森の騒動
「オーガだと?」
強力な力を持ったモンスターが森の中に生息している可能性は考えていなかった。精々イベント用のモンスターが配置されている程度だと考えていたのだが、オーガというのは想像もしていなかった。
「ああ…大体大きさは、人族の男と比べて二回り程デカしてな。力も強くて、木の陰に隠れた相手を探し出すのに、その木を引っこ抜くような力自慢だ」
完璧な脳筋ですね。
「それは…大丈夫なのか?」
事前に情報を仕入れられなかった俺に落ち度はあるが、オーガへの対策など何もしていない。もし戦いになったらと考えると、勝てる見込みは薄いと言わざるを得ない。
「危険か如何かって話なら、心配する必要はないぜ。ここのオーガは酒を渡せば襲って来たりしないからな。道中の食事は面倒を見るって言っただろ。酒も用意してある」
俺は未成年なので、酒を飲むどころか購入も出来ない。ゲーム内でも未成年の飲酒は制限されている様で、酒場でも酒の注文受け付けていない。一応、料理酒やワインの様に調理に使用する場合もあるので、素材として使用するのは問題がない。
今回のオーガの様に、酒を要求するイベントが発生する可能性を考えると、飲酒目的の購入でなければ酒を手に入れることが出来るかもしれない。
酒場で注文を受け付けないのは、ボトルを求めての注文では無いからかもしれないな。
「それにしても、モンスターが酒か……」
鬼が酒を好むというのは、古来から様々な伝承で知られる事柄である。有名どころだと酒呑童子などが上げられる。
「まぁ、そうでもないと森で盗賊共が無事でいられる筈もないしな」
「森や山なんかには、その辺り一帯を統べる主がデデーンといるもんだが、ここの森は酒さえ用意すれば危険を回避できる稀有な場所だ。他の森に酒持って入っても意味無いからな。忘れんなよ」
「ああ、覚えて置く」
正式版が開始して一か月経とうかという時間が経過したが、冒険者として活動した期間はとても短い。先輩冒険者から教えを乞う機会が得られたのは、正く僥倖だ。
「お、いたぞ。オーガだ」
いち早く気が付いたのは、意外にもジョナサンだった。
「おー、いたな」
ドーンの声に釣られる様に視線を向けると、赤黒い皮膚をした大男が此方を睨んでいた。
「…あれが、オーガか」
見慣れぬ赤い肌に盛り上がった筋肉、白っぽい髪に埋もれぬ一本角は何処か威厳を感じさせる。そして、逞しい両腕に抱えられた酒樽がそれを台無しにしていた。
「ほーら、酒だぞー」
「今年の新作だ!」
二人は慣れた様子で、酒をオーガの方へ投げていた。受け取り易い様にゆっくりと下から投げている辺り、慣れている様に感じる。
「……」
オーガは酒を受け取ると静かに踵を返し、やがて姿が見え無くなった。
「それで良いのかオーガ」っと思ってしまったのは、仕方がないと思う。
「識別しておけば良かったか?」
初めて見るオーガのステータスを見ることが出来れば、これからのキャラ育成を考える上で参考になったかもしれない。
「そいつはやらなくてドーンっと正解だったな」
「む?」
「高位のモンスターは知性がキッラーンっとある。識別や鑑定なんて、人に対して使うとしても相手の許可を得ないと攻撃と変わらないだろう?」
情報戦と言う言葉が頭に過る。
これはある情報を求めて行う電子上の戦争という意味の他に、戦に勝つ為により精度の高い情報や自分たちの情報を保護する必要があるとの戒めを込められた言葉でもある。
つまり、相手の情報を掠め取ろうとするのは、攻撃と同様の効果をモンスターまたは、住民に与える事だと言いたいのだろう。
相手がモンスターなら、ノンアクティブが相手でも直ぐに敵対関係になる。
「…そうだな」
触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものである。
「ほら、お前等サッサと進むぞ!」
すっかり話から弾かれてしまっていたジョナサンが声を上げる。
