自己満足の謝罪
かけがえのないただ一人と出会うことのできたその瞬間の少し前、寝台に身を沈めて見ていた夢の中で声は聞こえた。
――起きなさい。
常に傍にあった闇にたゆたうわたくしへ、凛としながらも抑揚のない声が響く。有無を言わせない鋭さに目を開けると、そこには息を呑む美しさの女性が闇を穢しながら立っていた。
つり気味の涼やかな目の上で流れる柳眉は、ほんの僅か苦しみ歪んでいるようだ。
「あなた、は……?」
――私はあなた、あなたは私。今まで不便をさせて悪かった。
これは夢だ。何度も呟き落ち着こうとしているわたくしの前で、色を穢した美しい女性は深々と頭を下げる。
嗚呼――そうか。この人がそうなのか。その言葉が示すことは一つしかない。黒い髪が物語る彼女の正体もまた、限られている。
今まで殺し続けた存在にやっと会えた時、わたくしは自分が何者かも知った。
「あなたが理由だったのですね、黒の彩色士。罪深き同胞。そして、かつてのわたくし」
――お前は私とは違う。
「えぇ、当然です。誰があなたになどなりたいものですか」
――恨んでくれて構わない。それでも私は、あいつにもう一度だけでも良い、会いたかったんだ。
「冗談ではございません。だれが恨んでなどやるものですか。だれが、一度だけでは満足できず、今日の今日までわたくしの目を無断で拝借していた者など……!」
頑なに開くことのなかった目蓋は、この女性が、黒の彩色士が死際に願ったものを叶えるため、天が施されたものだった。自分が殺した白銀の彩色士に、それでもまた会いたいと願ってしまった想いを哀れんで、天はわたくしの目を彼女に貸した。
憎めればどれだけ良いのだろう。けれど、そうすることで救われていたことに気付いてしまう。この国は、お父様によって反彩色士主義に拍車が掛かったけれど、ずっと昔から忌み嫌っていた節がある。
それはきっと、この地が始まりの場所でもあったからなのだろう。白銀の彩色士によって理不尽に消されてしまった民達の恨みが、新たに築かれた国の王族たちに宿っている。
だからもし、わたくしがまともに産まれていたなら、一瞬たりとも祝福されることなくひっそりと闇に葬られ、弟が第一子となっていたはずだ。
呪いは守護でもあった。黒の彩色士に、わたくしは護られていた。
「……白銀の彩色士のことは、もう良いのですか?」
――いまさら私に出来ることなどなにもない。謝ることもできない。
「何故?」
――あいつがしたことは、私を理由にしても、私が悪いのだとしても、それだけではもう補えないものになっている。
「そうでしょう。いったいどれだけの者が、どれだけの彩色士が、今も彼に振り回され続けているのか。そしてあなたも」
――あぁ。私が願ったせいで、数多くの同胞が失われた。
「けれど……。それはわたくしの罪でもある。あなたはわたくしでもあるのだから」
初めて悔しさを抱いた。知っていたら何かが出来たわけでもないけれど、もしかしたら救えた命があったのかもしれないと思うと、今にも涙が溢れてしまいそう。そんな資格などないというのに。
そんなわたくしに、黒の彩色士は怯むことなく傲慢に乞う。だからこそ、せめて。せめて助けてやってはくれないか、と。
――緋色の彩色士が死んだ。
「緋色……?」
――このままでは、あっという間に喰われてしまうだろう。いくら約束を交わしたからといって、あの子はきっと限界だ。
「ちょっと待って。あの子とは一体誰です? 緋色の彩色士とは」
――緋色はあの子の師だ。……師というよりも、兄のようであったが。あの子とは、白銀の魂を持つ名も無き彩色士のこと。
ただでさえ、自分が彩色士だと理解したばかり。押し寄せる理を受け止めるので精一杯だというのに、黒の彩色士はお構いなしで次から次へと捨て置けない言葉を口にする。
さらに、痛いほど力強くわたくしの手を掴むと、何もない闇の中を進み出した。
これでは人形姫が形無しだ。さきほどから驚いてばかりで、彼女の方が無表情を貫いている。
――同じ全ての色を持つ者として、おそらくお前にしかあの子は救えない。
「全ての色……。いえ、それはおかしい。そういえば、わたくしの髪は金なはずです。え? ちょっと待って、頭が混乱してきました」
――それは、お前が本当に親の子であった場合に宿ったであろう色だ。彩色士は人間から生まれるが、そこに繋がりはない。
「えぇ、わたくしたちは世界に連なりますから」
――そうだ。だが、お前は私のせいで力の権限を失っていた。つまり、無理やり人間にさせられていた。その代償が盲目であり、今の今まで自分が何者か分からなかった理由でもある。
「と、いうことは……。この先わたくしは、今までのようではいられないということですね」
――お前が現在を望むなら、私を内に抱えることを代償にすれば出来なくはない。
無駄の一切ない説明は、一つの答えを導き出した。わたくしの抱える矛盾と、待ち受けているであろう未来を。
