砂糖菓子の与え過ぎにご注意ください。
「……あ。美味しいかも」
「それはどうも、ありがとうございます」
意外だと言わんばかりの表情に、私の口から思わず溜息が出る。すると白の騎士はひとつに結わいた黒髪を揺らして小首を傾げた。
「クロエって、もしかして良いとこのお嬢さんだったりする?
言動はポンコツだけど、こういうのはちゃんと習ったでしょ」
「……習ったっていうよりは、叩きこまれたって感じですけどね」
王立学校に入学する前のことを思い出して、私は顔をしかめる。礼儀作法のほとんどは、継母の雇った家庭教師に叩きこまれたんだ。文字通りに手や背中を叩かれまくって。あれは地味に痛かった。
心なしか遠い目をしてしまった私を、白の騎士が不思議そうに見つめる。
ポンコツ呼ばわりを否定しなかったからかな。でももう否定するのも面倒くさいし、ここまできたらポンコツ気味かも知れない、って自分でも思うもの。
「両親の雇った家庭教師がものすごく厳しかったんですよね。
こーんな顔の、キツネみたいなひとで」
目尻を指で伸ばして、甲高い声で私を叱り飛ばしてた家庭教師の真似をする。淑女淑女って呪文みたいに言ってたけど、あの人が言うと本物の淑女に失礼だったんじゃないか、って気がするよ。
「ふぅん……」
「ほんっっとに口煩くて。
まあその人とは、2年くらいの付き合いで済んだんですけど。
でも今度は、16歳になった時に王立学校に入学させられちゃいました」
なんとなく、カップを傾けながら生返事をした白の騎士が話を聞いてくれてるような気がして。私は訊かれてもないのに言葉を止めることが出来なかった。
すると不意に、デコレーションの準備をしていたリアさんが振り向く。
「クロエも大変だったんだねぇ。
あっ。私、王立学校には行ったことあるんだ。
もう3年くらい前の話だけど、教授に会いに……って。
そういえばキッシェさんも、王立学校を卒業したんじゃなかった?」
「えっ?!
ほんとですか……」
リアさんの言葉に反応したのは、白の騎士じゃなく私の方だった。
もう王城で出くわすこともないだろうと思って、ポンコツ発言なんかもさらりと流してきたっていうのに。そんな共通点はいらないんだよぅ。
たぶん気持ちが顔に出ているであろう私を見て、白の騎士が人の悪い笑みを浮かべる。彼は肩を竦めて口を開いた。
「うーん、本当はその気はなかったんだよね。
でもこの国では珍しい、刀を使う流派を教えてもらえるっていうからさ」
「うわぁ……。
さすが刃物マニア……」
リアさんが呆れ半分な表情で呟いて、作業に戻る。
“まにあ”って何だろう。彼女の表情から察するに、あんまりいい意味じゃなさそうだけど。本人同士なら分かるのかな。
気心の知れた人が職場にいるのって、ちょっと羨ましい。私にもそういう人が……って、子守には同僚がいないんだった。残念。
あれ、でも白の騎士は“普段は王城にいない”んじゃなかったっけ。王族と王城に関わることが担当の白の騎士なのに。この人は特別な仕事をしてる、ってことなの……?
そんなことを考えながら白の騎士に視線を投げてみたけど、彼はまた肩を竦めて言った。
「まあ、分かってもらえなくてもいいよ。
お望みなら、分かってもらえるまで刃物の魅力を語るけど」
……うん。何してる人なのかなんて、聞くのはやめとこう。
「ねー、リア?
わたしのつくったのも、クリームぬる?」
荒熱をとるために、カップケーキが網の上に乗せられている。そこに顔を寄せた王女様が、隣で作業をしているリアさんの顔を見上げて言った。
作っておいたというバタークリームを、これまた屋敷で作っておいたというカップケーキに絞り出しながら口を開いたリアさんは、ちらりと王女様の鼻の先に視線を走らせる。
「んー……そっちのは冷めないと無理だねぇ……。
大丈夫、デコレーションなしでも美味しく食べられるよ」
「はぁい」
「で、こっちのは冷やしてあるからデコレーションを……と。
リディちゃん、お砂糖菓子乗せてみよっか?」
「うんっ」
カップケーキ作りが趣味だというリアさんは、王城勤めの知り合いに配るために自分のお屋敷で焼いたものをここに持ちこんでいたのだそう。ところが仕上げをしようとしていたところに王女様がやって来て騒いだものだから、新たにカップケーキを焼いていたらしい。で、焼き上がりを待っている時になって、私と白の騎士が王女様を探しにやって来た……というわけ。
……なんていうか、こうなったのが王女様とはぐれた私のせいかも知れないと思うと胸が痛む。これからは絶対、見失わないようにしなくちゃ。
桃色の砂糖菓子をどこに乗せるか迷いながら、王女様がキャッキャしている。楽しそうだ。私がそんな小さなの背中を見ながら反省していると、ふいにカウンターの方からアンさんが顔を覗かせた。
「リア~、補佐官様がいらしたよ~」
補佐官様が?!
