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Die fantastische Geschichte 0  作者: 黄尾
短編集3
43/56

0-43:魔王降臨(後)

【0-42】から続いています。

【0-43:魔王降臨(後)】


 魔王サタン。

 エドウィンを主とする使役――召喚師と契約を交わした被召喚者――であり、更には親友であると名乗った「エドウィン」は、悪魔の王にふさわしく己に注目する者たちを睥睨した。その正体は、恐怖に慄く者は居らずとも、ある種の衝撃を与えるには充分すぎるものだ。

「召喚の使役が魔族どころか魔王で? 更に親友だって? ……エドはまだ常識があると思ってたのに、とんだ大穴だ」

 呟いたジャンは想像以上の正体に脱力しかけながら、ふと少し前の会話を思い出した。

(性格のせいで誤解されやすい、ねぇ……。今の態度を見る限りだと、俺たちに対しては当たらずとも遠からずな感じだな)

一応イオルムの攻撃から庇ってはくれたが、恐らくエドウィンを守るついでだ。それは問われたこと以上は教えようとしない姿勢からも、アイリスの報告にあった味方ではないという発言からも分かる。本当は優しい人というエドウィンの評価は、彼にとっては正しいが、他の戦士たちには半分程度しか当てはまらない。それでも今この場では脅威になりはしないだろう。なぜなら更に以前ツヴァイの町で彼が評したように、物言いがジャンに似ているのであれば、エドウィンかサタン自身へ刃を向けない限り敵と認識されないはずだからだ。

 サタンの性格についてエドウィンがそう言っていたことを知るのはジャンだけだ。

「魔王だと……? なぜそのような者がエドの中に? エドは無事なのか!?」

ジャンが思案する横で、クレスは答えをサタン自身に求めた。サタンがエドウィンの姿をしているのは、その身体に憑依しているからだ。おかげで特殊な目を持つアイリスや強大な力を持つイオルムには真の姿が見えているが、他の者は魔法に長けたセドナですら捉えることは出来ない。人間の身体に魔族の、それも魔王の魂が乗り移っているという事態に、エドウィン本人が「いない」今、その安否が気になるのは当然のことだった。

「案ずるな、創られし勇者よ。エドウィンは直に目覚めよう。この憑依もこやつの負担になるならば初めから選ばぬ」

「……ならば良い。だが少しでも貴様が邪気を放ったならば、斬る」

 クレスがエドウィンの無事を気にしている理由は他にもあった。彼の「勇者」としての直感に、サタンは全く引っ掛かって来ないのだ。それはこの悪魔が魔王という邪悪な印象とは裏腹に、彼の守るべき存在にとっての害悪ではないという証でもある。そのことがどうも不思議でならないために、エドウィンの親友ということを考慮しても、警戒を解こうとはしなかった。


 サタンは複雑な表情の戦士たちが面白いのか、くつくつと笑っている。

「そう警戒せずとも良い。我はそなたらにも異界の魔族にも興味は無い」

「何? ならば、なぜ今この場に現れた」

エドウィンの仲間たちはともかく、現に敵対しているイオルムすらどうでも良いというサタンへ、クレスは更なる疑念を募らせた。確かにサタンは先ほどからイオルムへ報復行動に出る素振りが無い。守るために出て来たのであれば、危険分子を排除しようと動くはず。圧倒的な力量差があるので慢心している、と取ることも出来るが、そうではないという予感がした。

 クレスの問いにサタンが答えることは無かった。その気があるかどうかすら判断の付かない内に、横合いからイオルムが憤怒の声を上げたからだ。

「貴様、我輩を愚弄するか。精霊どもと変わらぬ身の分際で!」

元がどれほどの力を持っていようと、今のサタンには実体が無い。それを受けてイオルムは精霊と同じ脆弱な存在だと罵る。絶対的に優位に在るように振る舞うもう一人の「魔王」が存在していることからして、我慢がならなかった。

 だがサタンはどこ吹く風といった様子で、本当にイオルムを関心の外に追いやっていた。

「ほう、まだ居ったか。ならば同じ悪魔族のよしみで今一度忠告してやろう」

そして気を惹かれた以上は、鳴りを潜めさせていた怒りを呼び戻すこともまた躊躇わなかった。赤い眼に宿る光は、雪原に吹き荒ぶ風よりもなお凍てついている。

(よわい)数百の小童が。本来この身を傷つけた者に与える温情など有りはせぬ。貴様如きに使う魔力も惜しい今だからこそ見逃してやろうと言うのだ。疾く去ね。――天の雷に巻き込まれたくなくばな」

