花断
現在の敵、源一郎との対決はその三日後だった。あまり待たせて、向こうがしびれを切らしても良くないので、できる限り急いで準備をさせたのだ。
ぼくは県境にある山林の奥、少し開けた場所で相手を待っていた。ここであれば、暗夜鱗粉に集中力を割かなくても全力で戦えるからだ。まあ、コトコに結界を頼んでもいいのだけど、こんなに虫が多くて足場も悪い場所に彼女を連れて来るのは嫌だったのだ。
時刻は夜の五時五十分。相手方に指定した時間は、六時きっかり。もう、いつ襲って来てもおかしくない頃合いだった。
ぼくは苦にならない程度に周囲を警戒しながら、入り口を睨み続けた。すると、向こうから甚平を着た老人が歩いてくるのが見えた。鼻の下に白いヒゲをたくわえ、髪の毛も総じて白い。しかし、眼光は鋭く、どこか歴戦の武士を思わせる雰囲気を纏っていた。
彼は人形を出す事なく、ぼくの手前一メートルまで近づいて来ると、腕を組んでぼくを値踏みした。
「元、巧断家相談役、源一郎である。まずは、ふてぶてしくもワシの接近を許した、その肝っ玉だけは褒めてやろうぞ、新参者」
「現、鉋木家の代表、水瀬呼人です。本日は、遠い所までよくお越し下さいました」
源一郎は顔を険しくすると、凶暴な笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、やるとするか。人形を出せ、ワシが見聞してやる」
「どうぞ、ご自由に」
ぼくの肩より少し上の所に、二つの提灯が現れ、背後に生じた黒い穴から蛹守がズルリと姿を現した。
「ハッ! 何だ、やっぱりまだ蛹守ではないか。すぐにバレるような嘘を吐きおって」
「でも、ここに来るまでは少しワクワクしたでしょう? できるだけ興味を引きたかっただけですから、十分に成功ですよ」
「何をバカな。お前の情報なんぞ、身内を通して筒抜けだったぞ」
「アナタのような人は実物を見なければ安心しないと思っていましたが」
「減らず口を……。まあ、いいさ。それくらいの威勢があった方がいいからな」
彼が右腕を軽く上げると、やはり空中に二つの提灯が現れ、その間から僧兵のような姿の人形が這い出てきた。資料で見た姿よりも、少し傷が多い。もしかしたて、族長と戦った傷だろうか。
「立派な姿ですね」
「応、よく見ておけ。これがお前を地獄に叩き落とす魔物だ」
彼が素早く花断に乗り込むのを見て、ぼくもすぐに体を後ろに預けた。一旦、視界が奪われ、再び景色が開けた時にはすでに敵はその巨大な得物を振り上げていた。
ぼくは背中に収まっていた鉈を取り出しながら、すぐさま真横に飛び退る。先ほどまで居た場所にボルトカッターの頭が振り下ろされ、地面と空気がビリビリと振動する。なるほど、本当に結構な威力だ。しかし、それでもここで退くわけにもいかない。重量武器は一長一短、一撃の威力と引き換えに、取り回しは遅い。
すぐさま地面を蹴り、敵に目がけて肉薄した。対して、向こうは武器を持ち上げると、今度は横薙ぎに振るって来た。生身であるなら食らうしか無かっただろうが、人形を着ていれば多少は無理がきく。
体勢を低く保ち、当たる瞬間に前へ転がり出るようにしながら、わき腹を鉈で切りつける。しかし、相手の黒い皮膚は固く、刃はほとんど通らなかった。
「まあ、そうでしょうよ……」
相手が体勢を立て直す前に、速度で押し切る戦法を取った。相手の周囲を移動しながら、浅くとも傷をつけ続ける。これで、どこか脆い部分でもあれば、すぐさま集中攻撃するつもりだった。しかし、その目論見は外れる事となる。そう、どこを切りつけても刃は通らず、軒並み弾かれてしまったのだ。
「このっ!」
ここでムキになったのがいけなかった。一体、いつそうしたのか、相手はボルトカッターを開き、ゆっくりと前に出した。それがタイミングよく自分の腹に向かって伸びてきたのだった。背筋がゾクリとした。本当に自分と相手では戦闘経験において、雲泥の差があるのだと思い知らされてしまった。
とっさに鉈で受け、手放して後ろへ飛んだ。鉈はギリギリと音を立て、ものの数秒で裁断されてしまった。
「やれやれ、この程度でよくあんな大口が叩けたものだな。まだ、全力で動いてないぞ」
そう言うと、じい様は驚くほど軽快に得物を振りわしてみせると、改めてそれを構え直した。
