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黒紗の目隠し~異世界冒険譚~  作者: CLASSIC.com


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第003話 仮面の冒険者

夕暮れのギルド

登録が完了した。受付職員マリアは丁寧にそう告げ、彼女の名——「裁定」——を銅製のプレートに刻んだ。冒険者ギルドはまだ賑やかだった。夕刻を迎え、依頼から戻ってきた冒険者たちが報酬の受け取りに訪れ、酒場の一角では明日の狩りの打ち合わせをする声が響いている。


彼女はカウンターの前に立ったまま、周囲を観察していた。


視線が集まっている。それは当然だった。橙金色の長い髪、猫のような耳、そして顔の目元を覆う黒紗の仮面。黒と金で彩られたミリタリーコートに黒いマント。どれをとっても目立つ格好だ。


しかし彼女は気にしなかった。視線など、彼女にとっては風のようなものだった。


「裁定さん」


マリアが静かに声をかけた。


「はい」


短く答える。


「今夜、お泊まりになる場所はお決まりですか?」


彼女は首を横に振った。


「……ない」


マリアは少しだけ困ったような表情を見せたが、すぐに微笑んだ。


「それでは、ギルドが提携している宿をご紹介します。新規登録者には一泊分の宿代を立て替えるサービスがありますので、ご利用ください」


彼女は数秒考えた。宿——屋根のある場所で眠るということ。それはアヴァロンを出て以来、初めてのことだ。


「……頼む」


「かしこまりました」


マリアは素早く羊皮紙に宿の名と場所を書き、彼女に手渡した。


「こちらです。『三日月亭』という宿です。ギルドから徒歩で十分ほど。親切な主人がいますので、安心してお泊まりください」


彼女は紙を受け取り、一礼した。


「……ありがとう」


マリアは少しだけ驚いた表情を見せた。彼女の口から礼の言葉が出るとは思っていなかったのだろう。しかしすぐに笑顔を取り戻し、深々と頭を下げた。


「それでは、またのご来訪をお待ちしております」


彼女はギルドを後にした。


◆ ◆ ◆

夕暮れの街は、昼間とはまた違った顔を見せていた。オレンジ色の空が建物の影を長く伸ばし、通りには帰宅を急ぐ人々の足音が響く。商店は次々と扉を閉め、代わりに酒場や食堂の灯りが温かく灯り始めていた。


彼女はマリアから受け取った紙を片手に、石畳の道を歩く。街の構造はまだ完全には把握していないが、方角の感覚だけは確かだった。アヴァロンの最奥から上層まで、地図もなしに辿り着いた経験が、今も彼女の中に残っている。


十分ほど歩くと、看板が見えてきた。


「三日月亭」


木製の看板には、その名の通り三日月の絵が描かれていた。建物は二階建てで、一階には明かりが灯っている。窓の向こうには食堂らしき空間が見え、数人の客が食事をしている様子がうかがえた。


