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黒紗の目隠し~異世界冒険譚~  作者: CLASSIC.com


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第007話「名もなき剣士の、名前」


◆ ◆ ◆


朝の光が、ルーチェの街に降り注いでいた。だが、今日の光はどこか違う。黄金色に輝く粒子が舞っているかのような、熱を孕んだ朝だった。


宿「三日月亭」の一室で、私は目を覚ました。昨夜よりも静かな目覚めだった。身体の芯に残っていた昨日の戦闘の熱は引き、代わりに冷たく澄んだ感覚が胸の奥に居座っている。


黒いミリタリーコートに袖を通し、太腿のストラップを締める。最後に鏡の前で、目元を覆う黒紗の仮面を着ける。鏡に映るのは、相変わらず無表情な女だ。名前も、過去も持たない女。


「……行くか」


短く呟き、部屋を出た。一階の食堂へ降りると、すでに香ばしいパンとスープの匂いが満ちていた。


「おはようございます、裁定さん」


宿の主人、レオンがカウンター越しに声をかけてきた。いつもの朴訥とした口調だが、今日はその目に力がこもっている。


「今日が決勝ですね。応援していますよ。この宿から優勝者が出るなんてことになったら、鼻が高いですからね」


レオンが差し出した温かいミルクを受け取る。湯気が顔にかかる。


「……ありがとう」


私が珍しく礼を口にすると、レオンは少し驚いたように目を丸くし、それから嬉しそうに皺を深めて笑った。


宿を出て通りへ出ると、街の空気は昨日以上に張り詰めていた。祭りのような喧騒の中に、どこか厳粛な期待感が混じっている。私が歩くと、人々の視線がさざ波のように集まってくるのを感じた。


「おい、あれだ」「仮面の女だ」「昨日、腕が光ったって噂の……」「本当にブロンズか?」


囁き声は無視して、中央広場へ向かう。広場はすでに黒山の人だかりで、特設リングの周りには幾重もの人垣ができていた。


「裁定さん! お待ちしておりました!」


ギルドの受付嬢、マリアが人波をかき分けて駆け寄ってきた。いつも冷静な彼女が、少し息を切らせている。


「決勝進出、本当におめでとうございます。受付はこちらです。……どうか、ご武運を」


マリアに案内され、選手控えエリアへ向かう途中、聞き慣れた大声が降ってきた。


「よう! 来たな、主役のお出ましだ!」


ガロンだ。その横には、落ち着きなく視線を泳がせているダリルもいる。


「お前が決勝に来るとは思ってたぞ。ガハハ! 俺の目に狂いはねぇ」


ガロンは私の肩をバンと叩こうとして、私が無言で半歩下がると、空振った手を豪快に笑って誤魔化した。


「しかし、相手を見たか? 今回ばかりは、ちと厄介だぞ」


ガロンの声色が、ふと真面目なものに変わる。


「相手はアルマ。元・教国の聖騎士見習いだそうだ。何かの事情で国を出て冒険者になったらしいが……実力は本物だ。シルバーどころか、ゴールドに手が届く器だと言われてる」


「聖騎士見習い……」


ダリルが不安そうに呟く。


「強そう……大丈夫か? 相手は聖剣術を使うんだろ? 魔法とも剣技とも違う、教国独自の戦闘術だ」


二人の視線が私に集まる。心配と、期待。私は仮面の奥で、二人の顔を見つめ返した。


「……やってみなければわからない」


言葉は少なかったが、それだけが真実だった。勝算も、恐怖もない。ただ、目の前の壁を越える。それだけが、私の存在証明だった。


◆ ◆ ◆


特設リングの裏手、選手控えエリアは静寂に包まれていた。外の熱狂が嘘のように、ここだけ空気が冷えている。


私は壁に背を預け、手の甲の紋章を指でなぞっていた。昨日の戦いで覚醒しかけた力。まだ完全ではない。だが、確実に胎動している。


「あなたが、仮面の冒険者ですね」


凛とした声が響いた。顔を上げると、そこに一人の女性が立っていた。


アルマ。決勝の対戦相手だ。 年齢は私と同じくらいだろうか。透き通るような銀色のショートヘアに、曇りのない青白い瞳。身につけているのは、冒険者の革鎧ではなく、磨き上げられた白銀の軽鎧だった。腰には装飾の施された細身の剣を帯びている。