いつの間にか護衛対象を放置していた様だ。
「これから先は後ろからの奇襲を考えて、先行は無しだ。二時間休みなしで進んで来たが、休憩は必要か?」
そう言われて、体の疲労感に気が付いた。
この世界で精神疲労以外を感じたのは、初めての事だ。
「この辺りは安全なのか?」
「ああ、オーガの縄張りだからな。下手なモンスターは寄ってこないし、森を根城にしている盗賊もこの辺りでは暴れる事はないだろ。オーガをわざわざ敵に回したくはないだろうしな」
「なら、少し休憩を取ろう」
「ああ、わかった」
「休憩がてら、素材を集めておくか…」
ジョナサンは見晴らしの良い石の上に腰を下ろし、ドーンは見える範囲で採取を始めた。護衛としては如何かと思うが、一応近くにはいるので大丈夫だと信じたい。
丁度良い大きさの岩を見つけて、寄りかかり体重を預ける。休憩と言っても護衛の最中なので、何時でも動けるようにする為だ。
「ウオォオォォォォン!!」
遠から獣の叫び声が森全体に響くかの様に鳴り響いた。
「…何だ?」
「ドーン、何処からか分かるか?」
ジョナサンはドーンに近づき状況の説明を求める。
「…この声はウルフ系のモンスターの遠吠えだな。発信源は…結構近い。恐らくオーガに取って代わろうっていう若いモンスターが、ドーンっと戦いを仕掛けに来たんだろう」
「縄張り争いって事か…」
「まぁ、そんな処だな」
俺の呟きにも律儀に対応し、話はこれからの行動に移って行く。
「さて、如何したものか」
「自分から、厄介事に首を突っ込む事はないだろう?」
ジョナサンは当然ながら、アーロックへ急ぐ事を勧める。ドーンも仕事なので異論はない様だ。
これまでの話で、聞きたい事が浮かび上がっていた。
「…気になる事がある」
帰って来た返答は俺の予想した通りの物だった。
さっさと先へ進もうとする二人に、俺は一つ提案をした。
♪
今日も森は、平穏だった。
何時もの様に森の中を散歩し、見かけた人間達から酒を貰う。
この森に住み着き始めた時は気が立っていて、見かけた生き物は全部壊していたが、ここ数十年は馬鹿みたいに襲って来た奴ばかり屠っていた。
人間はウザッタイが、美味い酒を置いて行くので見逃してやる。
偶に何を勘違いしたのか、森に棲む奴らが襲ってきたが、いつも雑魚ばかりなので気にも留めていなかった。
「ウオォオォォォォン!!」
また森の奴らが俺の縄張りに入って来やがった。
これから手に入れたばかりの酒で喉を潤そうと思っていたのに間の悪い奴だ。
「ガアァ!」
今回の獲物はオオカミの魔物だった。オオカミの肉は筋ばかりで旨くない、狩りの獲物としてはハズレの部類だ。
俺が威圧をかけながら、怒声を浴びせる。
大概の魔物なら、俺の声を聴けば怖がって逃げて行く。この森の魔物なら絶対だ。
これで面倒なオオカミと戦わなくて済むと思っていたら、オオカミは怯えてはいても逃げ出そうとする気配はない。
面白い。
久し振りに狩りではなく、戦いが出来るかも知れない。
気が付いたら地面を蹴って駆け出していた。
手に入れたばかりの酒すら捨てて。
♪♪
何処からか何かを叩きつける様な鈍い音と獣が叫ぶような声が聞こえる。
「戦いは始まっている様だな」
「なぁ、ホントに介入するのか?」
この弱々しい声の主は、ジョナサンである。
俺がオーガとモンスターとの縄張り争いに介入を決めたのは、事前にドーン達に質問した内容の所為である。
俺はドーンに、オーガが負けた場合どうなるのかを聞いた。
「そこの縄張りの主が負けた時は、負かしたモンスターが新しい主になる。冒険者や盗賊の様に森に住んでいない者が森の主を討伐した場合、新しい支配者が誕生するまで森の中は混沌としているだろうな。自警団の無い辺境の村みたいなもんだ」
「つまり、オーガが負けるような事があれば、それを知らずに酒を持って森に入った人達が死ぬことになると」
「「………」」
当たり前の事実を口にすると、初めて気が付いたのか黙り込む二人の男。