彼女は扉をノックした。


「はい、どうぞ!」


中から初老の男性の声が聞こえた。彼女は扉を開け、中に入る。


食堂の奥にカウンターがあり、そこに立っていたのは白髪混じりの髭を蓄えた男性だった。エプロンを身に着け、温かみのある笑顔を浮かべている。


「いらっしゃい。宿をお探しかな?」


「……ギルドの紹介で」


彼女は手に持った紙を差し出した。主人はそれを受け取り、目を細めた。


「ああ、新規登録者さんだね。ようこそ、三日月亭へ。俺はこの宿の主人、レオンだ」


「……裁定」


彼女はそう名乗った。レオンは少しだけ彼女の格好に驚いた様子を見せたが、すぐに笑顔を取り戻した。


「変わった名前だね。でも、いい名前だ。さあ、部屋に案内するよ」


レオンはカウンターから鍵を取り出し、彼女を二階へと案内した。階段を上ると、廊下の両側に扉が並んでいる。一番奥の部屋の前で、レオンは立ち止まった。


「ここが君の部屋だ。小さいけど、清潔にしてあるから安心してくれ」


扉を開けると、質素だが整った部屋が現れた。ベッド、小さな机、椅子、そして窓。それだけの空間だったが、彼女にとっては十分すぎるほどだった。


「食事は一階の食堂でできる。朝と夜、好きな時に来てくれればいい。何か困ったことがあれば、いつでも声をかけてくれ」


「……わかった」


レオンは鍵を彼女に手渡し、階段を降りていった。


彼女は部屋に入り、扉を閉めた。


◆ ◆ ◆

初めて得た、自分だけの空間。


彼女はベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。木の梁が静かに存在している。窓の外からは、街の雑踏が微かに聞こえてくる。


