0-39:誰かが傷つく前に
【0-39:誰かが傷つく前に】
二手に分かれた後、クレスたちはゴウの言う「土地の元気な方」へ向かった。山の傾斜を少し下り、崖を右側に臨みながら進んだ所で、ようやく敵は仕掛けてきた。
結界が張られたとセドナが告げるやいなや、全員が戦闘態勢に入る。
「たぶんもうすぐそこなのに、ジャマすんなよな! ここで倒してやる!」
ゴウはずっと目指してきた場所の方から目を離さず、来るであろう敵に向かって怒りをぶつける。彼の感覚が、目標はもう目の前だと告げていた。
暗雲とともにアポカリュプスが現れる。四人を見やり眉を顰めたのは、何かが思い通りにいっていないからなのか。苦々しさの滲む表情は、しかし一瞬で消え去り、身に纏う黒い煙のようなものを差し向けてきた。
「障害は全テ排除されナけレば……例エ無謀な抗イであロうとモ……。どレほどノ光を集めヨうと、ワが恨ミと憎シみヲ制するコとは敵わヌのダ!」
まるで生き物のように黒い煙が蠢く。クレスは向かってくる一群を聖剣でもって斬ったが、手ごたえを確かめる前にその場を飛び退った。彼の直感は正しく、浄化され消えたかに思われたそれらは、刃に触れないよう散開しては、別の方向から「憑りつこう」と迫ってきたのだ。
「くっ――――〈輝ける刃よ〉!」
魔物でも〈影〉でも闇の魔法でもない。それ以上に危険なものだと悟り、近づく黒へ今度は魔法を付与した一撃で応戦する。先ほどよりは効いているが、圧倒するまでには至らない。
「クレス! 貴方は『あれ』に触れてはいけません!」
「セドナ、あれの正体は分かるか」
「恐らく悪霊――何らかの原因で魔力の穢された精霊の類です。私たちでも目視できるほどとなれば、貴方の力でも反発どころか取り込まれるかもしれません」
焦燥を露わにしたセドナは光弾を放ちながら、クレスに下がるよう警告する。悪霊と呼ばれた「蠢く黒」は、本来意識することもないほどに脆弱で希薄な存在だ。しかしながらアポカリュプスが呼び出したこれは、あまりに常軌を逸していた。いくらクレス自身や彼の聖剣が特殊だと言っても、常時力の競り合いになれば負ける可能性がある。属性の相殺という次元を超えているのだ。
「なんかすっげーゾワゾワする! 気持ち悪い!」
鳥肌を立てたゴウはじりじりと距離を取る。ただ闇属性の物質というだけであればこれほどの反応にはならない。悪霊たちは生命が本能的に忌避する、なにか死の匂いとでも表現できそうなものに近かった。豊穣を司る山神とは対極の存在だ。
クレスが再度光の刃を振るうも、普段のように敵を一掃とまではいかなかった。囲まれないようにセドナが目も眩むほどの光の奔流を浴びせかけて、ようやく防衛線を保っていられる程度だ。悪霊で手一杯の彼らに、アポカリュプスは魔物まで差し向けてくる。
「あれは僕がどうにかする! 魔物を頼むよ!」
セドナが光で焼く横をすり抜け、エドウィンが前へ躍り出た。本来クレスと同じく光属性の彼は、同様に悪霊たちの攻撃に相当なダメージを受ける。実際、ただ近づいただけで体が重く、首を緩く絞めるような息苦しさを感じていた。しかし悪霊が精霊と同じくほぼ魔力に等しい存在である限り、たとえ反属性が相手でも対処法はある。
「〈闇をこそ我が糧と成せ、魂喰いの盾〉!」
戦士たちに襲いかかろうとしていた悪霊たちは、エドウィンの構えた盾へ吸い込まれてゆく。この魔法は魔力で構成されたものであれば悪霊でも魔法そのものでも何でも集め、盾を媒介に魔力として詠唱者へ還すものだ。引き寄せられているのか、殺到しているのか、区別のつかない勢いで吸収される悪霊たちの数が、魔法行使による魔力の消費量を上回っていく。いくらか耐性はあれど通常吸収すべきでない反属性、そして更に穢れた異質な力は、内側から彼の身を焦がすように攻め立てた。
「ム……だガその魔法、イつまデも続けラれまイ!」
エドウィンの取った手段にアポカリュプスは僅かな焦りを見せた。しかし押し切れると判断したのか、より一層悪霊たちを呼び寄せて対抗する。
倒れるまいと、悪霊を吸収するそばからエドウィンは魔力を放出する。無理矢理に作り出した循環路は長くはもたないと誰の目にも明らかだ。それでも状況を打破するきっかけは、未だに訪れてはいなかった。
もう一方の隊はクレスたちがどのような状況かは分からない。心配ではあるが、それより今は、予想外の訪問者をどうにかしなければならなかった。
「わ、私を捜してた……? 貴方は誰なの?」
