0-44:鳥籠の王子、大空を知らず
光の封印編。導入の短編。
【0-44:鳥籠の王子、大空を知らず】
青年の視線の先に在るのは快晴とは程遠い空。雪雲に覆われた天井は遠く山脈の壁に遮られ、その先にどのような色が広がっているのかは分からない。
「本当に、空が広いなぁ……」
町の外れで空を見上げていたエドウィンはそう呟いた。この世界に来てからもこうしてただぼうっと眺めているだけの時間はあったのだが、この町は更に空が近いのが気に入っている。たとえ毎日変わらぬ曇天であっても、広い空がそこにあるというだけで楽しかった。白い鳥が一羽視界を横切り、彼は顔を輝かせている。
そんな様子を見て、それに付き合っていたライオネルが首を捻った。
「エドって鳥が好きだよな。この町でも鳥の獣人ばかり見てる」
気付いているのはライオネルぐらいのものだが、エドウィンは鳥だけでなく空を飛ぶもの全般が好きだ。特にこのドライの町に来てからは、何かと戦士たちを気にかけてくれる鴉男に空を飛べるのか聞いてみたり、子供たちの飛ぶ練習に参加してみたり――なぜか木の上から一緒に飛ぼうとしていたので、目撃したセドナが悲鳴を上げて止めた――と、飛ぶことへの憧れのようなものが窺える。なぜ他の者が知らないのかと言えば、彼がはっきりとそう口にすることなく、強い興味を向けるだけだからなのだ。
「そうかな? ……鳥しか見たことがなかったからかもね」
ひらひらと落ちてきた白い羽を、エドウィンはそっと手のひらで受け止めた。再び放して宙を舞うのを見ながら、少し考えてみる。鳥が好きというのは彼自身も自覚の無いことだった。だが言われてみれば思い当たることもある。
四角い空。毎日のように見上げていた。白い石の壁に囲まれた小さな世界。時折空を行き交うものたちは、異世界からの来訪者だった。外の世界を語れる者を待っていたある日、落ちて来たのは――。
「ん? なんだ、あの鳥」
「……ふらふらしてるね。あっ、落ちた!」
懐かしい記憶を遮ったのは、不自然な飛び方の鳥だった。大きめの身体を支えきれなかったのか、二人の見ている前で少し離れた位置に落ちていく。慌ててそちらへ向かってみれば、目にすることの珍しい鳥、シュターゲルが地面に横たわっていた。土を好まず険しい岩場に巣を作る種族が、こうしていること自体おかしい。
「シュターゲルじゃないか。なんでこんな所に」
「怪我をしてるみたいだ。手当をしないと……」
「アイリスたちはまだ帰っていないはずだ。仕方ない、俺たちでやるか」
シュターゲルは成鳥だと人間の大人を乗せられそうな大きさなのだが、このシュターゲルはまだ子供なのか、両手で抱えれば運べそうだ。エドウィンは翼の付け根にある傷に触れないようそっと抱き上げた。他の者たちはまだ探索で町の外か、町の住人の手伝いをしている頃だ。二人と一羽は降りしきる雪の中、急ぎ足で集会所に戻った。
集会所には会議室と小さな台所、そして宿泊室が二部屋ある。ゴルドは町長の会議でも使われると言っていたが、元々不便な山奥ですることはあまり無かったのか、ベッドの数も四つだけだ。普段は寝る時だけ会議室のテーブルを退けて、男性陣は毛布に埋まりながら休んでいた。今は元通り置いてあるテーブルに余っているタオルを敷き、シュターゲルをそっと寝かせた。
「他の動物に襲われたのかな。まだ子供なのに、可哀想に」
「シュターゲルは図体のせいであまり動きが早くないから猛獣に狙われやすくて、だから足場の悪い岩場に生息するんだって聞いたことがある。……あった。これなら大丈夫だろう」
アイリスの用意している治療薬を選別して、使えそうなものを探す。人間の薬が効くかは分からないが、製作途中で治癒魔法も使っているらしいので気休めにはなるだろう。
「アイリスが帰ったら一応診てもらうか」
「動物のことも分かるかな。……わわっ、なんだか暴れてるよ、ライ!」
「沁みたんだろう。大丈夫だ、これだけ元気があるならすぐに良くなる」
