地下都市セレデヴィア 7
あれから数日の時が経っていた。
ロワーリのキャンプに戻ればティーダはもう無能者扱いされなくなっていた。一人で取り残されたにも関わらずあの危険な地下都市から脱出できたティーダを侮る者はいなかった。むしろ加護もないのによく生き延びたと賞賛されたくらいだった。
そして、アセルスは生きていた。
彼女は父の凄絶な死に始まり、次々と親しかった者を死んでいき、さらには加護の使い過ぎで疲労困憊となって痩せこけてしまっているが気丈にふるまっていた。体調の無理を押して仲間の傷を癒すために治癒術を使うことは欠かしていないようだった。
必至なまで頑張るアセルスに傷を負った戦士たちは休養を勧めるが、彼女は固辞した。自分にできるのはこれだけですから、と。
すっかり日は暮れている時刻だった。
日に日に弱っていくアセルスが心配になったティーダは何か食べさせてあげようと思い、料理を作って持って行った。
麦粥に香辛料などで味付けをして整えただけの簡素なものだ。アセルスの痩せ具合から見て胃袋は弱り切ってるだろうから消化に優しいものを持って行こうというティーダなりの気遣いだった。
他の天幕には明かりが灯されている。あんな悲劇があった後でもローワリの一族は健気に生きている。だが彼女のテントの中に光はなく、何もいないかのように静まり返っていた。もう誰もいないのではないか、アセルスは倒れているのではないか、そんな不安がティーダの胸を掻きむしる。
「今、大丈夫?」
嫌な予感を払拭するようにティーダが声を掛けると、しばらくして中からはもぞもぞと何かが動く音がした。
テントの入り口が開かれ、アセルスがひょっこりと顔を出した。切れ長の眼の下にはくっきりと隈があった。やせ細った顔は頬骨が浮かんでいる。目を覆いたくなるほどに痛々しかった。
「どうしたの?」
「あ、いや。これ、食べるかなーって。どうかな?」
「ありがとう。でも、食欲なくて……」
「食べれないんならいいんだけど。麦粥だし、水の代わりに飲む感じでどうかな……」
「――食べる。食べるから。そんな顔しないで」
仕方ないわね、とアセルスはティーダを家に招き入れる。
真っ暗だったそこに光が灯される。座卓の上でランタンの中にある火がゆらゆらとうねっていた。
テントの造りはティーダの家とあまり変わらない。中央にラグが敷かれ、その上に座卓が置かれているだけだ。そして隅には寝るための分厚い毛皮が敷かれている。さっきまで寝てたのだろうか、毛皮は妙に乱れていた。
「あー、ね。ちょっとね。疲れて寝ちゃってたのよ。あ、座って座って」
ティーダをラグに座るように勧めた。アセルスもティーダの隣に座る。寄り添うような、近い距離だった。吐息すら感じられるような。
「あ、葬儀のあとありがとうね。あれからあんまり話せなかったけど、感謝してたんだよ?」
みんなが死んだその翌々日のことだ。
夜、盛大に葬儀は執り行われた。
喪主はアセルスだ。
死した戦士が休息できるように、アセルスは大きな火の前で踊った。
本来ならば燃やされる遺体の前で踊るのだが、今回に限っては一つも遺体がなかった。寂しい葬儀だった。
多くの者が死んだため、ロワーリの一族のほとんどが親族を失った。皆ははさめざめと泣き、そしてアセルスも泣きながら踊った。張り詰めた顔で空に浮かぶ月を見上げ、何かを祈るように舞い続けた。
その日の真夜中。みんなが寝静まったころだ。
何も音がない深夜にティーダのテントの中に来客があった。それは何も言わず寝てるティーダの横に来て、ただ泣いていた。アセルスだった。
それからアセルスは語った。地下に囚われてからの事をティーダに語った。それは悲惨なもので、耳を覆いたくなるような凄惨な物語だった。涙を流しながら語るアセルスにティーダは何も言わず、ただ頭を撫でてやりながら話を聞いてやる。ティーダにはそれしかできなかった。
しばししてアセルスは寝息を立ててしまったのだ。
そのことをティーダはふっと思い出した。
「いいよ。こういうのはお互い様だし。僕はアセルスに何もしてやれなかったから」
「話を聞いてくれたし、ご飯もくれた。こんなことしてくれたの、ティーダだけだよ。みんな自分のことでいっぱいいっぱいだから。もちろん私もなんだけど」
アセルスはそうとだけ言うと麦粥を一口だけスプーンで掬って食べた。
「あ、美味しい」
ぱくぱくと口の中に麦粥を放り込んでいく。瞬く間に麦粥は食いつくされ、ティーダは呆気に取られてそれを見ていた。
「お腹空いてたみたい」
アセルスは頬を赤らめる。きゅう、と腹が鳴った。足りなかったのだろう。
「家にまだあるから、持ってくるよ」
空になった容器を持ち上げるとティーダはそそくさと自分の家へと戻ろうとする。その後ろからアセルスの声が掛けられた。
「ありがとう。あ、じゃあついでにさ。寝具も持っておいでよ」
「え、ああ……」
「今日も、前みたいに一緒に寝られるかな? 一人じゃ夢見が悪くて、その、ね。こんなこと頼めるのティーダしかいないし」
迷うはずもない。
ティーダは足早に戻ると寝具と麦粥の入った鍋を手に取ってアセルスのもとへと小走りで向かった。