「昨日から、ずっと見ていました」


アルマは私を真っ直ぐに見据えて言った。その瞳に、侮りや油断の色は一切ない。


「あなたの戦い方は……美しいとは言えません。泥臭く、時に無謀で、なりふり構わない。けれど、誰よりも真剣だ。命を削って戦っているように見える」


彼女は胸に手を当て、騎士の礼をとった。


「それは、尊敬に値します」


私は彼女の真摯な態度に、わずかに眉を動かした。これまでの対戦相手とは違う。彼女は私を「敵」としてではなく、「対等な武人」として見ている。


「……感謝する」


私が短く返すと、アルマは微かに微笑んだ。だが、すぐに表情を引き締める。


「全力でいきます。手加減はしません。あなたにも、それを求めます」


「……当然だ」


アルマはもう一度深く礼をし、静かにその場を立ち去った。彼女の背中からは、揺るぎない誇りと正義感が滲み出ていた。


アルマ。強い。気配の密度が、これまでの相手とは桁が違う。教国の騎士……神に仕える剣。今の私に、あれが斬れるか?

ふと、視線を感じて顔を向ける。 少し離れた関係者席の影に、金髪の人物が立っていた。ジャスタだ。彼女は腕を組み、鋭い眼光でこちらを見ていた。私と目が合うと、彼女は無言のまま、ゆっくりと一度だけ頷いた。