薬を恐々傷口に塗るエドウィンの危なっかしい手つきを、ライオネルは特に何も言わず見ている。エドウィンは十人の中でも一、二を争う不器用だ。家事が出来ないのは王子だからというだけではなさそうで、手当についてもアイリスに教わったは良いが、活かす機会はまだ訪れていない。戦闘中に破れた衣服なども頑張って自分で直していたようだが、あまりにもあんまりな仕上がりだったので、ライオネルが後で密かに直したことすらある。だが本人は本気で出来るようになろうとしているようなので、皆なるべく手を貸すのは待つようにしていた。
(……交代はもう少し後だな)
よれそうになる包帯を何度も巻き直す真剣な表情は、横からの応援の眼差しに気付いていない。必死なエドウィンは手元に集中していて、ライオネルがほんの少し笑えるようになっているのを見逃した。
エドウィンは傷をなるべく刺激しないよう包帯を慎重に巻く。早く良くなれ、と念じながらやるのが大切だとアイリスに教えられたので、律儀に実行している。五回ほど心の中で呟いた辺りで、ふと思いついたことがあった。
(シュターゲルって僕の世界では天族だけど、この世界ではどうなんだろう。同じようなものなら魔力があれば傷の治りも早くなるはずだけど)
召喚の契約を交わせる生物は、例外無く魔力が生命力にも等しい重要物であるので、魔力を得るだけでも回復の役に立つのだ。クロスヴェルトのシュターゲルがどうかは分からないが、物は試しと魔力をシュターゲルへ少し流してみる。魔力を他者に渡すという行為はエドウィンには少々難易度が高い。だから、元々召喚魔法に似たような効果が付随しているので、それの感覚を頼りにやってみた。
身体の内側でゆらゆらと揺れていたものが外へ出ていく。ほんの少しの予定だったのだが、想定以上に渡してしまった。水の入った瓶を一度倒してしまい、慌てて元に戻したような、そんな感じだ。波打つ水の量は最初より随分と少なく、代わりに目の前の器が満たされたのが伝わった。突然流れ込んだものに驚いたのか、シュターゲルがピィと鳴いて羽を膨らませたが、すぐに落ち着いて元のように大人しくなった。
「これで、たぶん、大丈夫だよね……」
シュターゲルは特に変調をきたしてはいなさそうだ。しかし問題は後に残った脱力感だ。疲労とも身体に力が入らないのとも違い、何かが「足りない」と感じる。魔力を渡しすぎたのがいけなかったのか。
「ああ。……? エド、どうした?」
ライオネルはエドウィンが何をしたのかは分からなかったが、直後の声に元気が無いことは気付いた。つい今しがたまで普通だったというのに、急に様子がおかしくなったのを心配している。顔を覗き込んでいるライオネルへ、眉根を寄せ目を閉じたエドウィンはどうにか答えようと口を開いた。
「なんだか、ちょっと気分が、――……馬鹿者。契約も無しに魔力を渡すでない」
気怠げな声が一転、ぴしゃりとした叱責に変わる。唐突すぎて一瞬身を引いたライオネルは、開いた目が赤いのを見て察した。
「えっ……あ、サタンか。エドはどうしたんだ?」
「休ませておる。……先日の無理が祟ったようだ。悪霊に闇の魔力に、よくもまあやりおる。身体は癒えようとも魂の疲弊はそう簡単に取れるものではない」
若干不満そうに答えるサタンは、じとりとシュターゲルを睨んだ。恨みがましい目つきに身の危険を感じたか、哀れな小鳥はふるふると震えている。ライオネルはさりげなくサタンから自分の傍へシュターゲルを引き寄せた。突然の交代となぜか不機嫌そうな彼に怯んでしまったが、殺気立ってはいないからと粟立った腕をさすって更に尋ねる。
「寝ていなくて良いのか? 俺にはよく分からないが、結局身体は動かしていることになるんだろう」
「身体を横たえた所でどうなるものでもない。最も良いのは魔力を使わぬことだと言うのに、こやつめ、今シュターゲルなぞに分け与えおった。無理に動かしたおかげで器に皹が入るところであったわ」
ヒビ、と聞いて治まりかけた鳥肌が再び立つのが分かった。どのような生物にも魔力を貯める器のようなものがあり、無理な魔法行使でそれを痛めると生命にも関わるのだ。
「それって、かなりまずいんじゃ……」
「契約による繋がりがあるならばまだしも、全く関係の無い者へ与える術なぞ我は授けておらぬ。大方我に流すのと同じ感覚で分けて、身を犠牲にした自覚など無いのであろうな。……そのような顔をせずとも良い。本来自然に任せるべきであるが、この世界に待つ余裕は無いようだ。今回限りは我が治しておこう」
