天使
興奮はいつまでも冷めなかったが、ぼくと源一郎さんは目を合わせ、そこから抜ける事にした。本物の族長を救出しなければならなかったからだ。
ぼくは全員を引き連れて族長の屋敷に向かい、総出で探し回った。すると、一番奥の部屋に隠し階段を見つけ、暗闇の中で痩せ細った一人の女性を見つけた。ぼくは回収班の人々に外の見張りを任せ、誠慈郎くんにはカリンガを通じて他家に事情を伝えて巧断家の包囲を解かせるように指示した。
そして、ぼくと源一郎さんの二人で、隠し部屋に幽閉されていた本当の族長との面会を果たした。
薄い浅葱色をした着物に身を包んだ彼女は、弱ってはいても眼光に陰りは無く、こちらをまっすぐと見つめていた。その姿を見て、源一郎さんは「お労しや……」と、顔を歪めていた。
ぼくはまず、彼女の前で跪くと、深々と頭を下げた。
「……そちらは、巧断家の相談役ですね。しかし、アナタは知らない顔です。どの家の方でしょうか?」
「ぼくは鉋木家の人に人形を託された獲児です。ごく最近、この方々と知り合いました」
「そうですか。ここにアナタ方が来たという事は、今の族長は打倒されたのですね」
「はい。ぼくと仲間が討ち果たしました」
「大義でした。私が弱いばかりに、皆には迷惑をかけましたね……。本当に、なんと謝ればいいやら……」
頭を下げようとする彼女を源一郎さんがオロオロしながら止めた。
「とんでもない! お館様のせいではありません。我らが未熟で、奴の蛮行を止められなかったのが原因です。咎められこそすれ、頭を下げられるなど……」
「いいえ、元は言えば……私が赤備えを御しきれなかったのが原因。全ての咎は私にあります」
ぼくは彼女の中に、道徳心を見た。だから、少しだけ胸を撫で下ろし、安心して語りかける事ができた。
「お館様、地上に出る前にぼくの話を聞いて頂けますか?」
「ええ、構いませんが……」
ぼくはこれまで自分が行って来た事、それから今は一族がどうなっているのかという事、コトコの現状などを話した。途中、微に入り細に入り説した為、ぼくの過程事情も話す事となってしまったが、それを聞いている時、源一郎さんは顔を真っ赤にして憤慨していたが、一言も挟む事なく我慢してくれた。
そして、全てを話し終えてから、ぼくはある提案をしたのだった。
「……ぼくが無関係な人間を殺し、世間を混乱させた事は変わりようも無い事実です。そして、新参者のぼくがこのままアナタの側に侍る事があれば、他家から不満も出るでしょう。だから、最後のけじめとして、全ての代表が揃った所で沙汰を申し付けて頂きたいんです。人形を元の持ち主である鉋木コトコに返却し、その上でぼくを死罪にする、と」
そう言った時、源一郎さんは大いに困惑していた。
「ま、待て待て! お前はお館様を救い出した功績があるのだ。そんな事をしては……」
「ぼくの功績に報いてくれるというのであれば、コトコに自由を与えてあげて欲しいんです。彼女が望むように、普通の女の子として生きれるよう取り計らって欲しい。それから、回収班の皆を現状の仕事から解放し、人形を返してあげて欲しい。そして、望む進路が叶うよう尽力してくれれば、言う事はありません」
なおも、説得を試みようとする源一郎さんを制して、族長が静かに言った。
「……それが、アナタの望みなのですね?」
「これ以上、波紋を広げない為にはコレが最善と考えます。全ての責任を、ぼくの首一つぽっちで解決させるのは、お館様の技量次第ですが。まあ、最初の仕事と思って、堂々と達成する事を期待します」
「分かりました。裁量を私に任せてくれるのであれば、引き受けましょう」
「よろしくお願い致します」
ぼくは立ち上がり、彼女に背を向けた。
「それじゃあ、後の細かい事は頼みますよ、源一郎さん」
「……あ、ああ」
今日は随分と色々して疲れてしまった。さっさと家に帰って、熱いシャワーを浴びたい。
