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Die fantastische Geschichte 0  作者: 黄尾
短編集2
34/56

0-34:愛の歌と帰る場所

【0-34:愛の歌と帰る場所】


 戦士たちの住む屋敷の庭では、毎日たいてい誰かが何かをしている。芝生が広がるだけの簡素な空間は、休息を楽しむより、手合わせや修行に打ち込むことに適している。今もそこに居る四人は、穏やかながらも真剣に訓練をしているところだった。

 アイリスが杖を振り回す音に、高く低く浪々とした歌声が混ざる。

「〈剣に勇を胸に誇りを あなたはどこへ行くのだろう 別れに涙は流すまい あなたの歩みを止めるより 良き旅立ちを贈りたい〉」

歌っているのはエルヴィラだ。彼女の得意とする歌魔法で、アイリスの特訓を手伝っている。庭の片隅に置かれたベンチに座り、目を閉じて足でリズムを取りながら、誰もが聞き惚れるアルトを響かせていた。


 アイリスの鍛錬を指導していたクレスとエドウィンもその歌声に耳を傾けつつ、頃合いを見計らって休憩に入らせる。エルヴィラはきっかり歌を終わらせ、エドウィンの拍手に得意げな笑みを返した。アイリスも額に浮いた汗を拭うと、エルヴィラの横に座りながら歌に感謝する。

「ふぅ……。ありがとう、エルヴィラ。おかげでいつもより頑張れたよ!」

「どういたしまして。できれば、ちゃんと内容も合わせてあげたかったんだけどね」

 彼女の言う内容とは、先ほどの状況と歌詞のことだ。アイリスの体力作りに合う歌など思い当たらず、エルヴィラは全く関係無い歌を選んだ。もちろん如何なる状況でも歌魔法の効果は変わらないので、歌詞まで合わせるのは気分の問題だ。

「今の歌は誰に向けて作られたものだ? どうも戦意高揚とは違う響きだったが」

「あれは旅に出る恋人を想う女の歌だよ。英雄を讃える歌とか、母国を守るために戦えなんて言う歌よりはアイリスに合ってるだろう? どんな話かっていうと確か――」

クレスの疑問に、エルヴィラは茶目っ気を出しながら答える。戦士を鼓舞する歌は無数にあり、受けられる恩恵も実に様々だ。彼女が歌っていたものも毛色が変わっていたが、力を引き出し持久力を高めるものには違いない。


 エルヴィラが語る歌の背景を聞きながら、アイリスはほうと溜息を洩らす。戦闘が日常化していると忘れがちだが、本来彼女は恋愛に憧れる年頃で、元の世界でも日頃友人とそのような話で盛り上がることが多かった。特に最近はあまり機会が無かったので――セドナとライオネルの仲を邪推したぐらいだ――些細なことにもすぐ反応する。

「なんだかロマンチックな歌だね。想いが籠ってて……あっ、もしかして、エルヴィラもその女の人みたいに待ってる人がいるとか?」

17歳の少女らしくはしゃぎながら言えば、クレス達まで真偽を問う目でエルヴィラを見た。情感たっぷりに歌っていたので、少しばかり信じられると思ったのだ。そんな彼らの反応を見て、エルヴィラは苦笑を禁じえない。

「まさか。アタシはこの女に、そんなに離れたくないなら無理矢理でも着いて行けって言いたいぐらいだよ」

「エルヴィラらしいなぁ。でも確かに、僕もそこまで想われてたら置いて行くのは躊躇うな。その男の人はどう思ってたんだろうね」

「たぶんその旅は危険なんだよ。だから女の人を残して行ったけど、きっとお守りか何かも渡して、帰るまで待っててって言ったはずだよ」

「なるほどね。さすが『恋する乙女』は鋭いこと。もしかして体験談かい?」

「え?」

 恋歌の考察に花を咲かせ始めたアイリスへ、エルヴィラは悪戯っぽく話を振る。先ほどのお返しにちょっとした意地悪を仕掛けた。

「そのいつも着けてるリボン、彼氏だろう?」

 効果は抜群だった。アイリスのきょとんとした顔が、意味を理解するにつれてみるみる紅潮する。確かに彼女が毎日髪に結んでいる臙脂色のリボンは、元の世界でとある男性から贈られたものだ。だが、そこに特別な意味は無い「はず」だ。断言できないのは、彼の数々の微妙な発言と行動の意味を考えれば考えるほど、ある可能性がチラついて来てしまうからである。

 たっぷり数秒の間、真っ赤になってふるふると震えるだけの彼女に、エルヴィラは笑みを深め、エドウィンは心配を通り越して感心していた。全く動じていないのはクレスだけだ。

「――! ちっ、違うよ! 大切な人だけど、そんな、付き合っては……!」

「ふうん? そんな風に言う割にはどうやら満更でもなさそうだけど、詳しく聞きたいところだね」

「エルヴィラ! 本当に違うんだってば!」

「アイリス、落ち着いて。今は色々あって大変だろうけど、全てが終わったら想いを伝えればきっと成功すると思うよ」

「エドまで……!」

持ち直して反論したアイリスの顔はもはや林檎のように赤い。アワアワと否定すればするほど、余計に正解のように思えてしまうことには気づいていない。エルヴィラはある程度察した上でからかっているが、その辺りに疎いエドウィンは完全に勘違いしている。

