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第一章 2

明かりがほとんどない暗い牢にアルはいた。地下牢のため窓はなく、通路に下げられているランタンからかすかに淡い光が放たれていた。時間の経過を知るすべはなく、外が夜なのか朝なのかさえもわからない。


死刑宣告を受けて牢に入れられてから、アルは一睡もしていなかった。ベッドがないわけではなく、何かで拘束されているわけでもない。ただ、今の自分の状況に納得ができず、ベッドの端に腰掛けてもんもんと考え事をしていた。


いくら考えても、アル自身には事件に関わった覚えはなく、アルを告発したという五人の騎士にも覚えがなかった。


これは俺ではない誰かの仕業だ。俺を殺したがっている誰かの…


そこまで考えて、アルはパッと顔を上げた。コツコツと靴音が牢に響く。静かにその音を聞いていると、アルの入っている牢の前で靴音の人物が立ち止まった。暗い牢の中、アルは目をこらしてその人物を見る。


「罪人アルラース・ティガクリム、貴様の処刑の時間だ」


アルを逮捕した張本人、警察隊隊長だった。軍服の上着には、誇らしげにエンブレムが輝いている。


「もう朝なのか」

「時間の感覚がないだろう?」


警察隊長はニヤっと笑った。


「ここは重罪を背負った罪人がその最期を迎える時間までじっくりこれまでのこととこれからのことを考えられるようにと作られた地下牢だ。時間なんて気にせずに、己と会話できただろう?」

「あぁ、それはもう嫌というほどできた」


カチャカチャと音をさせながら警察隊長は牢の鍵を開ける。アルはゆっくり立ち上がった。


「そうか、それは良かった。それと…言い忘れていたが、逃げようなんて考えは捨てるんだな。どうせ私たち警察隊からは逃げられん」


警察隊長はアルを牢から出し、腰に引っかけていた鎖でアルの両手を拘束した。アルはおとなしくそれを見守る。


「貴様のような大罪人はすぐにでも処さねばな」


警察隊長は鼻で笑うと、アルを前に歩かせながら地下牢を出た。アルは背中を警察隊長に押されながら、通路を歩いていく。地下牢の階段をのぼりきり地上へ出たとき、まぶしさに目を細めた。そんなことはおかまいなしに警察隊長は歩みを止めない。


罪人を処刑するのは、城内の西端にある処刑場だ。そこで罪人は、聖剣を意味する純白の剣でその命を絶たれる。純白の剣が赤い血で染まることにより、罪人の罪は洗い流され、次に生まれた時には剣と同じ純白の心を持つといわれている。警察隊長とアルは城の通路をひたすら西へ向かって歩いた。


*********


白い美しい大理石で作られた処刑台に、アルは後ろで両手をしばられて立っていた。目隠しはされず、アルの眼下には故郷、カルタットの町が見えていた。まだ朝日は完全には顔をだしておらず、あたりは薄暗い。


アルの後ろには警察隊長と警察隊の隊員たちが整列している。アラムダスは処刑場が見下ろせる城のテラスで玉座に座ったまま処刑場を眺めていた。


「これより、罪人アルラース・ティガクリムの処刑を執り行う」


警察隊長の号令により、聖剣をみたてた純白の剣を持った男がアルの立つ処刑台に上がってきた。


「神は罪人を許すだろう。たとえ、罪人が神を許さなくとも」


警察隊長が静かにそういうと、男が剣を抜いて掲げた。かすかな朝日に照らされて純白の剣が光り輝く。


真犯人を知ることなく俺は死ぬのか。知らない誰かの罠に掛けられて…


アルはゆっくりと目を閉じた。怒りや恐怖といったさまざまな想いが、アルの思考をショート寸前にまで追い込む。自分の後ろで剣がさらに高く持ち上げられる気配を感じ、アルは死を覚悟した。


