第二章 1
日はとうの昔に姿を隠し、サリファの銀色の鱗が月明かりに照らされて薄い金色に輝いていた。南に向かっているとはいえ、夜の冷たい風は容赦なくアルに襲いかかってくる。
「サリファ、どこかお前の体も隠せるくらいに深い森で一晩すごそう」
アルの提案に反対するかのようにサリファが短く鳴いた。
「知らない土地での野宿は危ないか…でも、さすがのお前でも休憩なしに飛ぶことはできないだろう?」
そっと首を撫でるアルにちらっと視線を走らせたあと、サリファは眼下に視線を落とした。アルが不思議そうにサリファの視線を目で追うと、2人の眼下にはひとつの国が広がっていた。
「まさかお前、国を探してくれていたのか?」
どうだと言わんばかりに鼻を膨らませるサリファの首をアルは軽く叩く。
「お前は俺の最高のパートナーだ!あの国に一晩泊まらせてもらおう。竜着ポイントがあるな…サリファ、降りるぞ」
*********
サリファが音もなく竜着ポイントに着地すると、アルはサリファから降りて街を見渡した。2人が降り立った竜着ポイントは小高い丘にあり、四方に民家と思われる家々が立ち並んでいた。
「ここは…」
「こんな時間に何者だ」
声がしたほうへ体を向けると、青い騎士服に身を包んだ男が暗闇から姿を現した。
「夜分遅くにすいません。私はワタリビト、この竜はパートナーです」
深々と頭を下げるアルに、男はうさん臭そうな目でアルとサリファを交互に見た。
「随分と貧乏くさい服装をしたワタリビトだな。見たところ武具も持っていない」
「諸事情がありまして…一晩泊まれる宿を探しているのだが」
月明かりの下、2人の男は互いに一歩も譲らぬまま見詰め合う。雲で月の光が遮られたとき、騎士服の男がアルから目をそらした。
「ここからもう少し西に行ったところに竜着ポイントがある。そこからリースという店に行け、あの店ならこの時間でも受け入れてくれるだろう」
「ありがとう」
礼を言うと、アルはすぐにサリファに飛び乗った。
「あぁ、それと…これを受け取れ」
男はアルに小さなペンダントを手渡した。月明かりに照らすと、三本足の竜が描かれているのが見えた。
「これは?」
「入国許可証だ。出国するときには近くの騎士に返すように」
もう一度礼を言い、アルは教えられた竜着ポイントへサリファを飛ばした。
*********
竜着ポイントのすぐそばにレンガ造りの建物があった。看板には大きくリースと書かれている。
「ここか?」
サルファを入口のそばで待たせ、アルは建物の中に入った。明かりは消されておりほとんど何も見えない。
「すみません、誰かいませんか?」
声をかけたが人が出てくる気配はなかった。
「すみませ」
「なんだなんだこんな時間に人を起こしやがって。いったい誰だまったく」
再び声を発したとき、ろうそくの明かりとともに大柄な男がアルの前に現れた。
「夜分遅くにすいません。ワタリビトをしている者ですが…一晩でいいので泊めてもらえないだろうか」
「ワタリビトだって?」
男はアルのほうを見ようともせず、手にしたろうそくの火でランプに明かりを灯していく。
「あぁ。竜は外で待たせている」
あっという間に部屋はランプの明かりで眩しいほどに明るくなった。
「どうせあと数時間で日が昇る。ワタリビトなら野宿も慣れっこだろう」
そういいながら初めてアルに目を向けた男は一瞬驚いたように目を見開き、眉をひそめた。
「お前、なんだその恰好は」
「ちょっとした諸事情で」
アルは困ったように笑い、自分の服装を見た。
「前にいた国はどこだ」
「フィラール。ここから北に少し行ったところの」
アルの答えに男は納得したようにうなずいた。
「ワタリビトのすることだ、大方奴隷どもにお情けで持ち物を貢いだんだろう?それでそいつらの主人にやられちまったってとこか」
「あぁ、まぁ」
アルが笑うと、男も気を許したように頬を緩めた。
「まぁ、泊まりたいって言ってきてんだから客として迎えねぇとな。この名簿に名前と何泊するかを書いてくれ」
言われるままに名簿に記入をし、アルはペンと名簿を男に手渡す。
「じゃ、お前さんの竜を竜小屋につれてくか」
男は丈夫そうな太い鎖を手に取るとアルを連れて店の外に出た。
「ほぉ、こいつぁいい竜だな。みたところアイスケープか」
「わかるのか?」
「だてに何頭も竜を見てないからな。俺の店にくるのはだいたい見習いの騎士かワタリビトだよ」
男はサリファに鎖をかけながらアルに答える。サリファは嫌な顔ひとつせずに作業を待っていた。
「よしよし、おとなしい竜だな。じゃ、俺についてきてくれよ」
鎖をじゃらじゃら鳴らしながら男はサリファを小屋に誘導し始める。
「騎士が泊まりにくるのか?」
アルが疑問を口にすると男は豪快に笑った。
