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「―――――~~~~ッ!!」

 声にならない叫びを上げたが、彼女はまったく意に介さず、ズブズブと鋭い八重歯をぼくの肉に食い込ませていった。

彼女の温かい唇の感覚が非常に生々しかったが、すぐにもっと緊急的な情報で頭が一杯になった。痛い。とにかく痛い。脳が仕事を開始しても、麻痺するにはまだ時間がかかるだろう。痛みが段々と熱に変わってきた。

 彼女は口を離す間際、ぼくの血を啜るように舐め取っていった。その仕草はどこかとても色っぽく、口の周りが赤くなっているのも相まって、自分よりもずっと崇高な存在であるような気がした。

「ふぁう……。あえででで……」

 下唇を動かさないように脱力させると、まともに喋れたものじゃない。それにしても、いきなり何をするんだこの子は……。随分と積極的というか、むしろ猟奇的な感じじゃないか。こんな歳でアブノーマルな付き合い方を覚えるなんて、将来に影響が出てしまうんじゃないのか。

「ごめんね。でも、これは決まりだから。アナタに、私の凶器を貸してあげる為にはね。もしもちゃんと仕事ができたら、アナタの物にしていいわ」

 何を言ってるんだろう、この子。

「さあ、見せてあげる」

 そう言うと、彼女は目一杯両腕を広げると、瞳孔の開いた目を夜空に向けた。すると、どういうわけか彼女の背後に真っ黒な靄のようなものが広がり、空中に六十センチほどの大きな提灯が二つ現れた。そこには、綺麗な字で御神燈と書かれている。

「今、新しく産もう、蛹守さなぎもり

 彼女がどこかへ向けてそう呼ぶと、背後の黒い靄の中から、大きな腕が二本、ずるりと音がしそうな感じで出てくると、続いて上半身が現れた。その姿は、忍び装束を着た大男にも見えたが、それよりももっとガッチリとした雰囲気があった。よく見ると、露出している肌の部分は木材に似た、ツルツルとした得体の知れない素材でできている。どうやらこれは人形であるらしい。しかし、ぼくが一番目を引かれたのは、顔の部分だった。そこには、温もりの感じられない無表情な仮面があり、目の部分は瞳を越えて周囲まで黒く塗りつぶされた丸が二つあった。

「これは、一体……」

「アナタは、これから中に入るの。そして、操縦する」

 これから何が起こるのか。その一言で理解してしまった。

 大きな人形はぼくの両腕を掴むと、彼女を越えてずいっと寄って来た。そして、胸の辺りが観音開きで中を露出させる。その扉を押し開けたのもまた、人形と同じ素材の細い両腕だった事に、どうしようも無い気味悪さを感じたが、もう何も言えない。

 ぼくはまるで捕食されるようにその中へと誘われると、体中を無数の真っ黒いベルトに巻かれ、視界も奪われた。

だが、少しすると、気づけばいつもよりも一メートルほど高い視界が広がっていた。

「これは…………」

 隣を見ると、先ほどと比べて随分と低い位置に少女が立っていた。

「それは、蛹守。私達が使っている凶器よ」

 その言葉を聞いて、自分が今まさに自在に動かしている体が、先ほどまで正面にあった人形であるという事を理解した。見てみれば、視界に移った自分の手は例の奇妙な光沢の素材である。

「………………」

 何故だろうか、胸の内には奇妙な不快感がある。黒々としたそれを何と呼んだものか。それは言ってみれば、大好物が目の前にあるのに食べられない焦れったさのようなもので、期待や怒り、情けなさが入り混じったものだった。

 そんなぼくの内心を見透かしたかのように、隣にいた彼女はこう言った。

「いいのよ」

 瞬間、まるで体中の血流を把握したような騒がしさの衝動を心中に感じた。

「ああ……」

 何かが、爆発しそうだった。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!」

 内臓が飛び出してしまうんじゃないかと思うくらいの全力の咆哮が口から飛び出した。その快感たるや、これまで経験してきたどんな事にも勝っていると確かに思った。

 奇妙な話だと思う。全てを捨てようと思って来た場所で、とんでもないものを見つけてしまった。それは、この人形でもあり、自身の内でもだ。まさか、これほど狂おしいものが胸の内に眠っていたかなど、考えた事も無かった。