「約束を、守れなくてすまない…」


アルがつぶやいたとき、ひゅっという音と共に、純白の剣がアルの首元に振り下ろされた―――


「どういうことだ!!」


死んだはずのアルの耳に、警察隊長の叫ぶ声が聞こえた。同時に体が浮く感覚に陥る。


「なっ…!?」


驚いて目を開くと、アルの視界に飛び込んできたのは空だった。上に顔を向けると、アルの来ている服をくわえて飛ぶ、サリファの顔が目に入った。


「サリファ!?なんでお前…これ、どういう…!?」


アルはわけがわからず言葉にならない言葉を発する。サリファはぐいっと首を曲げ、アルを自分の背にのせた。


「なんで鞍と手綱が…」


アルの疑問を余所に透き通るような美しい白銀の鱗を朝日に照らされながら、サリファが一声鳴いた。


「あれは…罪人のドラゴンじゃないか!なぜこんなところにいる!!竜師は誰だ!連れてこい!!」


アルとサリファの眼下で、警察隊長が大声を張り上げている。アルはしばらくそれを見つめていた。


「ティガクリム…貴様!!今すぐ降りてこい!!」


警察隊長がアルたちを見上げながら怒鳴る。


「竜騎士はまだか!警察隊員で飛び具を持っているものはいないのか!?生死は構わん!あの竜を打ち落とせ!!」


警察隊長の怒鳴り声が再びアルの耳に届く。それまで唖然として地上の騒ぎを見ていたアルは我に返り、なんとか両手を縛っていた鎖をはずした。


「サリファ、どこでもいい。どこか、カルタットから遠い所まで飛んでくれ」


アルの言葉にサリファはきゅるる、と竜独特の鳴き声で応え、大きな翼を羽ばたかせた。


*********


どれくらい飛んだのだろうか。アルはいつのまにかうたた寝をしていたことに気付き、はっと顔を上げる。頬にあたる風は冷たく、薄着の囚人服のせいで足や手の先が冷たくなっていた。


「サリファ、俺たちは北に向かってるのか?」


アルの質問にサリファは答えない。ただ、黙々と翼を羽ばたかせている。日はだいぶ昇っており、そろそろ昼だろう。首を伸ばして地上を見たが、アルの見覚えがある森ではなかった。カルタット周辺の森は庭といえるほどに細かな道さえアルの頭には地図が描ける。しかし、今アルの眼下に広がる森はこれまで見たことのない森だった。


太陽の位置を目で確認し、アルはサリファが北へ向かっていると確信した。もともとサリファは寒い場所に生息している種だ。ろくに行先を決めずにどこか遠くへと言えば、当然本能に従って飛ぶだろう。北へ行けば寒さが厳しくなる。アルはここの近辺で国を探すことに決めた。


「サリファ、国を探してくれ。できるだけ小さな、カルタットと関わりが少なそうな国だ」


なんて無茶な注文だ。とでもいうように、サリファは鼻を鳴らした。


「俺も探すから、手伝ってくれよ」


アルが優しく首元を撫でると、サリファは紅の瞳を一瞬アルに向け、またすぐに視線を地上へ戻した。


「いい子だ。よろしく頼むよ」


アルが言うと、サリファはぐんっとスピードを上げた。強い風が頬に当たり、薄着のアルには耐え難い寒さになる。頭上の太陽はあってないようなもので温かさを感じない。国を見つけたらまずは服を調達しなければとあれこれ考えていたアルの耳に、サリファの鳴き声が聞こえた。


「サリファ、スピードを落とせ。風で前が見えない」


アルの指示に従って、サリファは徐々に速度を落とす。すると、小さな国がアルの視界に入ってきた。あたりの森に今にも飲み込まれそうなほど小さな国で、立ち並ぶ建物もカルタットとは大違いの木造だった。


