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Die fantastische Geschichte 0  作者: 黄尾
火の封印
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0-28:願いはいつも

【0-28:願いはいつも】


 赤い夢を見た。

(いつだって、俺の願いは叶わない)

 血塗られた大地に転がる屍は、知った顔もあれば、全く見覚えの無い顔もある。その間を歩きながら、溜息を吐いた。

(また、失った。また、守れなかった。また、他の人が死んで、俺が生き残った)

重い足を引き摺りながら、ふらふらと赤い世界を彷徨う。進むべき道はとうに見失い、目指すべき場所はどこなのかも分からない。

 周囲には様々な人がいた。不安げに辺りを見回す者。勇ましく武器を手に進む者。亡骸に取り縋り泣いている者。誰かに助けを請うている者。人々の様子を確認しながら、いつ現れるとも知れない敵を警戒する。

 すると、今にも一人を襲わんとしている敵を見つけた。疲労など一切忘れて斬りかかる。しかしあと少しの所で間に合わず、その人はあっけなく地に伏した。気づいたが、手を止めることなく刃を振り下ろす。あちらの攻撃は浅く、こちらの攻撃は深く肉を削る。自身を染める赤に、大量の返り血と、それよりは少ない己のものが混ざった。助けるために戦ったはずなのに、結局その場に立っているのは自分だけだ。

(まだだ。悔やんでいる暇があれば戦わないと。悲しみに暮れる間に、誰かを守れるかもしれないのだから)

 再び歩き出そうとした背に、どこかで戦いを見ていた人の言葉が突き刺さる。

――死者を悼みもしないのか。情の欠片も無い奴だ

(冷酷だと、非情だと、思うなら思え。そうすれば、俺に関わったせいで死ぬことも、いずれ無くなってくれるだろう。大切だと思いさえしなければ、喪失の痛みだって、無視できるぐらい小さくなるはずだ)

 その手で救えるものはあまりに少なく、それ故に持つべきものは選ばなければならない。余計なものは全て手放した。優先して守るべきは味方だから、敵へは一切情けを掛けなかった。過去は変えられないから、失ったものへの未練を絶った。何よりも助けなければならないのは他者だから、自身の安寧を捨てた。

(俺は、まだ戦える。動いている内は、戦い続けられる。だからまだ、助けられる側になってはいけないんだ)

黙々と障害を排除し続けている内に、人々から「英雄」と、魔王を倒す勇者の代役だと呼ばれ始めた。おかげで守るべきものは増え、助けを求める声がそこかしこから上がるようになってしまった。

(全てに応えられるほど、俺は強くないのに。英雄に助けてほしいのは俺も同じだけど、でも、俺が嫌がったら、次は誰が「英雄役」を押し付けられるんだ? ……誰かの重荷を増やすぐらいなら、限界まで俺がやるだけだ)

 赤い世界で英雄役を演じる人形は、いつしかボロボロになっていた。操る糸は今にも切れそうだ。しかし沈黙を貫いているがゆえに、人々はそのことに気づかない。いつまでも踊り続けてくれると錯覚する。人形の意思など考えることもなく、戦場へ投じることしかしなかった。


(……まだ生きて、動けている。だから俺は、まだ戦える)



 夜が近づくにつれ、雨は激しさを増していた。屋敷に戻った戦士たちは、不安げに口を噤み、各々にできる仕事をこなす。

 意識の無いライオネルは、部屋に運ばれ、濡れた衣服を着替えさせ、ベッドに寝かせても一向に目覚める気配が無い。自分たちも着替えを済ませ、細々とした家事も早々に片づけてしまえば、いよいよ手持無沙汰になるばかり。普段ならば賑やかな談笑や、翌日の打ち合わせをする真剣な声が聞こえるが、今は最低限の言葉を交わすだけで、誰もが物思いに沈みこんでしまう。

 そして自然と示し合わせたように、診察していたアイリス以外の者たちも、ライオネルの部屋に集う形になっていた。

「アイリス。ライの容態は……」

「ただの風邪、なんだけど……熱が高くて。しばらくは薬を飲ませて様子見かな……」

「魔法じゃどうにもできないのがもどかしいね。看病ぐらいなら僕にもできるから、アイリスも疲れたら言うんだよ」

 いつになく固い声でクレスが問えば、アイリスは暗い顔のまま、この数時間で何度も繰り返した診断を伝える。治癒魔法では病を治すことはできず、彼女に出来ることといえば、時折魔法で体力を回復させつつ、煎じておいた薬を飲ませることぐらいだ。エドウィンの申し出に頷きつつ、それでもまだしばらく何かしてやりたいというのが、彼女の正直な気持ちだった。

