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急募:子どもの世話をするだけの、簡単なお仕事です。







あるところに強くて恐ろしい鬼がいました。

心の優しい彼はその強さのせいで怖れられてしまい、いつも孤独でした。

ところがある時、世界を渡りやって来た女性に恋をしてしまったのです。そしていつしか女性もまた彼のことを……。


それはある国の、今よりも少しだけ前の物語。

ひそやかに語られる恋物語、子守と蒼鬼のお話。









見たことあるような、ないような。


「ああああっ、ここどこ……?!」


どこまで走っても石壁。どこを見ても石壁。時々窓。いつまでも同じところをぐるぐる回ってるみたいで、もういい加減気持ち悪い。長い廊下は私を吸い込もうとしてるみたいで怖いし、人の気配もしないし。

ここは王城という名の石壁の牢屋か何かか。私をここから出すまいとして、誰かが意地悪してるんじゃないだろうな。

そんな焦って苛々する心を嘲笑うかのように脇腹が痛くて、ちょっと泣けてくる。


「もうやだ~……おばさまの嘘つき! 聞いてないよ、こんなの!

 これのどこが“子どもの世話をするだけの簡単なお仕事”なの……?!」


打ちひしがれて手近な壁に手をついた私の零した声は、冷たい石の床に吸い込まれていくような気がした。

その時だ。ふいに背後で声が上がった。


「――――君! 大丈夫?!」


当たり前に驚いて、私は声のした方を振り返った。さっきまで人が通る気配すらなかったから、藁にもすがる思いで。

すると、長い廊下の向こうから駆け寄ってくる人の姿が……。

良かった。ちゃんと人がいたんだ。私はようやくこの無限回廊から脱出する糸口を見つけた気分で、思わず脱力してしまったのだった。




声をかけてくれた人は私の目の前まで来ると、心配そうな顔をして私の顔を覗きこんできた。かちゃり、と金属音を立てたのは腰にある長い剣だろうか。剣を携えているなら、きっと騎士だ。


「気分でも悪い?

 立っていられないなら、背負って救護室まで連れて行こうか?」


私はそんなことを言われて初めて、自分が長いこと緊張を強いられていたことに気がついた。慣れない王城でただ迷子になっただけだと思ってたけど、それだけじゃ片付けられない気持ちになっていたらしい。

知らず知らずのうちに鼻の奥がつんと痛みだすのを誤魔化すために、私は首を振った。


「だ、大丈夫です。どうも道に迷っちゃったみたいで」

「迷っちゃった、って……」

「その、子守りをしてたんですけど相手とはぐれちゃって……。

 ……どうしよう、早く見つけないと」


自分が迷子でなくなった安心感と引き換えに、どうしようもない焦燥感が湧き上がってくる。

見失ってしまったあの子は、今どこにいるんだろう。王城は安全だと思うけど、どこかで泣いたりしてないかな……。

走り回って掻いた汗のせいか、背中が冷たくなっていくのが分かる。


「え? 子守り?」


訝しげに眉根を寄せた騎士の黒髪が、さらりと揺れた。背中まである長い髪をひとつに結わいているらしい。騎士の格好をしていなければ女性と見紛うような、私からしたら羨ましいくらいにバランスのとれた顔つき体つき。


「はい。ちょっと目を離したらいなくなってて……!」


私は名前も知らない親切な騎士を見上げて頷いた。心配して声をかけてくれるくらいだから、きっと助けてくれる。ていうか助けて下さい。


その時だ。祈るような気持ちで言葉を続けようとした私の耳に、別の声が聴こえてきた。




「――――キッシェ」


地を這うように低い声は冷たくて、それこそもう見飽きて頭痛がしそうな石壁みたいだった。どうやら騎士の仲間が近くにいたらしい。その人は背後から近づいてきて騎士の隣に並ぶ。

正直言って、ふたりが並んで目の前にいると壁のようだ。ふたりとも割と長身だからなのか、圧迫感に目眩がしそう。


あとから来た方の男の人は、私を見下ろして尋ねた。


「ここで何をしてる?

