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Die fantastische Geschichte 0  作者: 黄尾
火の封印
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0-27:凍てつく現実、燃える理想

【0-27:凍てつく現実、燃える理想】


 雨で水分を含んだ髪が張り付いて鬱陶しく、なんとなく長く伸ばしてきたことにすら、荒れ狂う海原のようなセドナの心は掻き乱されている。見つからない結界装置に、師匠との対面、そしてライオネルの拒絶。この短時間で色々なことが起こりすぎた。行き場の無い感情が渦巻き、天気までも彼女に追い打ちをかけるようで、良くないと分かっていても攻撃的な態度になってしまう。

 それを見咎めたベルキスは、セドナとは対照的に余裕の表情だ。

「物に当たるなんて、お行儀が悪いわよ」

ベルキスはそう言うと、セドナの記憶にあるものと変わらぬ笑みを浮かべる。今となっては遠い過去だが、かつては彼女に魔法だけでなく礼儀作法や一般教養も教わっていた。優等生と褒められるだけでなく、未熟と叱られることも多々あった。蘇る思い出の日々に懐かしさが込み上げ、今との差異への悲しみに胸が締め付けられる。

「すみません。……それで、私に話とは何でしょう。わざわざ二人きりになった上で、更に邪魔が入らないようにしたのですから、よほど大切なことなのですよね」

 胸中を占めていた全てを脇へ押しやり、平静を保てと自身に言い聞かせた。ここは戦場なのだ。ベルキスに対しているのはセドナだけであり、仲間たちはまだ来ない。それもそのはずだ。少し周りを見るゆとりが出来て気づいたのだが、ライオネルから隔離しているこの結界は、周囲にも広がっている。この魔法を破らない限り、援軍はそこから先へ入って来ることが出来ないのだ。時間を掛ければ残りの仲間たちでも突破出来るだろうが、それまでセドナたちが倒れないという保証はない。


 少しでも時間を稼ごうと、セドナは慎重に出方を計る。それに気づいているのかいないのか、ベルキスは先ほどから調子を変えることなく口を開いた。

「一つ貴方に忠告しておきたいの」

「忠告?」

「ええ。結界装置や〈災厄〉のことなんて放っておいて、自分の身を守ることだけ考えるように、って。そうねぇ、ほとぼりが冷めるまで戦闘に出るのは止めた方が良いかもしれない」

セドナには一瞬、ベルキスが何を言っているのかが理解できなかった。意味が脳に浸透していくにつれ、疑問符が次々に浮かび上がって来る。敵として、邪魔される前に手を引かせたいのだろう、というぐらいは考え付いた。しかし今の言葉の裏には、もっと何か別のものが含まれているように思え、セドナは混乱する。

「……そんなことはできません。私がこの世界に来たのは、助けを求められたからなのですよ? それを果たさず隠れるなんて無責任な真似は――」

「だめ、だめ。いつも言っていたでしょう? 貴方は正解の存在を一つだけしか認めようとしないって。重要なのは複数の正解の中から、最善のものを選ぶことよ」

 何とか絞り出した反論は、すぐさま否定されてしまった。

「貴方が今言った『無責任』というのは、確かに良心とか正義とか、そういった点で考えれば出て来る言葉でしょうね。でも、なぜ貴方が世界を救わなくてはならないの? 我が身可愛さに逃げたからって、責められる謂れはないわ」

次々と並べられるベルキスの主張に、セドナは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。それ以上聞けば、毒がじわじわと侵食していくように、彼女が絶対の基準としていたものが塗り替えられてしまうような気がした。小刻みに震える手から、杖が滑り落ちそうになる。

「自分が一番大事だという考えだって、正しいことには変わりないわ。それを非難するような理不尽な世界は、さっさと滅びてしまうべきなのよ」

「何を、おっしゃっているのですか……?」

「セドナ、賢い貴方なら分かっているはずよ。今貴方が取るべき選択は何なのか」

 その先の言葉を聞くのが恐ろしかった。しかし、ベルキスの話に最後まで耳を傾けるのは、もはや身に沁みついた習慣のようなものだ。聞いてしまえば、おぞましい「正解」を知ってしまうことになると分かっていても、目を逸らすことが出来なかった。


 ベルキスは非情な選択肢を、あくまで慈愛に満ちた笑みのまま突き付ける。

「辛い戦いなんて止めてしまいなさい。私と戦うことも、信用できない仲間と居ることも、貴方には耐えられないことでしょう? 貴方は知るべきなのよ。現実的で最善の解は、綺麗事を排さなければ成り立たないということを」

