第005話 仮面、舞台へ
対抗戦の朝・出発
朝の陽光が、ルーチェの街を黄金色に染め上げていた。宿「三日月亭」の食堂も、普段より少し早い時間から賑わいを見せている。今日という日が、この街にとって特別な一日であることを物語っていた。
裁定は静かに食事を終え、カップに残った水を飲み干した。黒のミリタリーコートに袖を通し、金色のボタンを留める。その動作一つ一つに無駄はない。最後に、マントを羽織り、黒いグローブをはめる。
そして、鏡の前に立つ。
映っているのは、仮面をつけた女だ。橙金色の髪を高い位置でポニーテールにまとめ、頭頂部には同じ色の猫耳がピンと立っている。顔には、目元を縁取るように黒紗の装飾仮面がつけられていた。目の周囲だけを優美な黒い蔦模様で飾るマスカレード型の仮面だ。鼻筋から下、そして額は露出しており、彼女の無表情さがより鮮明に見て取れた。
「……行くか」
短く呟き、部屋を出る。
一階に降りると、カウンターで準備をしていた宿の主、レオンが顔を上げた。彼はいつもの温和な笑顔で、しかし少しだけ真剣な眼差しを向けてきた。
「おはようございます、裁定さん。今日がいよいよ対抗戦ですね」
「……ああ」
「街中がお祭り騒ぎですよ。怪我だけは気をつけて。……行ってらっしゃいませ」
「……行ってくる」
扉を開け、外に出る。その瞬間、熱気が肌を打った。
ルーチェの街は変貌していた。石造りの建物の軒先には、冒険者ギルドの紋章である剣と盾を描いた青と金の旗が掲げられ、風にはためいている。通りには早朝から露店が並び、串焼きの肉や果実酒の甘い香りが漂っていた。行き交う人々も、冒険者だけでなく、街の住人や近隣の村から来たと思われる家族連れでごった返している。
誰もが浮き足立ち、興奮を隠せない様子で中央広場へと向かっている。
街全体が変わった。祭りだ。人は戦いを娯楽として見る。アヴァロンの深淵にあった静寂とは対極にある。だが、悪くはない。この熱気もまた、生きている証拠だ。
人波をかき分けるように進み、中央広場に到着する。
そこは、巨大な闘技場へと姿を変えていた。広場の中央には一段高い石畳の特設リングが組まれ、その四隅には魔力を帯びた水晶の支柱が立っている。あれが簡易的な結界を作るのだろう。リングを囲むように木製の仮設観客席が階段状に組まれ、すでに多くの観客が席を埋め尽くしていた。
受付テントの前には、出場者たちが列を作っている。
「次の方、どうぞ」
ギルド職員のマリアの声が響く。裁定が前に進むと、マリアは一瞬驚いたように目を丸くし、すぐにプロフェッショナルな微笑みを浮かべた。
「裁定様、お待ちしておりました。ご登録確認いたしました。ブロンズ部門、Bブロックの第四試合となります」
「……了解した」
「ご健闘をお祈りしております。どうか、お怪我のないように」
マリアの丁寧な激励に、裁定は小さく頷く。選手用の控室へ向かおうとした時だった。
「おーい、裁定!来たか!」
観客席の方から、聞き覚えのある野太い声が飛んできた。
見上げると、最前列に近い席で、赤髪の大男が身を乗り出して手を振っている。ゴールドランク冒険者、ガロンだ。その隣には、少し気恥ずかしそうに、しかし一生懸命に手を振るダリルの姿もあった。
「頑張れよー!俺たち、一番いい席取ったからな!」
ガロンの大声に、周囲の観客が振り返る。仮面の女に向けられた視線には、好奇の色が混じっていた。
裁定は立ち止まり、彼らの方へ顔を向けた。表情は変わらない。だが、無視はしなかった。軽く、一度だけ頷いてみせる。
それだけで十分だったらしく、ガロンは満足そうに笑い、ダリルは嬉しそうに肘でガロンを突いた。
裁定は視線を前へと戻し、選手控室へと足を進めた。
◆ ◆ ◆
太陽が完全に昇りきり、ルーチェ中央広場を鮮やかに照らし出していた。