「それなら良かった。……俺が言えたことではないが、無茶をするなと伝えてくれ」
一瞬ひやりとさせられたが、サタンの言葉にライオネルはほっと息を吐く。自覚無しの危険行為と聞いては黙っていることはできない。目に見えないからこそ、魔法の不得意な彼では気にかけてやれないのだ。傍に居ながら仲間を助けられなかった過去は、今でも彼を責め苛んでいて、ふとした拍子に無力さを突き付けてくる。今回のこともまたいつ同じことが起きるかと思えば、安心しきれない自分がいた。
―――――――――――
安堵と懸念で複雑な顔をしているライオネルに、サタンは興味の視線を向けた。特に親しくする気は無いが、暇潰しであれば話は別だ。こと彼は起きている間、エドウィンが安全ならば出来ることは周囲の観察と考察ぐらい。だから戦士たちの性格は他の者が思っている以上に把握している。
「エドウィンは自らの価値を知っておる。そなたと違ってな」
だから、ライオネルの考えもその後の反応も見越した上で、そう言い放った。そこに皮肉めいた悪魔の笑みは無い。
「……どういう意味だ」
サタンの言葉をどう捉えるべきか、ライオネルには分からなかった。嫌な意味ではなさそうだが、全てを見透かしたような態度が不安にさせる。ただでさえ得体の知れないサタンは、更に「魔王」なのだ。エドウィンの親友だとしても苦手なものは苦手だった。
「王子の死が周囲に何をもたらすか、こやつは知っておるからこそ決して命を捨てることは無い。そなたはまた違う事情があるようだが、他者の運命のために生きねばならぬのは同じ」
「……どうせお前は俺だけでなく皆のことを知っているんだろう。エド以外の人間はどうでも良いんじゃなかったのか」
「観察対象と庇護対象はまた別だ。特にこの世界は興味が尽きぬ。あの世界から出たからこそ手に入れられた知識と経験は貴重だ」
「魔王でも知らないことはあるんだな」
サタンにそれ以上自身のことを話させたくなくて、ライオネルは敢えて話題を逸らした。人のことを言えないという点だけだったなら良かったが、いつ誰が戻って来るかも分からない所で語るにはまだ不安の残るものなのだ。だからサタンも誘導に乗ってやって、くつくつと喉を鳴らして答えた。
「知らぬことばかりに決まっておる。たった一人の友の望みを叶える術すら知らなんだからな」
サタンの意外な返事と自嘲の響きに、ライオネルが目を瞬かせる。自信と余裕に満ち満ちた魔王が、そのような弱音を人間に聞かせるなど夢にも思わなかったのだ。
「エドの望みって何だ? お前でも叶えられない望みなんて持っているようには到底思えないぞ」
よほど難しい内容なのか。そう思っての問いには、しかしまたしても予想外の返答が来た。
「分からぬ。……こやつが本当は何を望んでいるか、分からぬから叶えられぬのだ。我は心を推察できても覗くことは出来ぬのでな。さて、この町よりも小さな箱庭が世界の全てであった王子は、何を望むと思う?」
今度は息を呑んだ。そして、つい先ほどのエドウィンの不思議な言動を思い出す。一見関係の無いはずの二人の言葉が、繋がっているように思えてならなかった。
「鳥しか見たことが無かったって、何なんだ。面白くもないだろう曇り空を、広い広いって、飽きもせず眺めているのは。エドは、――」
言っても良いのか、一瞬の躊躇の後に、ライオネルは苦々しさを前面に押し出して言葉を絞り出す。
「エドは、外に出たいんじゃないのか。飛び回る鳥しか見えない小さな空ではなくて、もっと、せめてこの町のように『普通の』空が見える世界に行きたいんじゃないか」
それが望みだろう、と言外に告げる。確証が無いからだいぶ暈したが、もし推測が間違っていないなら、本当は目の前の魔王にだって怒りをぶつけたいぐらい、許せないものがその裏にはあった。そして、一番身近にいた親友が分からない叶えられないなどと主張しているのが腹立たしい。
ライオネルの鋭い目つきとサタンの視線がかち合った。相変わらず、魔王の意図は読めない。
一拍置いて、クククッ、とサタンはあの人を小馬鹿にするような笑いを零す。むっとするライオネルを見る紅が、甘いと言っていた。
