊ねると、茂雄は静かに首を横に振った。

「いえ、私は何も。楽器どころか、無趣味です」

 無口な割に、会話を打ち切ろうとしない茂雄は「どうぞ」と言うと体を反転させ、広夢を家の中へ導いた。

「ありがとうございます。図々しく本当に来ちゃってスミマセン」

「いいんですよ。部屋は余ってますから」

 頭を下げた広夢に背を向けて、既に茂雄は部屋の奥へと進んでいた。玄関から仏間を抜けて、長い廊下を歩いていく。どっしりとした日本家屋の外観にふさわしく、室内も年代物の高価そうな調度品がいくつも置かれていた。

──広い家だ。ほんとに空き部屋には困っていないって感じだな。

 広夢は茂雄の背中を追いながらも、物珍しくて周囲を見渡した。

 しかし、家の中には人の気配がまるで感じられなかった。遠くで生活音や物音が聞こえても良さそうなものなのに、この家は水底のように静かすぎる。

 先ほどのおばあさんは一緒に住んでいないのだろうかと考え、すぐにその可能性を打ち消す。

──あの人も、この世の存在ではなさそうだ。

 「こちらです」

唐突に茂雄は立ち止まった。小さなドアを開けると、そこは赤いビロードのカーペットが敷かれた小部屋で、棚にも小さなテーブルにも日本人形がびっしりと飾られていた。

「!?」

 広夢は絶句した。茂雄は涼しい顔で、「ここは一応、防音室になっております」と説明する。相変わらず恭しい態度を崩さない男だった。

「私の亡くなった父が音楽をやっていたときの名残です」

茂雄は目を伏せる。茂雄の父が音楽をやっていたという話だが楽器の類は皆無で、代わりに薄気味悪い(と広夢には思えた)人形が所狭しと並べられている。冗談ではなく、部屋に足を一歩踏み入れるなり広夢はぞっとした。

「楽器は全部母が処分してしまいました。バイオリンを弾いていたそうですが……その後は母が作った人形を保管する部屋になってしまって。はっきり言って不気味ですよね」

広夢の心を見透かしたように茂雄が言う。

「しかしヒトの顔をしているだけに、無造作に処分するわけにもいかない」

茂雄の口から家族の話題が出ることは初めてだ。当然のことながら、茂雄にも家族がいるということに広夢は安堵した。

「今日はお母さんは……俺が楽器を弾いたりして大丈夫なんですか?」

 広夢が尋ねると、茂雄はまったく表情を変えずに、

「ご安心ください。母は亡くなっておりますので」

 そう言って恭しく頭を下げる。広夢はそれ以上何も言えなくなってしまった。ご安心ください、というのはおかしな表現だ。

──じゃああのおばあさんは、誰なのだろう?

「そういうわけで、お好きなだけ練習してください。お帰りになる時には、勝手に帰ってくださって構いません」

茂雄は言い終えると、くるりと踵を返して扉を閉めてしまった。一人取り残された広夢は居心地の悪さに身震いした。

 人形に囲まれてみると、夥しい数の日本人形は、家霊を名乗る朔子にそっくりだった。切れ長の目、切り揃えられたおかっぱの黒髪に、白い肌。

これを全部茂雄のお母さんが作ったのか、と思うと別の意味でまたぞっとする。

一つ一つ手が込んでいて、人形に費やされた時間の膨大さを目の当たりにした気がした。

──人の気配がなかったのは、茂雄がこの広い家で一人暮らしをしているからなんだ。

 でも、と広夢はさらにぼんやりと頭に浮かんでいた考えを進める。

──人とは別の気配が漂っていることも確かだ。

茂雄が出て行ってしまうと広夢は腹を決めた。取り敢えず、と意を決して大きく深呼吸をする。

「茂雄さんの亡きお父さん、お母さん、人形の皆さん」

 広夢は空に向かって話しかける。馬鹿みたいだと思ったが、広夢を取り巻く空気には濃密な気配が感じられた。この家には、恐らくこの家の家霊がいる。姿を見せないが広夢のすぐそばにいて、広夢の行動を逐一監視している。

 広夢はふいに、玄関口で広夢を招き入れようとしてくれたおばあさんの優しげな顔を思い出す。危害を加えてくるような存在には思えなかったが、彼女の尊厳を脅かすようなことはしないほうがいいと広夢の直感が知らせていた。

──敵意はありません。

 広夢は心の中で呟いた。

「これから、ちょっと皆さんには縁がないような音楽をやらせてもらいます。でも、心を込めて弾きますので少しの間お付き合いください」

言い終えて頭を下げると、気の持ちようだろうがいくらか平穏な気持ちが戻った。

「さて」

 広夢はベースを鳴らした。広夢の奏でる低い音の波が、部屋の空気を揺らした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