「サリファ、よく見つけてくれたな。ひとまずはあの国に隠れよう」


アルは言いながらサリファの首を撫でる。


「お前に乗ったまま国に入るのはまずそうだな…近くの森に降りよう。あそこに着地してくれ」


アルが指差した場所へサリファはゆっくりと飛んで行った。木々の合間を縫ってなんとか地上に降り立つ。


「とりあえず、さすがにこの囚人服のままじゃ色々と面倒だな。服を調達してこれからのことを…そうだ、俺、金を持ってない」


アルは今更ながらなにも持っていないことに気付く。サリファは呆れたように鼻を鳴らした。


「サリファ…悪いが鱗を一枚いいか?」


きゅるる!とサリファは怒ったような鳴き声をあげる。竜にとって自分の鱗は己の命を守るための鎧だ。さらに竜はプライドが高く、自分の鱗に独自の誇りをもっている。それは周りから美しいと言われればいわれるほどに強くなるものだ。


「お前の鱗は綺麗だ。並大抵の竜じゃ比較にならない。カルタットでもお前を超すほどの美しい竜は見たことがない。だからこの通りだ。お前の鱗一枚で、ある程度の金貨は手に入るはずだ」


アルはサリファをなんとかなだめようと両手を合わして拝む。


「これほど小さな国なら竜の鱗は珍しいはずだ。お願いだよ。このままだと俺、凍え死ぬぞ」


太陽の光は生い茂った木の葉でさえぎられ地上までは届かない。上空までとは行かないが、地上も十分肌寒かった。


「サリファ、今日、たった一枚俺にお前の鱗をくれるだけでいいんだ。頼む」


アルの必死な願いがサリファに届いたのか、サリファは尾のほうへ首を持っていき自分の鋭い牙で固い鱗を一枚はがした。差し出されたアルの手の上に、その鱗を落とす。


「ありがとう。さすが俺の相棒だ」


アルはサリファの腹を軽く叩き、国のほうへ歩き出した。サリファは慌てて鳴き声をあげる。


「お前はそこにいてくれ!すぐ戻ってくる」


アルが言うと、サリファはゆっくりと地面に座った。翼を折りたたみ首も地面の上に投げ出す。瞳を閉じた次の瞬間には、規則正しいドラゴンの寝息が聞こえてきた。


*********


国全体を空から眺めたわけではないが、おそらくカルタットの半分も国土面積はないだろう。嵐がくれば一瞬で飛んでいきそうな頼りない木造の家々が立ち並んでいる。

道を歩いている人々に活気はなく、すれ違う人全員がなにやら重い病気にでもかかっているかのような暗さだった。時々目に入る店もカルタットのような明るい店主の呼び声は聞こえず、本当に店が開いているのかさえ怪しかった。