この問答で、俺達は簡易調査隊となったのである。
「…ジョナサン、さっきジンの話を聞いただろう?」
ジョナサンの弱々しい声に応えたのは、緊張の表情を浮かべるドーンだ。仕事が増えたとボヤいていたが、被害が出てからでは遅いと協力を申し出てくれた。
「依頼者としては納得行かないだろうが…」
「いや、必要な事だとは解るさ、どうせ進む方向は同じだしな。ただジンやドーンと比べると俺の戦闘能力はたかが知れてる。もしもの時は、一人で離脱するが良いか?」
プレイヤーからすれば臆病と取れる発言だが、彼はこの世界の住人だ。
俺と違って傷つき死ぬようなことがあれば、二度と復活する事はない。臆病で当然、安全を考えるのは当たり前だ。だから護衛を雇って移動をする。
「ああ、当然だ。おかしな事態になってしまったが、護衛であることは変わらない。何かあれば直ぐに逃げてくれ」
ジョナサンは、その言葉にホッとしたような顔をした。
音の発生元に向かって、慎重に歩を進める。
大きな木を避け茂みの間を抜けて、奥へ奥へと進む。
「…見つけた」
そこはかつては、森であったのだろう。
へし折られた巨木、抉られた地面とサンドバック代わりにされたのか、木に残る拳の跡。背の低い若木は根こそぎ吹き飛ばされ、枯れ木の仲間入りを果たしている。
「凄まじいな、これは」
「オーガは元々強い種族だが、あのオーガ特殊固体か何かか?」
俺たちの呟きを掻き消して、獣達は争い合う。
「ガァァァ!!」
ただ握り固めた拳であったはずだが、まず威力がおかしい。いくらモンスターと言っても、攻撃を外した拳の一撃で地形が変わる様に地面が大きく抉れている。それを成したのが巨大なモンスターだと言うのなら仕方がないと納得もしただろうが、実際にやってのけたのは人間でもギリギリあり得る大きさの大男である。
そして次のおかしい点は、その拳が与える状態異常の効果である。
「恐怖、混乱、気絶…ははは」
オーガの相手をしていたのは、ジャイアントウルフというウルフの上位種に当たるモンスターだった。識別と鑑定を駆使して、ジャイアントウルフの様子を観察していたのだが、オーガの拳が掠っただけでこの状態異常が現れているのである。
恐怖以外は直ぐに効果が切れてしまうので、表示されるよりも早く効果が切れるような状態維異常が付与されているのかも知れない。効果が直ぐに切れるジャイアントウルフの強さも相当なものだが、そのジャイアントウルフを防戦一方に追い込むオーガの力量は想像を絶する。
「…なんだか、大丈夫そうだな」
「あのデッカイウルフだけ相手にしている内はな…だが、様子を見に来てドーンっと正解だったみたいだぞ。あのデカイウルフの取り巻き共だ」
ドーンの声を聞いて周りを注意して観察してみると、ジャイアントウルフより小さい狼達がオーガとの戦いの様子を観察している様だ。
俺は自分のボスが、森の主であるオーガと戦うにあたって応援に駆け付けたのだろうと思った。だが何を思ったのか狼達は、オーガ目掛けて走り出した。
「なっ!?」
あの狼たちがこの場に来たのは戦いの行方を見守る為では無く、自分たちのボスが苦戦している時に奇襲を掛ける伏兵としてやって来ていたのだ。
「ウルフ種のモンスターは、基本的に群れを作る。森の主がウルフに取って代われば、群れがズデーンっと幅を利かせ始める。取り巻きは俺たちが蹴散らすぞ」
一瞬、ジャイアントウルフが森の主になったビジョンが頭をよぎる。
沢山の狼を引き連れて森を徘徊し、エサを求めて狩りに出かける。そして数が膨らみ、この森の中だけでは、エサが足りず外に出て人を襲い始める。
予想していたよりも酷い事態だった。
「やろう、手加減なしだ」
「ジョナサンは、木の陰でシーンっと隠れてろ。数は多いが目的がハッキリしてる分、手を出さなければ襲っては来ない」
オーガとジャイアントウルフ、そして俺たちが入り乱れる三つ巴の戦いが始まった。