人形姫
お父様がお変わりになられたのは、いつ頃からのことだったか。ある日忽然と会いに来て下さらなくなり、周囲はしきりにとうとう見捨てられたのだと囁いていた。
もっとまともであったなら、せめて地位によって何かしらの役に立てたのかもしれない。生まれながらの盲目だけであれば、呪われた御子という畏怖を受けずにすんだのだろう。わたくしの目は、まるで見えない糸で目蓋を縫い付けられているかのようにきつく閉じ、頑なに光を拒み続けていた。
お母様はすぐに見限り、新しく弟をお産みになられた。至極真っ当な後継者で、その子は誰からも愛されている。それでもお父様は、わたくしのことを可愛がってくださったけれど、それは少しだけ歪んでいたように思う。
病ではなく人知を超えた力による盲目の原因とされたのは、世界に散らばる彩色士という未知なる存在。気付けばわたくしは、息をしているだけで、今まさにそれを始めたばかりの命を奪う理由となっていた。
そして本当に、ただ息をするだけの人形へと成り果てて行く。お父様に取り入ろうとする輩がわたくしを利用しようとどこからでも湧いてくることで、まず部屋から出るのが難しくなった。ただでさえ、一人では歩くこともさせてくれなかったというのに。
楽しみは、教師の読み聞かせによる勉学のみとなる。しかしそれも、成長していくとあまりに偏っていることに気付き、わたくしの方に嫌気が差してしまった。
日がな一日窓辺に座り、ただ風に当たるだけしか出来ない日々。起こされるがまま目を覚まし、事務的に食事を取り、刺繍をするでも読書をするでもなく、呼吸だけを繰り返す。
そうして、この国に生まれる彩色士なる者たちを殺し続けた。
することのなくなった侍女達の仕事が、噂話に花を咲かせるというものにとって変わるのはあっという間。
けれど、彼女達はもちろん、護衛の騎士達ですら気付いていなかった。わたくしの視覚以外の感覚は、普通の人に比べ驚異的に鋭い。彼らが影では人形姫と呼び、幼い頃からきつく近寄ってはいけないと言われていた塔の中に彩色士が居ることも全て、壁を隔てた控えの部屋からもたらされた。
けれどわたくしは嬉しかった。お父様に見捨てられたのだと耳にしたとき、安堵さえしたのだ。これで、歪んだ思想が国から消えていけるかもしれない、と。
いくら彩色士が恐るべき力を有していて、いつ何時人間に仇なすかもしれないからといって、そこには同じように命が宿っている。皆が簡単に踏み荒らす草花と変わらず、当たり前に。
分からないことの方が不思議だ。目に見えているはずなのに、どうして皆は気付けないのだろう。世界に満ちる命の躍動と、繋げられる想いの数々は、光を捉えられないわたくしにさえ耀かしく感じられる。
楽しいことなどなにもない日々だけれど、それでもわたくしが息を止めずに図々しくも居座るのは、それが自分にもあるのではと諦めきれなかったからなのかもしれない。いきなり現れたというお父様のご友人なる方だって言っていたもの。
「出会いを大切にして下さいませ、王女殿下」
「ならばわたくしは、まずあなた様との出会いに感謝致しましょう」
「これではまるで私が、口説いていると誤解されてしまいそうだ」
初めて接する部類のその人は、侍女たちの間でもっぱらの噂になっていた人でもある。
緋色の瞳がどこか人間離れした男性だと聞いていたけれど、たしかにその通り。見えずとも、耳に響く声のトーンや言葉遣い。身動きしたことで生じる音に、全身から発せられる雰囲気までなにもかも、全てが色めいて感じられた。
こちらの身構えなど気付いていないかのように、卑しさを滲ませることなく真っ直ぐに。ただ者ではなかった気がする。
「お父様は息災であらせられますか?」
「はい、ご安心を。私からも殿下のご様子をお伝えしておきます」
「それは結構です。どうかわたくしのことは気にせず、お父様のお力になられて下さいませ」
膝の上に置いた手にそっと添えられたその人の手は、とても大きく温かかった。慈しむことをきっと知っている。この手に支えられる人は幸せだ。
そういえばその雰囲気は、世界から感じるものととても似ていたようにも思う。
「殿下は彩色士を恨んでおいでですか?」
「何故です?」
「光を奪われ、自由を奪われ。殿下は今、生を謳歌されてはいない」
唐突な質問に笑みが零れた。久しぶりに表情を浮かべられた気がする。
おもしろいことを言う方だなと、そんな程度の気持ちだった。
「けれど、世界を謳歌させてもらってはおります。あなた様は先ほど、出会いを大切にとおっしゃいましたね?」
「はい、たしかに」
「ならば何故、出会ってもいない者を恨めましょう。漠然とした存在に対して怒りを抱いたところで、何になるのでしょうか。たしかにわたくしは、世界を見ることが叶いませんが、だからといってそれが全てなわけでもない。それに……」
「それに?」
「もしこれが本当に呪いなのだとしたら、わたくしまで恨みを抱いてしまったら、その連鎖にいつ終わりが訪れるのでしょうか」
自分が人格者だとは思わないけれど、閉ざされた瞳だからこそ見えるものがきっとあって、わたくしは人より世界を感じられたのだと思いたい。
返事が聞こえる代わりに、何かが落ちて手の甲が濡れた。
「あなたは昔の彼にそっくりだ」
「え……?」
「いえ。私の戯言にお付き合いいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。どうかお父様のこと、よろしくお願い致します」
「殿下も。いつか隠された蕾がひらき、その美しい色が大輪を咲かせてくれることを祈っております」
それきり、お父様のご友人の方が訪れることはなかった。そしてその言葉は、まるでわたくしの瞳が何色か分かっているようでもあった。
とっくに聞き飽きていたというのに、一度たりとも呪いと口にしなかったことが印象的で。同時に、何かがふっきれもする。
だから、夢のような一夜が明け、一人にまで減ってしまった侍女がその言葉を口にした時も、何を今更と思うことができたのだろう。あの出会いを夢で終わらせずにいられた。
いつかきっと、お礼が出来たらと願う。人間より人間らしく不器用な緋色の彩色士と、もう一人のわたくしにも。




