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告白

 急にもたらされたその衝撃的な告白に、リーシャはまるで時が止まったかのような感覚を抱いた。あまりの事実に思考が巧く回らない。

「――従妹って、マアラがラディオルさんの従妹なら、どうしてマアラは孤児院にいたんですか?孤児院に入るのは身寄りのない子供だけのはずです。私もそうですよ。私には家族以外の親族はいませんでした。ですから親を亡くせば孤児院に入るしかなかったんです。けど、マアラは違ったということですよね。マアラにはラディオルさんという親族がいた。けど親族がいたなら、どうしてマアラは孤児院で暮らさないといけなかったんですか?どうしてラディオルさんはマアラを引き取らなかったんです?」

「それは、単純にそんな余裕はなかったからだよ。私は叔父さんの起こした事件のことを知った時、まだ十八だったからね。とても子供を育てられるようなゆとりなんかなかった。自分が生活していくだけで精一杯だったんだよ。唯一マアラさんを引き取れる私がそんな有様なら、無理に引き取っても世話にも教育にも充分に行き届いた配慮をしてやれないことは分かりきっていた。それでもマアラさんが預けられる施設が評判の悪いところなら、多少無理をしてでも引き取ったけど、彼女は私が育ったのと同じ施設に保護されることになったからね。あそこなら滅多なことも起きないだろうと思ってマアラさんは施設に保護させることにしたんだ。そのほうが、確実に彼女に恵まれた暮らしを与えてやれると思ったからね」

 ラディオルの口調は静かなものだった。しかし言葉の端々からは深い後悔が窺い知れる。今になってこんなことになるのなら、どれほど大変でもあの時に自分が引き取っておくべきだったと思っているのかもしれない。

 ラディオルは写真立てをリーシャに示してきた。

「さっきも言ったけど、この女性が私の母で、マアラさんの父親の姉だった人だよ。基礎学校の教師をして家計を支えていたんだ。隣に写っている男性が父だけど、私の父は早くに亡くなったからね。弟が生まれた直後のことだったかな。流行病だったんだけど」

「ラディオルさんには弟さんがおられるんですか?」

 ラディオルは頷いた。

「いるよ、一人だけ。私よりも四つ年下になる。リーシャさんにとっては、今や仇敵も同然の存在だろうけどね。エリシア王国のディルム・エルファスという作家が、私の弟だから」

 ふいに発された言葉に、リーシャは自分の耳を疑った。

「――え?どういう、こと?だって、ラディオルさんはさっき、自分の故郷はここだって・・」

「そうだよ。私も弟も、この、メディレンの出身だ。弟は本当はアディルという名前だった。けど弟は基礎学校を卒業してすぐに、音楽家になる夢を追ってエリシアに移住したからね。エリシアには音楽家を育てるための、音楽教育だけを行う学校がたくさんあるから。その時にエリシア風に改名したんだよ。あの国は市民も姓を持つからね。それにアディルという名前も、エリシアでは少し変な響きになるし」

 ラディオルが言葉を切ると、再び沈黙が場を支配し始めた。リーシャには咄嗟に彼の言葉をどう受け止めたらいいのか分からなかったのだ。確かに、この国は王族と一部の貴族を除いて市民は姓を持たないが、エリシアでは姓を持たない国民は存在しない。だからこの国で生まれても、エリシアで暮らすなら姓を持たざるをえないし、エリシアの風習に合わせて名も改めなければいろいろと不都合もあるだろう。しかしだからといって、ディルム・エルファスが元々はこの国の人間であり、しかもラディオルの弟であるなどということは、今の今までリーシャには想像すらできなかったことだ。それが事実だと言われても、どう受け止めていいか分からない。受け止めきれない。

 しかしリーシャのラディオルに対する警戒心はこれで決定的なほどに膨れ上がることになった。ディルム・エルファスがラディオルの弟なら、彼もまた、マアラの従兄ということになるはずだからだ。マアラの作品を盗んだのがマアラの従兄なら、ラディオルもまた、マアラの敵である可能性が高いことになる。たぶん、そうだろう。兄弟ならば、たとえ国が違うとはいっても頻繁に接触もあったはずだ。彼が盗作のことに今まで全く気づいていなかったとは思えない。彼は盗作のことを知った上で、従妹の利益より弟の利益のほうを優先していたのではないか。そのために、何もかも知った上で、黙認していたのではないか。

