捕食
ぼくは目を閉じ、体を脱力させた。しかし、その時―――――
「りゃあああああああああああああ!」
誰かが駆けて来るのを感じた。反射的に目を開け、飛び込んで来た光景が信じられなかった。
「誠慈郎!?」
かの青年は生身で花断に肉薄すると、雑巾を出現させて腰の辺りに抱き着いた。
あまりの事態に驚いたのはぼくだけでは無いらしく、源一郎もまた動きを止めてしまっていた。
「誠慈郎くん……。やめるんだ。ぼくが死んでも君たちは安堵される」
「そんな事知るか! 俺は……俺はアンタに付いたんだよ! アンタだけが俺達に手を差し伸べてくれたんだ! 今まで、誰からも煙たがられて、見下されて、バカにされてたのに……。嬉しかったんだよォ! 戦おうって言ってくれたのがさぁ! アンタがどんなに酷い奴だって構わないんだ! 俺は、俺はああああああ!!」
きっと、泣いているのだろう、ひどい鼻声が聞こえる……。
「誠慈郎! お前、このまま自分の意を通すというのならば、もろとも切り殺すぞ!」
「やればいい! 俺はもう、お前らに使われるだけの道具じゃねぇ!」
人形の性能を考えれば、花断なら振り払う事は難しくない。今、源一郎は自分が知る若人の覚悟を試そうとしているのかもしれない。
一向に退かない誠慈郎を見て、しばし逡巡した。その瞬間、周囲から数体の雑巾が現れ、花断に絡みついた。
「水瀬サン! 逃げて下さい!」「お願いします! 早く!」「逃げて!」「逃げて!」
――――逃げて。
「ぬう! お前らもかぁ! 言っておくが、刃向う者は後で命乞いしても、必ず殺すぞ!」
「やればいい! どうせ生き残ってもマトモに扱われる事なんて無いんだ! だったら、ここで人間として死んでやる!」
ほとんど名前も知らない人間ばかりだった。しかし、彼らが自分の命を顧みずに抗っている。それが、どれほどの幸福であり、どれほどの責め苦なのか……。今、身を持って知った。人を率いれば、志半ばで部下が死ぬ。自分を守って、誰かを守って、死んでいく。それでも前を向いて、意地汚くも生きなければならない。ぼくが選択したのは、そういう道だったはずなのだ。
「うおおおおお…………」
機体が動かなくとも、中身を排出する事はできるかもしれない。そう思い、必死にもがいてみるも、どこかが歪んでいる為か、開ける事はできなかった。
それでも、とにかくもがき続ける。どうにかなれ、どこか動け、と念じながら体をじたばたとさせる。しかし、人形はピクリとも動いてくれなかった。
その様子を見ていた源一郎は、重苦しく口を開いた。
「お前たち、見上げた根性よ。全員が、立派な武士であり、漢である。……すわ、覚悟を決めろ! お前らの心意気を通し尽くせ!」
ボルトカッターの刃が、ある一体の雑巾の首元に当てられた。
「やめろ! やめろおおおおおおおおおおおおおお!」
それは誰に言ったものなのか、とにかく自然と声が出ていた。どうしようもない、本当にどうしようもないのに、出てしまっていた。こんなの、ぼくの流儀じゃない。ああ、でも……この感情は紛れもなくぼくの物だ。苦しい。苦しい……。いや、ずっと苦しかったんだ。気軽に、今日死んでもいいと思うくらい、ずっと苦しかった。でも、それしか無かったから、分からなかったんだ。どうしようも無かったから、幸せな思い出から先に消して、辛かった事だけを残した。そうすれば、いつだって平気だったから。
でも、今は守られて、期待されて、幸せだった。だから、何でも無いと思ってた事が、死にそうなくらい辛い……。ぼくみたいな人殺しのクズ、人々に唾を吐かれてドブの中でグチャグチャになって死ぬのが正しいのに、こんなのおかしいじゃないか。
間違ってる。絶対に間違ってる。こんな所でいい目を見て死ぬなんて、許されていいはずがない。だから、ここで死ぬ事は断じてできないッ!
最後まで貫いて、最後まで責任をとって、全てを綺麗に終わらせるまで戦うんだ!!
「アアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!」
腹の奥で、ゴボゴボと得体の知れない感覚が湧き上がっていた。
それは怒りだ。
それはきっと嫌悪だ。
だから、これは…………ぼくの悪徳の結晶だ。
サリサリサリサリサリサリ………。きっと、あの虫は歩く時、そんな音をさせるのだ。その足音は、悪事を働く時にどこからともなく聞こえてくる。
突然、源一郎が握っていたはずのボルトカッターが何かに弾かれた。それをやったのはぼくだが、どうしてそんな事ができたのか、まるで分からなかった。ただ、自分の蛹守がビクンビクンと不気味に蠕動し、その体が急激に作り替えられているのは分かった。
ああ、体が動く。腕が動く。足は…………たくさん、動く。
表情は見えないが、源一郎が驚愕しているのが分かる。そして、狂おしいほどの嫌悪感もまた、ぼくは感じる事ができる。
「ムカデ……?」
誰かがそう言ったのが聞こえた。瞬間、ぼくは奇妙な事に自分自身の姿を全て把握する事ができたのだった。
裂けた腹からムカデの胴体のようなものが飛び出し、下半身だったものが縮んで尾のようになった。上半身は人の形を保っているが、胸は灰色の肌の上に更に黒いアバラがあり、両腕と背中は鎧を着たようになっている。頭から顔まで鈍く光る金属製の西洋兜のようなもので覆われており、やはり目の周囲が黒く塗られている。兜の口の部分にはスリットがあり、そこから朱色をした巨大な二本の牙がせり出していた。異様な事に、牙がある場所とは別に、喉にも口があった。
そんなぼくを見て、源一郎は今まで見た事も無いほど明確に動揺しているようだった。
「お、お前……なんだその姿は……!! 人形は絶対に人間以外の形になんてならないんだぞ! なのに、何なんだその化け物じみた姿は! 一族の歴史上、一人だって……」
「……皆、下がっていてくれ。もう、大丈夫だから」
ぼくがそう言うと、あっけにとられていた回収班の人々は人形を仕舞って、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。そして、囲地を離れて十分に距離を取ると、戸惑いの表情でこちらを観察した。
きっと、彼らもぼくが復活した事は嬉しいのだろう。しかし、その姿があまりにも不気味で常識外だったので、どう反応していいのか分からないのだと思う。
対して、源一郎は完全に恐慌状態となっていた。彼がどれだけの戦歴を積んでいるとしても、人型以外の人形を相手にするのは史上初なのだ。恐怖が起きるのも無理は無い。
だが、それでも年の功か、彼はすぐに気を引き締め、武器を構えた。
「……お前がどれだけ化け物じみた変身と遂げたとしても、習わしとして一つだけ聞いておかなければならない。その人形の名前は、何だ」
「『悪徳ノ宮』それが多分、コイツの固有名だ……」
「禍々しいのは、名称もか……。その姿は、自然と人間に嫌悪感を与える。きっと、歪んだ心の発露なのだろうな。人形を見て、中身の人間に恐れを感じたのは初めてだ」
「アナタがたの一族は、どういうわけか優しい人が多いから。こんなのが生まれる事も無かったんだろう」
「……分かっているのか? お前の魂は、もう歪みに歪んで、人間の形をしていないという事に他ならんのだぞ! 散々、悪事を働いた結果ではないのか!?」
ぼくはムカデの下半身をくねらせ、いつかそうしたように、自身の殺意を意識する。すると、自分の手が何かを握る感覚を得た。それは先端を三つに分かれさせた、三叉戟と呼ばれる武器だった。
「いずれ報いは必ず受ける! だが、まだここで死ぬ事を良しとしないッ!!」
ぼくは得物を振り上げると、それを横薙ぎに振るった。相手は右肩を突き出すようにして、攻撃を防御すると、すぐにボルトカッターを振りかぶった。
攻撃は相変わらず通じない。やはり、ただの武器では歯が立たないだろうか。いや、相手がそうであるように、これにも何かあるかもしれない。もしかしたら、それもまた、イメージだろうか。だとしたら、ぼくはあの強固な守りを食い破ってやりたい。剥ぎ取って、晒してやりたい。
そう思うやいなや、三つの刃から紫黒色の煙が出て、それは人間の口に酷似した形へと変化した。それがどういう効果をもたらすのか、考える暇など無く、まずは使ってみるしないと、今度はわき腹へ目がけて突いた。
先ほどの攻防で、三叉戟が脅威にならないと判断したのか、源一郎は再び防御行動を取らなかった。しかし、それは悪手だったと言わざるを得ないだろう。
刃先にこびりついていた口は、花断の脇腹に到達するや、表面を覆っていた黒いモノに噛みつき、それを引き剥がした。それによって、相手に刃が通り、相手を吹き飛ばす事に成功したのだった。
「ぐああああ! な、何……を……」
この結果による相手の狼狽え方は驚くほどに露骨だった。もはや腰が引けており、先ほどの勇敢な構えではなく、いつでも飛び退って逃げられるように構えていた。