さんざん迷った挙句、アルはある程度は金のありそうな質屋に入った。店内は暗く品物もろくに置かれていない。


「誰か居ないか?換金がしたいんだが」


アルの呼びかけに店の奥から店主らしき初老の男が出てきた。濁った瞳でアルを上から下まで見る。どうやら囚人服である真っ白な薄着が気になっているようだ。


「お前さんどこの店の品物だ?」


店主はかけていた銀縁眼鏡を指で押しあげ、もう一度アルを見る。


「その服、品物だろう?品物が勝手に歩き回るもんじゃない。それに人様の店に入ってくるとは…お前さんの店主は誰だ?白の服なら…そこの角のギラドラのとこか」

「ちょっと待ってくれ。何を言っている?俺は客だ。ある物を換金したい。この服は…わけあって着てるだけだ。俺の服じゃない」


身振り手振りで言うが、店主は胡散臭そうにアルを見つめた。


「とりあえず物は見よう。換金はそれから考える。危ないものだったらすぐに出て行ってもらうからな」

「わかった。これなんだが、どれくらいになる?」


店主にサリファの鱗を渡す。店主はしばらく光にすかしたり叩いたりといろいろな作業を繰り返した。そうしていくうちに店主の目つきが変わっていくのにアルは気が付いた。


「これは…」

「どうかしたか?」


店主は鱗から目を上げ、アルへ詰め寄った。


「これをどこで手に入れた?」

「知り合いにやり手の旅人がいて…旅の土産にとくれた。どこで拾ったかは聞いてない。ただ、竜の鱗だと」


あまりの店主の気迫にアルは腰を引きながらもなんとかさきほど考えた嘘を並べる。


「そうか…お前さんいい知り合いを持ったな。これはかなり貴重な鱗だ。寒い地域に好んで生息する竜で最も美しいといわれる青氷鱗竜(せいひょうりんりゅう)の尾部の鱗だ。いやはや…死ぬまでにこんな代物に逢えるとは」


店主はしばらく鱗に見惚れていた。青氷鱗竜は別名アイスケープと呼ばれ、竜騎士たちの間ではむしろこちらの呼び方のほうが主流だ。その名の通り、氷のように透き通った青みがかった白銀の鱗を持っているため、そう呼ばれている。また、その鱗とは対照的な紅の瞳から赤目とも呼ばれていた。


「それで、いくらになる?」


アルが聞くと店主は小さく唸った。


「ざっと見積もって100万ジュラはするだろう」


ジュラとは全世界共通の金銭単位だ。100万ジュラといえば、だいたいカルタットでは小さ目の家を一括で買える。服を買うには十分すぎる額だった。


「今すぐ換金できるのか?」

「あぁそれはもちろんだ。だが、大丈夫か?」

「何が?」


アルは首をかしげて店主を見る。


「お前さんこの国に来たのは初めてか」


肯定するアルに店主は納得したように何度か頷いた。


「それなら知らなくても無理はないな」

「どういうことだ?そういえばさっきもよくわからないことを言ってたな。俺が品物だとかどうとか…」

「ここは小国フィラール。周りの国と比べても飛びぬけて貧しい国だ。お前さんもここに来るまでに軍人に逢っただろう?」

「いや…それらしき人には一度も」

「それは運がいい。この国では軍人が支配権を持っている。軍人たちが全ての権力をもった独占国だ。軍人どもはわしら国民から多額の税をとる。なにかとつけては納税をしろ、だ」


店主は吐き捨てるように言う。アルは黙って店主の次の言葉を待った。


「金がものをいうんだよ。金さえあれば平和に生きていける。だから売れるものは売る。物はもちろん、人さえも。最近では自分の子供を人売り屋に売る親も増えてきている。人売り屋はさらに倍の値段でその子供を売るんだ。そうして金を手に入れる」


店主の言葉にアルは寒気を感じた。背中に冷たい汗が流れる。


「大金を持ってそこらへんを歩いてみろ、たちまち数人に囲まれて命さえもどうなるかわからん」


店主は大きなため息と共に言い切った。


「…この国は大変な状態なんだな」

「お前さんの国は平和かい?」

「まぁ、そうだろうと思う。少なくともここよりは」


アルの言葉に店主は苦笑いをした。


「ちょっと待っとくれよ…」


店主はそう言い残すと裏のほうへ姿を消した。アルはしばらく店内を適当に見て回る。


「ほれ、お前さん!きっちり100万ジュラだ。受け取れ」

「ありがとう」


店主から麻袋を受け取り中を確認すると確かにそれぐらいの額は入っている。


「気を付けるんだな。人を見たらまず疑え。それがこの国を安全に生きる鉄則だ」


店主にもう一度礼を言い、アルは質屋をあとにした。


*********


久しぶりに着た騎士服以外の服の着心地に微妙な懐かしさを感じながらアルは町を歩いていた。服を買った店の売り子曰く、アルの着ている服はいわゆる旅人向けに特化された服だそうだ。確かに寒さ暑さに強そうな素材で動きやすさもある反面、耐久性もそなわっている。


