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肥料

 彼女から指示されるままに進み、時には民家の屋根を踏み、時には田畑のあぜ道を駆け、ある地点で制止された。

 ぼくはなるべく人目につかないような場所を探した。近くに公園があったので、その植木の中へ身を隠した。

「呼人、あっちのマンションの三階が標的の部屋。彼は今日、少し遅くに帰って来るわ。そして、この公園を横切っていく」

「ああ、じゃあ公園に入ったのは丁度良かったんだね。それで、相手はどんな奴なの?」

「普通のサラリーマンよ。情報によれば、中規模の企業で働いている研究員よ」

「何かキナ臭い事をしてるとか?」

「そういう事は一切無いわ。真面目で仕事一筋、楽しみといえば酒を飲んだり、キャバクラに行くくらい。本当に、絵に描いたようにトラブルとは無縁の人だわ」

「それは可哀想に。しかし、無縁って事は無かったみたいだね。実際、そうなっているわけだし」

「そうだけども……。でも、本当に何の理由も無いのよ。指示された時には、将来的に私達一族にとって邪魔になるかもしれないからとしか……」

「ふぅん。だったらまあ、故意かどうかは知らないけど、何かするんじゃないのかな。なあ、ところでさ……この人形で襲ったりしたらさ、すごく目立つと思うんだけど、どうしてもこれでやらなきゃダメ?」

「……普通の人でも、抵抗されれば結構怖いものなの。それに、目立つかどうかは別に気にしなくていいわ。暗夜鱗粉あんやりんぷんで結界を作るから、多少の事では誰も気が付かないわ」

「暗夜鱗粉って?」

「蛹守を出した時に溢れた、黒い靄みたいなものよ。あれは意識的にコントロールする事ができるの。あれで囲いを作れば、人払いもできるし、中の情報を外に漏らさないの。音や光なんかね」

「なるほどね、つまり中で爆弾を使っても大丈夫なわけだ。それだったら、この恰好も悪くないかもしれない。一応聞いておくけど、それって君にしか使えないの?」

「蛹守を正式に渡せば、今度はアナタが使う事も可能よ。ただし、譲渡した後も私はこの力を使う事ができる。慣れない内は私がやるわ」

「そりゃありがたい、だが君は中に入らない方がいいと思うな。あんまり見ても気持ちのいいものじゃないだろう。なるべく、苦しまないようにするつもりだが、素手だからね、ちょっと手こずるかもしれない」

「その心配は無いわ。蛹守は変化していくもの。アナタが本当に人を殺すと覚悟できていれば、きっとその為の武器は現れる。そして、将来的にはアナタの魂が繁栄されて、姿形をも変えていくわ」

「へえ、なるほどねぇ……。まあ、先の事は今はいいや。目の前にある仕事に集中しよう」

「…………。ええ、そうね」

 と、話していると、彼女のポケットから規則的な振動音が聞こえてきた。取り出したのを見れば、どうやらそれは携帯電話であるらしい。今は珍しい、二つ折りのタイプだった。

 彼女は通話ボタンを押し、耳に当てた。

「もしもし」

『ターゲット、あと二分でそこに入るわ』

「了解」

 スピーカーから聞こえて来たのは、女性の声だった。なるほど、ちゃんとアシスタントみたいな人も居るって事か。

 コトコは電話を切って再びポケットに仕舞うと、ぼくが質問する前に答えてくれた。

「今のは、私の繋ぎ役。仕事が済んだら、アナタにも紹介するわ。ほとんどの事は彼女が折衝してくれるから、仲よくしてね」

「ああ、もちろんだとも」

 ぼくはその言葉をほとんど聞いていなかった意識はずっと、公園の入り口にあったからだ。ハッキリ言って、少し落ち着かなくなっている。本当に上手くできるだろうか。自分で口に出しはしたけど、やはり初仕事というのは緊張するものだ。失敗したら嫌だなぁ。やっぱり、直前で怖くなって逃げ出したりするのかなぁ。

 わずか数十秒の間だったが、ぼくの頭の中は色々な思考で一杯だった。

「来たみたい」

 しかし、コトコの言葉で、一旦頭にあった意見は全て消え、目標に意識が集中した。見てみれば、やって来たのはヨレヨレの背広を着た、いかにも疲れていそうな男性だった。頭髪はまだしっかりとあるようだが、大量に白髪が混じっている。もしかしたら、気苦労が多いのかもしれない。彼はコンビニの袋を揺らしながら、トボトボと歩いていた。

「暗夜鱗粉、展開」

 コトコはすぐさま黒い靄を撒き、ものの数秒で公園一つ分を覆ってしまった。

「行って」

「了解」

 促され、ぼくは勢いよく飛び出すと、件の男性の前へと躍り出た。

「ひゃあ!」

 そんなぼくの姿を見て、男性は素っ頓狂な声を上げ、持っていたコンビニ袋を落してしまった。そして、驚愕の表情を浮かべたまま、直立で固まってしまった。

「こんばんは、おじさん」

「え? え?」

 ああ、本当に何の身に覚えも無いみたいだ。でも、どうしてだろうか、不思議と抵抗感は少ない。ちゃんと覚悟が出来ているというより、最初からどうでもいいのかもしれない。だってそう、やるって決めてきたんだもんな。