「カゼって、こんな風になるもんだっけ? ……ライ、すんげー苦しそうじゃん」

らしくもなく声を潜めつつ、ゴウはそっとベッドを覗き込んだ。ライオネルの呼吸は荒く、眉も苦しげに寄せられ、シーツを握り締める手には関節が白くなるほど力が籠っている。薄く開いた唇からは時折小さく呻き声が漏れ出て、意味のある音に変わることがあった。

「――れは、ま――たた――え、る……」


――俺は、まだ戦える


 不明瞭なそれを聞き取ってしまったことが、屋敷内に立ち込める暗雲の原因だった。どんな夢を彼が見ているのかは分からないが、弱弱しく吐き出される言葉は、一同には笑えない冗談にしか聞こえなかった。青褪めた肌に、透けるような銀髪、身を包む白いシーツ。何もかもに色が無く、その場所だけ生気を失っているかのようで、強がる言葉との差が痛々しい。

「……まさか、あの無口が恋しくなる時が来るとはね。いつもは何か言えって思うのに、今はとにかく黙らせたい」

「全くだな。……おい、セドナ。オメー何でライがこんなことほざいてやがるのか、本当に知らねぇのか? ベルキスとか、限界が何だのと言ってたじゃねぇか」

エルヴィラがまだ少し湿っている赤毛を乱雑に掻き上げ、苛立ちと憂いを含んだ眼差しを床に落とす。シルバが苦々しく同意して、投げ遣り気味にセドナへ問う。困った顔で首を振り、自分の方こそ知りたいと彼女は返した。

「倒れたのは、一人でイオルムと〈影〉の相手をして、更に結界を力技で破ったからだと思いますが……。正直に言って、ライが私を助けてくれた理由も、体力の限界まで戦おうとした理由も計りかねているのです」

 ライオネルに助けられたあの時、セドナは彼の素顔を垣間見たような気がした。だがその一瞬で全てを悟れたわけではない。未だ真相を知るためには、不足している情報がある。当の本人が眠っている今、彼らは完全にお手上げだった。

 ジャンはそう結論が一致したのを交わされる視線から読み取ると、仕方ないと両手を上げ、先ほどから唯一目を合わせようとしない仲間へ言葉を投げた。

「分かったよ、降参する。俺たちはライのことを、さすがに見誤り過ぎてた。ちゃんと反省して認識を改める必要があることも認めるさ。……だからお前の知っていることを洗い浚い話せ、フィリオン」

 ジャンの剣呑な声に、一同の注目がフィリオンへ集まる。壁に寄りかかり腕を組んだ彼は部屋に集まって以来、ずっと仲間たちのいない方を見ていた。その一切の感情を削ぎ落としたような無表情は、今朝までのライオネルと重なる。似て非なる二人の関係性は未だに曖昧なままだが、少なくともフィリオンが他の者より多くの事実を得ているのは確定していた。

「……俺とライはあまりにも近すぎて、お互いの行動が良くも悪くも影響し合う。俺はライではないし、ライは俺ではない。俺の勝手な判断で、ライの選択肢を減らすなんて許されない。だから俺は、あんたらが自分で気づいて、動いてくれるのを待っていたんだ」

まるで独り言の様に、フィリオンは淡々と呟いた。低く平坦な響きに、少しずつ温度が戻り始める。ゆっくりと仲間たちに向けられたのは、泣いているような、笑っているような、様々な感情がないまぜになった顔だった。

「でも、そうも言ってられなくなってしまったし、今は話すよ。俺の知っていることで、本当に合っているかは分からないけど」

そう前置きして、彼は語り出す。


「……勇者など居ない世界で人々が求めたのは、魔王に対抗する『英雄役』を引き受けてくれる誰か。それを本当に実現してしまったのが、そこで寝こけている――努力する方向性を間違えた、お人好しな馬鹿だ」


―――――――――――


 外の雨は少し弱まって、窓を叩く音も静かになり始めた。じきに上がりそうな様子は、室内に居る者達からも、分厚い暗雲を取り去ってくれるようだ。フィリオンの話す「ライオネル」の片鱗は今までにも見えていた。おかげで真偽は疑いようもなく、ただ事実のみを受け入れることができる。

 常に死と隣り合わせの世界。暗い色の人々の中に現れた、明るい色の少年。小さな勝利は誇張され広められ、絶望を瞬く間に希望へ変えた。優しすぎたせいで、増える一方の守るべきもの。慈悲を捨て、悲哀を排し、安楽を避け、いつしか恐怖と戦意のみを残して、心を凍りつかせた。頼ることを甘えと断じ、他者に寄りかからないことだけが、己に出来る唯一の援助だと信じて疑わなかった。他者をいつも見ていながら、その視界からは隠れようとした。全ての行動は、大切なものを奪われないために。