他に幾らか自分とサリファの食料を調達したが、それだけの買い物をしても腰からさげている麻袋にはまだ80万ジュラほど残っている。


「あれは…」


ふと怪しげな店が目に入った。入り口は黒い布で仕切られて窓すらもなく、外から直接店内は見えない。歩きながらその店を眺めていると、一人の男がこそこそと回りを気にしながら店に入っていった。その行動はいかにも怪しいものだった。


―売れるものは売る。物はもちろん、人さえも―


アルの脳裏に質屋の店主の声がよみがえった。まさかと思いつつアルはそっと店に近づき聞き耳を立てる。


「ほう、これはまたいい娘だ」


恐らく客として先ほど店に入った男の声だろう。


「そうでしょうそうでしょう。母親も相当な美人で、確かこの娘の年頃にはこの娘の倍の値段で買い取られたとか」


店の者だろうと思われるしゃがれた声が聞こえた。アルはカーテンをめくり、そっと店内を覗く。暗い店内には多くの人がいた。そのうち自由なのは店の男と客の男だけだ。あとの人々は手足を鎖で柱につながれぐったりとしており、服も先ほどまでアルが着ていたような白い薄着で、この北の国では寒すぎるだろう。


「名前はなんという?」

「名前なんてないですがな。旦那が買い取っていただければ、旦那が好きな名前をつけれますよ?」


二人の男の足元に一人の少女が横たわっている。年はアルよりも少し下ぐらいで栗色の髪が可愛らしい少女だ。その少女の両手足にも、もちろん鎖がつながれている。


「私がこの娘を買い取れば、あとは私の好きにして構わんな?」

「当前です。煮るなり焼くなり食べるなりお好きなように」


店の男がしゃがれた声でいやらしく笑う。


「ちょっと待った」


アルはたまらず店に飛び込んだ。二人の男が迷惑そうにアルを睨む。


「ここは子供のくるような店じゃない。帰るんだな」

「その子、俺が引き取らせてもらう」


店の男の声を無視して、アルは床に横たわっている少女を指差した。


「残念だがこの娘は私が買取済みだ」


客の男は低く脅すように言いつつアルを睨みつける。


「あんたはいくらでこの子を引き取るんだ?」


アルも同じように客の男を睨みながら聞いた。


「40万ジュラだ」


客の男はどうだと言わんばかりに胸を張ってアルに言う。アルは小さく笑った。


「なにが可笑しい」

「店主はあんたか?」


客の男を無視して、アルは店の男に向き直った。


「そうだが」

「俺がこの客の倍の値段でこの子を引き取ると言ったら…どうする?」


アルの言葉を聞き二人の男は固まった。どちらも信じられないというようにアルを見る。


「おい、ガキが笑えない冗談を言うもんじゃねぇぞ。80万ジュラなんて大金出せるわけがない」


客の男が更に凄みを効かせて噛みつくが、アルは黙って麻袋を店主に渡した。


「きっちり80万ジュラ入ってる。文句はあるか?」


震える手つきで麻袋の中身を確認した店主はゆっくりと首を横に振った。


「ならこの子は俺が連れて行かせてもらう」


アルは横たわっている少女を抱き上げて店を出た。


「おいっ!お前!」

「旦那、申し訳ないがこの世は金だ。80万ジュラ以上払えるんなら考えるが、どうする?」

「もういいっ!」


うしろのほうで怒鳴る男の声を聞きながら、アルはサリファの待つ森へ急いだ。


*********


「サリファ、遅くなってすまない」


アルは息を切らしながらサリファに近づく。サリファはアルの腕に抱かれている少女を不思議そうに見つめた。


「この子の鎖を噛み切ってほしい」


アルは静かに少女を地面に寝かせた。少女は小さな寝息をたてており、上下に動く胸が生きていることを証明していた。サリファは少女にゆっくりと近づき、そっと手首と足首の鎖を噛み切った。


