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Die fantastische Geschichte 0  作者: 黄尾
思い出の未来
54/56

0-54: 希望の毒を飲み干す女

【0-54: 希望の毒を飲み干す女】


 繰り返し思い出す姿がある。幾度の輪廻を越えても、到底消すことの出来ない、鮮明にして永遠に輝くものだ。

――選ぶが良い。魔界の片隅で強者に貪られ塵芥(ちりあくた)同然に死ぬか、我輩に下り、新たなる地にて強者と成るか

彼女の種族は滅びを受け入れ、広大なる魔界の大地にひっそりと骨を埋めるばかりだった。女ばかりで餌になる男も居ない、枯れた故郷の地。そこに訪れたのは、野望に目を輝かせ、大それた理想を掲げる、若い男だった。

――我輩は魔竜王の地を征服し、新たなる魔界を築く。人間などという脆弱なる種に奪われし聖地を、魔族の手に! そこに立つのは干からびた老吸血鬼でも、腐肉に群がる餓狼どもでもない!

彼の後ろに居たのは弱小と蔑まれ、競争に敗れ追いやられて来た魔族ばかり。数を揃えただけで、上級魔族の手に掛かれば一瞬で消し飛ぶ程度の「魔王軍」。

――古き魔族の血を守りし同胞よ、今こそ新たなる国へと旅立つのだ! 我輩こそが、真の魔王である!

 それでも彼は立ち上がった。その事実があれば、他に彼を「魔王」足らしめるものは必要無い。その時から、彼を希望として生きてきた。かつて魔竜の王が支配していたという、海を越えた地で、彼らは再起を図るはずだった。


 人間との争いの最中、魔王から与えられた加護が消えた。魔王軍に属するだけで与えられる強化の魔法。彼女の魔王は召喚や付与の魔法が得意だった。それこそ加護を与えるなど、彼の意思とは無関係に発動できるよう仕込まれていた、はずだった。それが消えるなど、意味するところは一つしか無い。

 そして魔王の死による混乱の中、統率を失った魔族は再び追いやられ、人間たちは「英雄」に喝采を浴びせた。

――その功績を称え、汝らに贈る名は〈グランディア〉。偉大なる英雄、ライオネル・グランディアとその妻アンヌに永遠の祝福を!

 永い悪夢の始まりは、そんな言葉だった。


 女の細い手首がくるくると回る。たおやかな指が握っているのは剣の柄だ。柄頭はドラゴンの頭を模しており、おそらく柄は身体、鍔は強靭な翼を表しているのだろう。尾にあたる刃は、今は鞘に覆われている。鞘も柄も赤い地色に金の紋様を施された豪奢な剣が、最後にその刃をも赤に染めたのは、数百年、あるいは数千年も前のことだ。

 剣は粗雑に振り回され続けている。しかしどんな扱いをしようと、鞘から抜けることは無いと、女は知っていた。女の髪も血のような赤だが、剣の華やかな色の装飾とは、全く違う色に見える。赤眼の奥から覗く輝きも何もかも、女は暗く淀んでいた。

「なぜ魔族には応えないの? あなたを討ち倒したのが人間だったから? ……魔竜王が聞いて呆れたわ。どうせ負けた原因も、人間に絆されたとかそんなことなんでしょう」

一人語り掛ける女――メアリアーゼは苛々と剣を放り投げた。回転し落下した剣は、途中でどこかの空間に繋がる穴の中に消える。そして荒廃した大地に降り立った。

 この空間は、少し歩くと様相ががらりと変わる。明らかに自然のものではない。ただ〈災厄〉に呼ばれた者たちそれぞれが、それらの風景をどこか見覚えがあると感じることから、おそらくはこの世界に召喚された彼らの記憶に依拠した空間だろうとは思われていた。不定の世界は存在する者たちの感情の影響を受けるのか、まだ見たことのないものへ変化することもある。

 足元が死の荒野から一転して、赤い絨毯の引かれた床へと変化したのを受けて、メアリアーゼは背後を振り返った。歩いて来た女は、元は宮廷魔術師だったという。これは彼女の記憶にある王宮なのだろうか。

「また繰り返すつもりかしら」

「そんなに警戒しなくても、まだ取り返しのつく内は使わないわよ」

魔女ベルキスが他の者に話し掛ける要件など、数えるほどしかない。彼女の可愛い愛弟子に関わることや、他の者の行動によって彼女が被る不利益への抗議など。今回は後者だろう。あるいは、異世界に愛弟子が知らず囚われ続けていることへの不満か。何にせよ、今のところメアリアーゼはドラゴニアを使うつもりは無いと伝えるだけだ。


