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咲き乱れた祈り



 冷たい石の上で気絶してからどれだけ経ったのか。しっかりと覚醒した時、抱き締めていたはずの母さんの首はなくなっていて、身体は砂埃にまみれていた。

 おぼろげながら何度か目が覚めかけたことはあったが、その度に強い眠気が襲っていてよく思い出せない。それでもとても騒がしく、誰かに見つめられていた覚えはある。


 騒音の原因はすぐに見当がついた。目の前には狭い間隔で鉄の棒が並び、俺を塔の最上階に閉じ込めている。王はよほど白銀の彩色士をこの世から消し去りたいのか。わざわざこんなことをせずとも、あいつにだって力は使えないというのに。

 あまりの茶番で、呆れることすら馬鹿馬鹿しい。俺は黒と白の穏やかな日々を夢で見て、そして彩色士としても二人を知っている。

 だからこそ、言葉の足りなかった黒の彩色士や、ただ付いて歩くだけで理解した気になっていた白銀の彩色士に、嫉妬のまま権力を行使した王と、誰も彼もが愚かしい。どうして素直に消え失せてくれなかったのか。


「おぉ! やっと起きたな」


 ふらつく頭に、押しよせる空腹感。しかし、もはや食べ物が塔に運ばれる気はしない。蓄えだって残念ながら別の場所にある。

 そのはずだったのだけれど、ぼんやりとしながら絶望が憎しみに変わっていることに気付いていると、おもむろに聞いたことのない声が落ちてきていた。


「彩……色、士……?」

「そうか、言葉はちゃんと話せるのか」


 焦点が定まっていなかった目は無縁なはずの影を捉え、持ち主へと導いていく。自分と同じ黒い髪が飛び込んできて絶句した。

 一体なぜ、彩色士がここにいる。もはやその宿命は、全てを憎しみに繋げる色と成り果てていた。


「その色を俺に見せるな!」


 掠れきった声で、それでもどこにそんな力があったのか全身で叫ぶ。鉄格子の向こうでも、座りこんでいるから余計にひょろ長く感じる男が驚きで目を丸くしていた。

 そこに宿った鮮やかな黄味のある緋色は、白銀の彩色士の記憶の中にある血に濡れた刃を思い起こさせる。それと同時に、母さんの首がないことも思い出す。

 慌てて周囲を探すも、あるのは腕や床に散って変色した痕跡だけ。たとえ見るも無残な状態になっていたとしても、出来ることなら腕に抱き続けていたかった。


「母の首を、探しているのか?」


 男の存在を忘れ呆然としていると、今度は低い位置で緋色とぶつかった。

 すると、そいつは目の前で、唐突にそこから滝のような雫を落とし始める。あまりのことに理解ができず、石の上に次々と生まれる染みを見つめることしかできなかった。

 自分の周囲の血と同じく、綺麗だと思ったのはなぜか。それはきっと、涙の枯れ果てた俺に代わり、知りもしない母さんを想い男が泣いてくれたからだろう。


「最高の母を持ったな。勝手して悪かったけど、あんな綺麗な人を放ってはおけなかった」


 シャツで乱暴に目元を拭い、緋の彩色士は懐から一輪の花を俺に差し出した。

 話として知っていた、母さんが大好きな花だと思う。小さな花がいくつも集まり一つになっていて、可憐を形にしている。穏やかな桃色に近いが、さらに強さも加わった淡い赤紫が塔の中で鮮やかに咲いていた。

 男は気を使ってか、床にそっとそれを置く。

 初めて花を目にした俺は、触れば壊してしまいそうで中々動くことができなかった。息を呑んでいると、鼻をすする音が響き渡る。


「城の外、街を出て馬を走らせて見つけた丘で眠ってもらった。そしたら次の日、その場所にはこの花が一面に咲き誇っていて……。いやぁ、驚いたな」

「……っ、……」

「ん? 悪い、聞こえなかった」


 不思議なことに、さっきはすんなりと出ていた言葉が上手く紡げない。震える喉は空気ばかりを通し、男に首を傾げさせる。

 恐る恐る手を伸ばすと、花は逃げることなく触れさせてくれた。細い茎は幾重にも伸び、小さな花を一つ一つ支えている。


「その、場所は、静かなの、か?」

「そりゃあもう。昼寝のつもりが朝になるぐらいだな。空も風も、きっと全てが色優しく見守ってくれるさ」

「身体、は?」

「安心しろっていうのもおかしいけど……。悪いな、助けてやれなくて。俺にはそれしかできなかった」


 母さんは陽の光の下に、天の御許へと戻る事ができたのだ。やっと、俺という呪縛から解き放たれた。

 そして男の言う通り、世界の一部としてその美しさを世に残せたのだとしたら、心から誇りに思う。悲しみ混じりの嬉しさでさえ、涙を作り出すことはもうできなくて、泣いてやれはしないけれど。


 首を振り立ち上がると、男も同様に動く。目線はそれでも上にあって、やっぱりひょろい。落ち着いてきたおかげでしっかりと観察できるようになった相手は、そのくせ鋭い目を携えていた。


「母さんに代わり、礼を言う。ありがとう」


 まだ笑えたことが意外だ。それと同じくらい、男も俺の態度に驚いたらしい。

 暫く間ができた後、いきなり鉄格子を掴んで隙間に顔を押し付けると、顔をくしゃくしゃにして笑う。ことごとく変な奴だ。白銀の彩色士の記憶にも、こんなのは居なかった。


「お前、俺の弟子になれ!」

「……は?」

「元々、それを言うつもりで会いに来た。勝手なのは分かってる。助け出してやることもできない。だけど俺は、お前を憎しみに溺れさせたくない」

「本当に勝手だな」

「じゃあ、お前は白銀に己を奪われても良いと? いや、思っていないはずだ。それはお前を心から愛した母を裏切り、冒涜する行為に他ならない。そうだろ?」


 男には何の期待もしていなかった。誰かがいなければあっけなく衰弱するだけだったとしても、生きられるだけ生き、そして自分のまま最期を迎えられたなら、母さんも許してくれるとまさしく思っていた。


 不信感が一気に押しよせ、警戒を促す。こいつは一体何者だ。この場に居る時点で、彩色士ならばなおの事おかしい。ここはその存在から自由を奪う。呪いが尾を引き、悲しみが連鎖する。


「何者だ」


 地を這う響きは、白銀とそっくりだった。少しは混ざってしまっているのかもしれない。母さん以外とのコミュニケーションなど皆無な俺が、怯むことなくいられるのは、自分の能力だと思いずらい。

 すると男はどうしてか、視線を上にずらし自分の髪を悲しそうに触った。


「俺は、後悔で占められた魂が天によって色を与えられた、その結果……かな」


 それが、三本目の鎖になってしまった先生との出会い。

 やはり本質として、全ての色を一つの命が持つなど重すぎたのだ。

 なぜ天は、もう誰も失いたくないと、巻き込みたくないというささやかな俺の願いを叶えてくれなかったのだろうか。





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