 すい、と右手を動かし、彼が人差し指で示したのは、真上。誰もがそれを目で追い、思わず声を零した。

「あれは……」

「なっ――……」

「それ」に気付いたイオルムも驚愕を露わにしている。彼らの視線の先、灰色の雪雲に覆われた空の一点には、白く輝く魔法陣が描かれていた。中心にきらりと光るものが見えた瞬間、

「天に背きし愚者どもへ、裁きを」

非情な判決と共に、光の槍が降り注いだ。


 全ての視界を奪う光が去った後には、新たな影が戦場に落とされていた。雲間から差す陽光が宙に浮かぶ男の姿をはっきりと映し出す。

 二人の悪魔が揃うこの場において、大抵の場合ならば揺るぎなき正義の象徴と言われるだろう存在。その男は淡い金色の髪に高貴なる紫水晶の目を持っている。身に纏う豪奢な衣は白を基調とし、彼が光に属することを示していた。背には穢れ無き純白の翼が左右、そして間にもう一翼広がっている。神聖なる輝きを背負った男は、しかし天使の慈愛とは真逆の冷淡さで以て語りかけた。

「……やはり生きていたか、魔王。此度こそは滅しただろうと思っていたのだがな。そのような身に堕ちてまで生にしがみつくとは、地を這う穢れた種族の考えは理解しがたい」

天王メサイスは自身と対極に在り最大の敵であるサタンを見下(みくだ)した。心底面白くないという顔をしている。なぜかと言えばサタンが生存しているからであり、今しがたの攻撃を無傷でいなして見せたからだ。

「クククッ。貴様こそ、その惨めな翼を後生大事に残して置かずいっそ下級天使に成ってはどうだ? 天界随一と謳われた〈至高の六翼〉がそれでは天族たちもさぞ嘆いておるだろう」

 二人の王は上と下、天と地に在って対峙する。彼らが過去にそうしたように。片やかつてあった翼の半数を失い、片や人間の身を借りているという状態であるのは、それだけ過去の戦いが壮絶なものであったことを物語っていた。

 メサイスの無差別な「天の裁き」を、サタンは唯一人で受け止めその後ろに居る弱き命すらも守ってみせる。これは奇しくも以前の二人の戦いを小規模ながら再現していたのだが、そんなことに気付くのは当事者たちだけだ。異世界の戦士たちはまたもサタンに庇われなければ大打撃を受けていた事実に新たな敵への警戒を緩めず、もう一人の魔王は寸前で攻撃範囲から脱しながらも、不意の「裏切り」に怒りの矛先をメサイスへ向けることに忙しかった。

「メサイス! 貴様、我輩を戦士諸共消し去ろうとするなど、何を考えている!」

「フン、貴様もサタンも戦士どもも、私からすれば下賤な地の民。目障りなことに変わりは無い」

メサイスはおよそ一応の味方同士とは思えない冷やかさでイオルムの抗議をあしらう。一枚岩ではない〈災厄〉側の彼らは、案の定この場では対立することにしたらしい。

 刻一刻と変わる戦況は魔王の降臨から奇妙な方向へ流れ、今や誰も予想していなかった三つ巴へと発展していた。


――――――――――


 そこからの戦闘は混沌の極みだった。メサイスはサタンを中心に狙いながらもしばしば全体を巻き込み、イオルムは自身を侮辱した者、つまりが全員に魔物をけしかけ、サタンはメサイスを相手取りながらも向かって来る攻撃には全て反撃している。戦士たちはもはや人非ざる者たちの壮絶な魔法の応酬から身を守っているだけで、魔物の相手すらせずとも全てが進んでいた。四方八方から放たれる魔法が、故意か偶然か、戦士たちのもとへ辿り着く前に魔物を倒してしまうからだ。

 雪原は踏み荒らされ、魔法のせいで溶けた雪が土と混ざり合う。地上に居る戦士たちやサタン――正確には憑依先であるエドウィン――は泥だらけになってしまっていた。おかげでサタンの機嫌は下降傾向にある。

「一国の王子がこの惨状というのはいただけぬな。……魂のみとはこのような時に都合が悪い」

身体に跳ね飛んだ泥を見て顔を顰めている辺り、汚れているのが自分自身ではなくエドウィンである辺りが気になるようだ。すぐ傍を致死の光弾が飛び交っている中においては、何とも呑気なことである。