 自分が始めてしまった話題なだけに、アイリスは終着点を見つけるまでずっと慌てて弁解する羽目になってしまった。


 そこへずっと黙って考え込んでいたクレスが口を開き、アイリスはようやく解放されると安堵した。彼の黙考の結果を聞くまでは。

「……大切なのだったら、この場合、恋愛感情を持っていることにならないのか? 相手は男なのだろう」

家族というわけでもなく、と言うクレスは至って真面目な顔をしている。まず冗談を言うような性格ではないからこそ、むしろ本気かどうかを疑ってしまう。人間の感情そのものに疎い彼に、恋愛と親愛の差異を理解しろというのは少々難問だったようだ。

 これがジャン辺りに聞かれようものなら盛大に茶化されただろうが、幸いにも真っ先に価値観を修正し始めたのはエドウィンで、クレスの意見を真摯に受け止めた。

「クレス、それだと仲の良い男女は全員恋人同士になってしまうよ」

「む、そうか」

「クレスは元の世界にそういう人は居なかったのかい?」

しかし、ここでクレスの事情へ矛先を向けてしまう辺り、エドウィンも結局は気になっていたのだ。果たしてクレスにとって「特別な異性」は存在するのか。

 クレスだけではない。この異世界で決して短くはない時を過ごす間に、誰もが一度は元の世界で待つ者たちに想いを馳せた。その相手が愛する人であったのは、何人居ることだろう。

(……もしかしたら、僕以外の全員ってことも有り得るんだよね。誰もそこまで言わないけど、本当は会いたくて仕方がないのかな)

恋愛に全く縁が無かったエドウィンは推し量るしかないが、恐らく友人と会えないよりも遥かに辛いのだろうと考えている。歌の女性のように、笑顔の下に隠しているのかもしれないと。


 問いかけたエドウィンがつらつらと考えている間に、クレスもまた答えを探していた。中々出て来ないのには理由がある。

「……いや、居ないな。そもそも親しい人物は数えるほどしかいない」

彼の場合はまずそこからだった。そして更に、

「あと思うに、私に恋愛感情は存在しないのではないか」

という、彼自身も反応に困る結論が既にあるのだ。案の定、他の三人は続く言葉を待つばかりで、何も言うことが出来ない。

「有ったとして、それが勇者としての使命感から生まれた庇護対象への愛情と違うと言いきれる自信は無い。(つがい)になる心情を今は理解できないのか、いずれ理解できるのかは、私には分からない」

 元の世界で仲間たちから教えられたことは多く、そのほとんどはクレスの中にきちんと蓄積されている。だが初期から言われてきてなお、未だに理解できないことがこれだった。今は特に問題無いが、使命以外に目を向け始めたことで、漠然とした不安が湧きあがって来るのだ。

(勇者としての役目を終えた後、私はどうなるのだろうか。仲間以外に繋がりを持たない私が旅の終わりに帰る場所はあるのか。……特別に想う誰かが居れば、それだけで充分な存在理由になるだろうに)

世界が平和になり人々が「勇者」を必要としなくなった時、彼が存在する意味は無くなってしまう。皆が帰るべき場所を定めている中で、彼だけが故郷も家族も愛する者も無い。戦いの先に待つ未来を、思い描けないのだ。

(このままそれを見つけられなければ、もしかすると、消え――)


「何だい、あんたまた新しい悩みの種を見つけてきたのかい? 飽きないねぇ」

「クレスは難しく考えすぎだよ。君がいま言ったことは、ほとんどの人がはっきりした答えを出せないと思う」

「あとね、ツガイはやめた方が良いよ。雰囲気が台無しだし、それじゃあ女の人に嫌われちゃう」


 再び一人で考え込んだクレスを遮るように、呆れ混じりの声が三人分。沈みかけていた暗く恐ろしい思考の海が、一瞬で干上がった。

「……これでも真剣に考察した結果なのだが」

「あんたが哲学者にでもなるつもりなら止めないけどね。思考停止しろとは言わないけど、戦士なんだから中途半端に嫌な答えで悩むより脳筋なぐらいがアタシらには有難いよ」

恋人の有無から想定外の方向に進んでいた彼の思考回路を、エルヴィラが身も蓋も無い判断で一蹴する。実際にどこまで悪い想像をしたかなど彼女は知る由もない。にもかかわらず見透かしたような意見に、最早クレスは数秒前の自分が馬鹿らしくなってきた。どうも意識の幅が広がるにつれ、考えるべきことが増えすぎて深みに嵌っていたようだ。

 少なくとも今は「ここ」が彼の居場所であり、やらねばならないことは山ほどある。完全に不安が無くなったわけではないが、今は一度置いておくことにして、もっと必要に迫られていることから片付けることに決めた。気になる部分だけ他の人に尋ねておけば、当面は煩わされずに済むだろう。

「ならば、自分で考えるのは止めてジャン辺りにでも聞くとしよう」

「良いね。僕も聞くだけ聞いておこうかなぁ」

「えっ! ダメだよ、絶対変なこと吹き込まれるよ!」

 クレスとエドウィンの人選にアイリスが慌て、エルヴィラは笑うだけで何も言わなかった。


 訓練を再開した庭に、今度は別の歌が響く。

「――〈いま遠き地の歌に想うは 帰るべきところ 物語の終わりを告げる きみの呼び声〉」


【Die fantastische Geschichte 0-34 Ende】


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