つまり、全てを見捨てろと。今ここで戦うことは愚かであり、保身に走ることが正しいのだと言う。確かにこのまま戦闘になれば、セドナは実力の面でも、割り切れない情の面でも、ベルキスに勝てる見込みは無い。


 今でこそ敵対しているが、セドナの中には未だにベルキスへの憧憬の念が、昔と変わらぬままに残っている。それが少しでも無くならない限りは、大切な師匠と戦うなど到底無理なことだった。仲間たちには覚悟を決めるなどと言ったが、実際に対峙すれば簡単に揺らいでしまう。

(違うと、言いたいのに言えないのはなぜ? 私は、いつも、どうやって物を考えていたのでしょうか。――お師匠様に従う以外の答えを、導き出した、ことは……)

いつだって師匠は正しく、それに対抗しようとした己の考えは間違いでしかなかったではないかと、反論する気力を失っている自身に愕然とした。


 その瞬間を見計らったように〈影〉が五体現れた。ベルキスとの間に立ち上がった黒い塊の一体が、白く光る眼をセドナに向ける。無機質な光が恐怖を捉え、更にそれを求めて一歩近づいた。二本の脚で大地を踏みしめ、その身を鎧で覆い、手にした剣をセドナに突きつける。微妙に濃さの違いはあれど、黒一色で形作られた青年。本来であればその髪は淡い金色で、見つめる瞳も冷淡な白ではなく、穏やかで優しい藍色である。

「――――クラウス」

剣など、彼がセドナに向けるはずがない。親しい者との戦いを忌避した彼女を、追い詰めようとしているだけだ。そう分かっていても、動けなかった。

「あ……」

「ほら、この〈影〉たちは貴方の弱い所を突いてくる。……この中からの転移魔法は、制限していないわ。早くお逃げなさい」

 一歩後ずさったセドナへ、やれやれといった調子の声が掛かる。ベルキスには助け舟を出すつもりは無く、あくまでセドナに選ばせようとしていた。敵だと頭で分かっていても、彼女には〈影〉を倒すことは出来ない。彼女の心は、例え姿を真似ただけの化物だとしても、心優しい幼馴染を攻撃できるほど強くはないのだ。身を守るためには、ライオネルを一人残すことになろうとも、逃げるしかない。

(「クラウス」を傷つけることも、ライを置いて逃げることも、私には……)

 〈影〉は剣を振り上げる。セドナはそれを避けようともせず、ひどく遅く感じられる時間の中で、呆然とその身に迫る黒い刃を待った。視野を狭めて大事なものを見落とし、敵の言葉に惑わされ、割り切ることも出来ず戦意を失う。何も為せないままに倒れるとは、これでは拒まれても仕方がないと、今更ライオネルの態度の理由が分かった気がした。

 諦めの境地で彼の居る方へ視線を流す。直接言えないだろう謝罪の気持ちを、その一瞥に託すために。


 ガラスの割れるような音がして、光の刃が黒を切り裂いた。セドナの視界に映ったのは拒絶の背中ではなく、崩れた壁の向こうから駆け寄り、手を伸ばす仲間の姿だった。


――――――――――


 魔法を破り、更にその余波で〈影〉も倒したライオネルは、セドナの下へ走った。残りの〈影〉が横合いから漆黒の槍を突き出してくる。複数の攻撃をギリギリのところで潜り抜け、へたりこむセドナを守るように背を向けた。彼にもあまり余裕は無く、刃の掠めた結い紐が切れ、濡れ細った銀が背に広がっている。セドナの無意識の呼びかけに反応して、僅かに彼女へ向けた横顔からは、疲労と焦燥の色が濃く見て取れる。

「ラ、イ……」

「戦えないなら、下がっていろ」

「ですが、貴方も……!」

ライオネルが結界の破壊に使った技は、魔法ではない。だからこそセドナには、その消耗の激しさが如何ほどなのか推測できず、本当は立っていることすら辛いのではないかと危ぶむ。実際、ライオネルが肩で息をしているのは初めて見た。

「俺は、まだ戦える。――そんな顔で前に出るぐらいなら、さっさと逃げろ。自分が生き延びることだけを考えて、俺のことなど捨て置け」

 言葉に含まれる棘も、常よりずっと少なくなっていた。いやむしろ、ずっと裏側に隠されてきたのだろう想いが透けて見える。彼はセドナを助けた。そして生きろと言う。

(もしかして、ずっと? ずっと「仲間を生かすために」戦っていたのでしょうか? 自分の身を、犠牲にしてでも)