去ろうとするぼくの背に、お館様の声がかかった。
「アナタの名前をまだ聞いていませんでした」
「ああ、水瀬です。水瀬呼人。水の瀬から呼ぶ人と書きます」
「水瀬さん。最後に聞きたい事があるんです。どうしてアナタは、自分の命を懸け、咎を背負ってまでその少女を助けたのですか?」
ぼくは少しだけ黙って頭の中で考えを整理してから、こう答えた。
「……人生で一番辛かった時、ぼくを助けてくれた人間は一人も居ませんでした。だからぼくは、せめて彼女は助けてやりたかったんです」
「アナタは、その子の為に戦ったんですね」
「いやいや、それは違いますよ。あくまで、ぼくの為です。コトコが得をしたのは、あくまでキッカケをくれたからってだけなんですよ。元はと言えば、彼女の人形ですし。まあ、納得のいかない事もあるかと思いますけど、ぼくは十分な報酬は貰いましたから」
そこで、ぼくはある事を思い出し、再び彼女らに向き直った。
「そうそう、一族の偉い人にずっと聞きたいと思っていた事があるんでした。実は、コトコの名前なんですけどね、漢字では事故って書くんですよ。これってあんまりいい意味じゃないでしょう? どうして、ご両親がそう付けたか、分かりますか?」
質問には、源一郎さんが答えてくれた。
「時代の流れでほとんど廃れてしまった風習だが、名前に付けた事が起こらないように願うというものがあった。鉋木の父がそういうのに熱心で、妻と随分と喧嘩になっていたのを覚えている」
「はあ、なるほど。本当にそんな風習があったんですねぇ。あ、じゃあもしかして、キョウコさんは……」
「うむ…………。巧断家は女が強いからな。あまり、固くなりすぎて嫁に行き遅れないように、と…………」
「いやあ、何と言うか……それはあまり叶わなかったかもしれませんね」
名は体を表すというし。でも、とにかくコトコのご両親が慈しみを込めて付けてくれたという事が分かったので、十分かな。
「それじゃあ、今度こそ、本当に失礼します」
ぼくは隠し部屋から抜け、外に居た皆に後は源一郎さんの指示に従うように伝え、マンションへと向かって歩き出した。車で送りましょうか、と気を使って貰ったのだけど、何となく歩きたい気分だったので、今回は遠慮しておいた。
田舎の道を歩きながら、ぼくはゆっくりと歩いていく。早く家に戻りたい気持ちも確かにあるのだが、せっかくなので達成感を味わいながら、今まで見る事の無かった景色を見ておこうと思ったのだ。
そうして、色んな所でのんびりと道草を食った結果、家に帰りついたのが深夜遅くになってしまった。
部屋の中はすでに真っ暗で、コトコはすでに眠っているらしかった。ぼくは彼女の部屋をノックすると、一声かけてから中へ入った。ベッドの上で小さく上下する布団を見つけ、彼女へと近づいていく。そして、自分が羽織っていた紋付羽織を掛布団の上からかけてやると、彼女のすぐ側に寄って、揺り起こした。
「コトコ、起きて」
「ん、んんむ…………」
コトコは顔むずがるように顔を歪めてから、薄らと目を開いた。
「このまま、夢うつつでいいから聞いて欲しい。今日、族長が死んだ。だからもう、君が気に病む事は何もかも無くなるんだ」
「……そうなの?」
「ああ、そうだ。いつか、君が聞いた質問を覚えているかい? 戦う意味とは何か、とぼくに問うた。答えを言おう。そんなものは考えなくていいし、無理矢理見つける必要も無い。そんな事を強いる環境ごと全部ぶち壊してやったから。だから、もう二度とそんな事を考えなくていい。これからは、学校へ行って、友達を作って、楽しい思い出をいっぱい作るんだ。血の匂いからは遠い場所で、ずーっと穏やかに……」
「……ありがとう」
「礼なんていらないさ。ぼくが自分の為にやった事だ」
「そうなの?」