 それでもまだじっと自分を見つめ続けるベルキスに、メアリアーゼは一方的に語り始めた。

「話してたかしら? フィアナの人間に二つの牙を与えたドラゴンは、世界を支配していたらしいわよ。本当は広い魔界の片隅の、たった一つの大陸でしかないのに。人間は海の向こうに地獄が広がっているとも知らずに、小さな土地で世界が完結していると思っているのよ! どこまでも愚かよね」

 メアリアーゼたち魔族がどこから来たのか、元の世界の人間たちは知らなかった。せいぜい最果ての海の更に向こうは、異界へと通じているのだと思っていただけだ。そして、魔族はその世界において異質な存在であると考えていた。本当は、数多くの魔族が群雄割拠する「魔界」においては、人間の方こそ少数派の種族であるというのに。

「侵略? 私たちは元々その地を治めていた魔族がいなくなったから貰い受けに来ただけ。何かを得ようと思うなら、力でその正当性を示すのが魔族の流儀。あの『魔界』で魔族の掟に従わない道理はないわ。魔竜の王を倒した人間の王は強かったから、あの地を奪い取った。それには誰も文句は無いわ。でも魔王様が人間の王を討ち取ることを侵攻だ残虐だと、悪として騒ぎ立てられる筋合いも無い」

 メアリアーゼは別の世界の「人間」に向かって人間を蔑む。黙って聞いているベルキスの視線には、憐みが籠っている。それが余計にメアリアーゼを苛立たせるようだ。

「……魔王様も可哀想にね。頼んでもいないのに生かされる」

「人間風情に何が分かるって言うの? 私たちはあと少しで、安息の地を得られるはずだった。魔界は弱肉強食なんて言うけれど、下級魔族は強くなることすら許されないのよ。生まれた種族の違いだけで、数千の時を虐げられて過ごすなんて許せる訳がないわ」

「その向上心は素晴らしいけど、肝心なところは魔王頼り? 魔王が復活しないとどうにもならない侵略なんて、初めから成功するはずもなかったのよ」

「イオルム様の邪魔をしたあなたがそれを言うの?」

そして(まなじり)を吊り上げ、ベルキスに詰め寄った。これまで巻き戻しを行ってきた要因を、彼女も少なからず作り出していたからだ。

「あの時あなたが出しゃばらなければ、グランディアは死んでいた。あなたの弟子とかいう小娘にも見捨てられてね」

 メアリアーゼは、クロスヴェルトでの繰り返しの中で、確かに何度か復讐を遂げている。その経験の中で、あの火の封印を巡る戦いが、一つの分岐点であると分かっていた。何せ彼女はずっと、戦士達が他の〈災厄〉側の者たちと戦っている様を、近くに隠れ静かに観察し続けたのだから。

「見捨てさせて、の間違いよ。セドナは優しい子だもの。彼が無理矢理転移でもさせない限り、あの子は見捨てるなんて出来ないわ」

「あら、よく知ってるわね。その通りのことが確かに過去に起こったわよ。弱いくせに、よりによって自分を嫌ってる小娘を庇うなんて、笑っちゃったわ」

 不仲の二人と魔王イオルムの戦いは、助けを呼ぶ間もなく始まる。そして魔法の応酬で消耗した少女を、憎きグランディアは自らの魔晶石で転移させるのだ。宿敵が自ら退路を断ち一人になるなど、そんな絶好の機会は早々無い。だから以前のメアリアーゼはそこで戦いに介入していた。所詮は脆弱な人間だ。殺すなど容易いはずだった。


 だが結果は現状の通り。今回のようにベルキスが現れたり、あるいは他の戦士達の助けが間に合ってしまったりして、殺し損ねることもあった。だが最も多いのは本懐を遂げた後、フィリオンの追跡を逃れられずに、自ら継続を断念してか彼の手によってか時間を巻き戻すものだ。かねてから彼の才には目を掛けていたが、まさか過去の父親の死による存在の抹消を、竜槍による自己の境界線の書き換えで相殺することが出来るほどだとは思わなかった。

(あの気迫を普段から出せば「魔王」にだってなれるのに。人間の範疇(はんちゅう)に収まるなんてもったいないこと)