仲間だと思われていないなどと、この期に及んで考えられるだろうか。ただし共に戦う者として信用されていないのは確かだろう。なぜなら彼にとっての「仲間」は、助け合うのではなく、彼だけが命を賭してでも先へ進ませるべき相手なのだ。

「チッ……少々戯れが過ぎたか」

「駄目じゃない、イオルム。捨て身で挑んで来る人間は厄介なのよ? ……ああもう、結界が解けたせいで、集まってしまったじゃないの」

 近寄って来たイオルムに、ベルキスが非難の目を向ける。彼女が嘆息すると同時に、次々と戦士たちが姿を現した。

 ゴウとシルバがイオルムたち目掛けて突進し、エドウィンとジャンが後に続く。エルヴィラが残っていた〈影〉を全て倒して、開かれた道を通ってアイリスが二人に駆け寄る。フィリオンとクレスが二人を背に庇い、油断なく前を見据えた。もう大丈夫だと、クレスは安心させるように告げる。

「すまない、結界に阻まれて遅くなった。よく持ちこたえてくれたな。後は我々に任せてくれ」

二人はこれ以上戦えない。アイリスの治癒魔法でも、失った体力を完全に回復させることはできない上に、精神的にも限界が来ているのだ。セドナは頼もしい仲間の言葉に、自身の不甲斐なさを悔やみながらも頷いた。

「……俺は、まだ、戦える」

 ライオネルは気丈に言うが、その顔色はますます酷くなっている。一歩、踏み出そうとした足から崩れ落ち、地に膝を着いてしまう。セドナは手を伸ばし、立ち上がろうとしている彼を支えた。しかし足に力が入らないのか、突き立てた刀に体重を預けるだけで精一杯のようだ。

 セドナは息も絶え絶えに発せられる言葉を聞き取ろうと、長い髪で隠された顔を覗き込む。そして目に入った虚ろな瞳に、ぎくりと身体を強張らせた。


「ま、だ……まだ、たたか、え――」

 前を向いているようで、どこも見ていない。セドナが絶句している間に〈変幻の神器〉は形を失い、元に戻ってしまった。杖代わりにしていた武器の像を、彼が保てなくなったということは。


「ライ! ライ、しっかりしてください!」

 支えを失い、前に傾いだ身体を抱え込む。ぐったりとして意識の無いライオネルに、セドナは必死で呼びかけた。仰向けにして軽く頬を叩いてみるも、その瞼が持ち上がる気配はない。

 セドナの声に尋常でない様子を読み取り、イオルムは何が起きたかを容易に察した。ベルキスも繰り出される攻撃を難なく払い除けると、呆れたと言ってそちらを見遣る。

「無茶をするから。とうの昔に耐えられなくなっていたのに、限界を超えるまで痛みを無視するなんて」

「我輩が手を下すまでもなく自壊したか。……残念だったな、人間ども。貴様らが戦いに追い立てて来た〈紅の義士〉は、その役目を果たす前に墜ちたようだぞ!」

 勝ち誇った笑い声に、戦士たちは険しい目を向ける。殺気すら籠ったそれを意にも介さず、イオルムは魔法陣を展開した。一番の標的であったライオネルは倒れ、他の者たちを相手にするのは分が悪い。成果は十分だと、ここで退くつもりのようだ。

「これで我輩の用は済んだ。……魔女よ、精々深追いは止めておくことだな」

ベルキスに忠告を残すと、闇に包まれ姿を消す。何も言わずに見送った彼女は、武器を向けている戦士たちではなく、ライオネルの傍で未だ座り込んでいるセドナを見つめた。

「セドナ、貴方もこうなる前に手を引きなさい。私は貴方が泣くところなんて見たくないわ。正義感なんかに縛られて身を削るなんて、愚の骨頂よ」


 親切心で言っているのだと、彼女の表情は告げている。そのことに、セドナの中で何かが切れた。

「――ふざけないでください。なぜ私が、貴方に従わなければならないのですか」

立ち上がり、杖を折れそうなほどの力で握り締める。澄んだ黒の瞳に、怒りの炎が灯った。

「お師匠様、確かに貴方はいつも正しかったです。今だって、貴方の示す答えが最善なのでしょう。理屈で考えれば、ライのしてきたことは、愚かなことだったのでしょう」

 何も言い返せないことが悔しかった。一番大切なことなど分かっているはずなのに、セドナは「師匠の言葉」というだけで流されてしまいそうになった。だがそれは、共に戦う仲間たちへの裏切りだ。ベルキスの考えが正しいのだとしても、セドナがそれに従う必要はない。