「泊まりにはこねぇさ、あいつらは寮があるからな。うちは武具屋でもあるんだよ。お前さん知らねぇのか」
「この国にはさっき来たばかりなんだ」
しばらく歩くと屋根つきの檻が見えてきた。ランプの光が届かない暗闇の奥からかすかに竜の寝息が聞こえてくる。
「そうかそうか、ようこそワタリビトよ。ここは武具生産量と武具の品質が世界一の国、ルーノームだ。そのせいかは知らねぇが国を一歩出れば盗賊と盗賊狩りのなわばりよ。お前さん、なんにも知らなかったようだがうちに泊まることにしてよかったな」
男はサリファを檻に鎖でつなぎ終わるとアルに向き直った。
「俺はルーノーム一番の武具宿屋リースの店主、ギドラだ」
「ワタリビトをしてる、アルと呼んでくれ。そいつは俺のパートナーのサリ…サリバンだ」
アルは差し出されたギドラの手を力強く握った。
「アルにサリバンか。ま、ゆっくりしていってくれよ」
*********
ギドラに案内された部屋は質素なものだった。机とイス、そしてベッド。必要最低限の物しか置かれていなかったが不思議と安心感はあった。部屋内を照らす淡いオレンジ色のランプの光がそう思わせているのかもしれなかったが。
「ふぅ…」
どさっとベッドに仰向けに倒れこみ、アルは天井を見た。外見はレンガ造りだったが内装は木造のようだ。長年の疲労が木の板に見える。視線を横にずらすと窓があった。ちょうど月が窓から見える。
「満月は…まだ先か」
様々な出来事が飛ぶようにすぎ、まるで数か月を過ごしたかのような錯覚に襲われた。それでもまだ月が欠けている姿を見ると二日しか経っていないと実感させられる。
ろくに睡眠をとっていなかったことに今更ながら気付き、アルはそっと目を閉じ意識を手放した。
*********
「アル、この花はなに?」
聞き覚えのある声にアルは目を開けた。
「ねぇ、アル。あの鳥はなんて名前?」
声だけが聞こえる。目を開けても閉じてもアルは暗闇の中だった。
「アル、私がドラゴンに乗れるようになったら並んで飛びましょうね」
幼い少女の声が少し成長して聞こえる。
―あぁ、この声は…―
そっと手を伸ばした。暗闇の中では何も見えない。自分が何に手を伸ばしているかもわからないまま、手だけを前に伸ばす。
「怪我をしては駄目よ。アルも、サリファも」
手に何かが触れた。優しく包み込むようにアルの手に暖かさが染みわたっていく。
「約束は、忘れないで」
喜びや悲しみ、それら全てが入り混じったような声で少女が言った。姿は見えず手の温もりも少しずつ消えていく。なにもできないままアルは伸ばしていた手の力を抜き、じっと立ちつくした。
*********
窓から差し込む小さな朝日がアルの顔を照らした。薄く目を開けると何者かの顔が目に飛び込んできた。
「うわっ」
アルは短く叫んで飛び起き、寝起きでぼやける目を擦った。
「あぁ、生きてたか」
そこに居たのは店主のギドラだった。
「ノックをしても返事が無いもんだから入っちまった。すまねぇな。それにしてもお前さん、死んだようにぴくりとも動かねぇから焦ったぞ」
「ここ最近寝不足だったんだ。それで、何か用があって来たんだろう?」
欠伸を噛み殺しながら言うアルに、ギドラは豪快に笑う。
「朝飯の時間だ。泊まりの客は飯をみんなで食うのがうちのルールでな。食堂に案内する」
「分かった。すまないが部屋の外で待っていてくれ」
*********
「なぁアル、お前さんはこれまでどんな国を見てきた?」
ギシギシと鳴る廊下を並んで歩きながら二人は食堂へ向かっていた。
「そうだな…色んな国を見てきた。裕福な国も貧相な国も」
アルの解答はあながち間違いではない。竜騎隊の隊長としてさまざまな国へ行き、見たり聞いたり体験したことをギドラに淡々と話した。
「やっぱりすげぇな、ワタリビトって奴はよ」
ギドラは興奮しているのか頬を紅潮させてアルの話に聞き入った。アルも次第に楽しげになり、ある国と国の境目で起こった山賊との戦闘話を始めようとしたとき、ギドラの目つきが変わった。
「ギドラ?どうかしたか?」
「お前さん、山賊狩りの経験者なのか?」
「いや…狩りとまではいかないよ。ただ向こうが仕掛けてきたのを受けて立っただけさ」
アルが肩をすくめて答えるとギドラはニヤッと口の端を釣り上げて笑う。
「昨日の話を覚えてるか?」
「昨日?特に密な会話はしていなかったと思うけど」
「盗賊の話さ」
アルは昨夜を思い出すように腕を組んで返す。
「そういえばここの近辺は多いって言っていたな」
「そうだ。俺は武具屋と宿屋もやってるが昔はこれでも騎士の端くれでな。たまに運動しねぇと気がすまねぇんだよ。最近は宿の方が忙しくて行ってなかったが…どうだ、盗賊狩りに行かねぇか」
執筆中