「行け」と言っているようだった。


私は拳を握りしめた。恐怖はない。あるのは、この身を焦がすような高揚感だけだ。


◆ ◆ ◆


第一フェーズ:互角の攻防


「決勝戦! 始めッ!」


審判の声が響き渡ると同時に、世界から音が消えた。観客の歓声も、風の音も、すべてが遠のく。


目の前には、白銀の光を纏ったアルマがいる。彼女が剣を抜いた瞬間、その刀身が眩い光を放った。魔力ではない。信仰によって練り上げられた気、「聖剣術」の輝きだ。


「はッ!」


アルマが踏み込む。速い。 瞬きする間に間合いが消え、光の軌跡が私の首元へ迫る。


私は反射的に上体を逸らし、黒い外套を翻して回避した。切っ先が仮面を掠め、数本の髪が宙を舞う。


間髪入れずに二撃目、三撃目。アルマの剣は正確無比で、無駄がない。教科書のような美しさでありながら、殺意に満ちた実戦の剣だ。


私は防戦一方になりながらも、アヴァロンの深淵で培った本能で喰らいつく。彼女の剣筋を読み、呼吸を読み、最小限の動きで躱す。


速い。だが、見えないわけではない。 彼女の剣には「型」がある。正しすぎるがゆえに、読みやすい。

私はアルマの大振りの一撃を屈んで避け、その懐へ飛び込んだ。掌底を腹部へ叩き込む――はずだった。


「読み通りです」


アルマが手首を返し、剣の柄頭で私の攻撃を受け止めた。硬い衝撃。彼女は私の動きすら、騎士の戦術眼で予測していたのだ。


弾かれ、距離を取る。観客席からどよめきが漏れる。ブロンズランク同士の戦いとは思えない、高度な攻防。


「素晴らしい。これほど動けるとは」


アルマが構え直す。その瞳が、より一層鋭く輝く。


「ですが、ここからです」


第二フェーズ:神聖衝波


アルマが剣を高く掲げた。刀身の光が収束し、周囲の空気が振動する。


「聖剣術――『神聖衝波』!」


振り下ろされた剣から、純白の衝撃波が放たれた。物理的な刃ではない、光の津波だ。


「――ッ!」


回避は不可能。私は腕を交差させ、防御の姿勢を取った。 衝撃が全身を襲う。岩に叩きつけられたような重い痛み。身体が宙に浮き、後方へ吹き飛ばされる。


背中が結界の壁に激突し、私は地面に膝をついた。口の中に鉄の味が広がる。


「裁定!」


ダリルの悲鳴のような声が聞こえた。


コートの袖が裂け、腕と肩から鮮血が滴り落ちる。深い傷だ。普通の人間なら、これで終わりだろう。


だが。


じゅ、と音がした。


裂けた皮膚が、肉が、意思を持った生き物のように蠢き、繋がり、塞がっていく。流れ出た血すらも蒸発し、傷跡一つ残さず再生する。


不老不死。呪いであり、ギフトである絶対の力。


「……え?」


アルマが目を見開き、剣を構えたまま凍りついた。


「今……傷が……消えた?」


観客席もざわめき始める。「おい、見たか?」「治ったぞ」「回復魔法か? いや、詠唱はなかった」


私は静かに立ち上がった。痛みは残っている。だが、肉体は完全だ。


傷は消える。痛みは残る。だが、止まらない。 死ねないのなら、進むしかない。それが私だ。

「立て……!」ガロンの声が聞こえる。「そうだ、立て裁定!」


私は仮面の奥で目を細め、アルマを見据えた。


「……続きだ」


第三フェーズ:紋章の最大覚醒


私の意思に呼応するように、左手の甲が熱く脈動し始めた。 ドクン。ドクン。心臓がもう一つ増えたかのような、激しい鼓動。


「う……あ……ッ!」


熱が腕を駆け上がり、全身へと広がる。黒いコートの下、肌の上を金色の光の筋が走るのがわかった。 『裁定之紋章』が、かつてない強さで輝き出す。


「あの紋章……ただの武器ではない!」


アルマが警戒し、一歩下がる。


光が溢れた。手の甲から噴き出した黄金の光は、空中で収束し、物質化していく。 これまでの短剣のような朧げなものではない。 長く、鋭く、荘厳な――完全な形をした、「黄金の剣」。


会場中が息を呑み、静寂が落ちた。


第四フェーズ:ステータスプレート覚醒


その瞬間だった。


視界にノイズが走った。 いつもの、壊れたステータスプレートが自動的に展開される。


STATUS

Name :

■■■

Level :

■■■

STR :

■■■

DEX :

■■■

VIT :

■■■

INT :

■■■

MBD :

■■■

いつもと同じ、黒く塗りつぶされた絶望の羅列。 だが、光の剣を握りしめた手が震えたとき、Nameの欄にある黒いノイズが、ひび割れた。


パキ、パキリ。


黒い霧が剥がれ落ちていく。その下から、金色の文字が浮かび上がる。


STATUS

Name :

レス

Level :

■■■

STR :

■■■

DEX :

■■■

VIT :

■■■

INT :

■■■

MBD :

■■■

時が止まった。


レス。

その二文字を見た瞬間、私の内側で何かが弾けた。


レス……? これが……私の、名前か? 裁定、ではない。それは仮初めの名だった。

記憶は戻らない。過去の映像も、親の顔も、何も浮かんでこない。 けれど、その音だけが。 「レス」という響きだけが、魂の深淵に突き刺さるように共鳴した。


知らない言葉だ。初めて見る文字だ。 だが、知っている。胸の奥の、一番深いところで、この音を知っている。 私は、レスだ。

涙は出なかった。胸が熱くなることもない。 ただ、欠落していたパズルのピースが、あるべき場所に「カチリ」と嵌まったような、圧倒的な納得感だけがあった。


視界のプレートが揺らぎ、再び「■■■」へと戻っていく。 だが、もう十分だった。瞼の裏には、黄金に輝く「レス」の文字が焼き付いている。


第五フェーズ:決着


「……行きます」


私が剣を構え直すと、アルマも呼応するように聖剣を両手で握りしめた。彼女の表情には、恐怖ではなく、未知への畏敬が浮かんでいる。


「その力……受け止めます!」


私たちは同時に地面を蹴った。


アルマの聖剣と、私の光の剣が正面から激突する。


キィィィィン!!


