カフェ
…………………。
二日後、ぼくは近所にあるカフェを待ち合わせ場所に指定し、少し早めに行ってコーヒーでも飲もうかと、三十分前に到着した。すると、そこにはすでに見知った赤色のポニーテールがいたのだった。
「やあ、カリンガ。随分と早いじゃないか。君もコーヒーかい?」
「まあね。別に予定も無いし、たまには外でゆっくりするのもいいかな、と思ったのよ」
「ぼくと一緒だ。……あ、すいません、ホットコーヒーを一つ」
近くを通りかかったウェイターさんにそう言い、ぼくは再びカリンガに向き直った。
「それで、頼んでた調べモノはどうだった?」
「そうね、例の彼は意外と黒かったわよ。といっても、別に違法な事はしてないんだけどね。ガードの甘そうな成金を狙って、儲け話を持ちかけるのが常套手段みたい。でも、その筋では意外とヤリ手で、相手から食いついてくるように仕向けるのが上手い。そして、大きな儲けは出さないけど、小さく手堅く稼いで見せて信用を得る。そして、大物ぶってコンサル料をせしめるって感じ」
「何だ、別に悪い人じゃないんだな」
「そうね。最近は物凄く情緒不安定らしいわよ。まあ、とんでもない人に気に入られちゃったからね」
「族長か……」
「そういう事。彼はそれなりに賢いし、経験もあるけど、あくまで普通の金持ちを相手にしてきたからね。何かあったらいきなり首を飛ばされるようなのは専門外なんでしょ」
「という事は、丘崎さんも近い内に族長の不興を買うかもしれないな。しかも、そう遠くない内に。だったらまあ、それが少し早まっても問題無いかな」
「かもね。彼を使って何かするの?」
「まあ、それはおいおい、ね。今は、彼の事が少し分かっただけで十分」
その時、丁度コーヒーが運ばれてきたので、ぼくは目前に置かれたカップを持ち上げ、中身を一口すする。口中に苦味と微かな渋味が広がり、豆の香りが鼻から抜けていく。
「ぼくはコーヒーの味については素人だけれど、これは美味い」
「そう? 普通だと思うけど」
そうですか。いや、素人だけどってちゃんと言ったからね。
しばらくの沈黙の後、カリンガが少しもじもじしながら聞いて来た。
「ねえ、アンタってさ…コトコと巧断家の人、どっちが本命なの?」
むせて吹き出しかけたのを寸で止め、ぼくは紙ナプキンで口の周りを拭った。
「……いきなりだね。一体、どうしてまたそういう疑問が出たのか教えてもらえるかい?」
「いや、だって工場見学の時も割とまんざらじゃない感じだったし、向こうの態度が軟化してきたのも気づいてたでしょ? 私は今まで、アンタって小さい女の子にしか興味が無いと思ってたからビックリよ」
「ぼくはコトコをそういう目で見てはいないよ。もちろん、キョウコさんもね。彼女とは普通に話してただけだし、コトコとは一つ屋根の下で暮らしていても何も起こってないじゃないか。そうだろう?」
「いや、もっとマニアックなセクシャルなのかなって思ってて。何て言うか、見て喜ぶタイプの変態? ああ、そういえば私が最初に行った時は見せるタイプだったわね。もしかして、コトコに色々と汚いブツを見せてるんじゃないの?」
「そんな事はしてないってば。一緒にお風呂にだって入ってないしね。まあ、未遂まで行ったんだけど。いやあ、風呂場って怖いよね。どこもかしこも堅いからさ、ちょっとした事ですごい痛いんだよ」
「知ってたけど、死ねよ変態」
「何か久しぶりに言われた気がするな。まあまあ、君が興味を持つのも分かるが、そういう事は無いから」
と、そこで待ち合わせていたもう一人がやって来た。
「アレ!? あの、もしかして俺……時間を勘違いしてました?」
時計を見てみると、集合時間の十分前だった。
「いやいや、君は遅れてないよ。ぼくらが偶然、少し早めに来ていただけだから。気にしないで」
「ああ、そうですか。良かったー……。それで、何か盛り上がってたみたいですけど、何のハナシしてたんですか?」
ぼくが答えようとしたが、それを遮ってカリンガが言ってしまった。
「アンタの姉を、この人が娶ろうとしてるって話よ」
「ええっ!? 水瀬サン、本気ですか? いやいやいやいやいや、やめといた方がいいですよ。ウチの家って代々、女が強い家系なんで、男が苦労するんです。ホントすごいんですよ。拗ねるわ、文句を言うわ、可愛くないのに愛されてないと気が済まない、独占したがる。もうね、苦痛以外の何物でも無いですよ!」
「肉親からの意見だと、情感たっぷりで非常に生々しいな……。安心してくれ、ぼくはお姉さんとそういう関係になる気は無い。カリンガにもそう言った」
うろたえる男二人を愉快そうに眺めながら、カリンガはぼそっと呟いた。
「でも、お風呂は覗いちゃうかも。コトコみたいに」
その発言に、誠慈郎くんは大いに狼狽えた。