……なんて驚愕している間もなく、その人は厨房の中に入ってきた。ものすごく人の良さそうな笑みを浮かべて。
うん。私は出来る限り空気になろう。
「――――なるほど、遅いわけですねぇ」
「あっ、ジェイドさん、あの……っ」
足取り軽く近づく補佐官様と、急にアワアワし始めたリアさん。いやいや、夫が会いに来たっていうのに慌て過ぎでしょう。それじゃあ、まるで何か悪いことでもしてたみたいに見えちゃいませんかね……。
息を殺して様子を窺っていた私の視線は、腕組みをしてリアさんの前に立ちはだかった補佐官様と、クリームの入った絞り袋を手にしたまま右往左往しているリアさんを行ったり来たり。
すると、にこにこしている補佐官様の手がリアさんの頭に伸びる。私は思わず息を飲んだ。
でも次の瞬間、手を伸ばした補佐官様はリアさんの頭をぽふぽふしただけ。リアさんは困ったような顔になって、上目づかいに補佐官様を見つめて……。
「まったく……私は気の長い方だと自負していたんですけど。
あんまり待たせるものだから、心配で来てしまったじゃないですか」
「ごめんなさい。
その、説明すると長くなるんだけど、これには理由が……」
……なんなの、この感じ。砂糖菓子を口に入れた覚えはないんだけど。歯にじゃりじゃりしたものが詰まったみたい。
てっきり叱る夫と謝る妻の構図が出来上がるのだとばかり思ったのに。いやまあ、大まかに表現すればそうなんだろうけど……何かが違う。甘ったるい気がする。ていうか、補佐官様ってばリアさんに振り回されて楽しんでるように見えるんだけど。
息を飲んだ割に冷静にその場を見つめていた私は、ふたりの間に漂う甘くてぬるい空気を感じて息を吐き出した。
だけど、それがいけなかった。
補佐官様の青い瞳が私を捉えて、すっと細められる。その視線が私から冷静さを奪うことなんか、赤子の手を捻るよりもずっと簡単で。いやもう、赤ちゃんみたいに泣けたらどれだけ気持ちが楽か。
リアさんが補佐官様を待たせたのは、きっと私が王女様を見失った所為だ。だから何を言われても謝り倒すしか道はないんだけど、なんかもう声が出せる気がしない。喉の奥の方が、きゅっと縮まってしまってる。やっぱり“逆鱗さま”は補佐官様の逆鱗なんだ。
冷やかな青に震えあがった背中が、ぴしーっと伸びる。硬直してガチガチに。昨日は常連のお金持ちのおばさまが一緒だったから全然喋らなくても大丈夫だったけど、こうやって自分ひとりで対峙すると相手の大きさが分かる。身に沁みる。
補佐官様がいらしたと教えてくれたアンさんの態度は不敬にあたるんじゃないかと思うくらいに、のほほんとしてたけど……。
気の遠くなるような一瞬の間をおいて、補佐官様が口を開いた。
「――――クロエさん、でしたね」
「はいっ」
補佐官様の視線が、条件反射で返事をした私と調理台の上のカップを行き来する。
「あなたは、ここで何を?」
その声は穏やかなのに、どこにも逃がすまいと追いつめる気配があって。私は、ごくりと生唾を飲み込んだ。絶対叱られるって分かってるけど、言わないわけにはいかない。
「王女様とはぐれてしまって、探しているうちにここに……。
カップケーキを作っておいでだったので、待っていました。
……お茶は、奥様が淹れて下さいました」
「なるほど。
何故、王女様とはぐれてしまったんでしょう?」
「それは……。
申し訳ありません、私が目を離してしまいました……」
「では、そこにいる白の騎士は?」
私が言葉を選んで答えるたびに、補佐官様の質問が矢継ぎ早に飛んでくる。彼に寄り添うリアさんは心配そうにこちらを見ているけど、口を挟む気配はない。それは今まさに話題の中心になった白の騎士も同じようで……。
「王女様を探して迷子になったところを、助けてもらいました。
彼がいなかったら、ここへも辿り着けなかったと思います」
心なしか補佐官様の口調に棘があるような気がして、私は慌てて答えた。すると今度はその棘の矛先が、別のところへと向かう。
「……と、クロエさんは仰ってますけど」
「地下にまで迷い込んでたのを見つけたんです。エルも一緒でした。
そのあとは彼女が話した通りで、ここでお茶をご馳走になってました」
見た目のいい男性が睨み合うのを眺めていた私は、ふと気がついた。私のことなんか、補佐官様は全然気にも留めてないんだってことに。だって白の騎士を見る目の方が、何倍も冷たくて怖いもの。
ていうか。白の騎士が、迎え撃ってやるとでも言いたそうな顔をしてるけど……そんなことして大丈夫なんだろうか。私を助けたせいで解雇でもされたら、と思うと背筋が凍りそう。
自分のことなんてすっかり忘れた私は、無言で睨み合いを続けるふたりを見つめて、内心ヒヤヒヤおろおろしてしまった。
かといって、何も言えず何も出来ず。そんな異様な雰囲気に飲み込まれて息苦しくなったその時、ようやくリアさんが口を開いた。
「――――ふたりとも、子どもの前でそんな顔しちゃダメでしょ!」
ちょっと違うような気もするけど、ふたりが目を逸らしたからいいの……かな。
ちなみに誰が来ても何を話していても我関せず、ひたすら砂糖菓子をカップケーキに乗せることに没頭していたリディ王女様は、相当な大物だと思う。