特設リングは、陽光を反射して白く輝いている。四隅の支柱からは淡い青白い光の壁が立ち上り、天井部分でドーム状に閉じていた。万が一、魔法や攻撃が流れ弾となって観客席に飛び込むのを防ぐための結界だ。
観客席はもはや満員で、立ち見客まで出るほどの盛況ぶりだった。ざわめきと歓声が波のように押し寄せ、会場全体の空気を震わせている。
選手控室として用意されたテントの中には、ブロンズ部門に出場する16名の冒険者たちが集まっていた。壁に向かって精神統一をする者、武器の手入れに余念がない者、緊張で足を震わせている者。空気は張り詰めている。
裁定は、部屋の隅にある木箱に腰掛け、静かに目を閉じていた。周囲の喧騒は耳に入らない。ただ、自身の内側にある感覚だけを研ぎ澄ませていた。
やがて、係員が大きな木製ボードを運び込んできた。
「対戦表を掲示します!」
冒険者たちが一斉にボードの前に群がる。裁定もゆっくりと立ち上がり、人垣の後ろからボードを見上げた。
トーナメント表。16人の名前が記されている。勝ち上がれば最大で4回戦うことになる。
裁定の名前は、右側のブロックにあった。一回戦の対戦相手の名は――「ケルト」。
「へえ、俺の相手は女かよ」
不意に、背後から声をかけられた。
振り返ると、軽装の革鎧を身につけ、腰に二本の短剣を差した男が立っていた。年齢は二十代半ばだろうか。整った顔立ちをしているが、その目には明らかな侮蔑と、隠しきれない慢心の色が浮かんでいた。
彼がケルトだ。ブロンズランクの中位に位置し、双剣の扱いに長けていると聞く。
ケルトは裁定を上から下まで値踏みするように眺め、鼻で笑った。
「お前が噂の仮面の女か。……ちっ、運がいいんだか悪いんだか。女か、しかも仮面か。顔に傷でもあるのか?まあいい、手加減してやるよ。怪我したくなかったら、早めに降参しな」
典型的な挑発。あるいは、自身の緊張を紛らわせるための虚勢か。
裁定は無表情のまま、彼を一瞥しただけだった。返事をする必要すら感じない。その瞳は、ケルトの顔ではなく、彼の腰にある双剣の柄、重心の置き方、筋肉の付き方を冷徹にスキャンしていた。
「……」
「おい、聞いてんのか?」
無視されたことに腹を立てたのか、ケルトが声を荒らげる。だが、裁定は踵を返し、再び元の場所へと戻っていった。
「なっ……!見てろよ、リングの上で吠え面かかせてやる!」
捨て台詞を背中に受けながら、裁定は再び木箱に腰を下ろした。
16人。それぞれの強さは明確だ。動きの癖、武器の選択、呼吸のリズム。全て情報になる。試合の順序を読む。消耗戦を避ける。一撃で終わらせる。それが最も効率的だ。
彼女の視線は、控室にいる他の参加者たちを順に巡っていく。大剣を背負った男、杖を持った魔術師風の女、細身の槍使い。全員が敵であり、全員が分析対象だ。
ふと、テントの入り口越しに、遠くの観客席が見えた。
喧騒に包まれた一般席とは少し離れた、関係者席のあたり。そこに、一人の女性が立っていた。
金髪のショートヘア。白銀の軽鎧に身を包み、腰には剣と小さな盾を帯びている。その姿は、周囲の雑多な観客とは一線を画す、凛とした空気を纏っていた。
彼女の青い瞳は、真っ直ぐに試合場を見つめている。楽しんでいるというよりは、何かを見極めようとするような、真剣な眼差しだった。
……強い。
裁定の直感が告げた。あの女は、ここにいる誰よりも強い。冒険者の枠に収まる器ではない。
一瞬だけ視線が交差したような気がした。だが、距離が離れすぎている。裁定はすぐに視線を外し、前を向き直した。
その時、会場全体に響き渡るような大声が轟いた。
『只今より!ルーチェ冒険者ギルド対抗戦、ブロンズ部門を開始する!』
ドッと湧き上がる歓声。地面が揺れるほどの熱狂。
祭りが、始まる。