「それでも正解が一つでないなら、選ぶ権利だって複数あって良いはずです。綺麗事でも、無茶な理想であっても、それを貫く権利はあるでしょう。愚かだの何だのと、他人にとやかく言われる筋合いはありません」

 今までの彼女は盲目すぎた。正しく在ろうとするあまり、その基準を「敬うべき師匠」に固めてしまっていた。そのせいで、命懸けで守ってくれた仲間に仇で返すなど、許されることではない。


「――お覚悟を。私は皆と共に戦い、貴方を超えて〈魔女〉となります。理屈の上での最善でなくとも、理想の正解を選んでも良いのだと、私が証明してみせます!」


 たとえ間違いだと誰もが言おうと、本心を偽ることなどできない。ならば血反吐を吐くことになろうとも、仲間と共にその道を貫くのみ。

 最愛の師だった人よりも、今の仲間を選んだセドナに、ベルキスはほんの少しだけ悲しげな顔をする。それを見てもセドナの決意は揺らがなかった。自分自身で得た答えこそが、選び取るべき正解なのだと疑わない。

「……その結果が、今の彼よ? 貴方はそれに耐えられるの?」

「ライは方法を間違えただけです。助け合い、支えてくれる仲間が居る限り、私が倒れることはありません。一人では成し遂げられないことも、皆とならば」

「そう……なら、仕方ないわね」

一人で全てをこなせるとはセドナも考えてはいない。理想の正解が最善にならないのは、選んだ者に多大な犠牲を強いるからだ。独りでそれを賄おうとすれば、ライオネルのように倒れてしまうだろう。セドナには「仲間」が必要であり、そして今まさに支えられている。

 先ほどとは違い一人ではないことで強固なものとなった彼女の意志に、ベルキスは落胆し首を振った。

「私と共に来てくれないのは悲しいけれど、成長したこと自体は嬉しいわ。だから、これはご褒美」

セドナの説得は諦めたが、師弟関係は続いている。右腕を上げ、真っ直ぐにセドナたちの背後にある「ご褒美」を指し示した。

「結界装置は、そこよ。その大樹は結界で、イオルムがカモフラージュのために幻を見せているだけ。周りの地面をよくご覧なさい。火の封印魔法の影響で、雑草の一本も生えなくなっているみたいよ」

 ベルキスが指差した先にあったのは、セドナたちが雨宿りしていた大樹だった。ライオネルが見つめていた地面には、ベルキスの言う通り、不自然なほどに植物が生えていない。熱気と周囲のものを焼き尽くす火のおかげで、まるでその樹だけが周囲から隔絶されているかのようだ。

「そこの彼が言うのを躊躇ったのは、魔術師である貴方が気づいていなかったから、本当にあるのか自信が無かったのでしょうね。いくら巧妙に隠蔽されていたからといって、素人でも見つけた手掛かりを見落とすのはいただけないわ。……精進なさい」

その言葉を最後に、ベルキスは転移魔法でその場を去る。敵を二人とも見逃す形になってしまったが、戦士たちに後を追う気は無かった。今はライオネルの手当てと、結界装置が優先だ。


 押し黙ったセドナはゆっくりと大樹に近づくと、思い切り杖を突き立てる。強引に注がれた魔力によって、大樹の幻は掻き乱されて消えた。露わになったのは、勢いよく燃え上がる祭壇。雨の中でも衰えることを知らない炎が熱風を吹き付ける。しかしそれもセドナの魔法で一瞬にして凍りつき、後には氷の中で光る祭壇だけが残った。その氷に触れて俯くセドナを、アイリスが躊躇いがちに呼ぶ。

「セドナ……」

「私は今まで、何を見ていたのでしょう」

弱弱しく応える彼女に、アイリスはその先を続けようとはしなかった。次第に小さくなってゆく氷が、拒むかのような痛みと、傷つけず体温を奪うだけの冷気を彼女の掌に与える。

「この氷は、まるで――」

私の様です、と。呟いた声は雨の音に溶けて消えた。


【Die fantastische Geschichte 0-27 Ende】


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