 ぼくは側に佇んでいた、未だに名も知らない少女をそっと抱きかかえ、力強くフェンスを蹴った。そして、建ち並ぶビルの屋上を飛び石のように移動していく。

 飛び跳ねるほどに万能感があった。心の内に潜む何かが歓喜にうち震えていた。気づけば、目から大量の涙が溢れていたが、目を擦ってもその不快感はまるで拭えない。それはそうだ、ぼくが今擦っているのは人形の顔なのだから。

 もはやどうにもならないと諦め、ただ流れるままに置いておく事にした。だって、きっとどれだけ拭いたって止まりはしないのだから。

 飛び跳ねている内に、自分の胸の所を彼女がきつく抱きしめているのに気付いた。それは恐怖ですがりついているのではなく、泣きじゃくる子供を抱く母親のような、慈愛に満ちた抱擁だと、直観的に理解した。彼女がどういう心理でそうしているのかは分からない。ただ、自分の肌ならぬ物を通しても伝わる温かさが心地よかった。

 ぼくは古ぼけたビルの屋上の所で止まると、近くにあった鳥居の根本に腰掛けた。

「悪くない気分だ……。君もこんなにすごい物を持っているなら、何も恐れずに戦えばいいものを」

「私の人形よりもずっと強いのを持っている人がいるから、無理な話だわ。それに、族長が指示すれば、他の人々も従わなければならない。きっと、沢山の同胞と戦わなければならくなってしまう」

「そうなのか。それはまた、酷い話だ……。でも、もうそんな事は気にしなくていいさ。ぼくが全部引き受けてあげるよ。君は重荷を全て下ろして構わないさ」

「……まだ、全てをアナタにあげたわけじゃないわ。ちゃんと仕事がこなせたらって約束だったでしょう?」

「ああ、いいとも。ぼくがキッチリこなして、もう一度同じ事を言ってあげよう」

「……あっち」

 彼女は少し居心地悪そうな表情をしてから、東の方を指さした。

「了解、細かい指示はその都度でお願い。おっと、そうだ……ところで君、名前は何て言うの? まだ聞いて無かった」

「……鉋木事故かんなぎ ことこ

「いい名前だね」

「適当な事を言わないで。私の漢字はね、交通事故の事故と書いて、コトコと読むのよ? 思いがけず起こった悪い事、って意味。苗字も最悪だわ。神無期とも変えられるもの。これのどこが、いい名前なのよ」

「神も無く、故無き事がある、か。まあ、苗字に関しては気にし過ぎって気もするけどね。君の家庭環境については知らないから何も言えないけど、ご両親は君にどのように接してくれたんだい?」

「普通だったわ……。いいえ、きっととても愛してくれた。でも、だからこそ分からないのよ。どうしてこんな名前をつけたのか。聞いても教えてくれないし」

「まあ、ご両親にも考えがあるんだと思うよ。それはきっと、時が来れば教えてくれるさ」

「そんな時は来ないわ。だって、両親は二人とももう死んでしまったもの。しかも、交通事故で。まるで悪夢だわ」

「……それは可哀想に。そうだな……、どこだったかは忘れたけど、子供に敢えて悪い名前を付けて、それが叶わない事を祈るっていう文化があった気がするよ」

「それは本当?」

 いや、実は嘘だけど。

「思うに、君のご両親だけでなく、事故で亡くなる方が他にも居たのではないだろうかな」

「……叔父さんと、従兄がそうだったわ。でも、それはこういう仕事をしているから……」

 ふうむ、もしも彼女の両親が本当にぼくの考えたような法則で名前を付けたのだとしたら。一族の人間が事故で亡くなるのが多い事を知っていたのかもしれない。ふふふ、事故……、事故ね。いくらなんでも不自然だよな。もしかしたら、その内の何人かは、謀殺されたのかも……。いや、あくまで想像だけどもね。真実は分からないさ。

「アナタは名前なんていうの?」

「ぼくは水瀬呼人みなせ よびと。ぼくのも大概だぜ。水際に呼ぶ人、だ。よくない意味にも取れる」

「そうじゃないかもしれないわ。とても美しい場所へ誘ってくれる、という意味なのかも」

「どうもありがとう。君の名前にも、ポジティブな解釈が見つかる事を祈ってるよ」

「……どうも。さあ、もう行って」

「了解」

 ぼくは彼女が落ちないように気を付けて、再び地面を蹴って夜空に躍り出た。


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