「……最初の鈍重な動きは罠ですか」
「いいや、手加減してやっていた」
まあ、何て嬉しそうな声……。本当に、あらゆる点でこっちが不利だ。唯一の武器を失ってしまったが、それも通じないのだから、無くても一緒だ。肉弾戦で行くとは思わなかったけれど、仕方ない。
ぼくは再び低い姿勢で駆け出し、相手に接近した。しかし、じい様は武器を構えたままに微動だにせず、それどころか武器の先端を地面につけてしまっていた。
石つぶてが来ると予想し、両手で顔を覆いながらも怯まず突進するつもりで突っ込んで行った。しかし、予想とはまるで違う結果が待っていた。
じい様はぼくと接触する瞬間、武器を手放すと、その丈夫な腕でもって、殴りつけてきたのだ。
その衝撃はこちらの突進力も加わって凄まじく、人形の顔面がヒビ割れた感覚が、生身にさえビリビリと伝わって来た。
「この体は、こういう風にも使う。お前のような、小賢しい相手の為だ」
ぼくは地面に倒れ伏して、その声を聞いていた。なるほど、アレは防御の為だけでは無かったのか、と頭の隅では冷静に関心している自分がいて、不思議な気分だった。
「こんなものか、ならさっさと終わらせるぞ」
顔が砕けてもまだ視界は無事であるらしく、腕を振り上げる相手の姿が見えた。ぼくはその腹の辺りを蹴って、相手を後ろに倒れさせた。そして、自分の体勢を立て直し、再び距離を取った。
「フン、大人しく観念しろ。命までは取らんが、お前の蛹守はバラバラにして、しばらく使い物にならないようにしてやる」
「それはご勘弁願いたい。しかし、やっぱりアナタの武器は厄介ですね。ここでマトモに戦っても勝ち目は無さそうだ。……だから、まずはそこを何とかさせて貰います」
ぼくはすぐさま踵を返し、森に逃げ込んだ。もうじき、日も暮れる。そうなれば、視界も悪くなり、隙もできやすくなるはず。
「小癪な! だが、悪くないぞ!」
じい様は得物を拾うと、迷う事なく後を追って来た。追いつかれる事は無いにしても、思い切り良く、勢いがある敵は本当に厄介だった。
森の中を縦横無尽に駆け巡りながら、ぼくは時に投石してみたり、あらかじめ用意させていた落とし穴など罠に誘導したりしたが、そのことごとくを軽く乗り越えられていった。落とし穴はボルトカッターを壁に刺しこんで登り、ブービートラップはかかってもすぐさまワイヤーを切断。丸太落しに至っては、逆に利用されて投げつけられる始末だった。
「ハハハハハ! こんな古典的な罠を本当に使って来るとはなァ!」
「一つくらい、ダメージ与えられればいいのにな! っと!」
今度は竹やりが飛んできて、こちらの肩をかすめた。まるでアトラクションでも楽しんでいるような敵の姿を離れて覗きながら、ぼくはまだまだ逃げ続ける。長モノの挙動を制限したとしても、こちらが圧倒的に不利なのには変わらない。目論見としては、何とかトラップで牽制し、相手のボルトカッターを奪ってそれで攻撃する事だったが、まずは前提として相手の身動きを止めなければならない。まずは、そこがクリアできないのだ。
「本当に、厄介! まさか、あのジジイ……こういう戦法も嫌ってほど経験してるとか」
「そぉら! どうしたぁ!」
今度は腐葉土がぶっ飛んできた。恐らく、虎バサミに引っかかる前に地面ごとえぐって飛ばしたのだろうと思われる。
「ちくしょう、上手くいかないな。全くもってダメだ! 本当――――」
我知らず、自分の顔が苦笑を通り越し、歪んで凶暴な笑みへと変わった。
「嫌になる」
森を抜ける前の一瞬だけ、ダミーに食いついたじい様を背後から攻撃した。相手は森から出て、すぐ側にあった崖を転がって落ちて行った。といっても、高さは四メートルほどなので、相手は難なく受け身を取ってしまったが。
「……………?」
しかし、そこは円形にくり貫かれた、囲地と呼ばれる場所だった。
ぼくが崖の上に立って右手を挙げると、大型のトラックが唯一の出口を塞ぎ、敵を完全に閉じ込めてしまった。そして、周囲の森からのっぺらぼうでガリガリの人形が大きなプラスチックの容器を持ち出し、その中身を囲地の中へとぶちまけた。粘度の高いドロリとした液体が地面にのそこかしこに広がって行く。
「なるほど、油か……」