テントの中には妙な色気の漂うアセルスが座卓に座っていた。先ほどよりも顔色が良くなっている。着ている服は寝間着にしている貫頭衣だ。服の隙間からは胸の谷間がはっきりと見えた。よからぬ思いがティーダの脳裏に渦巻いた。だが辛い想いをしているアセルスに対して劣情を催すのは失礼だ、とティーダは自制する。彼女はきっとそんなことは考えていない。ただ頼れる相手がたまたま自分しかいなかったのだ、と言い聞かせる。
「入り口で固まってどうしたの? あ、麦粥こんなにあるんだ。温め直したほうがいいかな?」
「あ、そうだね。うん。あ、僕がやるよ」
「じゃあそこにあるランタンの上に置いて。熱が伝わるようになってるから」
「う、うん」
ランタンの上の蓋は鍋が置けるように平坦になっていた。鍋を置くとジュッと音がして一気に鍋に熱が伝わっていく。
アセルスが言うにはこれはデリウスの趣味で買ったものなのだという。
「お父様はね。こういうあまり役に立ちそうにないものが好きだったの。すごく高くてね。まあこれは役に立つほうなんだけど、あっちのほうの、ほら、あれ。見てよ。すっごい大きな盾にトゲトゲがついてるでしょ? 突進してきた敵の攻撃を受けてこれで反撃するとか、なんとか。結局剣でぶん殴った方が早いとか言って一度も使わなかったんだけど、馬鹿みたいでしょ?」
凄まじく大きな盾が部屋の片隅で埃をかぶっていた。凶悪な棘が六本伸びている。それはティーダの薄い身体など容易に貫通してしまいそうだった。こんなもの何に使うつもりだったのか、ティーダにも理解できない。確かに馬鹿だと思う。
「ほら、これも、これも、これも――あ、この髪飾りはね。死んだお母様の形見で、大事に取ってて……、私が結婚するときにこれをつけなさい、ってお父様も。だからね」
「うん」
シューッと鍋が音を立てた。ぼこぼこと麦粥が沸騰している。ティーダは慌てて鍋を地面に置くと、食べる? と空の容器を持ち上げて聞いた。
アセルスは無言。頬を膨らませてそっぽを向いていた。その頬はほんのり赤く染まっている。
彼女はゆるりと寝具の方へと移動して寝転ぶと、チョイチョイとティーダを誘った。ティーダは犬のようにアセルスのそばに寝具を敷くと、横になってしまう。
部屋は麦粥の匂いで満たされているが、アセルスの隣は柑橘系の甘い香りがした。
「あのとき、抱きしめてくれたよね。あの巨人が爆発したときなんだけど」
みんなを見捨てて逃げ出そうとしたとき、アセルスだけは見捨てることができなかった。ティーダはもう一緒に死んでもいいと覚悟を決めて、彼女を抱きしめた。幸いにも二人は生きているが。
ただこんなことを巻き返すのは恥ずかしくもあり、「そうだったかな」とティーダは口を濁した。
「そうだったよ」
ティーダの隣をするりと抜けてアセルスは明かりを消した。テントの中は真っ暗になり、一寸先も見えはしない。
「そうだったんだよ」
後ろからそっとティーダの胸を抱きしめられた。背中には柔らかなものが押し付けられている。何か想像するまでもなかった。
「あの――」
「一緒に寝てくれるんだよね?」
「はい」
寝ようにも目が一瞬で醒めてしまった。
股間の一部が熱くなり、触れられている箇所に全神経が集中してしまう。後ろが動くたび衣擦れの音が聞こえ、より一層興奮を覚えた。もうどうにかなってしまいそうだった。
身体を硬直させたまま、意識を切り替えるため羊の数を数え始めてしまう始末だ。その数が百を越えたとき、背後からはすうすうと可愛らしい寝息が聞こえ始めてくる。
一気に脱力した。
「そうか。疲れてるだろうし、それに、寝れてなかったんだろうな」
その夜、ティーダが寝付くまで一時間以上の時を費やしたことだけは記しておこう。
「見てたよぉ。昨晩アセルスちゃんの家に忍び込んでたでしょう? しかも堂々と寝具まで持ち込んで!」
「前までは自信なさそうだったのに、今は一端に夜這いをするたあとんでもない奴だね」
「でも、こんな時期よ。若い男女が仲良くなるのはいいことよ」
翌朝、水場にて顔を洗っている最中に年嵩の女性たちがティーダのまわりで騒ぎ立てていた。どんな話をしているのか、その本人に隠すつもりもないのだろう。彼女たちの想像の中にいるティーダはアセルスの身体を手に入れるためにあらゆる手段を用いた遊び人のようになり果てていた。
朝っぱらからとんでもないものに巻き込まれた、とティーダはげんなしていると、隣にいたアセルスが顔をばしゃりと水で洗って「違うんですッ!」と叫んだ。
「もうっ! 私とティーダはそんなんじゃないですって! 昨日はその、ご飯の差し入れにきてくれたんですよ」
「あらまあ。昨日までは酷い顔だったのにこんなにてかてかとして。隈もなくなってるじゃあないか」
「ご飯を食べたからかい? それとも別のものを銜えたのかい?」
「あらまー! そんな言い方は少し下品ですよ! ホホホホホ」
「わー! もう! 好き勝手言わないでください。とにかく違うんですって!」
アセルスが抵抗するたびに女性たちは楽しげに話を展開していく。その話題はどんどん猥談方面へと移り変わり、終いには亭主のナニについて語り始めてしまっていた。気持ちいい朝に話すようなことではない。
顔を洗って口を濯いだティーダは早々にアセルスを見捨ててその場を離れてしまった。
(ごめん。でも、少し確かめたいことがあるんだ)
ティーダは森の方へと向かっていった。
ここ最近の日課をこなすために。