「実体を失ってなおその余裕。私への挑発のつもりか?」

「魔族とは常に負の感情を求める忌まわしい種族、なのであろう。であればその王たる我が忠実に従うは当然のこと」

 サタンの人を小馬鹿にした態度にメサイスが反応する。この期に及んでサタンが実体化しないのも、先日のように精神体で現れないのも、今は不可能だからだ。余裕綽々といった様子なのはエドウィンに憑依して存在を保っているからであり、外に出て戦おうものなら今頃魔力が底を尽いていた。イオルム相手に戦おうとしなかったのも、より脅威であると判断したメサイスへの対策を万全にするため。しかしそのような極限状態にあることなど、この魔王はおくびにも出さない。

 メサイスにとって癪に障るのはそのような所もだ。何に於いても自身に勝るとも劣らない。そう評価せざるを得ない在り様が、プライドの高い彼には最も許し難い。

「世界を支配するのは貴様ではない……! 三界を統べるのは、この私だ!」

言葉と共に放たれた光の刃は、やはり黒い障壁に阻まれる。サタンの諦観混じりの呟きは、幸か不幸か凄まじい音の中に紛れ、メサイスの耳には入らなかった。

「我は天界も人界も要らぬと言っておるのだがな」


 戦いは激しくはあるが大きな動きが無い。このまま長引けば、魔力不足のサタンが不利であることは確実だった。そのため彼は最初からずっと戦闘を終わらせる機会を計っていた。守るべきものが、無防備ではなくなる瞬間を。

『――サタン、君なのかい? 本当に、本当に起きてくれたのかい!?』

「……頃合いか」

サタンにだけ聞こえる、エドウィンの目覚めの声が響く。エドウィンが状況を把握しきれずに内側で混乱しているのは感じているが、敢えて今は答えずに撤退の準備を始めた。

 防御のために展開していた魔法陣を、そのまま転移魔法へと書き換える。その行動に気付いた者たちは訝しげに彼を見やるも、妨害しようとはしなかった。たとえ今攻撃しようとこの魔王は必ず転移を成功させるというのは、この短時間でも嫌というほど分かっていた。

「天王よ、貴様がこの世界で何を成すかは我が関心の外に在る。我が領域に踏み込まぬならばな。……追わぬなら良し、追うならば――残された翼をも失うと心せよ」

彼は己が領域を、これ以上無い形で眼前の敵に示して見せた。魔法陣からは黒い霧が立ち上り、一瞬の静けさに支配された空間へと広がる。後には冷めた沈黙で以て答えたメサイスと、苦々しげなイオルムのみを残して、十の影が闇の中へと消えていった。


 次の瞬間、戦士たちの目の前にあったのは、平和そのものといった様子の町だった。

「ドライの町……」

「この結界魔法の内までは奴らも追って来れぬ。人間の魔術師もやはり侮れぬな」

誰ともなく呟いた言葉に、低い男の声が答えた。耳慣れない声に戦士たちがそちらを見れば、

「久しいな、我が友よ。目を離している間に、随分と羽を伸ばしたようだな?」

驚いた様子で固まっている、普段通りの目の色をしたエドウィンと、その前に立つ悪魔の姿があった。

 今のサタンは紛れも無く実体化していた。アイリス以外の目にも映っているし、今しがたの声はサタン本人のものだ。被膜の張った羽を広げて見せながら、あの余裕ある表情でエドウィンの反応を窺っている。

 初めてサタンの姿を見た者たちは、それぞれに複雑な想いで次の動きを待っていた。言いたいことは山ほどあるのだが、尋常でなくエドウィンの動揺が伝わってくるために、そのような雰囲気では無いのだ。起き抜けのエドウィンは目を瞬かせ、口を開いても何も言えずまた閉じるというのを繰り返している。