 話し終えた時、黙って聞いていたエルヴィラが天井を仰ぎ、フィリオンへ問うた。

「……で、アタシらはどうすれば良いかねぇ。ライの本当の性格が分かったところで、自己犠牲に走る考え方を変えないと意味が無いよ」

「ただ僕たちが歩み寄るだけじゃ、ライをますます怯えさせるだけだ。もっと状況が悪くなるかもしれないよ」

エドウィンも悲しげにベッドを見る。ライオネルは最早仲間から離れるという選択ができない。心配すればするだけ、彼は負担になることを避けようと、今まで以上に身を削るはずだ。

「色々と麻痺してきているみたいだから、立て直す前に畳み掛けるしかない。目を覚ました直後が勝負だ。本音に気づかせる。本当はライだって、こんなの辛いはずなんだ」

「壁が脆くなってるうちに叩き壊せってことかい? あんたにしちゃ、なかなか厳しいことやるじゃないの」

フィリオンの強気な発言に、エルヴィラが悪戯っぽく口角を上げる。彼はライオネルに対して多少強引な手段を取ることはあったが、それでも一定以上は踏み込まないようにしていた。絶対に嫌がると分かる方法で関わるとは、彼にしては思い切った行動だ。

「私も、この機会を逃してはならないと思う。多少荒療治だが仕方ない。――兵器になど、させるものか」

厳かにクレスが告げた瞬間、耳に届いた微かな音に、全員が振り向いた。


「――う……」

 聞き逃してしまいそうな音。しかし誰もがその発生源を、固唾を呑んで見守っていた。やがて、今か今かと待ちわびていた、その瞼の持ち上げられる時が来る。

「! ……ライ、起きた? 分かるかな」

 勢いよく話し掛けそうになったアイリスは、慌てて声を落とした。現れた琥珀はまだ覚醒しきっておらず、どこかぼんやりとして頼りなく揺れている。彼女の横からゴウがそわそわと落ち着かない様子で顔を覗かせ、更にその横へセドナが張り付く。段々とライオネルの視界に入る顔が増えるにつれて、一旦解かれていた眉間の皺が深くなっていくが、彼は黙って状況把握に努めているようだった。結局全員がベッドの脇に立つ頃、ようやく彼は掠れた声を発した。

「……何をしている」

「お見舞いと看病。アイリス以外は暇を持て余しているから、何か欲しい物があれば取って来るぞ」

 間髪入れずにフィリオンが答えれば、訝しげに目を細める。九人がそろって真面目な顔で並んでいる光景は、何があっていたのか知らないライオネルの目には、さぞ怪しく不気味に映っているだろう。

「必要、無い。……もう問題無い。倒れたりして、悪かったな」

右手で顔を覆い一度溜息を吐くと、ライオネルは身を起こす。だが、

「あぁ? どこが大丈夫なんだよ。オメー鏡見ても同じこと言えんのか?」

シルバが唸り、

「悪いって自覚はあるのか。じゃあ二度と無茶はしないはずだよな? 風邪引いただけでもこの通りの騒ぎなのに、まさか居なくても変わらないとか思ってないだろうな」

ジャンが口元だけで笑み、

「あっ、まだベッドから出ちゃだめ! どれだけ熱があると思ってるの! 大人しくして!」

アイリスが相当の剣幕で責め、予想外の事に分かりやすくたじろいだ。ベッドに座ったまま二、三度瞬きをして、困惑を隠すように不機嫌に再度問いかけた。

「何なんだ、一体」

「分かんねーの? みんな心配してんじゃん。一人じゃ何も出来ないって言うなら、怖がってねーでさっさと頼れば良かっただろ」

 さも当然というようなゴウの言葉に、とうとうライオネルも原因を悟る。フィリオンを睨む目は鋭いが、まだ平時の調子は取り戻せていないのか、怒りの中に怯えが見えていた。

「お前、余計なことを……!」

「あんたはこのままで良かったのかよ! 目を逸らしたって、傷付いた事実は変わらないんだ。いい加減、自分に嘘を吐くなよ!」

「俺がどうあろうと、お前には関係無い!」

まるでせめぎ合う二つの想いが、もう一人の自分という形で現れたかのような口論。ライオネルは荒々しく言い切ったが、一同には悲鳴にしか聞こえなかった。熱に浮かされた頭では感情の歯止めが利かず、怒涛の勢いで言葉が吐き出される。

「そうやって俺なんかにかまけて、他のものが入るべき枠に、俺なんかを入れるのか!? ――必要とされているのは俺ではないのに、お前たちはいつもそうやって俺に手を伸ばそうとする。違うだろう! 本当は、その手で自分の身を守らないといけないんだ。余裕があるなら、俺ではなく他を選ぶべきなんだ! 結局いつか手を放すぐらいなら、いっそ最初から与えないでくれ!」