ここは、アヴァロンではない。


ここには、闇も、魔物も、死の気配もない。


ただ、人間の営みがあるだけだ。


私は今、外の世界にいる。人の中にいる。


彼女は右手を見つめた。手の甲には、裁定之紋章が刻まれている。黒い紋様は、夜の闇の中で淡く金色に光り始めていた。


それは彼女がアヴァロンの出口で手に入れた、唯一の武器だった。


まだ、その力の全てを理解しているわけではない。しかし確かに、この紋章は彼女の一部だ。


ここから、始める。


彼女はベッドに横たわり、目を閉じた。


翌朝・依頼掲示板

朝日が窓から差し込んだ時、彼女は目を覚ました。眠りは浅く、しかし確かに休息にはなっていた。不老不死の体は疲労を知らないが、意識を休める必要はあるのかもしれない。


彼女は身支度を整え、一階へ降りた。食堂には既に数人の宿泊客がおり、朝食を取っていた。レオンがカウンターから手を振る。


「おはよう、裁定さん。朝食はどうする?」


「……後で」


彼女は短く答え、宿を出た。


目指すのは、冒険者ギルドだ。


◆ ◆ ◆

朝のギルドは、夕方とはまた違った活気に満ちていた。依頼を受けるために集まった冒険者たちが、掲示板の前に群がっている。


彼女もその中に加わった。


掲示板には、大小様々な依頼が貼られていた。ブロンズランクが受けられるのは、最も簡単な部類のものだけだ。薬草採取、荷物運搬、偵察、小型魔物の討伐——。


彼女は一枚一枚、依頼票を読んでいく。


その時、後ろから声がかかった。


「おいおい、朝から仮面かよ」


振り向くと、若い男性の冒険者が立っていた。軽装の革鎧に剣を下げている。顔つきは悪くないが、口調は少々軽い。


「猫耳まで付けて、随分派手だな。初めて見る顔だけど、新人か?」


彼女は無言で彼を見た。


男は少しだけたじろいだが、すぐに笑顔を取り戻した。


「おっと、失礼。俺はダリル。ブロンズランクの冒険者だ。よろしくな」


彼女は数秒間、彼を見つめ続けた。そして短く答えた。


「……裁定」


「裁定? 変わった名前だな。まあいいや、初めての依頼なら、俺が手伝ってやってもいいぜ? ブロンズの依頼なんて楽勝だからさ」


「……不要」


彼女の声は冷たく、断定的だった。ダリルは少しだけ驚いた表情を見せたが、すぐに肩をすくめた。


「そうかそうか。じゃあ頑張ってな」


彼はそう言って立ち去った。


周囲の冒険者たちが、少しだけざわついた。


「あの仮面の女、ダリルを一蹴したぞ」


「美人だけど、冷たいタイプだな」


「まあ、初日だし。そのうち慣れるだろ」


彼女はそれらの声を無視し、再び掲示板に目を向けた。


そして、一枚の依頼票を手に取った。


「薬草採取×10束。場所:街の外、草原地帯。報酬:銅貨15枚」


彼女はその依頼票を持ち、受付へ向かった。


マリアが笑顔で迎えてくれた。


「おはようございます、裁定さん。早速依頼を受けられるのですね」


「……これを」


彼女は依頼票を差し出した。マリアはそれを受け取り、内容を確認する。


「薬草採取ですね。承知しました。では、こちらにサインをお願いします」


彼女は受付簿に「裁定」と記入した。マリアはそれを確認し、依頼票に受理印を押した。


「気をつけて行ってらっしゃいませ」


「……行ってくる」


彼女はギルドを後にし、街の外へと向かった。


草原の薬草、そして——

街の外に出ると、視界が一気に開けた。


青い空、緑の草原、遠くに見える森の影。風が彼女の髪を揺らし、マントを翻す。


彼女は少しだけ立ち止まり、その景色を見つめた。


開放感。


それは感情ではない。ただ、空間が広いという認識だ。アヴァロンの閉ざされた空間とは違う。ここには、果てがある。


彼女は草原の中を歩き始めた。


目的の薬草は、街の近くに生えているはずだ。依頼票には「草原地帯、川沿い」と書かれていた。彼女は川の音を頼りに、足を進める。


しばらく歩くと、小さな川が見えてきた。水は透明で、流れは穏やかだ。川沿いには、青緑色の葉を持つ植物が群生していた。


それが目当ての薬草だ。


彼女は膝をつき、丁寧に薬草を摘み始めた。根を傷つけないように、葉の部分だけを取る。一束、二束、三束——。


そうして五束目を摘んだ時、背後に気配を感じた。


彼女は動きを止め、ゆっくりと振り返った。


草原の向こうから、三つの影が近づいてきていた。


グラスウルフ——草原に生息する中型の魔物だ。体長は人間の背丈ほどあり、緑がかった毛並みが草に紛れる。牙は鋭く、群れで行動する習性がある。


三体のグラスウルフが、彼女を囲むように移動していた。


彼女は立ち上がり、右手を見た。裁定之紋章が手の甲に刻まれている。


彼女はそこに手をやった。紋章は微かに反応したが、まだ何も起こらない。


まだ、力は出ない。


ならば、別の方法を取るだけだ。


一頭のグラスウルフが、低く唸りながら飛びかかってきた。速い。しかし——。


彼女は地面を蹴り、横に跳んだ。グラスウルフの牙が空を切る。着地と同時に、彼女はその脇腹に拳を叩き込んだ。


ゴッ、と鈍い音が響く。グラスウルフは悲鳴を上げ、数メートル吹き飛んだ。


二頭目が背後から襲いかかる。彼女は振り向きもせず、後ろへ肘を打ち込んだ。グラスウルフの鼻面に直撃し、その動きが止まる。