◆ ◆ ◆
「第四試合!裁定 選手 対 ケルト 選手!」
アナウンスと共に、裁定はリングへの階段を上った。
石畳のリングに足を踏み入れる。結界の内側は、外の音が少し遠く聞こえるような、不思議な静寂に包まれていた。
対面には、ケルトが立っていた。双剣を抜き放ち、切っ先をこちらに向けている。観客席に向かって手を振り、余裕をアピールしているが、その額には薄っすらと汗が滲んでいた。
観客席がざわめく。
「おい見ろよ、あの女」「仮面をつけてるぞ」「猫耳もある」「武器は?何も持ってないじゃないか」「魔法使いか?」「いや、杖もないぞ」
異様な出で立ちの裁定に、好奇と懐疑の視線が集中する。
「頑張れー!裁定ー!」
ガロンの声が聞こえる。ダリルも何か叫んでいる。その声援だけが、純粋な期待を含んでいた。
裁定は、腰のミリタリーコートの裾を軽く払い、自然体で立った。構えはない。両手はだらりと下げられたままだ。
それを見て、ケルトの顔が歪む。
「舐めやがって……!武器も構えねえで勝てると思ってんのか!」
審判が手を高く挙げた。
「双方、準備はいいか!……始め!」
その声と同時に、ケルトが踏み込んだ。
「うおおおおっ!」
速い。ブロンズランクの中では上位の実力という評判は嘘ではないらしい。地面を蹴り、一気に距離を詰めると、右手の短剣を薙ぎ払うように振るった。
観客の誰もが、裁定が斬られると思った瞬間。
彼女の姿が、ふわりと揺らいだ。
半歩。たった半歩、後ろに下がっただけ。刃先が裁定の鼻先数センチを空しく切り裂く。
「なっ!?」
ケルトは止まらない。返す刀で左手の短剣を突き出す。
裁定は、今度は上体をわずかに左へ逸らした。短剣は彼女のコートの襟をかすめることもなく、空を突く。
遅い。軌道が見えすぎている。
アヴァロンの深淵。光の届かない闇の中で、音も気配もない異形の怪物たちと殺し合ってきた。それに比べれば、この男の攻撃はあまりにも雄弁で、緩慢だった。
「ちょこまかと!」
ケルトが焦りを露わにし、連撃を繰り出す。右、左、右、突き、払い。嵐のような剣戟。
だが、当たらない。
裁定は最小限の動きで、全てを躱し続けていた。まるで予め動きを知っていたかのように。時には手首を軽く返し、迫る刃の側面を指先で弾いて軌道を逸らす。
観客席のざわめきが大きくなる。
「おい、避けてるぞ!」「全部見切ってる!」「反撃しないのか?」「紋章すら使っていない!」
裁定之紋章は、彼女の右手の手の甲にある。だが、彼女はまだそれを発動させていない。身体能力のみで、相手を翻弄していた。
「なぜ攻撃しない!俺を馬鹿にしてるのか!」
ケルトの目が血走る。プライドを傷つけられた怒りが、彼の動きを単調にしていく。
裁定の瞳は、冷徹に相手を観察し続けていた。
観察する。まず相手の癖を把握する。右斜め上からの攻撃の後、必ず左足に体重が乗る。そこに隙がある。それから終わらせる。
「これで終わりだあああ!」
ケルトが大きく息を吸い込み、両手の剣を構え直した。彼の全身に魔力が集まり、身体強化の光が淡く漏れ出す。
「必殺!双剣回転斬り!」
叫びと共に、ケルトが体を独楽のように回転させながら突っ込んできた。二本の刃が旋風となり、触れるもの全てを切り刻む勢いで迫る。速度が上がった。観客が息を呑む。
逃げ場はない。そう見えた。
だが、裁定は動かなかった。正面から、その刃の嵐を見据える。
その時。
彼女の右手の手の甲。黒いグローブの下にある裁定之紋章が、わずかに発光した。
「……今」
裁定が一歩、踏み込んだ。
回転する刃の内側へ。死の領域へ。
右手が閃く。手の甲が一瞬だけ硬質な金色の光をまとった。それは剣でも盾でもない。ただの手甲のような、ごく小さな変化。
しかし、その硬度は絶大だった。
ガギィッ!!
