0-14:異世界の仲間に関する所感・アイリス
【0-14:異世界の仲間に関する所感・アイリス】
屋敷に戻ると甘い匂いが充満していた。匂いの元を辿り台所を覗くと、アイリスが何やら作っているようだった。
「あ、おかえりなさい! ちょうどマフィンが焼けたからお茶にしようと思ってたところなの。他の皆も帰って来てる?」
真剣な顔で網の上に並べられた物体を見ていたアイリスがこちらに気づき話しかけてくる。どうやら甘い匂いの正体はマフィンというらしい。綺麗な狐色をしたそれらが十一個。
「いや、探索に出た他の三人はまだ外だ。町に寄ってから戻るので遅くなると言っていた」
「そっか。じゃあ三人分取って置かないとね」
そう言って彼女は十一個のうちの三個を残して皿にマフィンを乗せ、楽しそうに食堂の方へ向かう。テーブルにはすでにティーセットが用意されており、戻って来た彼女は棚からカップを一つ取り出して、またテーブルに戻って行った。私の分か、言ってくれれば自分で用意したのに。
「他の皆を呼んでくるから、ちょっと待っててね! 座ってていいから」
軽やかな足音が遠ざかるのを聞きながら、他愛も無い会話ができたことに感慨深く思う。最初の頃は今のような短い遣り取りの中でも一回は怯えさせてしまっていたので、その度に申し訳なく思っていたのだ。目が合った瞬間にビクリと肩を震わせた時などは、なるべく近寄らない方が良いだろうかと悩んだものだ。
アイリスは共に戦場に立つ者として当初不安になったほど気弱な少女だ。彼女をこれまで一度も泣かせずに話せたのは女性二人とゴウぐらいで、もしや男性恐怖症なのではないかと疑った時期もあった。しかし実際は慣れない環境と見知らぬ者たちに怯えていただけだったので、慣れてからは話しかける度に震えることも無くなり安心している。不仲はパーティの士気にも関わるからな。
普段は小柄な体を更に縮こまらせていた彼女だったが、一度戦場に立てば立派な戦士であるのは他の者と同じであった。治癒師という役割から直接敵と戦うことは少なくとも、前線に立つ者を支えているのは紛れも無く彼女である。日々の探索で時に強敵とぶつかりながらも、今のところ誰も大きな怪我を負うこと無く来れているのは、戦士としての力量の高さだけでなく彼女の適切な補助のおかげだ。戦闘中は若さゆえの不安があるため出来るだけ気を配るようにしているが、逆に後衛の彼女に助けられたり戦いが終われば彼女の方が役に立ったりするので、一方的な庇護にはならずに済んでいる。特に治癒魔法に関してはアイリスしかまともに扱えないこともあり、どうやら並々ならぬ使命感に燃えているようだ。
――クレス、その傷診るからそこに座って
――いや、これぐらいなら自分でできる。大丈夫だ
――ダメ。ちゃんと手当てしないと
――しかし君の手を煩わせるほどでもない
――もう、治療に関しては私が上なの! 大人しくして!
これはいつだったのことだったか。なかなか傷を見せようとしなかったばかりに、相当な剣幕で怒鳴られてしまった。治療の間、適切な手当てをしなかった場合起こり得る事態について淡々と語られた挙句、謝るまで延々とグロテスクな図解付きで解説されて以来、彼女の治療は絶対に拒まないと決めている。女性は強いとよく言うが、彼女にもしっかり当て嵌まるようだ。
そんなことを考えていると、視界の端で何かが動いたような気がした。そちらを見遣ると一つだけ別の皿に盛られたマフィンがあり、一部が不自然に欠けている。時折アイリスが用意する小さな皿一枚分の食べ物は、必ず誰かが手を付けたように減っている。私はその「誰か」を見たことは無い。今後も見ることはおそらく無いだろう。
エルフというのは姿無きものを捉え声無きものと対話する種族であるそうで、薄くともその血を継ぐアイリスもまたそういったものの存在を認識しているらしい。彼女は彼ら――性別があるのか疑問だが――を「精霊」と呼んでいる。魔力そのものではないが近い存在であるというそれらは、どの世界でも存在すると言われてはいるが知覚できる者は少ない。実体無きもの達がこうして食事を取れるのもエルフの能力の一つであり、力を借りた時などにお礼として用意していると聞いた。
「お待たせ。あ、ちゃんと食べてくれてるね」
扉を開けたアイリスは取り分けて置いたマフィンが減っているのを確認して顔を綻ばせている。もう一度見ると、先ほどは一口分齧られたような跡があっただけだったというのに、マフィンは細かな欠片を残して跡形も無く消え去っていた。今回のお礼を彼らは随分と気に入ったようだ。
「わあ、綺麗に焼けたね。僕の所の料理長も褒めざるを得ないと思うよ」
「そ、そ、そんな凄いものじゃないよ! お城の料理とこれを比べちゃ失礼だから!」
「少なくとも店で売れる出来栄えなのはアタシが保障するよ。夕飯の支度が無くなったおかげで上等なお菓子にまでありつけるとはね」
「エルヴィラまで!」
「差し入れを下さった方に感謝しませんとね。ところで――」
入って来たエドやエルヴィラの賛辞にあたふたと手を振り回していたアイリスは、続くセドナの言葉にぴたりと動きを止めた。
「お茶はどうしたのですか? そのティーポットにはまだ入れていないでしょう?」
一瞬の沈黙。台所を確認すると、ちょうどフィリオンが薬缶を火にかけたところだった。一度テーブルを見たきり台所へ向かったので何かと思ったが、彼はすぐに気づいたようだ。
「ぁぁああああ忘れてたごめんね皆座ってていいからフィリオン後は私がするからあああぁぁ」
涙目になって台所へ駆け込むアイリス。どうやら湯が沸くまで待たねばならないようだ。
小さな体で仲間を支える彼女は時折こうした失敗をする。魔法に関する正確さと自信を普段も発揮してくれたなら、常に見守る必要も無くなるだろうに。そう指摘したなら彼女は泣いてしまうだろうか、それとも次こそはと笑うのだろうか。
【Die fantastische Geschichte 0-14 Ende】




