地下都市セレデヴィア 2
積み上がる雲が太陽の下敷きになって、隙間から光が差し込んでいる。まるでこれから神様が下りてくるに幻想的な光景だった。
ただ、その光が降り注ぐのは朽ち果てた城となると話は別になる。
昔は壮麗だっただろうその城はおよそ見る影がない。そこらには乱雑に出来損ないのような剣や槍が打ち捨てられ、穴だらけの甲冑なども見受けられる。さらには人骨もそこかしこに転がっているのだから見ていて気分のいいものではないのは確かだった。
それはアセルスも同じなのだろう。しかめっ面になって人骨を可愛らしく蹴り飛ばしていた。
「いくらアンデッドが出てくるのが深夜だからってさ。こんな不気味なところで待機ってのはないんじゃない? ね、ティーダもそう思うわよね」
「ああ、うん。そうだね」
今ティーダたちは城の奥深くに続く地下階段の前にある中庭で夜が来るのを待っていた。
広間にはティーダを含めて丁度二十人のロワーリの戦士がいる。
各々が武器の点検をしていたり、何かに祈っていたり、食事をしていたり、人それぞれだ。中には熟睡しているものもいる。
すごい胆力だな、とティーダは羨ましくなった。
僕なんて帰りたい気持ちでいっぱいなのに。座り込んだままティーダは嘆息する。
昨日あれ程覚悟したと言うのに、もう臆病風に吹かれそうになっている事が自分で情けなくなっていたのだ。
もしかしたら僕はここで死ぬのかもしれない、と、足は小刻みに震えていて、心臓は破裂しそうなくらい脈打っていた。
「もしかして怖いの? 昨日あんなに意気込んでたのに?」
ふと、アセルスの笑い声が聞こえた。見れば、口に手を当てて肩を揺らしている彼女の姿があった。
「別に怖くないし」
「ガタガタ震えて強がっちゃって」
馬鹿にされた様な気がして、ティーダは身体を強張らせた。そして声を張り上げる。
「震えてないしっ!」
「本当にぃ?」
アセルスはそんなティーダを確かめるように首を突き出した。見るものを引き込む、アセルスの麗しい瞳がティーダへ距離を詰めていく。
ティーダはその瞳を見ながら、恐怖とは無縁の所で心臓を高鳴らせていた。
顔面が熱い、このまま彼女が動きを止めなかったらどうなってしまうんだろう。不意にアセルスの目が伏せられたのは、ティーダがそう考え始めたときだった。
「本当言うとね。私も怖い。家に帰って倒れ込みたいくらいに」
其れは、今まで見たことのない彼女の表情だった。その表情には自分が抱くのと同じ恐怖の念が、根ざしている様に見えた。
「そうなんだ……」
「それはそうよ。今から命懸けの戦いなのよ? 恐怖心がない方が、逆に怖いわよ」
ただ、その感情が垣間見えたのは本当に一瞬だった。気付いた時にはもう、アセルスは何時もの気丈さで言葉を語っていた。
そして、あ、と何かを思いついたような顔をする。
「ね。久しぶりにあの話聞かせてよ」
あの話――、とティーダは一瞬思案するも、すぐに思い当たった。
ティーダとアセルスは幼い頃から一緒に行動することが多かった。
生まれた日が近かったからか、それとも馬が合ったのかはわからない。ただ彼女は本当によくティーダの家に入り浸っていた。
そしてアセルスはとにかくティーダの両親と話すのが好きで、同じことを何度も繰り返し聞いていたものだ。
「なんでアンデッドと戦うの?」
「アンデッドはね。もともとはロワーリの一族が住んでいた都市の仲間たちだったんだよ」
「そうなの!?」
「ああ、そうだよ。父さんや母さんはね。死んでもまだ死ぬことができない、苦しんでいる仲間たちを助けるために彼らを浄化しているんだ。そのためにロワーリの一族はみんな命を懸けて戦ってる。そしてね」
「アセルスちゃんたちが戦わなくていいようにしてあげたいって思ってるんだ。僕たちは頑張れる」
「じゃあすっごい良い事をしてるんだね!」
「ふふ、そうかもしれないね」
結局のところ、二人は鎮魂の儀で死んでしまったが。
遺体すら残らない壮絶な死にざまだった、らしい。
ティーダは両親を心から尊敬している。
彼らの出来なかった事を手伝ってあげたい、そんな想いもあってロワーリの戦士として認められたいのかもしれない。