甲高い金属音が響き渡る。
裁定の右手が、回転するケルトの双剣の軸を、正確無比に打ち抜いていた。回転の遠心力が逆流し、ケルトの手首に強烈な負荷がかかる。
「ぐあっ!?」
剣が弾かれ、ケルトの体勢が大きく崩れる。無防備になった彼の胴体が、がら空きになる。
裁定は追撃の手を緩めない。光をまとった右手のまま、開いた掌底をケルトの胸板へと叩き込んだ。
ドンッ!
重い衝撃音。
ケルトの体が、まるで紙切れのように吹き飛んだ。リングの中央から、結界の端まで一直線。背中から光の壁に激突し、そのまま地面に崩れ落ちる。
双剣がカラン、と虚しく音を立てて転がった。
ケルトはピクリとも動かない。気絶している。
一瞬の静寂。そして。
「勝者、裁定選手!」
審判の声が響いた瞬間、会場が爆発したような歓声に包まれた。
「うおおおおお!」「なんだ今のは!」「一撃だぞ!」「紋章が光った!」「すげええええ!」「仮面の女が勝った!」
「やったぞおおおお!見たか!あれが裁定だ!」
ガロンが立ち上がり、周囲の客に自慢するように叫んでいる。「すごい!すごいだろ!あれ俺の知り合いだぞ!」ダリルも興奮して飛び跳ねている。
裁定は、右手の光がスゥッと消えていくのを確認し、静かに腕を下ろした。呼吸一つ乱れていない。表情も、仮面の下で変わることはなかった。
彼女は無言でリングを降りる。
その背中に、突き刺さるような視線を感じた。
ふと視線を上げると、遠くの観客席で、あの金髪の女性――ジャスタが立っていた。彼女は歓声を上げることもなく、ただ静かに、真剣な目で裁定を見つめていた。その瞳には、何か確信めいた光が宿っていた。
裁定は視線を感じながらも、振り返ることなく控室へと歩を進めた。
◆ ◆ ◆
一回戦が終了し、短い休憩時間が訪れた。控室の外には、興奮冷めやらぬ様子のガロンとダリルが待ち構えていた。
「すげえ!すげえぞ裁定!あの一撃はなんだ!」
ガロンが大きな手で裁定の肩をバシバシと叩く。痛くはないが、勢いがすごい。
「紋章が光ったよな!あれ何?魔法?それともギフト?教えてくれよ!」
ダリルも目を輝かせて詰め寄ってくる。
裁定は水筒の水を一口飲み、淡々と答えた。
「……次も同じようにやる。それだけだ」
「くーっ、渋いねえ!謙虚だな。だがお前の強さは本物だ。ありゃブロンズの動きじゃねえよ」
ガロンは満足そうに笑うと、「次は俺たちの仲間が出るから応援してくるわ!」と言って去っていった。
再び一人になった裁定は、壁にもたれて次の試合を観戦し始めた。リング上では、別の冒険者たちが剣を交えている。
二回戦の相手を見極める。消耗度、負傷箇所、戦闘スタイル。全てが情報になる。
その時だった。
背後から、凛とした足音が近づいてきた。迷いのない、芯の通った足音。
裁定が振り返るよりも早く、その人物は彼女の隣に立った。
「少しいいか」
はっきりとした、断定的な口調。声の主は、先ほど観客席で見かけた金髪の女性だった。
近くで見ると、その存在感はさらに際立っていた。白銀の軽鎧は傷一つなく磨き上げられ、腰の剣は飾りではなく実戦の気配を漂わせている。何より、その青い瞳が、真っ直ぐに裁定を射抜いていた。
裁定は無表情で彼女を見返し、短く答えた。
「……何か」
「お前の戦い方は見たことがない。無駄がなく、感情もない。まるで機械のようだ。あるいは――死線を越えすぎた者の動きだ」
女性は一歩、距離を詰めた。
「お前は、アヴァロンの攻略者か?」
直球だった。あまりにも唐突で、核心を突く問い。