「いい子だ、サリファ」


サリファが鳴くと、少女のまぶたがかすかに動いた。


「ん…」

「おい、大丈夫か?」


アルが少女の上半身を起こしながら声をかけると少女はゆっくりと目を開け、あたりをきょろきょろと見渡す。


「ここは…」

「フィラールのすぐ近くにある森だ」


今にも消えそうな少女の声にアルが応えると、少女は怯えたような目でアルを凝視した。


「そんなに怖がらなくいい。俺は君を引き取ったが、奴隷なんかにする気はない。鎖は外した。君の好きにしていい」

「…あなたは?」


アルの優しげな声色が少女に安心感を与えたのか、少女は数度まばたきをして聞いた。


「ただの旅人だよ。いや…ワタリビトかな」

「ワタリビト…?」


聴きなれない言葉に少女は首をかしげる。アルは小さく笑って少女のうしろ側にいるサリファを指差した。


「どこの国にも所属せず、竜とたった2人で世界を放浪する人のことだよ」

「りゅ…竜!?」


アルの説明は聞いているのかいないのか少女はサリファに驚いて後ずさる。


「大丈夫。こいつは俺の相棒のサリファだ」


サリファは頭を少女よりも低くし、上目使いで少女を見上げながらゆっくりと首をのばした。少女は怯えながらも両手をのばし、そっとサリファの鼻を触る。


「初めて見た…」

「君の名前は?」


サリファに感動している少女に、アルはそっと質問する。


「…フロラ」

「いい名前だ。じゃあ、フロラ。俺たちはここでお別れだ。君はご両親のところに戻ったほうがいい」


フロラはアルの言葉を聞いて表情を硬くした。


「フロラ?」

「戻ったら…また売られる…」


小さく震えるフロラの肩をアルは慌てて掴み、落ち着かせるように静かな声色で問いただす。


「どういうことだ?」

「私、お父さんに売られた。だから、戻ったらまた売られちゃう…」


震える声で返された答えに、アルは驚きで言葉を失った。質屋の店主の話を疑うわけではなかったが、人身売買はアルにとって身近な話ではない。厳しい現実がアルの目の前にはあった。


「君は…両親に売られたのか」


フロラが小さく頷くと、しばらく考えるように目を閉じ、それからアルはゆっくりとフロラを抱きしめた。


「アル…?」

「フロラ、俺は君に謝らなければいけない。後先考えずに君を自由にしてしまったことを。俺自身が今、自分のこの先をどうすればいいか分っていないのに…」


アルの瞳に影が差した。サリファが不安げに二人を見つめる。


「よく分らないけど、でも、私は、アルと会えてよかったと思う」


そう告げたフロラの声はもう震えていなかった。


「アルは強くて優しい人だと思うの」


曇りひとつない瞳にまっすぐ見つめられアルは面食らった。先程まで小さな籠の中で震えていた少女が、今は自由を手にして力強く立っている。大国の竜騎士から罪人へと身を落としたアルとは正反対だ。


「君も俺も帰る場所が無い、か」


小さく自嘲気味に笑うアルを不思議そうにフロラが見上げる。


「フロラ、俺と一緒に行かないか?」

「どこに?」

「世界へ。俺はやらなくちゃいけないことがあるんだ。それを君に手伝ってもらいたい」


フロラが居れば何かが変わるような予感をアルは感じた。


「きっと楽しいことばかりじゃない。俺が探さなければいけないそれは、黒く恐ろしいものだと思う。」

「アルはやっぱり強い人。そんな怖い物、私は探しに行けない」

「俺だってそうだよ。怖くて恐ろしくて本当はこのまま逃げようと思ってた。でも、君が初めての自由を手にしても躊躇わず恐れず堂々としているのを見てわかった。逃げていては駄目だ」


アルの話をほとんど理解できなかったが、フロラには自分が何を言えばいいかは自ずとわかった。


「アルについて行く。怖いのも、二人でなら、大丈夫」


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