あの頃の話をし終えたティーダは感慨に耽っていると、アセルスは険しい表情を浮かべていた。
「アンデッドがロワーリの元仲間、ね。おじさまとおば様はそう言ってたけど、今思えばあれは何だったんだろう。だって、私のお父様は族長だけど、そんなこと一度も言ってなかったわ」
「え? そうなの?」
「昨日、ふっと思い出してね。何の根拠もなしに話すような方ではなかったから、疑ってはないんだけど……」
うーんと頭を捻ったままアセルスは呻いていたが答えは出なかったようだ。
それから暫くすると日も完全に落ちて夜になった。
ロワーリの戦士たちは松明に火を灯した。ぱちぱちと火が弾ける音が聞こえ、いよいよだ、と自然に腹に力が入る。
「時間だ」
中庭に中心に一際大きな男が立っていた。その男は他の戦士たちに比べて一際大きかった。背には身の丈を越える大剣を担いでいて、漆黒の鎧が全身を覆っていた。
ロワーリの族長であり、アセルスの父親でもある男だ。
彼の姿を確認するとロワーリの戦士たちはすぐさま立ち上がって姿勢を正す。遅れてティーダとアセルスも続いた。
「今から地下都市セレデヴィアへと向かう。ここから先はまだ誰も足を踏み入れていない危険な場所だ。決して気を抜くな」
ごくり、と喉が鳴った。冷や汗が頬をたらりと流れる。
「なんだ? びびってんのか?」
背中を小突かれる。イモンだった。人を喰った笑みを浮かべている。
「びびってなんかないよ」
「さっきまでアセルスに心配されてたくせにか? 情けねえ。だからお前は無能者なんだよ」
ティーダはイモンを睨みつけた。
あん? とイモンもティーダを睨みつける。
一触即発の空気になったとき、アセルスがティーダとイモンの間に入った。
「――あなたね。いい加減こういうふうな茶々いれるのはやめたらどう? ガキっぽい。見ていて苛々するわ」
「お前は本当に嫌な奴だな。いつも無能者の肩持ってよ。こいつが何だってんだ?」
「無能者、無能者、って。ちょっと加護がないだけじゃない。たったそれだけで差別するその性根が気に入らないわ」
「は? ロワーリで無能者なんて存在自体が許されねーだろ? こいつはアンデッドと戦えるかどうかも怪しいんだぞ!?」
「でも、ティーダはあなたに認めさせるって言ってたわよ?」
「んだと? お前、本気か? って、その剣――、おい。アセルス。どういうつもりだ。これはお前の剣だろ? なんでこいつが持ってんだ?」
「貸してあげたのよ。私の剣よ? どう使おうが私の勝手でしょ?」
二人はじっと睨み合うが、ゴホンと大きな咳払いが聞こえると慌てて前を向いた。
「アセルス、喧嘩はよしなさい。イモン、お前もだ。お前はいちいち気が短い。もっと考えて発言をするように心がけろと何度も言っているはずだ」
低く深みのある声だった。それはデリウスが発したものだった。
「はい、お父様。すいません」
「長、申し訳ないです。以後気を付けます」
二人は身体を竦めてすぐに頭を下げた。
「うむ、まあよい」
彼は大仰に頷くとアセルスとイモンを呼び寄せ傍らに侍らせる。
次いで忌々し気にティーダに視線を移した。
「揉めたのはどうせティーダのことでだろう? まったく、イースも面倒なものを残してくれたものだ」
ティーダはびくりと身を震わした。
周囲の戦士たちもティーダを見るにつけ溜息を吐き、すぐに興味を失ってしまう。
加護なき者は弱い。
弱い故に使命は全うできず。
故に無能者。
(でも、僕は――)
ティーダは見る。
戦士たちのその先にいる族長、さらにその奥。そこには地下へと続く階段がある。
鎮魂の儀はその階段の先で行われる。
ティーダは腰にある片手剣の柄をぐっと強く握りしめる。
「皆の者、ようやく準備は整った。これよりこの砦の下にある地下都市の浄化に入る。我らにかかれば此処も容易く浄化できるだろう。憎きアンデッドによって奪われた場所を人の手に取り戻すぞ!」
戦士たちが鬨の声を上げて進んでいく。
ティーダも負けじとその後を追従した。
(――絶対に認めさせてやるんだ)
強い覚悟と決意を胸に、ティーダは初めての戦いに身を投じる。
これが自分の運命を変えてしまうことになるとは知らぬまま。