「――心配しなくても、大丈夫だよ。私は盗作のことを否認したりはしないから」

 ラディオルが再び口を開いてきた。まるでリーシャの警戒心を感じ取ったかのように僅かに宥めるような響きを含ませている。しかし表情は、これまでリーシャが見たこともないほどの真剣なものだった。

「私は今後、どんな場であっても弟の作品が盗作であることを否定するつもりはない。たとえ法廷であってもね。あの作品が弟の書いたものでないことは、弟の次に私がいちばん、よく知っていることだから。今さら否定して、詫びても赦されるものじゃないと思うけど、結果的にあの子の作品を盗んだのは私だし、まず私が謝罪――」

 その瞬間、リーシャの思考は止まった。直後、右の手首も急に動かなくなる。必死で動かそうとしたが、手首に軽い痛みが走って思わず呻いてしまった。しかしそれで我に返り、リーシャは自分の手首がラディオルに摑まれていることを知った。どうやら無意識のうちに彼めがけてナイフを振り上げていたらしい。その動きを止められたのだ。やっと気づいた。

「・・離して」

 抗議したがラディオルはリーシャの腕を離そうとはしなかった。

「リーシャさんの気持ちは私にもよく分かるけど、私を斬る前に私の言葉を聞いてはもらえないだろうか?私は決して言い訳するつもりはないし、マアラさんに対しても心から謝罪するつもりでいるけれども、実際のところ、私にはマアラさんの作品を盗んだつもりなんてなかったんだ。あれがあの子の作品だったなんて、私は本当に、リーシャさんに聞かされて初めて知ったんだよ」

「何も知らなかったっていうの?そんな嘘が通用すると思ってるの?」

「嘘じゃない。私は最初、あの作品は私の母親が書いたもので、遺品だと聞かされていたんだ。逮捕された教師の自宅から見つかったものだから返す、と言われて受け取った。疑う理由は何もなかった。私は作品の複写を取ってから、弟にもその作品を送った。母の遺品なら、弟にも渡すべきだと思ったからね。その後、エリシアで弟がその作品を訳して自分の名前で出したことは知ったけど、私は何も言わなかった。弟が当時、生活に行き詰まってたのは知っていたから、弟がそれで助かるのなら母も喜んでくれるはずだと思ってたんだ」

 リーシャは白けた気分でラディオルの言葉を聞いていた。言い訳はしないと彼は言っていたが、リーシャの耳にはラディオルの言葉はまさにその言い訳にしか聞こえなかった。

「リーシャさんは知らないかもしれないけど、私があの孤児院に在所していた頃、実践学校の教師の一人が大きな問題を起こしたことがあったんだよ」

「問題?どんな?」

 リーシャは訊き返したが、もはやラディオルの言葉などリーシャは露ほども信用してはいなかった。何を思ったのかは知らないが、彼は自分たち兄弟の犯罪を、自分が育った孤児院に擦り付けるつもりなのだ。そんな男の言うことなど、真面目に受け取るべきではない。

 しかしラディオルのほうは至極真面目な表情で即答してきた。

「教師が孤児の資産を横領してたんだよ」

「ああ、そのことですか」

 リーシャにはすぐに思い当たるものがあった。

「その事件のことなら知ってますよ。実践学校の教師の一人が入所している孤児の所有している土地を勝手に売却しようとして逮捕されたんですよね。けっこう昔のことだったはずですけど、あの事件がどうしたんですか?」