高周波の音が響き、火花ではなく光の粒子が飛び散る。 力は拮抗している。いや、私が押し込んでいた。名前を取り戻した魂が、肉体のリミッターを外しているかのように。


「くっ……! あなたは、何者なんですか……!」


鍔迫り合いの中、アルマが声を絞り出す。


私は、仮面の奥で初めて、微かに口元を緩めた気がした。


「……わからない。だが今日、少しだけわかった」


私は全身の力を込めて、一歩踏み込んだ。 光の剣が唸りを上げ、アルマの聖剣を弾き飛ばす。


アルマの体勢が崩れ、切っ先が彼女の喉元寸前で止まる。


静寂。


アルマは荒い息を吐きながら、喉元の光の剣を見つめ、そして私の目を見た。 彼女はゆっくりと手を挙げ、剣を収めた。


「……私の、負けです」


割れんばかりの歓声が爆発した。


アルマは悔しそうに、けれど清々しい顔で微笑んだ。


「完敗です。……あなたの名前を、聞いてもいいですか?」


私は光の剣を消し、紋章を元の印章に戻した。 本当の名前を告げようとして、喉で止める。まだ、早い。


「……裁定だ。今は、な」


かつてジャスタに言われた言葉が、自然と口をついて出た。


「そうですか。……いつか、本当の名前を教えてください」


アルマはそう言って、私に握手を求めた。私はその手を、強く握り返した。


◆ ◆ ◆


「ブロンズ部門、優勝――裁定!!」


審判が高らかに宣言し、私の腕を掲げた。 地響きのような歓声と拍手が、広場を埋め尽くす。


「やったぞ! やったな裁定!」


結界が解かれるや否や、ガロンがリングに駆け上がり、私を抱きしめんばかりの勢いで飛びついてきた。


「すげぇよ! あの最後の光の剣、なんだよあれ! もうブロンズ最強じゃねぇか!」


ダリルも興奮して顔を真っ赤にしている。


「おめでとうございます……! 本当に、おめでとうございます……!」


マリアがハンカチで目元を押さえながら駆け寄ってきた。いつも冷静な彼女が涙ぐんでいるのを見て、私は少し戸惑った。


その直後、威厳ある髭を蓄えたギルド長がリングに上がり、静かに告げた。


「裁定冒険者。その圧倒的な実力と、今大会での功績を認め、本日付でシルバーランクへの昇格を認定する」


会場がさらに沸き立つ。飛び級での昇格。それは異例のことだった。


喧騒の中、人垣が割れ、一人の人物が歩み寄ってきた。 白銀の軽鎧に身を包んだ、金髪の女剣士。ジャスタだ。


彼女の周囲だけ、不思議と静かな空気が流れている。


「おめでとう」


ジャスタは短く言った。その青い瞳は、私の奥底を見透かすようだ。


「それと、先ほどの光の剣。……それがお前の力の一端だ。目覚めつつあるな」


「……知っているのか」


私が問うと、彼女は意味深に目を細めた。


「少しだけな。……いつか、全てを話せる時が来る。それまで、その力を磨け」


「……待つ」


ジャスタは満足そうに頷き、踵を返して人混みへと消えていった。 その後ろ姿を見送りながら、私は自分の手の甲を、強く握りしめた。


◆ ◆ ◆


夜の三日月亭は、私の優勝祝いの宴会場と化していた。 レオンが大盤振る舞いで料理を出し、ガロンとダリルがジョッキを重ねている。


「乾杯だ! 優勝とシルバー昇格に!」


「乾杯!」


私は水が入ったグラスを静かに掲げ、一口だけ口にした。 騒がしい宴の中、ガロンがふと真顔になって私を見た。


「なぁ、今日の試合……紋章が本気になってたな。あんな剣、初めて見たぞ」


「ああ、それに……」ダリルが声を潜める。「俺、はっきり見たんだ。傷が……一瞬で塞がったのを。お前、本当に何者なんだ?」


二人の視線には、恐怖ではなく純粋な疑問があった。仲間としての心配と。


私はグラスの水面を見つめた。


「……わからない。でも今日、少しだけわかった」


「そうか」ガロンはそれ以上追求せず、ニカっと笑った。「ならいい。お前はお前だ。俺たちの仲間だ」


「……ああ」


宴がお開きになり、私は自分の部屋に戻った。 静寂が戻ってくる。窓からは、ルーチェの夜景が見える。祭りの後の静けさが、街を包んでいた。


私は椅子に座り、ランプの灯りの下で、左手の甲を見つめた。 紋章は今は沈黙し、ただの黒い印章に戻っている。


「ステータス、オープン」


虚空に呟く。 半透明のプレートが展開される。


STATUS

Name :

■■■

Level :

■■■

STR :

■■■

DEX :

■■■

VIT :

■■■

INT :

■■■

MBD :

■■■

やはり、全て文字化けに戻っていた。 あの金色の文字は、幻だったのか。


いいや、違う。


私はNameの欄を指でなぞった。 黒いノイズの向こう側に、確かにあの文字が見える気がする。


レス。 ……それが私の名前だ。 この世界の誰も知らない。記録にも残っていない。 でも、私は知っている。

胸の奥が、じんわりと温かくなる。空っぽだった器に、最初の一滴が落ちたような感覚。


裁定は仮の名だ。レスが、私だ。 まだわからないことは多い。私はなぜここにいるのか、何をすべきなのか。 でも、名前だけは、今日取り戻した。 それだけで――今日は十分だ。

私は窓辺に立ち、夜風に吹かれた。 仮面の下で、唇を動かす。


声には出さない。誰にも聞かせない。


彼女は初めて、仮面の奥で自分の名前を、静かに口の中だけで呼んだ。


――レス、と。

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