アイリスは現れた悪魔へ話しかけてみた。半透明なそれは確かに「悪魔」としか言い様のない外見だが、不思議と怖くはなかった。アポカリュプスに初めて出会った時も似たような状況だったにも関わらず、抱く感情は信じられないほどに穏やかだ。
『我の姿が見える者は限られているのでな。視る力を持つ者を探しておった。そして、名か……ふむ、今の状態で真名を明かす訳にはゆかぬ上、この場において我の素性など些末なこと。好きに呼ぶが良い』
悪魔は少し考える素振りを見せながら、アイリスの疑問に答えていく。敵意は無く、探していた目的も不穏なものではないように思われた。仲間たちに大丈夫だと伝え、アイリスは更に問いを重ねる。
「じゃあ、悪魔さんは私に何の用なの?」
『ククッ、何とも率直だな。……そこまで警戒するでない。少々そなたに頼みたいことがあるだけだ』
何の捻りも無い呼び名に笑った悪魔は、慎重に出方を伺っているアイリスをからかうようにひらりと手を振ってみせた。彼女の困惑ぶりを煽るのが楽しいのか、底知れぬ笑みを浮かべながらその目的を明かす。
『そなたの朋友が厄介な状況に陥っている。我が導く故、そこへ向かってほしい。……これはそなたにとっても悪い話ではないはずだ』
悪魔が話す内容は、何かを企んでいそうな表情とはあまりに合っていなかった。
「何で……? 私たちを助けることが、悪魔さんにとって何の役に立つの?」
訳が分からない、とアイリスは目でも口でも語る。彼女の言葉に悪魔の声が聞こえない他の三人も驚いている。悪魔という存在と、彼らを助けるような提案。すぐに受け入れることなど到底できない組み合わせだ。
『さて、そのうち分かるだろうよ。考慮すべきは我を信ずるかどうか、ではないか?』
悪魔はなおも囁き続ける。申し出自体は願ったり叶ったりだが、この「悪魔」がするとなると何か裏があるのではないか。
「対価とか、お礼に何かしないといけないことは?」
『これは利害の一致に基づいた提案だ。我が目的はそなたらが合流すれば達せられる。一方でそなたらは仲間の居場所が知りたい。互いの行動が互いの利益に繋がるのだから、それ以上を求めはせぬ』
悪魔の真意を探る質問は全てはぐらかされてしまう。戦士たちが揃うだけで得られる彼の利益というのが、いま一つアイリスには分からない。そこに罠が隠されていたら、またも仲間たちを危険に晒してしまうことになるのだ。
ためらうアイリスを急かす悪魔は、彼女の決心を促すべく、あることを思い出させる。
『場所を知るのは我だけだ。そして我と言葉を交わし、導けるのはそなたのみ。……あまり時間は割けぬ。そなたが承諾せぬならば、我は一人で戻るだけよ。無論、そなたの仲間全てを救う余裕も義務も我には無いのでな。与えられた使命を見失った末にどのような結果になろうと、我を恨むでないぞ』
己にしか出来ないこと。己に与えられた使命。己が旅立ちのきっかけとなったのは、
――それでも見て慣れるんだな
ひらひらと揺れる臙脂色の意味を、変えたかったからだ。
――――――――――
「信じるよ。だからお願い、早く皆の所へ連れて行って!」
「アイリス!?」
申し出を承諾したアイリスに、経緯が分からない仲間たちは狼狽えた。妙な条件で唆されてはいやしないかと、不安を見せながら確認する。
「悪魔とかなんとか言ってたけど、大丈夫なのか?」
「きっと大丈夫。……なんだか悪い人には見えないし、それに、皆を助けに行けるなら!」
彼女の決意は固い。己が為すべきことを思い出したのだ。仲間のもとへ、そこに居るだろう臙脂の瞳の魔人のもとへ、彼女は行かなければならない。仲間が傷つく前に、使命を果たすのだ。
アイリスの答えに満足げな悪魔は、何も言わずに木立の奥へと飛び立つ。それをアイリスは追いかけ、その後に警戒しつつもエルヴィラたちは着いて行った。悪魔は半透明な身体が示す通り実体が無いのか、張り出す枝や道になっていない隙間も意に介さず進んでゆく。着いて来ているかどうかは確認しているらしく、苦戦している時には速度を緩めるが、基本的には急いでいる様子だ。
先ほど見つけていた結界に近づいた頃、悪魔はアイリスの横に並んで飛び始めた。
『結界は我が解こう。真っ直ぐ進むが良い。ここから先は手助けせぬ。敵の排除はまた別の案件なのでな』
どうやら道案内は終わりのようだ。本当に合流させるだけだった悪魔に、アイリスは不思議だと思いながら礼を言う。
「ありがとう、悪魔さん」
『再び相見える時は、感謝したことを後悔するやもしれぬぞ? 我はそなたらの味方ではないのでな。まあせいぜい――足元に注意することだ』
含み笑いをした悪魔は結界魔法を易々と破壊しながら、意味深長な言葉を残して飛び去った。結界の先は幾分か進みやすく、アイリスは逸る気持ちのままに走る。最後の忠告が引っ掛かるが、それ以上に前へ向かう想いが強かった。