立ち止まると、黒の彩色士は無理に引っ張ることを止めた。振り返り、ジッとわたくしを見つめる。
その色はどうしても穢れて見えた。本質がもう手遅れなほど歪んでしまっている。悲しみを拭えないままに。
「そしてまた、あの空虚な日々を過ごせと?」
――お前が望むのなら。
「救えるものがあるのかもしれないのに?」
――〝かも〟ではない。お前なら救えると、私は確信している。
「あなたの保障をいただいた所で、嬉しくもなんともありません」
不思議な感じだ。目の前の女性がわたくしでもあるからだろうか。遠慮なく嫌味が零れてしまう。
それを黒の彩色士は笑って許してくれた。初めて見せた表情は、どこまでも物悲しい。
わたくしも愚かなことを。同情して良い相手ではないというのに。
「けれど、あなたはどうなるのです?」
――私はもう願いが叶った。出来ることなら白銀を連れていきたいところだが、それはあの子自身が追い出すか、あいつが自ら出て行くかしか方法はない。
「なるほど。では、名も無きその彩色士は一体どこに?」
――あの子はずっと、お前の傍に居た。私はずっと、白銀の傍に居られた。
「ならば連れて行ってください。それがわたくしの答えです」
迷わずに言い切ると、黒の彩色士が一瞬だけ驚いたように目を丸くし、唇をきつく結んで深く頷く。時間がないということなのか。再び繋がれた手は、強く先を促してくる。ほんの少しだけ、その手は震えていた。
愛する者を殺してしまった後悔は、一体どんなものなのだろう。自分のせいで消えていく人々を、その瞳はどんな想いで見続けたのか。想像もつかない。
わたくしの場合、彼女の人格がはっきりと残っているせいか、こちらに流れてくるものは何もなかった。記憶も、感情も、なにもかも。だからまるで、居もしない姉のような感覚で彼女を見てしまう。それでも、かつてのわたくしなのだと魂が告げる。
高い位置で一本に結ばれた髪が揺れる様を見ながら歩く事しばらく。
そうして、わたくしは辿り着いた。緋色の彩色士に導かれた黒の彩色士の案内で、わたくしだけが救えるという同胞の元へと。
――私の名は、理解してやれなかった人間の男が名付けた。白銀は、私が。けれどあの子には、未だ名がない。緋色は何故か名付けてやらなかった。
「わたくしと一緒ですね」
――まぁ、そうだな。彩色士にとって名は本質。是非ともお前が付けてやれ。
闇の中で古びた木の扉が浮かび上がる。躊躇なく手を掛けた所で、黒の彩色士がそれを止めた。
いいのだな? と、そう無言で尋ねてくる。後には引けないことなど、分かりきっていた。
しかし、縋りたい現在はどこにもない。
「わたくしは、あなたを恨んでなどやりません」
――それでも言わせて欲しい、すまないと。それと、私が夢からあの子の元に連れてきてやれるのは今回限りだ。
「そうでしょうね。あなたはわたくしの中からいなくなるのですから」
――理解が早くて助かる。さすが私だ。
「勝手に悦に浸らないで下さい。でもまぁ、あなたが願ったおかげで、役に立ちそうな特技を身につけられました。さようなら、かつてのわたくし」
――あぁ、さらばだ。どうかあの子を白銀から解放してやってくれ。
静かに離れていく腕を掴む力。背後に立った黒の彩色士に振り向くことなく扉を押した。
それはキィ、と鳴りながら、わたくしを待つ者の元へと導いていく。
――この先、お前の目が鮮やかに色を映し出すことを、せめて祈ろう。
祈らずともそんなこと、当たり前に決まっている。そう思いながら足を踏み出し広がっていた世界にて、わたくしはかけがえのない色を知った。世界が一色で染まる。
名も無き彩色士本人との出会いは、残念ながらお預けとなったけれど、その分定まったのが心だ。どうしようもない怒りと共に、わたくしの中で覚悟というものが根付く。
奪わせやしない。わたくしと同じ力を宿しながら、なんらそれを理解してなかった愚か者などに。自分の世界を相手も同じように見てくれていると勘違いした馬鹿な男に、わたくしだけの人を苦しめる資格などない。
たとえば背が同じであろうと、立場が同じであろうと、それでもわたくしたちは誰一人、他者の世界を眺めることは叶わない。だからこそ皆、隣に立とうとするのだ。少しでも多く同じ感情を味わい、同じ景色を見渡し、そうやって相手を知ることで出来る限り通じ合おうとする。
わたくしもそう。あなたの世界が知りたい。あなたの世界に混ざりたい。
その為にも、邪魔なものは全て退けよう。わたくしたちの自由を阻むのならば容赦はしない。
何故なら、この身には世界から授かった色が宿っている。役目がある。あなたを護れる力がある。
そうして、あからさまに罵詈雑言を放ってくるようになった人間を蹴散らし、塔の最上階へ二度目の侵入を果たした時。わたくしはやっと、あなた自身に出会うことが叶った。
白銀に蝕まれる、かつてのわたくしの力を受け継いだ人。塔の中の彩色士は、小さな扉を石の壁ごと砂に変えたわたくしを、虚ろな瞳で見つめていた。