「なるほど、これはいい……。固有名が無い相手を侮るだけの事はある」
「気色悪い武装を! そんな、武器があってたまるものか!」
「今更、そんな事を言っても仕方ないですよ。さあ、さっきの仕返しをしなければ。その人形はもういりませんよ。中身を引きずり出して、ズタズタにしてやる」
そう言って、ぼくが戟を構えただけで、源一郎は小さく悲鳴を上げ、一目散に逃げ出してしまった。しかし、ぼくはそれを追わない。彼がどれくらいの人物なのか、知っているつもりだから。
彼は崖を登って囲地を抜け出すと、再び武器を弓に変形させた。
「お前の罠、有りがたく使わして貰うぞ!」
矢を放ち、そして地面に転がっていた、剥がれた装甲に当てた。火花が散り、それが地面に染み込んでいた油に引火した。爆発的に火が一気に燃え上がり、巨大な火柱が立ち上った。辺り一帯に熱波と衝撃が及び、その場にいた全ての人間があまりの威力に胆を潰した。
明らかに仕留めた、源一郎はそう思っただろう。ぼくは炎の向こう側で揺らぐ景色の中に弓を握った人形を見つけ、ゆっくりと近づいて行った。
サリサリサリ…………サリサリサリサリ…………。
炎から自分が飛び出して来たのを見て、彼が愕然としたのが分かる。ぼくの背中に、いつからか金色の輪が現れ、それが回転して周囲の炎を吸収していたのだ。
「残念でしたね、源一郎さん」
彼はとうとう本格的にパニックに陥ったらしく、意味の分からない言葉を叫びながら矢を放って来た。一本、二本…………三本目が額に命中しても、丈夫な兜はソレを弾いた。
ぼくは全速力で彼に接近する。多脚でのメリットは、やはり急こう配でも難なく登れる事だろうか。そして、二本脚の時よりも少しだけ――早い。
凄まじいスピードで殺到してくるぼくを見て、彼はどんな感想を持ったろうか。果たして、どんな事を考えているのだろうか。
源一郎はたまらず森へと駆けだした。先ほどとはまるっきり立場が逆転してしまっているのが、何故かとてもおかしかった。
彼は逃げる。とにかく、なりふり構わず逃げていく。武器を捨て、プライドを捨て、何よりも命を惜しんで走って行く。そんな彼を見るのがどこか忍びなくて、どこかもっと恰好いい姿を想像していただけに、落胆を堪えきれなかった。
どれくらい逃げたのか、彼は大きな木の根元にたどり着くと、そこで膝をついた。
「ハァ…………ハァ…………」
その荒い息遣いは、疲れによるものか、恐れによるものか。どちらだとしても、彼はとても可哀想に見える。そう、とても、とても…………。
サリサリサリ……。
「ぐぅ!」
足音を聞くだけで、あんなに狼狽えている。可哀想に、あんなに周囲をキョロキョロと見回している。でも、それじゃあ見つけられっこ無いさ。
ぼくは大樹の幹から空中に体を躍らせ、彼の上に着地。すぐさま絡みついた。蛇のようにぐるりと相手の体を巻き、強く締め上げる。それだけで、彼は大きく叫び声を上げた。
しかし、それは決めてじゃあない。
ぼくは彼の正面に上半身が来るように体勢を変えると、人形の肩を掴んだ。
「やめろ! 何をする気だ!」
「最後まで目を開けてられたら褒めてやるよ」
自分の人形がゴキゴキと不快な音を立てながら、首を少し変形させる。そうして、大きな牙で相手の頭を挟み込むと、二つ目の口がせり出してきて、相手の顔に噛みついた。
「ああああああああああああああああああ! やめろおおおおおおおおおおおおお!!」
それはできない相談だ。
「アナタの負けですよ」
彼の悲痛な叫び声を聞きながら、ぼくは人形を噛み潰した。
…………………。
どれくらいの時間が経ったろうか。ぼくは人形を仕舞い、木の根元で立ち尽くしていた。周囲には誠慈郎たちが遠巻きにこちらを眺めている。彼らには事が済むまでは何もしないよう言っていたからだ。
清涼だった森の香りは今、強烈な死臭で上書きされている。そこかしこに、かつて人だったものが転がり、もはや元が何だったのかすら分からなくされていた。
嫌な気分だ。殺す時は一瞬で済むが、その後で壊す行為はとにかく気分が悪い。人形が覚醒して、とことん残虐な気分だったからこそ、できたというべきか。
「……誠慈郎くん。そろそろ引き上げようか。こんなにしてしまって、すまないね。片づけを手伝うよ……」
「いえ、水瀬サンは先に戻って下さい。俺らこういうの慣れてますし。それに、すごく疲れたでしょう」
「申し訳ないけど、今回はその言葉に甘えさせてもらうよ」
「いえ……」
「君も複雑な気分だと思うが、何とか堪えてくれ」
彼は小さく「ウス」と返事をしたっきり、すぐに仲間に指示を出し始めた。
それにしても、本当に疲れた……。ようやく、自分の疲労感を意識できる程度には、興奮状態が解けてきたらしい。そういえば、今日はとにかくよく走った。帰ったら、熱いシャワーでも浴びて、フカフカの布団に潜りこみたい。
電波が通じる場所までやって来たので、今日の顛末をカリンガに報告しておいた。