 非常用に武器や食料を貯蔵しておく場所に、何か用でも?」


私を心配してくれた騎士とは真逆の口調に、お腹がきゅっと縮む。

……そんなこと言われても、ここがそういう場所だなんて知らなかったし。誰もいなかったから、誰にも止められなかっただけなのに……。

そう思ったけど、怖い顔をした相手に言い訳するだけの度胸はなくて。私は足元を見つめて口を開くしかなかった。


「その子を探してるうちに迷っちゃって」

「この子、自分は子守役だ、って言うんだけどさー……」

「……子守?」


困った様子の騎士の言葉を、冷たい方の人が聞き返す。

私が自分とふたりのつま先を交互に見遣って居た堪れない気持ちを誤魔化していると、少しの間押し黙っていた冷たい方の人が小さく息を吐いた。


「アッシュに探させよう。

 お前は子守を連れて、念のためにひと通り見て回れ。

 見つからなかったら、そのまま部屋に送ればいい」

「え? ちょっ、えっ?」

「白にも行った方がいい?」

「いや、俺が途中で寄って行く」

「はいはい。じゃ、またあとで」


急な展開についていけずに声を漏らして顔を上げても、その人の視線が私に向けられる気配はない。私のことは、本格的にそっちのけだ。騎士も騎士で頷いている。ぞんざいな口調なのに、なんとも思わないんだろうか。

……ていうか、私がここにいるのを咎めたってことは冷たい方の人も王城関係者なんだよね。たぶん助けてくれようとしてる、ってことで……合ってる、と思いたいんだけど……。もっといろいろ、私に聞かなくていいのかな。どうして当然のように対処するんだろう……。


そんな感想を抱きながら様子を窺っていると、急に冷たい方の人が踵を返した。颯爽と歩く後ろ姿が、みるみるうちに遠ざかっていく。


「え、あ……っ」


――――それで私は一体どうすれば。

そう思って慌てて呼び止めようとしたけど、途中で思い止まった。私なんか見えてなかったみたいだし。それなら引き留めたところで何を言っても、あんまり意味はないだろうから。







結局私は、ほんの少し歩いただけで王城の中心に戻ってこれた。迷子になって途方に暮れたのが嘘みたい。連れて来てくれたのは、もちろんあの騎士だ。歩きながら「出歩く時は、王城の案内図を持っておくべきかもね」なんて苦笑混じりに言われてしまったけど。

午後の早い時間は、午前中よりも王城を訪れる人たちが多いみたいだ。同じ仕立ての服を着てる人たちもいる。どんな仕事なのかは知らないけど、王城関係者だろうな。


「……で」


とりあえず今自分がいる場所をざっと見渡した私が王城の人の多さに改めて圧倒されていると、頭上から声が降ってきた。少しの間、一緒にいる存在のことを忘れてしまってたらしい。我に返った私は、慌てて彼の顔を仰ぎ見る。

彼の方は私の頭の中をお見通しだったのか、呆れたような表情を浮かべていた。


「あのお転婆ちゃんの行きそうな場所に、心当たりは?」

「あれ? 私、誰を探してるか言いましたっけ?」


おかしいな。女の子を探してるなんて言ったかな……。

思い切り首を捻った私を見て、彼が肩を竦める。


「あー……うん。聞いてないけど察した」


まさか本当に分かってるんだろうか。ちゃんと言葉で確かめないと心配な私は、目を細めて彼の顔を覗き込んだ。


「確認してもいいですか?

