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啜り泣いて、ごめんなさい。








「あ゛~……」


向かいから、妙にオジサンくさい声を出しながら腕をぐるぐる回す男の人が歩いて来る。

ここは白の騎士団本部がある階だから、たぶん民間人じゃないはずで。それなのに腰のベルトには剣が差してある。かといって騎士でも事務官でもない服を着てるから、騎士団の関係者じゃないみたいだし……。


朝一番で明らかに不審な人物と遭遇してしまった私は、思わず足を止めた。こういう場合って、とりあえず回れ右をするべき……?!


どんな言葉で先輩に謝ろうかと頭を悩ませながら歩いていた私が、想像もしていなかった状況に立たされて大丈夫なわけがない。心臓がばくばくする。ところが躊躇した私が決断するよりも早く、歩いて来る人が「あっ」と声を上げて駆け足になった。


「ひっ?!」


その声に、私の体が跳ねる。もう足が強張って回れ右なんて出来そうにない。

だるそうにしていたはずの人が、結構な速さで駆けてくる。その姿に怖気づいて身構えれば、私の目の前で止まった彼は爽やかな笑顔で口を開いた。


「クロエじゃないか! 偶然だね!」


顔が土で薄汚れて髪もボサボサ。着てる服は良いものみたいだけど、やっぱり土がついてる。白いシャツが大変もったいない。

……ていうか誰だっけ。


「えっと、おはようございます……?」

「おはよう。

 もしかして、これから本部に顔を出すところ?」


名前を知ってることに驚きつつも、ちゃんと挨拶はしてみる。ずいぶんくだけた態度だけど、そこかしこに気品があるような……。


「そう、ですけど……?」


何か引っかかるものを感じながら頷いたら、案の定ちょっと首が傾いてしまった。

そんな私を見て瞬きをくり返していた彼が、ぷっと噴き出す。そしてボサボサの髪を手で撫でつけると、にやりと笑って口を開いた。


「やだなぁ、オーディエだよ。

 もう忘れられちゃったのか、残念」




「すみませんすみませんっ、本当に申し訳ございません……!」


頭がもげるんじゃないか、っていうくらいに頭を下げる。もうそれしか謝罪の態度が思い付かない自分にガッカリだ。

それにしても全然気づかないなんて、そりゃ王子様ご本人様も笑っちゃうよね……。いやいや、激怒されなくて命拾いした。


「そんなに謝られると、かえって困っちゃうなぁ。

 王子様感を消すのは上手いって自負してるから、気にしないで」

「はぁ……」


薄汚れてよれたシャツ。土埃でパサパサの髪。クタクタな格好で笑う、よく見たら整った顔。全体を眺めたら結構な不審者なんだけど、目を凝らして顔だけ見たら……たしかに先日お目にかかったオーディエ王子。

……って、あんまり見たら失礼だよね。


私はそっと視線を落とす。それにしても、何がどうなってるんだろう。王子様感を消すって言ってたけど、普段からそんなことしてるのかな。王城の中にいて危険な状況って、あんまりないと思うけど。

不思議に思っていると、王子様は腰に差した剣に手を伸ばした。


「ちょっと体を動かしてきたんだ。

 これから親父とジェイドと、公務の打ち合わせ」

「そ、そうですか」


お、親父って。麗しい見た目がもったいないなぁ……。市井の夢見る女の子達は、こういう王子様を知ってるんだろうか。

ちょっぴり残念な気持ちで相槌を打つ。すると頭上で、王子様が静かに息を吐く気配が。


「……クロエ」


それまでと違う声色に、心拍数が上がる。小説の中によくある、王子様にキュン、ってやつじゃない。怒られるのを覚悟したがための、言うなれば動悸だ。


「はいっ」


返事だけは元気よく。狐みたいな家庭教師に言われたことが、成長してからも染みついてる。あの頃は、呼ばれれば叱られてたっけ。

残念な回想は、私を目の前で起こっていることに鈍感にさせたらしい。だって、全然気づかなかったんだ。王子様の手が伸びてきてることに。



ふに、と両方の頬を摘ままれて、私は思わず視線を上げた。そして、その指が王子様の肩に繋がってるのを見て、我に返る。


「う、うぇっ……?!」

「大丈夫、手はちゃんと洗ったから」

「ひ……っ」


いや、そういうことじゃなくて!

心の中で絶叫しつつ、口から漏れたのは息を飲むかすかな悲鳴。なんかもう、意識がぶっ飛びそうです……!