「アンタに用があるんだ」

 そう言った時、自身の腰に何かズシリと重い物が乗ったような感覚があった。そこへ手を伸ばしてみると、棒……いや、柄のようなものがあった。ぼくはそれを掴み引き抜いてみた。すると、鈍色に妖しく光る大鉈が現れたのだった。よく見ると、柄の部分は人の上あごのような装飾が施してあり、小さな歯がびっしりと並んでいた。

「なるほど、これがそうか」

 ぼくが自分の得物を手にしたのを見て、男性はようやくこれから自分がどうなるか理解できたらしく、滝のような汗を流して、顔を青ざめさせた。

「あの、あのの……」

 何を言っていいのか分からないのか、それとも震えて何も言えないのか。

「おじさん、本当はもっとゆっくり色んな話がしたかったんだけど、今日は失敗できないからさ。悪いけど、味気なくいくよ」

「ああああ、た、助けて……、俺、死にたくない……。何もしてない、し。あの……」

「ああ、知ってる。善良なおじさんだよね」

 ぼくは一歩一歩、ゆっくりと近寄っていく。心は騒ぐどころか、不思議と凪いでいた。

「ああああああ!」

 男性は恐怖が臨界点に達したのか、鞄を抱えて走り出した。しかし、すぐに足がもつれ、地面に倒れ伏す。どうやら、普段からあまり運動をする方ではないらしい。大人というのは、現在の身体能力でも若かった頃の情報で走ろうとするので、すぐに転んでしまうのだとか。

 ぼくはその隙をついて肉薄すると、相手の背中を押さえて、大鉈を振りかぶった。

「あ、ああ……や……」

 彼は最後に何と言おうとしたのか。

「…………」

 一瞬の迷いも無かった。ただ、振り上げて、下す。それだけの動作で、全ては完了してしまった。それほどにこの人形の膂力は凄まじかったのだ。

 蛹守の仮面も、手も、身に纏うものすべてに赤い飛沫がかかった。しかし、奇怪な事に蛹守はそれを吸収し、すぐに何事も無かったかのように、元の色に戻っていた。それは、鉈も同じ。この人形は血を啜るのだろうか。それとも、目立たないように隠しただけなのか。それは分からない。

「……ふむ」

 辺り一帯に生臭い匂いが広がり、その臭気はぼくの肺を満たした。それは、自分の行った事の結果報告のようだと思った。無論、達成感など無い。ただ、自分の中にある黒々としたものが少し蠕動したような感覚だけがあった。

 喜んでいるわけじゃない。悲しんでいるわけでも、ましてや後悔しているわけでもない。自分の感情は砂漠のどこかに埋まって乾燥してしまったかのようだった。

 ぼくはしばらく『結果』を眺めていたが、自身の中に何も起こらない事を確認して、その場を離れた。そして、コトコが居る場所に戻り、彼女に相対した。

 何故だろうか、彼女はとても怯えているように見える。

「……どう、だった?」

「どうって……別に。ちゃんとやったよ」

「そう……」

 彼女は膝から崩れ落ちると、地面にペタリと座り込んでしまった。そんな事をしてしまってはワンピースが汚れてしまうんじゃないかと思ったが、今は手を伸ばさない方が良いような気がして、手は伸ばさなかった。

「アレって処分はどうするんだ?」

「今、連絡するわ……」

 彼女は再び携帯電話を取り出すと、先ほどの繋ぎ役とやらにかけ、全てが済んだ旨を伝えた。

「……すぐに、彼女が手配していた回収屋が来るわ。暗夜鱗粉を解除する」

 そう言うと、コトコは黒い靄を再び空中に集めると、再びどこかへ消し去ってしまった。

「蛹守は、操縦者が脱ごうと意識すれば脱ぐ事ができるわ」

「了解」

 ぼくは自身がこの巨体から排出されるイメージを浮かべて、念じてみた。すると、再び視界が無くなり、巻き付いていた何かが解きほぐされていくような感覚を味わった。

 そうして目を開けてみると、その時にはすでに人形は消えており、生身で地面に立っていたのだった。ぼくは無意識に死体がある方向へ体を移動させ、コトコの視界に入らないようにした。

「もう行こうか。立てるかい?」

「ええ……」

「まずは落ち着ける場所に行こう。君の家はどっち? ああ、ちなみにぼくは家が無いんだ。良かったら今夜だけは君の所に厄介にならせて欲しい。収入があれば、いつでも住居は移るからさ」

「……いいえ、構わないわ。私の所に住んだらいい。これからしばらくはパートナーになるんだもの。部屋だって余っているわ」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 ぼくは彼女の肩を抱くと、立つように促し、出口に向かって歩かせた。

 最後にもう一度だけ、先ほどの男性を振り返って見てみたが、やはり特に何の感想も無かった。

 そう、もしも存在というものが認識で種類分けされるとして、この夜にぼくは善良な市民では無くなったのだ。食材が食べれないほどに腐敗してゴミになるように、ぼくもまた、禁忌を犯した事によって、『ゴミ』になった。

 きっと後はもう、埋まって肥料になる他は無いのだと思う。


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