 私が探してるのは、おぅ――――むぐっ?!」

「うわっ!」


言いかけたタイミングで私の口を慌てたように塞いだ彼が、そのままの勢いで続ける。


「こんな往来で言っちゃダメなやつだから、それ!」

「ふぐぐっ」


びっちり覆われた口からくぐもった声が漏れるけど、彼は全然手を話す気配がない。そのうちに息が出来なくなった私は、必死にその腕を叩いた。




私を解放した彼は沈痛な面持ちで盛大な溜息をつくと、何かを諦めたのか首を振って歩きだした。何がなんだか分からなくて呆然と立ち尽くす私のことを振り返る様子はない。

彼の背中が少し遠ざかったところで我に返った私は、慌てて小走りに後を追ったのだった。




人でごった返した場所を抜けて階段を上がると、同じ見た目のドアが規則正しく並ぶ廊下に出た。追いついた私が隣に並んでも何も言わなかった彼が、ようやく口を開く。


「この階はほとんど来賓用の客間……と、あとは補佐官の執務室かな。

 たぶんこの階には王女様はいないと思うけど、一応見ておく?」


渋めの赤い絨毯が敷かれた静まり返った廊下に、彼の小さな声が落ちる。

どこか厳かな雰囲気に気圧されて、私も自然と小声になってしまった。


「はい。

 あ、そういえば私、昨日この辺りに来たかも……」


たしか、おばさまに連れられて補佐官様のお部屋に行ったんだっけ。生まれて初めて王城に来たから、とんでもなく緊張してたんだよなぁ……。

彼の言うとおり、こんな雰囲気の場所に子どもが来るとは思えない。

そんなことを考えて、私は気がついた。彼の口から、はっきりと“王女様”という言葉が飛び出したことに。


「……って今、王女様って――――」

「ん? それがどうかした?」


本当に分かってたのか……。半信半疑のまま、とりあえず迷子でなくなるなら、と思ってついて来たけど。

そんな気持ちが顔に出てたんだろうか。彼はちょっとだけ頬をひくつかせた。


「察したって言ったでしょ。

 白いコインを持ってる君の仕事が子守なら、相手はひとりだ。

 あいつもそれに気づいて、陛下の所に行ったんだよ」

「……あいつ?」


聞き返しても歩みを止めない彼が、客室のドアをノックしてしばらく待ってから中に入った。私もそれに続いて、テーブルの下やベッドの裏を覗いてみる。やっぱり王女様はいない。

……そもそも王女様とは、偶然はぐれただけ。“かくれんぼ”をしてたわけでもない。一応とはいえ、どうしてこんな所を探すんだろう。

訝しげにした私を見ないふりをした彼は、ふたつ目の客室に入ったところで言った。


「僕の横にいたでしょ。あいつ。

 あんな場所で迷子になってる女の子が“子守”だなんて不審極まりない。

 だから真っ先に確認したんだよ、君の手首にコインがあるかどうか。

 ……で、白いコインをしてたから信用して、取るべき行動を取ったわけだ」

「えっと……じゃあ、このコインがなかったら……?」

「まず君を捕縛、蒼の騎士団に引き渡して尋問。

 その上で白の騎士団に連絡して、同時に王女様の保護だね」


絶句。言われたことは理解出来るけど、頭の中が真っ白だ。

驚いて目を見開いた私に、彼が言う。


「そうだ、思い出した。

 さっきも、あんなに人の多い場所で名前を出そうとしてたよな。

 はぐれただけでも問題なのに……もうちょっと上手くやりなよ」


事の大きさに言葉が出ないでいると、彼は不快感を滲ませて溜息をつく。そして気づいた時には、さっきまでの温厚で親切な口調はどこかに消えていた。


「今は平和だけど、子守がそばにいないなら……って、魔が差す奴もいる。

 さすがにどういう意味か分かるよな?」





いくつめかの客室をまわり、私が何度目になるか分からない溜息をついた時だ。それまで難しい顔をしていた彼が耐えかねたように口を開いた。


「そんなに落ち込むなって~……。

 いやまあ、さっき言ったのは本当のことだけどさ」


慰め半分、とどめ半分。

彼の言葉を聞いて余計に気分が沈んだ私の口から出るのは、溜息しかない。だって彼の言うとおりに本当のことだから、反論のしようもないもの。


「そもそも君がわざと王女様から離れたわけじゃないんだろ?

 だから君の落ち度っていったら自覚のなさとか、そんなとこじゃない。

 ああ、世間知らずって言い換えた方がいいのかな。

 壊滅的な方向音痴ってところは、さすがの補佐官も見抜けな……あ」

「……私なんかが働いててスミマセン……」


もう口から魂が出て行っちゃいそう。

完全に萎れてしまった私の心は、ちっとやそっとじゃ元に戻らない。自分でもダメダメな自覚があるから、彼に返す言葉もないし。

この上、ちょっとした憧れの気持ちがあって子守を引き受けただなんて、口が裂けても言えません……。


そんな私が、ずーん……と重たい空気を背負って俯いていると、もっと重たいものが頭に乗ってきた。それはそのまま、私の頭をぐりぐりと揺する。見た目の割にすごい握力だ。剣を振う人って、こんなに力があるものなのか。

頭を掴まれて、私は思わず声を上げた。


「やっ、ちょっ……?!」

「はいはい、ごめんごめん。

 先輩としてちょっと脅かしておこうと思ったんだ。

 でも嫌ってほど分かっただろ?