緊張で息がうまく出来ない。心臓が口から飛び出しそう。


勝手に生死の境を彷徨い始めた私を見下ろして、王子様はにっこり微笑んだ。


「子守になったんだから、王族にも慣れないとな。

 目の前の王子様だって、おんなじ人間なんだぞ。

 ほぅら、怖くなーい怖くなーい」


もはやその台詞が怖い……とも言えず、私は必死に首を縦に振る。

すると、それまで楽しそうにしていた王子様がパッと手を離した。その瞳は、いたって真面目そうに真っすぐ私を見つめている。


「クロエ。

 リディのことだけど」

「え?」


それまでの、くだけた雰囲気が一変した。王子様の手は離れたけど、だからって目を逸らすことは許されないんだろうな、っていう気持ちになる。


「年の離れた妹か、姪っ子だと思って普通に接してやって。

 毎日くたくたになるまで遊んだり、悪いことしたら叱ったり」


ちゃんと顔を見て話を聞くと、王子様の真剣さがよく伝わってくる。不思議だけど……こんなに近いっていうのに、心臓が飛び出しそうな緊張は消えたみたいだ。

どうしてだろう、とぼんやり考えていたら、王子様が苦笑交じりになった。


「……って。あー……ごめん、親でもないのに。

 でも俺みたいに拗らせることはないだろうけど、心配でさ……」


王立学校に通っていた頃に聞いた噂話のオーディエ王子とは、まったくの別人だ。“手の早い美形王子”じゃない。全然“特別感”がしない。

ボサボサなままの頭をぽりぽり掻いてる王子様を前に、私はそんなことを思ったのだった。



その時だ。


「――――こら」


唸るような声が聴こえたのと同時に、頭蓋骨が軋む。ものすごく痛い。痛すぎる!


「いっ……?!」

「何してんだ、ポンコツ」




「あーあ……クロエ、大丈夫?」

「構わなくていいから。

 早くシャワー浴びて仕事!」

「……ったく。誰のせいで土まみれになったと思ってんだよ。

 稽古してもらえるどころか、鬱憤晴らすのに呼ばれただけじゃんか」

「それはその通りだけど、稽古にもなっただろ?」


頭を押さえて蹲る私をよそに、男ふたりが応酬をくり返している。こう言っちゃアレだけど、先輩は相手が補佐官様でも王子様でも関係ないのか……。

そんなことを思いながら、じくじく痛む頭を擦りながら立ち上がる。まったくもう、朝から大変な目に遭った。


こっそり溜息をつきながら立ち上がれば、王子様と目が合った。

彼はたくさん汗を掻いて疲れているはずなのに、どこか生き生きしてるように見える。話を聞いた限り、稽古という名の憂さ晴らしに付き合わされた哀れな王子のはずなんだけど。どうしてちょっと楽しそうにしてるんだろう。子どもみたい。

そんな彼と意識せず目を合わせた私は、いつの間にやら親近感を覚えてしまったらしい。自然と頬が緩んだ。


「お仕事、頑張って下さい」


王子様が目を見開いた。びっくりしてるんだろうか。私から話しかけるなんて失礼だったかな……。

心配になったけど、王子様はほんの一瞬だけ間をおくと笑みを浮かべた。





「……ふぅ」


まだ仕事が始まってもいないのに、すでに少し疲れてる。予想外の展開になると、体力が削られるんだなぁ。

手を振りながら去っていく王子様に会釈を返して、息をついた時だ。ずっと横に立っていた先輩が、おもむろに歩き始めた。


「――――あっ」


先輩に謝らなくちゃ。顔を見たらすぐに謝ろうと思ってたのに。王子様を前に動揺したせいなのか、大事なことが頭の中からすっぽり抜け落ちてた。つくづくポンコツだ。いやあの、忘れてたわけじゃないんだけど。


歩幅の広い先輩は振り返る素振りもなく、ぐんぐん先へ行ってしまう。

怒ってるんだよね、きっと。


でも、と思い直す。先輩をそうさせたのは私なんだもの。ちゃんと謝らなくちゃ。

私は慌てて彼の背中を追いかけて、手を伸ばした。


「ちょっ、待って下さい先輩……っ」




「何?

 早く本部に顔出さないと」


掴んだ腕を一瞥して、先輩が私に言う。何とも思ってないような顔をしてるけど、その目が冷やかだ。ちょっと怖い。

……だけど。言わなくちゃ。


私は先輩の腕をぎゅっと掴んで、思い切り息を吸い込んだ。


「――――っ。

 きっ、昨日はごめんなさい!」


叫ぶように言い放って勢いよく頭を下げる。ひと呼吸ひと呼吸が、とっても長く感じられて怖い。先輩の目つきよりも、ずっと。何を言われるんだろう、って考えるだけで心臓が止まりそう……。

なんとか呼吸を整えた私は口を開いた。でも、顔を見ることが出来ずに頭を下げたまま。


「私、子どもみたいに頑固でした……。

 これからは先輩の言うこと、ちゃんと聞きますから。

 だから……あ、あの、怒らないで……」


小さな溜息が聴こえて、縋りつくようにして腕を掴んでいる手が、大きな手にゆっくりと剥がされる。はっ、として顔を上げれば、先輩が眉間にしわを寄せて口を開くところだった。


「ほんと、ポン、コツかっ」

「いっ、たぁっ……?!」


区切られた言葉の最後と一緒に、おでこに痛みが走る。

思わず手で押さえれば、先輩の顔が目の前に迫ってきて。悲鳴がついて出た。


「ひゃぁぁっ?!」

「……ったく!

 窓開けっぱなしで夜中にめそめそするの止めてくれないかな!

 女の啜り泣く声が聴こえるとか、どんな曰くつきの寮だよ……。

 ていうか僕は君の保護者じゃないの。言うこと聞くとか止めろ」



矢継ぎ早に言葉を連発した先輩の目は、いくらか穏やかになってて。

なのに私は全然心穏やかになれなかった。だって、まさか夜中に泣いてたのがバレてるだなんて思わなかったんだもの……!








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