「私はあの作品は、その頃にその教師が盗み取っていたものだと聞かされていたんだよ。事件が発覚したのは私が十五歳で退所する直前のことだったけど、その教師はかなり以前から常習的に横領行為を繰り返していたから、逮捕された時も自宅には孤児たちが亡き親から相続した宝飾品などが相当数、保管されていたらしい。すでに近隣の古物商などに売り払っていたものも多かったから、全てが元の持ち主に戻るまでにはかなりの時間がかかるだろうということも聞かされた。ひょっとしたらもう戻ってこないこともありえるから、そのことは覚悟してほしいともね。実際、私の友人には亡き両親の遺した宝石を取り戻すまでに十年以上の時間をかけた者もいた。だから私も、あの作品がその教師に盗まれていたものだと言われれば、ああそうだったのかと素直に受け入れたんだ。私の母は作家ではなかったけれど、基礎学校とはいえ教師だったから、自ら本を書こうとしていたとしても、それほど妙なことはなかったからね。作品を見つけたのがその教師の自宅を取り壊していた作業員だと言われた時も、宝石のように一見して価値があると分かるものでもないから、見逃されたのだろうと思えば、そんなものだろうと納得もした。字が母の字にしては癖が強すぎるように思ったけど、作品が入っていた文箱は間違いなく母の所有していたものだったし、まさか院長が、全く違う人間の書いた作品を母の作品と偽るとは思わなかったから。そんなことをしても何の意味もないことだからね。それで私はずっと、あの作品は教師が逮捕された時には見逃されていたけれど、その教師が服役中に病死したことによって自宅が壊されたために見つかったものだという院長の説明を信じていたんだ」

 リーシャは黙ってラディオルの話を聞いていた。話の辻褄は合っているように思えた。孤児院に入所してくるのは年端もいかない子供たちばかりで、なかには赤ん坊や、まだ言葉もろくに話せないような幼い子もいる。しかしそんな小さい子でも、親を喪って入所してくる以上、親の遺した財産は相続しているのだ。土地や現金、宝石など内容は様々だが、そういった資産はその子供たちの生まれた街を管轄している役場が、銀行と協力して子供が成人するまで管理しているものだ。施設に弁護士が所属していれば、その弁護士が子供の後見人として管理を代行することもあるが、そうして管理されている間は資産は全て運用できないことになっている。だから子供たちは成人して自分の資産を自分で動かせるようになるまで、親の債務とも無縁でいられるのだ。資産が凍結されれば債務も凍結されるから、債権も動かせなくなる。あの事件は確か、当時孤児院の実践学校で法律を教えていた教師が弁護士でもあったために、全ての子供たちの資産管理を任されていたことから起きた事件だったはずだ。子供たちが相続したはずの遺産を、あたかも相続していないかのように偽装していたのだ。同じ失態を避けるためか、リーシャが在所していた頃は資産管理に弁護士が関わることはなくなっていたが、ラディオルの在所していたという時期は確かにその事件が発覚した頃と重なっているから、彼の話が事実でもおかしなことはない。しかしリーシャは、そんなことはありえないと確信していた。ラディオルの話が全て真実なら、マアラの作品を盗んだのは孤児院の院長ということになるではないか。院長が彼女の作品を盗んでラディオルに渡したことになる。なぜ院長がそんなことをせねばならないのだ。たしかに院長なら、自分とマアラが与えられた居室にいない時がいつなのか、容易く把握することができただろう。そして居室が無人であれば扉に鍵がかけられず、容易く侵入することができることも知っていたはずだ。居室に侵入することができれば作品を無断で持ち出すことも、複写を作ることも簡単にできたことだろう。かつては物語の複写には長い時間をかけて書き写さねばならなかったが、今は複写機という便利な機械があるからだ。確か、実践学校の印刷室にはその機械が一台だけあったはずで、それを使えばマアラの作品も同じものを丸ごと複製できるかもしれない。機械で複製した作品は見た目ですぐに分かるような気もするが、あるいはひょっとしたら印刷した後に手書きに見えるような偽装を施したのかもしれなかった。手書きだろうと複写だろうと紙にインクで書くのは同じなのだから。そして複製したものをラディオルに渡してマアラが書いた手書きのほうは元通り机に戻せば、マアラは自分の作品が無断で持ち出されたあげくに複製まで作られたことにもすぐには気づけなかったかもしれない。しかしそんなことをして院長にいったいどんな利益があるというのだ。マアラの作品を盗み出して、自分で発表するならともかく他人に渡してどうする。そんなことをして何になるのだ。かえって自分の犯行が発覚する危険が大きくなるだけではないか。