「そ、そんな! 水瀬サンってそういう趣味だったんですか? いくら何でも、それはマズイですよ……」
「誤解だ。ぼくはあくまで、家族としてコミュニケーションを深めようとしただけだ。決して、やましい気持ちなど無かった」
あったけどね。
「いや、仮に血が繋がってても、あの年齢で一緒にお風呂は無いですよ。ああ、でも良かった。水瀬サンの本命はカリンガさんですもんね!」
予想外の逆襲に、今度は彼女がコーヒーをぶちまけそうになった。
「ゲッホ、ゲッホ! 何でそうなるのよ! こんな、キ〇ガイお断りよ!」
おいおい、遂にすごい単語が飛び出したな。まあ、仕方ないけど。
「いいかい、誠慈郎くん。君の中にどういう基準があるのかは分からないけれど、カリンガだってコトコよりは年上だとしても、それほど変わりはしない。両者とも、もっと成長しないとダメだよ」
「えっ……だって、カリンガさんはこれ以上、成長しな……あ、やべっ」
「え?」
そこで、ぼくはカリンガを見た。露骨に顔が青ざめてる。どういうリアクションだ、それは。
「……君、今年でいくつだ」
「女性に年齢を尋ねるのはタブーだと思うわ。最低限のエチケットでしょ?」
「ベルリンの壁は……」
「もちろん、生まれた時には崩壊してたわ! 当然でしょ!」
「一番好きなアイドルユニットはシブがき隊か? それとも少年隊か? アイドルは山口百恵ちゃんか?」
「ちょっと、どんどん遡らないでよ! 詮索しないで! 私は見た目通りの年齢!」
「ぼくにはもう、君が年上にしか見えない」
「死ね! ああー、もう! ちょっとアンタ、何て事を暴露してくれてんのよ!!」
ついに矛先が誠慈郎くんへと向いた。まあ、発端は彼だからな。
「すいません……。いや、でもホラ……これで合法じゃないですか。ねえ、水瀬サン?」
こっちに返すな。気持ちは分かるけど……。
「まあまあ、三人揃ったことだし、昼食を食べよう。な? ほうら、このクラブハウスサンド、とっても美味しそうだ。何が入ってるのかなぁ?」
ぼくは努めて爽やかに語りかけた。しかし、カリンガの目つきから険しさが無くなる事は無かった。
「……私はお風呂覗いたら、千切ってやるから」
ひぎぃ。今日は発言が過激ですねぇー。これは若作りとかババアとか安易に言っちゃうと、本当に女の子にされちゃうかも。
微妙な雰囲気のまま、とりあえずそれぞれが昼食を頼み、運ばれて来て食べ終えるまでほとんど会話らしいものをしなかった。
しかし、先に食べ終えた誠慈郎くんが思い出したように、ぼくに話しかけてきた。
「あの、水瀬サン。実は指示されてた、俺らの強化案なんですけど……」
「ああ、アレね。どうだろうか、上手くいきそう?」
「ええ、指示して貰った分は何とかなりそうです。それで、実は俺なりに追加の強化案について思いついたんですけど、それをですね……ちょっとまとめてきたんで、見て貰えませんか」
そう言うと、彼は自分の鞄から三枚ほどの紙束を出してこちらに寄越してきた。受け取って内容を読んでみると、丁寧な絵と解説、それから実現に当たって必要な資金などが細かく書き込まれていた。
「ユニークだ。ははは、なるほどね、こりゃいい。うん、これなら是非ともやって貰いたいくらいだよ」
「そ、そうですか! ありがとうございます!」
彼も変わった。以前のどこか怠惰で不健康そうな雰囲気は薄れて、どこかギラギラとした目をするようになった。モチベーションの有無だけで、人間というのはこれほど明確に変化するものなのか。
「次の戦いも近い。大急ぎで頼む」
「分かりました! あの、それじゃあ、これから早速行ってもいいですか?」
「ああ、もちろん。ここは払っておくから、行ってくれ」
「はい!」
誠慈郎くんは鞄を引っ掴むと、軽く会釈をして小走りで店内を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、自分だけ頼んだデザートを頬張りつつ、カリンガが言った。
「彼、なんか明るくなったわよね。それに、フットワークも軽くなった」
「君もそう思うかい。やっぱりそう思うよなぁ。まあ、気分が変わったならいい事だ」
「これも、素晴らしい上司に巡り合えたおかげって事?」
「いやいや、今までが酷過ぎたんだよ。ぼくなんて、ロクな奴じゃないぜ」
「そうよね」
せっかく持ち上げてくれたから、気持ちよく謙遜したというのに……。あんまり、付き合ってくれないとはな。
「それじゃあ、カリンガ、君にもそろそろ本格的に悪事を働いて貰おうかな」
「気乗りしないけど、しょうがないから引き受けてあげる」
「頼んだよ。この分野だけは君以外じゃどうにもできないからね」
さて、そろそろ整いつつあるって感じか。あとは、イレギュラーが起きないよう祈るしかない。まあ、そこまで潰せるほど臨機応変に対応できれば満点、かな。