「足元……? ――――きゃあ!?」
草むらを抜け一際明るい空間へ出た瞬間、急に足場が無くなり、アイリスの身体が宙に投げ出される。遥か眼下に捜していた仲間たちが見え、先ほどの忠告は崖があることを指していたのだと気づいた。
「なっ――アイリス……!」
誰かの焦る声が名前を呼ぶ。一瞬の浮遊感からの落下。衝撃に備えて身体を強張らせ、目を思い切り瞑る。が、予想していた痛みはやって来なかった。
落ちるアイリスを、一瞬遅れて崖から飛び出したシルバが抱え、一回転して着地する。アイリスが目を瞬かせて固まっていると、バランスを崩さず立てるように彼女を地面に下し、しっかりしろと背を小突いた。
「あっぶねぇな。せっかく活躍したってのに、最後にドジ踏んでんじゃねぇよ」
「ご、ごめんね。ありがとうシルバ」
「だがまあ、正解引き当てたことは褒めてやらぁ。……さて、そこでへばってるヤツらの代わりに暴れてやるか」
銃を抜いたシルバはニヤリと笑って構える。未だに群れを成している悪霊たちに構わず、アポカリュプスを狙って魔法弾を撃ち込んだ。防御するアポカリュプスは今までに無く追い詰められていた。
「何故ダ……。何故結界が……精霊も追いやっタとイうのに……!」
絶対に援軍は辿り着けないはずだった。最初に対峙した隊は悪霊たちの前に早々に敗れ、残りの者も順に始末する予定だった。ところが想定外だった勇者の力や魔力吸収の魔法の存在に時間を取られ、更には間に合わないはずの援軍まで来てしまった。アポカリュプスの思惑は少しずつズレていき、そして戦況を覆す決定的な一撃が下される。
「みんなを傷つけないで!」
アイリスが叫ぶと同時、突風が戦場を吹き抜けた。
エルフに呼ばれた精霊たちは、清浄な力で以て穢れを押し流してゆく。その数たるや、悪霊たちが激流に呑まれた木の葉のごとく、なす術も無く消し飛ばされるほどだった。
その光景はアイリスとアポカリュプスの目にしか映らなかった。しかし身を苛む力が無くなったことで、他の者も何が起こったのかを悟った。いち早く動いたクレスは、息を呑み立ち尽くしているアポカリュプスへ斬りかかる。避け損ねた魔人の身体に、深い傷が刻まれた。
「ヌゥ……薄レた血で此れ程とハ……」
苦悶の声と共に、アポカリュプスは続く攻撃を紙一重で防ぐと、魔法で空へと逃げる。傷を庇いながら戦士たちを見下ろして告げる言葉には、あの何かに対する諦めの響きが宿っていた。
「変化ハ望メぬか……。永劫ノ時を、そうト知らズ彷徨ウか。アの様ナ不適格な者ノ不安定な力に全テが決めラれている事実を、ナンジらハ知らぬダけだ。真実ガ露わニなった時、ワレに抗シた過チを悔いルが良い……!」
魔人はもたらそうとした「変化」を阻止した戦士たちへ呪詛を吐く。彼の目的は、やはりそこからでは分からない。
だが、不吉な予言めいた恨み言にも、アイリスは怯えることなく答えた。
「どんなに怖いことが待ってたとしても、私は貴方を止めるよ。何のために貴方が戦うのかは分からないし、私たちが間違ってるのかもしれない。でもきっと、貴方のやり方も間違ってる。だからエルフは私たちに頼んだんだもの。貴方を『止めて』って」
だから少女は選ばれたのだ。魔人と戦うためではなく、魔人を止めるために。遥か古の時と同じ過ちを負う前に、必要の無い戦いを終わらせるために。
今はまだアイリスの想いが伝わることはない。それでも、今この場の戦いを止めるには十分だった。
「……なラば見せテもらオう」
アポカリュプスは静かに告げる。
「ワレはこノ世界の行ク末など興味ハ無い。ワレらを縛リ付けてイる『流れ』ヲどの様ニして変エるつもリか、見極メさセてもらうゾ、異邦の者共ヨ」
彼の求めるものはこの世界には無い。世界の命運を賭けた戦いも、彼の眼中には最初から無かったのだ。全ては元の世界へ戻るための「変化」を作り出す行動だった。それが阻まれ、代わりに戦士たちが為すと言うのなら、彼が動く理由は失われる。
深手を負ったアポカリュプスはそのまま何処かへと姿を消した。追う必要は無い。最後の彼に、もはや戦意は見られなかった。
「……逃がして良かったのだろう、アイリス」
クレスの問いに、アイリスは決意を込めて頷く。その表情は、久々に晴れ晴れとしていた。
「うん。……大丈夫だよ。きっといつか、分かってくれる。その時まで私は、皆が戦わなくてもいいように頑張るから!」
【Die fantastische Geschichte 0-39 Ende】