メアリアーゼには、フィリオンがあれほどドラグニールの力を恐れる理由が分からない。竜の双牙同士で争うことになれば、メアリアーゼに勝ち目は無い。だが今はどういう訳か空間転移以外を警戒する必要が無いため、何とか先手を取れている。

 これだから人間は。メアリアーゼの嘲笑と同時に、ベルキスもまた微笑んだ。

「その笑えるぐらい滑稽な人間の理想に、貴方は負けるでしょうね。……そろそろ諦めなさい。どんなに可能性の限界に挑んだって竜槍の彼には勝てないわ」

ベルキスは嘲ることは無い。ただ未来を予測し、憐れむだけだ。メアリアーゼたち魔族が人間を脆弱と蔑むのに対し、〈魔女〉は人間にも強者は居るのだと信じている。だからメアリアーゼがムッとした顔をしていても、平然とその事実を告げるのだ。

「……フィリオンは何度巻き戻しても、同じ結果を選ばない。竜剣の力で未来を視ても、次の瞬間には未来が書き換えられている。彼はまさに無限の可能性を持っていて、先を読むことなんて不可能。でもそれが何だと言うの?」

 それはもはや開き直りだった。きっと彼は「勇者」なのだろう。ただの一魔族である彼女が敵うはずもない。それでも、彼女は希望を抱き続けた。

「決まりきった未来が無いなら、こちらに都合の良い選択をしてくれることだってあるはず。私はそれを掴むまで繰り返すだけよ」

狂気にも近い決意が、ドラゴニアの記憶の奔流に晒され続ける彼女を、そのままの彼女たらしめていた。全ては、もう一度「光」を手に入れるために。


 そこでメアリアーゼは会話を切り、何処かへと飛び去った。後に残されたベルキスは嘆息する。一方的に話を終わらせられることなど、〈災厄〉側の者たちにはよくあることだ。

「別に、貴方が繰り返すというならそれでも良いのよ。元の世界に戻ってあの忌まわしい男にセドナを渡すぐらいなら、この世界に永遠に閉じ込められるのも悪くはないわ」

彼女の独り言を聞く者は居ない。

「どんなに強く想ったところで、貴方の魔王様は、貴方を知らないのに。その想いを貫けるとしたら、それは奇跡よ」

魔王軍には多くの弱小魔族が合流し、配下の魔物も掃いて捨てるほど居た。だから、イオルムが数多くの部下の一人にすぎないメアリアーゼの存在を把握していないのは、当然とも言える。そしてメアリアーゼは、現段階に至るまでイオルムに自分のことを伝えていない。だからイオルムだけが、メアリアーゼは異世界に属する者であれ「魔王」に対し忠誠を誓う殊勝な魔族だと思っている。

(そして、奇跡を掴むのは未来に向かう者だけ。過去に囚われた時点で負けは決まったようなものなのに、可哀想な人)

 〈災厄〉側の者たちは、この不幸なすれ違いを黙して眺める。手を出してみたところで、彼女が時間を巻き戻せば無意味なのだから、好きにさせておけば良い。味方であっても仲間ではない彼らは、いずれ彼女が希望すら手にすることが叶わなくなる時を、傍観するだけだ。


(たとえあのイオルム様が過去の現身であろうと構わない。束の間の幻だとしても、こうして巡り逢えたのは、世界が私に味方したから)

 赤い女は恍惚と笑い続ける。歪んだ世界に手を伸ばし、愛しい王の姿を思い描く。

(だから私はこの世界でしか出来ないことを成し遂げる)

魔王に自分の為そうとしていることを伝えることは、彼の死を認めることになる。だから彼女は敢えて誤解をそのままに、改めて彼の下についた。

(こちらに付く気が本当に無いなら、フィリオンにも用は無い。せめての情けで、父親と一緒に死なせてあげるわ)

もうすぐ魔王のために働ける日が来る。天王が守りし封印を解かれたなら、フィリオンが何かの決断を下すのも時間の問題だと知っている。その決断は何であれ、彼女の障害となる可能性が高い。だから今こそ動き、英雄の墓標に青き竜の牙を突き立てて、赤き牙が魅せる夢を現実にするのだ。失敗しても問題は無い。またやり直すだけの時間は、これまでも与えられてきたのだから。

(綺麗な綺麗な英雄様。せいぜい惨たらしく死んでちょうだい!)


【Die fantastische Geschichte 0-54 Ende】

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