「長じた鳥にその籠は狭すぎる。一声鳴いたならば我はすぐさま扉を開け、窓の外へと放つだろう」
あえて鳥の名は出さない。このような話を仲間にしたとなれば、エドウィンは困った顔をするだろうから。別にライオネルの追及などいくらでも無視できたが、答えてやったのはただの気まぐれだ。
「だが鳥は決して出ようとせぬ。たとえ扉など最初から開いていようと、ほんの少し飛び回って、すぐに自ら籠の中へ戻ってしまう。……なぜなら、籠の中に留まる運命を悟った上で、鳥はそれを良しとしているのだから」
外の世界が見たいのは事実。そして、迷惑をかけないために必ず帰りたいというのもまた事実。クロスヴェルトでの一時も、再び戻るために飛んでいるに過ぎない。
(それにしても、此度は随分と遠出したものだ)
自分の意志で飛び出してきた王子が、まさか別世界まで行っているとは思わなかった。そこで興味深い仲間に囲まれているとも。城からの脱走を何度も手伝っていながら、本当の意味で解放してやらない悪魔とは違う、同じ時間を過ごす友と。
「――――などというのは、悪魔の戯言に過ぎぬ」
「はっ!?」
「この呑気な顔をした王子がそれほど重苦しく捉えておるわけがなかろう。本当の望みが分からぬのも、ただこやつの欲が少ないだけ。空と鳥に拘るのは血であろう」
温厚実直な表情しか普段見せない顔で、内側の悪魔はしてやったりと嗤う。再度驚かされた少年は顔を引き攣らせながら、聞こえた単語を繰り返した。たった一音の呟きを拾って得意げに語る姿は、彼の困惑ぶりを楽しんでいるのがよく分かる。
「……血?」
「知らぬか? アルタイルとは我らが世界では『神の遣わす大鷲』を意味し、鳥は云わば王家の象徴だ。城にも鳥を模した物ばかり在ったわ。それこそ、好きでもなければ鬱陶しいほどにな」
最後の一言でライオネルは机に突っ伏した。もちろんシュターゲルにぶつかるのは避けたが、それ以上動く気力は無いようだ。
タオルに包まれた白い鳥が、真横にある白銀を慰めるように啄んでいる。騙された、だの、これだから魔族は、だのとくぐもった低い恨み節がサタンの耳に聞こえてきた。
そして別方向からもう一つ。
『サタン。ライを、いじめないでくれ』
『まだ起きておったか。なに、どうせ魔王に思う所のあるこやつのために、つい先日まで我の正体を伏せておったのであろう。気遣わせるなど頭が高いと思い知らせてやったまで』
『変な、理屈を、こねない。……嘘は、言ってない、なんて理由も、駄目だからね……』
内側から話しかけるエドウィンの声は、寝ぼけ眼を擦りつつ喋っているかのようにふわふわとしている。サタンを叱っているはずだが、全く覇気が無い。表の様子が気になって仕方が無かったのか、実はライオネルと話している間も何度かサタンに声をかけていた。途中の話題のすり替えに乗ってやったのも、エドウィンが自分から話すまで待てと咎めて来たからなのだ。気になっているようだったからこの機会に聞かせようとしたのに、嫌がるのであれば仕方が無い。
『しばし眠れ。我が力で癒せるのは傷のみだ』
先ほどは問答無用でサタンが表に出たので、大人しく寝るに寝られなかったのだろう。改めて諭されれば、エドウィンの意識は徐々に沈んでいく。
『君が……分からないって、言ってた、こと』
『何だ』
『一番、最初に……叶えて、くれたじゃないか』
静かになった内側からそれ以上何も聞こえないと確認するや、サタンはエドウィンの顔で溜息を吐く。未だに顔を上げられないらしいライオネルは全く反応しない。
『分からぬさ。友の存在こそが望みだなどと言う主の考えなど。――これだから人間は飽きぬ』
赤い眼と形の良い唇が正反対の弧を描く。エドウィンは眠った。なら、この隙に少しくらい悪戯心を起こしても良いだろう。標的は目の前に居る少年と、他の者が帰って来たらそちらでも愉しめる。
他の戦士たちが帰って来た時、テーブルにはタオルに包まれて熟睡するシュターゲルと、ふて寝しているライオネルに困った顔で謝るエドウィンがいた。
【Die fantastische Geschichte 0-44 Ende】




