一粒の葡萄
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あるところに、一人の少年が病床に臥せっていた。彼の病は簡単に治すことのできるものではなく、かといって、何もしなければ、そう多くはない時間をも病魔は蝕んでいってしまう。
少年の両親は、彼をとてもとても愛しており、あなたのためなら家をひっくり返してでも薬を買うと言い、父親は出稼ぎに出かけ、母親は糸を紡ぎながら熱心に少年の世話を焼いた。しかし、それでも病魔が彼の体からいなくなることはなく、ただ時間だけが過ぎて行こうとしていた。自身の灯火が尽きる日はそう遠くないであろうと、彼は床の上で静かに涙を流した。
明くる日、少年は海よりも淡く澄んだ空を、窓際に生えている葡萄の葉の林から覗いていた。そして、まだ若く青い葡萄の実に視線を向けた。あの実が熟し鎖落ちる頃に私は死ぬだろう、と、瞼を落とした。それから少しして、青かった空を雲が覆った頃、窓を誰かが叩いた。少年が、「葡萄酒はあるかい」と尋ねると、窓を叩いた者は「まだ熟してないよ」と返した。少年が閉じられた窓を開け放つと、日に焼けた浅黒い肌の青年が顔を覗かせた。彼は、少年の家から程ない場所に住む青年で、二人は幼い頃から兄弟のようにして育ってきた。青年はいつものように少年の体の具合を尋ね、少年はいつものように答えた。それを聞いた青年は、いつもとは違う表情を浮かべて、去って行ってしまった。少年は不思議そうにその後ろ姿を見送った。
葡萄の実が一つ色づいた頃、少年は床の上で十字架に祈りを捧げていた。道の向こう側に住んでいるおじいさんが、血相を変えて家に飛び込んで来た。話を聞けば、隣の家の青年が崖から落ちて、左足と右足と右目をなくしてしまったのだという。なんでも、ある男から薬草の存在を教わり、それを採りに行った際、落ちてしまった。
葡萄の実が七つ色づいた頃、少年は床の上で十字架に祈りを捧げていた。すると、今度は母親が部屋に飛び込んで来て、涙ながらに父親が出稼ぎ先で病に倒れたのだと言った。そして、母親は少年の世話を叔母に任せ、父親の出稼ぎ先へと向かった。
葡萄の実が十と四つ色づいた頃、少年は意地の悪い叔母に食事も出してもらえず、まして体が弱く病に侵されている身だというのにも関わらず、倒れてもこき使った。そして、風の便りでその母親も事故に遇ってしまったと知らされた。
葡萄の実が全て色付こうとした夜、少年は部屋の窓を叩いた影に気付き、ふらふらとした足取りで向かい、開けた。すると、そこには髭を蓄えた男が静かに立っていた。男は「そこにある葡萄を頂けないだろうか。そうすれば願いを二つ叶えてやろう」と言った。少年は「一粒を残してくださるなら構いません」と言った。「なぜ一粒だけ残すのだ」と、問われた少年は「その葡萄は私の命なのです」と返した。男は「それでは願いは叶えられない」と言った。「それでは、他の葡萄はかがでしょう」「あの葡萄が欲しいのだ」「それでは、一粒の葡萄だけを残し、もう一粒を他の葡萄からもぐというのはどうでしょう」「それでは叶えられない」少年は困り果てた。そして程なくして首を縦に振った。「葡萄を一房差し上げます。その代わり、私の二番目と三番目の願いを叶えてください」それに対して男は「一番目の願いは要らないのか」と問うた。「それではあなたに葡萄を差し上げる意味がなくなってしまいます」そう答えた。
男は言葉通りに葡萄を一房切り取り、闇夜に紛れて消えてしまった。
それから青年は元の足と目を取り戻し、少年の両親の病と怪我もあっという間に回復し、少年は病気をすることもなく生涯を終えた。
20140409
葡萄食べたくなった、誰か私に恵んでください。