 全てを拒むように俯いてしまう。頑なな心はこれ以上踏み込むことを許さない。耳に痛いほどの静寂が場を支配し、長い髪の流れる音だけが僅かに空気を震わせる。次の行動を決めかねて伸びきってしまった沈黙を、破ったのはセドナだった。

「……ライ。戦闘になる直前、話していたことを覚えていますか? 私にとっての『仲間』を、貴方はいらないと言っていましたね。今でもそれは、変わりませんか?」

 静かに問う彼女の瞳には真摯な光が宿るだけで、余計な感情は一切見られない。顔を伏せているライオネルにそれは見えていないが、彼女は糾弾も懇願も意図せず純粋に尋ねているだけだというのは、音だけで察してはいるはずだ。

「……俺はひとりで良い」

低く抑揚の無い、感情の分からない声。今までであれば、話は終わりにするしかなかっただろう。彼女が怯まず続けられたのは、


「ではなぜ、貴方は今、泣いているのですか?」


ぽたりと、言葉と共に零されたものがあったからだ。

「―――――え?」

 ライオネルは言われて初めて、頬が濡れていることに気が付いた。伝い落ちる雫がシーツに染みを作る。止めようにも次々と溢れ出てしまい、彼は身を竦ませるばかりだった。感情の奔流は胸の奥底から、押し込まれてきたものを上へ上へと運んで来る。

「自然と出て来たのなら、それが貴方の本心でしょう。心の訴える想いを無視してはいけません。助けてほしいのは皆同じだとすれば、貴方だけが我慢するのは不公平です。貴方も含めた皆が助かるのなら、その方が理想的でしょう? それが難しいとしても、簡単に諦めないでください」

 親しい者と戦えなかったセドナも、喪失を恐れたライオネルも、反目しながら結局は同じことをしていたのだ。本当の想いから目を逸らし、虚勢を張って誤魔化していた。

「お願いします。もう隠さないでください。……その手で抱えきれないのなら、手を増やせば良いのです。貴方一人では叶えられなかった願いも、皆でなら叶えられるかもしれません。何も手放すことなく、全てを支えきれるかもしれませんよ?」

顔を上げたライオネルは呆然とセドナを見る。

「貴方は、私たちに、どうしてほしいのですか?」

そっと手を取り微笑んだ彼女は、確かにそこに居るのだと、ぬくもりを伝える。今ここに居るのは、何も彼にしてやれない死者ではなく、共に歩み続けられる生者だと、孤独な彼に教えるために。


 少年の願いはいつでも、控えめすぎるほどにささやかだった。穏やかで平凡な、愛しい日々が続くように。大切な人々が笑って生きていてくれるように。他者に求めるものの少ない彼が、最後まで心の奥に取って置いた願いですら、なぜ諦めようとしていたのかが不思議なぐらいに、小さなものだった。


「――そばに、居させてくれ。姿が見えるぐらいの距離で良いから」


 その声は消えてしまいそうなほどか細い。実際これまでは、理不尽な暴力と身勝手な我儘に紛れて、隠されてしまっていたのだろう。だから、フィリオンが手始めに手を加える。

「……やり直し」

「は?」

「『居させてくれ』じゃなくて『居てくれ』。あと『で良い』じゃなくて『が良い』。それに姿が見えるぐらいじゃ遠すぎる。最低でも手の届く距離だろう。……俺たちが聞きたいのは、俺たちにライが求めるものだ。この期に及んで、甘えるのは迷惑とか考えるなよ」

見えないのなら、見つけてやれば良い。小さいのなら、大きくすれば良い。

「手厳しいな。だが確かに、君はもっと欲張っても良いだろう。……少なくともこの世界には既に『勇者』が居る。望むなら、私は勇者として全力で君も皆も守ろう」

「半分だけどカミサマもいるぜー。オマエが頑張っても出来ない部分はオレに任せろ!」

「女の子ならこの胸に飛び込んでおいでって言うけどねぇ……。とりあえず、もう一度寝るまで皆で見守っててやろうか」

「それ、僕だったら逆に眠れないなあ……」

 賑やかになり始めた仲間たちは、皆一様に笑っている。それだけで良いと思い込もうとしていたが、その中に居たいという想いは、まだ辛うじて引っかかっていたらしい。

(やっぱり、俺の願いは叶わない。――諦めさせてほしかったのに、皆といきたいなんて言えるようになってしまったじゃないか)

 ありがとうと、囁いた言葉もきっと、仲間には届いていた。


【Die fantastische Geschichte 0-28 Ende】


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