裁定の仮面の奥の瞳が、わずかに細められた。
「……どこでその名を」
「世間の噂だ。アヴァロンから誰かが出てきたと聞いた。半信半疑だったが、今の試合を見て確信した。お前がそうだと」
彼女の言葉に、探りを入れるような卑しさはない。ただ純粋な事実確認としての響きがあった。
裁定は沈黙した。肯定も否定もしない。それが答えだと知っているかのように。
女性はふっと息を吐き、改めて名乗った。
「私はジャスタという。……なぜ仮面を?」
「……必要だから」
いつもの最小限の返答。理由を説明するつもりはない。
ジャスタは裁定の目をじっと見つめ、やがて小さく頷いた。
「そうか。ならいい。無理に聞くつもりはない。ただ、お前の戦い方には筋が通っている。それだけは言っておく」
ジャスタはそれだけ言うと、踵を返した。用件は済んだと言わんばかりの潔さだ。
その背中は、どこまでも真っ直ぐで、揺るぎない信念を感じさせた。
去り際、戻ってきたガロンとすれ違った。ガロンが目を丸くしてジャスタを見送る。
「おい裁定、今の……知り合いか?」
「……今日会った」
「なんか……すげえ人だったな。あの雰囲気、ただの冒険者じゃねえぞ。騎士様か何かか?」
ダリルも同意するように頷いている。
裁定は、人混みに消えていくジャスタの背中を静かに見つめ続けた。
あの女、普通ではない。気配が……違う。冒険者ではない。もっと深い何かを持っている。警戒すべきか。それとも——
敵意は感じなかった。だが、その純粋すぎる「正義」の気配は、アヴァロンの闇を知る裁定にとって、あまりにも眩しく、異質だった。
◆ ◆ ◆
しばらくして、二回戦の対戦表が発表された。
裁定の次の相手は「シド」。40代のベテラン冒険者だ。
ガロンが対戦表を見て、真剣な顔つきになった。
「シドか……。あいつは手強いぞ。元々はシルバーランクだったんだが、怪我でブロンズに落ちたんだ。だが技術は錆びついちゃいねえ。長剣使いで、いやらしい戦い方をする。油断するなよ、慎重にやれ」
「……把握した」
裁定は短く答えると、喧騒を避けるように会場の端へ移動した。観客席の裏手にある日陰に腰を下ろす。
右手の手袋を外し、手の甲を露わにする。
そこには、幾何学的で複雑な紋様――裁定之紋章が刻まれている。今は静かに黒く沈んでいるが、先ほどの戦闘では確かな光を放った。
「……」
裁定は指先で紋章をなぞる。
今日の戦闘で、この紋章が少し応えた感覚があった。一回戦では、ほんの一瞬、手甲のように硬質化させただけだ。だが、その制御はアヴァロンを出た直後よりも遥かに精緻になっていた。自分の意思と、紋章の力がリンクし始めている。
この力はまだ眠っている。全てを解放すれば、もっと大きな変化が起きるはずだ。剣となり、盾となり、あるいはもっと別の何かに。だが……今はまだその時ではない。少しずつ目覚めていく。それでいい。
ふと顔を上げると、遠くの観客席の端に、またジャスタの姿が見えた。彼女は腕を組み、別のブロックで行われている試合を真剣な表情で見つめていた。その横顔は、彫像のように美しく、そして厳しかった。
太陽が西に傾き始め、会場に夕方の黄金色の光が差し込んでくる。影が長く伸びる。
二回戦の開始を告げる鐘が、遠くで鳴り響いた。
裁定は手袋をはめ直し、ゆっくりと立ち上がった。黒いマントを翻し、リングの方へと歩き出す。
「……行くか」
裁定は仮面の奥で、そっと目を細めた。次の戦いが、すぐそこまで来ている。