 たっぷり一分ほどはそうしていただろうか。痺れを切らしたアイリスが耳打ちして、ようやくエドウィンはまともに反応を返した。

「……あのね、エド。この前の悪魔さんって、この人だよ」

「えっ」

アイリスの言っている意味がじわじわと彼の脳内に浸透していく。勢いよく仲間たちの顔とサタンとを見比べながら、少しずつ言葉を取り戻す。

「なんで……」

「そなたが危機に陥った。それだけで我が動くに充分足る理由であろう」

「こっそり抜け出して、アイリスたちを連れて来たのは」

「かの悪霊ども、当時の我にはいささか骨の折れる相手であった。魔力消費を抑えられる手段があるならば、それに越したことはない」

「僕が聞きたいのは、そこじゃないよ!」

 段々と早口になっていったエドウィンは、とうとう声を荒げた。だが、そこに込められたのは憤りではない。

「なんでその時に、目を覚ましたことを教えてくれなかったんだい!? 僕は、僕はずっと君のことを――」

今にも泣き出しそうな表情は、常の穏やかな青年からは想像もつかないものだ。喩えるなら、約束を後回しにされた子供のような。


「――心配してたのに。もしもう二度と起きてくれなかったらって、不安だったんだよ。君にとって、僕の心配なんてそんなに些細なものなのかい?」

 鮮やかな緑の目が、はっきりと悲しみを訴えていた。一番の親友にないがしろにされたと、傷ついた心を映している。元々が大人しい彼の勢いはすぐさま萎んで、今やすっかりしょげていた。


 誰もがその珍しい姿を目にして唖然としていた。それは悲哀をぶつけられた悪魔とて例外ではなく、先ほどまでの威厳にわずかな揺らぎができている。

「……エドがスネてる」

今の彼の様子を的確にボソリと呟いたゴウの方へ、サタンは一瞬視線を向けたようだった。だが焦っているような行動はそれだけで、ふっと息を吐くと相好を崩して答えた。

「許せ。あれだけの大口を叩いて眠りに就いたのだ。目覚めて最初の姿が触れることも叶わぬ空気の様では格好がつかぬであろう」

 その日初めて見せた微笑みは、含むものの無い、優しく柔らかな想いに満ちていた。悪魔とは思えないほどのそれに、他の戦士たちはようやく合点がいった。だからエドウィンはこの魔王を友と呼ぶのだと。

「格好なんて悪くても良いじゃないか。……本当に最初に起きたのはもっと前なんだろう? シャルロッテのことも知ってるんだよね。まさか、ここ最近は狸寝入りしてたとか……」

「クククッ。なかなか楽しませてもらったぞ。なぜあの説明で気付かぬか不思議でならなかった。余程出て行っても良いかと思うたぞ」

「君がそんな意地悪をしてるなんて思うわけがないよ。事前に言ってくれれば、皆にもちゃんと紹介できたのに。結局君に会ったのは僕が一番最後だなんて」

「それは失礼した、我が主。名乗りは既に終えておる。今更説明すべきことも無かろう」

「駄目だよ、皆の顔を見れば分かるからね。たぶんまた誤解されるようなことを言ったんだと僕は思ってるよ」

 溜息を吐いたエドウィンは心底悔しそうにしている。誰よりも一番近くに居ながら、今の今まで再会できなかったのだ。更に知らぬ間に助けられた挙句、なし崩し的に仲間たちとの顔合わせまで済ませてしまっている。この親友の性格では色々と問題のある自己紹介をしたのだろうということは、経験に基づいた断定だ。こればかりは彼にも擁護しようがない。

「ええと、皆、心配をかけてごめんね。僕が改めて紹介するから、その……あんまり嫌わないであげてくれるかい?」

今までエドウィンが詳細を語ろうとしなかったのは、仲間たちには絶対に受け入れがたいだろうと考えたからだ。彼は魔王だなんて気にしないが、特に今も警戒の目を向けている数名には、きちんと説明しなければならない。

 困った顔で頼むエドウィンに、仲間たちは一度顔を見合わせた。そして仕方が無いと言って、ゆっくり話を聞けるよう宿泊場所へと帰ることにする。今日は魔王たちに散々振り回された一日だった。もうサタンのことは敵かどうかというより、これ以上弄んでくれるなという意味で警戒しているだけだ。

 とりあえずの文句は全て夜にぶつけようという九人の決意に、悪魔は親友の内側で笑っていた。


『ククッ、今宵はさぞ騒がしかろう』

『サタン、ちゃんと反省しないと僕だって怒るからね』

『分かっておる。……そろそろ拗ねるでない、ルネ』

『……ミドルネームで呼んだって譲らないよ。君も皆も、僕の大切な友達なんだ。だから』

『だから?』

『君と皆には仲良くしてほしい。だからまず、君が帰ってきてくれて嬉しいよ。おはよう、サタン』

『ああ。――お早う』


【Die fantastische Geschichte 0-43 Ende】


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