 君が思ってる以上に、君の引き受けた仕事は重いんだよ」


言葉と同時に手が離れて、私はのろのろと顔を上げる。たぶん髪はぼさぼさだろうけど、もういいや。そんなことよりも、ものすごく聞き捨てならない台詞を聞いた気がするから。

私の心の中を見透かしたのか、彼がにんまり微笑んだ。腕まくりをしながら。


「ほら、おんなじ」


腕に白いコインが光っている。それはつまり、この人は白の騎士団所属の騎士、ってことで。たしかに、私の先輩ってことになるけど……。

急に同じ枠の中に入れられたような気がして、私は思わず嫌そうな顔をしてしまった……と思う。昔から顔にすぐ出ちゃう性質で、よく継母のご機嫌を損ねてたっけ。しかもさっきの会話の半分は悪口だったもの。


「いやいや、面白い後輩が出来て嬉しいよ。

 僕はキッシェ。よろしく。一応、白の騎士団に所属してる。

 王城勤めじゃないから、そう顔を合わせることもないだろうけど」


なんだ、普段は王城にいないのか。じゃあ今日限りの縁かも……。

こっそり安堵の息を漏らした私に気づいたのか、彼が小さく噴き出した。そしてその失笑を隠すことなく口を開く。


「後輩、名前は?」


そんなに楽しそうにされると、なんとなく釈然としない。

ぶすっと口を尖らせた私だったけど、一応彼に助けられていることを思い出して名乗ることにした。


「……クロエです」

「じゃあクロエ、お転婆王女が隠れていそうな場所に行こうか」






ずらりと並ぶ客室をひと通り見て回った私達は、階段を下りて再び人の多い廊下に出た。だけど今度はオリーブ色の制服を着た男の人達が目立つ。どこに所属してる人達なんだろう。剣を携えてるから、きっと騎士だろうけど……。

不思議に思った私は、さっきのやり取り思い出して彼らの手首に目を遣る。歩いているからハッキリ見えたわけじゃないけど、黒っぽいサビがついてるのが分かる。

視線を上げれば、見ようとしていたコインの持ち主が白髪混じりのおじさん騎士だと気づいた。長年身につけたら、ああなるんだろうか。


私は足を止めて、今度は壁に寄り掛かって話をしている騎士たちの手首に目を凝らした。そして視界に小さく映るコインの色は、艶やかな青。


理解した瞬間、全身に鳥肌が立った。


「蒼のコイン……!」

「クロエ?」


ついて来ない私に気づいたのか、白いコインの騎士が振り返って訝しげに首を捻る。数歩の距離を戻ってきた彼は、私の目の前で手を振った。


「ちょっと、また口開いてるけど。

 何、どうしたの」


感動に言葉を奪われていた私は、彼に水を差されて我に返った。その脇をオリーブ色の制服を着た騎士たちがすり抜けていく。

……ああ、やっぱり王城に来てよかった。

ドキドキして、息が上がる。


「蒼鬼さまも、この辺りを歩いていたんでしょうか……?」

「はぁ……? 何言ってるの……?」


白いコインの騎士が呆気に取られた様子で声を漏らすけど、そんなことは気にならない。彼の向こうに見える何人かの騎士たちが足を止めて振り返ってるけど、全然気にしない。どれだけの人に鼻で笑われても、私はずっと憧れていたんだ。もちろん今も。


「ご、ごめんなさい。

 蒼鬼さまがいらした場所に立っていると思うと、動悸がしちゃって。

 だって私、蒼鬼さまに憧れて王城にやって来たんです……!」




そう言った時の周囲の反応は、絶対に忘れないと思う。特に白いコインの騎士の“うへぁ……”という呟き、ぜひとも蒼鬼さまに聞いていただきたかった。








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