「古典的というなら、こういうのも中々に趣き深いでしょう? 残念ですが、人形の性能が違い過ぎるのは分かりきってましたからね」
「最初から、コレが目的だったわけか。やれやれ、ちと遊び過ぎたかな。まんまと引っかかってしもうた」
あまり焦った様子が無い……。やれやれ、本当にとんでも無いじいさんだ。
「しかし……、お前の手下……全て雑巾か。なるほどな、悪くない着眼点だ。奴らならば普通の人間よりも遥かに労力になるからな。いや、誠慈郎がチョロチョロ動いていた時点で気づくべきだったか」
「このまま焼き殺されたくなければ、人形から出て来て下さい」
「ほう? まさかワシを生かすつもりか? はっはっは、何だ、聞いていたより甘い!」
「勘違いしないで頂きたい。ぼくはアナタの人形をそっくり頂きたいだけですよ。使えそうなパーツを引っぺがす為にね」
「……悪趣味だな。まあ、お前のように古臭い事を好む人間なら、当然の判断か。必要な物は相手から分捕るべし、兵糧は現地で略奪すべしってかー」
「理解が早くて助かります。さあ、早く出て来て下さい。ぼくもその素晴らしい人形を無駄にはしたくない」
「舐めるなよ、新参者」
勝ちを確信していたわけじゃない。だから、彼がそうして戦意を向けて来ても、慌てはしなかったが、胸の内にザワザワとした嫌な予感があった。
「齢十二の頃から人形を操り、二十五で人形に固有名を得た。それから、ワシが戦った歴史は生半可なものではない。お前には想像もできんだろうが、以前は家同士が戦う事など、ざらだったのだ。そして、ワシはいくつもの武功を挙げてきた!」
「……………」
「目にもの見せてくれよう! 花断の深奥を!」
じい様は持っていたボルトカッターを目いっぱい広げた。すると、先端部分の両側からバネが飛び出し、柄の部分に合体し、全体の形自体もが微妙に変わった。そして、持ち柄の先端がワイヤーのようなもので繋げられると、形は歪だが、弓の形へと変わった。
「クソ! 全員伏せろ!」
できる限りの声で叫んだが、それでも雑巾達は反応する事ができなかった。そもそも、彼らは身動きが鈍いのだ。彼らは動き出す前に、全て顔面を弓で射ぬかれ、ある者はそのまま背後にあった木に磔にされてしまった。
口惜しい……。そうだ、体の右側をはだけさせている時点で気づくべきだった! ちゃんと着目していれば、予想もできただろうに……!!
ぼくは悔しさで顎骨が軋みそうなほど歯噛みした。もしも、ぼくがここで自省する時間を設けずに火を放り込んでいれば、勝負は決まっていたかもしれない。そう、この瞬間が決定的に最悪だった。
ぼくは突然、自分の体がふわりと浮くのを感じていた。そう、いつの間にか登って来ていた花断がぼくを抱えて、囲地の中へと落ちていたのだ。
源一郎はこちらの体を地面に叩きつけると、その上に着地した。
「まだまだ詰めが甘い。人形の戦いは何が起きるか分かったものじゃない。お前は勝利が確定した時点で火を投げ込むべきだった」
「……くっ」
グウの音も出ないとはまさにこの事だ……。
「よって、ワシは容赦をしない」
今まで聞いた事も無いほど、冷徹な声だった。
じい様はぼくを仰向けにさせると、その腹部に再びボルトカッターに戻した先端で噛みつくと…………力強くそれを閉めた。
「がああああああああああああああああああああああああああ!!」
腹の部分がブチブチと裂けるのを感じた。幸運にも生身に達してはいないので、痛み自体は無い。しかし、自分の腹が破かれているという不快感がとにかく凄まじかった。そして、無言のまま得物を引き抜くと、今度はもっと深くえぐらんと、再び刃を開いて高く持ち上げたのだった。
どうにか、逃げれないものかと体を動かそうとしたが、どこか重要な部分を断たれてしまったのか、指一本動かす事ができない。
ぼくは迫り来る刃を見て、死を覚悟した。
「約束しろ……回収班の連中は、完全にぼくに協力したわけじゃない。殺すな……」
「お前に言われるまでも無い。今度はワシに協力させるまでよ」
「フン……まだ族長を殺すつもりだったのか」
「無論よ。これはワシの悲願。奴を排除し、再び平穏を取り戻すつもりだ」
「今度は、アナタが権利を握るわけか……」
「…………。時間稼ぎは結構……死ね」