ああ、そうさ。おかしいよな。皆、同じ事を聞くんだよ。本当におかしい。
ぼくは自分の生き方を貫いただけだ。決して曲げる事なく、折れる事なく。
誰かの為に命を張ろう。見返りは求めない。ただ、笑っていてくれればいい。ずっと耐えてきた自分を評価してやる為に、最後まで違えるわけにはいかなかったんだ。そして、もう一度ぼくは達成した。とても満足だ……。心がすごく軽い。
そして、もう一つ――――。
ぼくは知りたかったんだ。自分が苦しかった時、もしも誰かが手を差し伸べてくれていたらどうなっていたのかを。ぼくは救われたんだろうか。それとも、更に汚れたんだろうか。あるいは、騙されて利用されていたかもしれない。
両親や友人、知り合い、何の関係も無い他人だっていい。誰かが、絶対に助からないはずだった運命を力技で捻じ曲げて、ぼくを救ってくれたかもしれない。……そんな都合のいい事ってありえるだろうか。
きっと無い。諦めていた。…………でも、本当に? 本当にそうなのか? ぼくは自分の手で試してみたかった。もしも、どうしようもない運命から、この少女を救い出す事ができたなら、ぼく自身の運命を呪ってやろうと思っていた。
でも、それもやめた。一体、誰を責められるというのだろうか。人間には分相応というものがある。弱い人間に救えるものは小さく、少なく、狭い。強い人間なら、大きく、多く、広い。偶然にも、周囲にぼくを助けられるほどに強い人が居なかった事など、どうしようもないじゃないか。皆はぼくじゃない。ぼくみたいに、平然と人を殺して、後で報いを受けるなんて言えるほど残忍ではいられない。
だから、仕方なかったんだよ。ぼくが辿った結末は、正しく流れ、行きつくべき所へ辿り付いたというだけの事だったんだ。何かの間違いで救われるなんて、あるはずもない。
誰かの為に戦った。誰かの為に耐えた。涙を拭い、涙を捨て、汚泥にまみれて地を這ってでも、必死に戦い続けた。しかし、その選択肢がどれだけ愛情に満ちていたとしても、結果に反映されるかは別の問題さ。
「ああ、今ようやく分かった。誰も、何も間違っちゃいなかった。だから、誰も呪うわけにはいかないみたいなんだよ…………」
ぼくは念じ、人形を呼び出した。そして、それをコトコに見せてやった。
「君に返そう。ああ……とても醜いだろう。これを見た誰もがおぞましいという目をしていたよ。でも、これがぼくだ。ぼくの魂なんだ。地獄がお似合いだよ」
「………………」
「君から貰った人形を、不気味に変化させてゴメンよ。でも、返せば消滅するそうじゃないか。一安心だ」
ぼくは唇の内側を噛み切り、彼女の唇へと顔を寄せた。唇が合わさる間際、彼女は小さな声でこう言った。
「私には、天使に見えるわ」
「……ありがとう」
ぼくは彼女に口づけをして、血を送り込むように舌を動かした。すると、背後で佇んでいた人形が少しずつ黒い靄となって、霧散していった。
ほんの数秒の間、互いの体温を感じていた。同時に、自分の中から何か大きな物が抜け落ちて行くのを感じ、深く深く脱力した。
「皆が、幸せになるよ……」
「ええ…………。アナタも、きっと…………」
そう言って、彼女はぼくの頬を優しく撫でてくれた。
「ねえ、ホームパーティーをしましょう。あのテーブルを出して、たくさん人を呼んで、ご飯を食べるの……。私、カリンガに料理を教わるわ……」
「ああ…………」
ぼくは耐えきれなくなって、コトコを強く抱きしめた。強く、とても強く。
「ありがとう、呼人。本当にありがとう……」
「いいんだよ……」
ありがとうコトコ。抱きしめてくれてありがとう。つまらない過去を聞いて、泣いてくれてありがとう。ぼくに救わせてくれてありがとう。
ぼくの幸せを願ってくれて、本当にありがとう。
ああ、
ぼくは、
―――――――間違っていてもいいから、誰かに助けて欲しかった…………。