そして三頭目——。


彼女は地面に落ちていた石を拾い、全力で投げつけた。石はグラスウルフの額に命中し、深々と食い込む。グラスウルフはその場に崩れ落ちた。


残る二頭は、仲間が倒されたことを理解し、牙を剥いた。同時に襲いかかってくる。


彼女は動かなかった。


そして、二頭が彼女に届く寸前——。


彼女は両手を交差させ、二頭の首を掴んだ。そのまま地面に叩きつける。グラスウルフたちは為す術もなく、地面に激突した。


彼女は立ち上がり、周囲を見渡した。


三頭のグラスウルフは、全て動かなくなっていた。


彼女の呼吸は乱れていない。表情も変わらない。


ただ、淡々と現実を受け入れただけだ。


◆ ◆ ◆

草原の向こうから、誰かが走ってくる音が聞こえた。


彼女が振り向くと、三人組の冒険者パーティーが息を切らして駆け寄ってきた。


「お、おい、大丈夫か!?」


先頭の男性が声をかけた。彼女は無言で頷いた。


「グラスウルフ三頭を……一人で?」


「……そうだ」


三人は顔を見合わせた。


「信じられねえ……ブロンズランクだろ? あの動き、ブロンズのもんじゃないぞ」


「しかも素手で倒してる……」


彼女は彼らの反応を気にせず、再び薬草を摘み始めた。残り五束。


三人組は呆然としたまま、その場に立ち尽くしていた。


帰還、そして報酬

薬草を十束集め終えた彼女は、街へと戻った。


ギルドに到着すると、朝に絡んできたダリルが入口の近くに立っていた。彼は彼女を見て、少しだけ驚いた表情を見せた。


「おう、裁定。もう戻ってきたのか。早いな」


彼女は無言で彼の横を通り過ぎようとした。しかしダリルが声をかけた。


「待てよ。さっき草原で戦ってたって噂を聞いたんだけど、本当か?」


彼女は立ち止まり、短く答えた。


「……本当だ」


「マジかよ。グラスウルフ三頭を一人で倒したって?」


「……そうだ」


ダリルは口を開けたまま、しばらく固まっていた。そしてゆっくりと頭を下げた。


「……悪かった。朝、お前のこと舐めてた。お前、ブロンズランクのレベルじゃねえよ」


彼女は何も言わず、ギルドの中へ入っていった。


◆ ◆ ◆

受付にはマリアがいた。彼女は笑顔で迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、裁定さん。依頼の達成、確認させていただきます」


彼女は袋から薬草の束を取り出し、カウンターに並べた。マリアは一つ一つ丁寧に確認する。


「十束、確かに。それでは報酬をお渡しします」


マリアは銅貨を十五枚、布袋に入れて彼女に手渡した。


「お疲れ様でした。追加の依頼はいかがですか?」


彼女は少しだけ考えた。


「……明日、また来る」


「かしこまりました。それでは、またのお越しをお待ちしております」


彼女はギルドを出た。


周囲の冒険者たちの視線が、昨日よりも少しだけ変わっていた。好奇心から、尊敬——あるいは警戒へ。


彼女は気にせず、市場へと向かった。


◆ ◆ ◆

市場には様々な店が並んでいた。食料品、武器、防具、雑貨——。


彼女は食料品の店に入り、パンと干し肉、そして水筒を購入した。初めての買い物だった。


店主は彼女の格好を見て少しだけ驚いたが、黙って商品を渡してくれた。


彼女は袋を抱え、宿へと戻った。


三日月亭の夜

宿に戻ると、食堂には既に数人の客がいた。旅人、商人、冒険者——それぞれが食事をしながら、世間話をしている。


彼女は空いている席に座り、レオンが持ってきてくれた食事を前にした。


パン、スープ、焼いた肉。質素だが、温かい料理だった。


彼女はゆっくりとスープを口に運んだ。


味がする。


それは、彼女にとって初めての感覚だった。アヴァロンでは、食事をした記憶がない。ここに来てから、初めて「味」というものを認識した。


旨いのか、不味いのか。それは判断できない。ただ、「存在する」という事実だけがある。


彼女は黙々と食事を続けた。


その時、隣の席から声が聞こえてきた。


「なあ、聞いたか? アヴァロンが静かになったらしいぜ」


「ああ、最近魔物が全然出てこないって話だ。中で何かあったんじゃねえか?」


「誰かが最奥まで辿り着いたとか?」


「まさか。アヴァロンの最奥なんて、誰も辿り着いたことがないだろ」


「でも、何かが出てきたって噂もあるぞ」


彼女は表情を変えずに、その会話を聞いていた。


私のことだ。


彼女は何も言わず、食事を終えた。


◆ ◆ ◆

部屋に戻ると、彼女は窓の近くに立ち、右手を見つめた。


手の甲には、裁定之紋章が刻まれている。


彼女はそこに意識を集中させた。


すると——。


紋章が、微かに形を変えた。ほんのわずかな変化だったが、確かに動いた。


反応している。


この紋章は、彼女の意思に応じて変化する。まだ完全には制御できないが、少しずつ、その力を理解しつつある。


彼女は窓の外を見た。夜空には、無数の星が輝いている。


まだわからない。私が何者なのか。どこから来たのか。


でも確かに、私はここにいる。


彼女は窓を閉め、ベッドに横たわった。


そして、静かに目を閉じた。

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