 だが冷ややかにそう思考するリーシャの内心を知らないからか、ラディオルはなおも、あの作品は院長に手渡されたものだと繰り返してきた。

「渡されたのはちょうど四年前のことだった。リーシャさんは私に、孤児院を訪ねてきた写真師のことが知りたいと言ってきたことがあったよね。それは私だ。私は当時は写真部で報道写真を撮ることを仕事にしていたから、そう名乗ってたんだよ。私が作品を受け取ったのはその日のことだ。あの日はそのために孤児院を訪ねた。院長の言葉を、あの時は完全に信じていたからね」

 リーシャはナイフを握る手に力を込めた。

「その話を私に、信じろというの?」

 睨むと、ラディオルは表情を曇らせてきた。

「信じられないか?なら、それでもいいよ。私がリーシャさんでも信じられないからね。私の話のほうが作り話に聞こえると思うから。それでも、私は事実しか言っていない。これだけは本当のことだ」

「――なら、あなたはマアラの作品は院長先生が盗んだものだって、いいたいのね?」

「そうだよ。私はそう思ってる。リーシャさんの話を聞いたときからね。院長なら入所中の子供の行動は全て把握できるだろうし、ある程度の制御もできるはずだ。盗もうと思えば簡単だったろう」

 ラディオルが口を閉じると、三たびの沈黙が場を支配した。しばし静寂の時が流れる。やがてそれを打ち破ったのは自分の声だった。

「――卑怯者」

 思わず呟いてしまった。自分の耳に入ってきた自分の言葉は、自分でも驚くほど冷たいものだった。

「私、ラディオルさんがそんな人だなんて思わなかった。マアラの作品を盗んだだけでも充分に卑劣なのに、その罪を院長先生に着せようとするなんて」

 リーシャは言い捨てた。

「ラディオルさんがどういう人なのか、よく分かったわ。――腕を離して。私、もう旦那様のお邸に戻ります」

 するとラディオルは意外にもあっさりと腕を離した。

「そうか。じゃあ、もう駅に戻ろうね。急がないと夜行に乗り遅れる」

 それだけを言うと、ラディオルはリーシャに背を向けた。彼は歩を踏み出しかけたが、ふいに何かを思い出したかのようにこちらを軽く振り返ってきた。

「戻ったらすぐに、リーシャさんはご主人にこのことを報告しなさい。そして盗作を売りつけられたことを大きく騒いでもらったほうがいい。私もそれに合わせて今の話を公表する。そうなれば、嫌でも弟は認めざるをえなくなるから。著作が盗作であることをね」

 リーシャは笑った。

「そんなこと信じられると思う?本当にそんなことしたら、あなたが真っ先に今の言葉すらなかったことにするんじゃない?」

 ラディオルは首を振った。

「そんなことはしないよ。けど、どうしても疑わしいというのなら、疑ったままでもいい」

「なによそれ?どういう意味?」

「言葉どおりの意味だよ。リーシャさんがどうしても私を疑わしいと思うのなら、それは仕方がないと思うから。けど私は嘘は言っていないし、今の話を公表するつもりでいることも、マアラさんを見つけ出したい気持ちでいることも、本当だ」

 ラディオルの口調は真剣そのものだった。リーシャは彼の言葉の真偽を図りかねたが、ラディオルはもうそれ以上、何も言うことなく視線を前方に戻した。無言のまま、先に立って書斎を出て行く。しかししばらくすると、彼は歩を進めながら口を開いてきた。今度はこちらを振り返ってはこなかった。

「戻ったら、私は院長の周辺を探ってみるよ。マアラさんの作品を盗んだのは院長しかありえないはずだからね。ならば彼女を攫ったのも院長かもしれない。院長の周辺を探れば、見つけ出せるかもしれないから」


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