海老とアボカドのマヨグラタン 2
身を捩り座敷席の九十九と言い争いを続ける雪音。
空になったお盆を手にカウンターの向こうに戻りながら、綾は何の気なしに雪音の隣に座る糸織へと声をかけた。
「お口に合いそうですか?糸織さ……」
そう言えば感想を聞いてなかったな。
女性に好まれるアボカドだけど、食べ慣れない糸織にはどうだっただろう?
そんな軽い気持ちで発した声は途中で途切れた。
ふと目に入った糸織の表情がいつもと違っていたからだ。
バッっと慌ててカウンターに視線を走らせる。
やっばっ!!
ザっと一瞬で血の気が引いた。
口の端がヒクッと引き攣る。
さっき雪音が自分の方へと引き寄せた筈の白ワインのボトル。
その場所が変わっていた。
そして見間違いでなければ中身は空。見間違いを願って二度見するも、やはり現実は変わらなかった。
ゆらり、と緩やかに波打つ黒髪が揺れた。
その動きに合わせて花のようないい香りがふわりと届く。
「味?ええ、美味しいわ。濃厚でまったりしてて、とても素敵」
同じ声の筈なのに、ぞくりとするほど艶っぽい喋り方。
紅を差した蠱惑的な唇が笑みの形に引き上がる。
この時点で、雪音も含め他の客たちも気付いた。
ばっと集まる視線も気にせず椅子から立ち上がった糸織の腕が、艶めかしく綾の首筋へと回された。細い指がするりと頬を撫でる。
「とっても美味しかったわ。だけど……貴女もすごく美味しそう」
赤い舌がチラリと覗き、「ねぇ、味見してみてもいいかしら?」と吐息にも似た囁きが零れ落ちた途端、綾は反射的にお盆を構えた。
これまでの人生でこれほどまでお盆を手にしてて良かったと思った瞬間はない。
…………記憶ないけど。
口付けを阻まれた糸織がムッとした表情をし、次いで余裕の笑みを浮かべると軽く指を払った。
カランッと音を立ててお盆が落ちる。
綾の手は蜘蛛の糸により絡み取られていた。
両手を頭上で拘束された状態に、ひぃ!と喉の奥で悲鳴を上げる。
ガタリと立ち上がった雪音が糸織の肩をぐっと掴んだ。
「落ち着きなさい!糸織っ!!」
「あら?雪音ったら嫉妬してるの?可愛いわね、いいわよ?貴女も交ぜてあげる。三人で楽しみましょう?」
「交ぜるってナニっ?!っていうか離してくださいっ!!」
「な、なっ!!ど、どこ触ってんのよっ?!」
やたらと色っぽい糸織が今度は雪音にまで絡みだした。
いつもはさん付けなのに名前も呼び捨て。
絡みつく蜘蛛の糸により身動きが出来ない綾は助けを求めて視線を動かす。
座敷に座る数組は顔を赤く染めてこちらを見てたり、逆に青褪て怯えていたり、意に介さず悠々と酒を吞み続けていたりと様々だ。
「ちょっと九十九っ!!助けなさいよっ?!」
押され気味の雪音が焦ったようにそう叫ぶ。
当の九十九はといえば、呆れたように我関せずに酒を呑んでいたのだが……やれやれとばかりに腰を上げた。
普段は大人しくお淑やかな妖艶美女の糸織。
そんな彼女は実はお酒があまり強くない。
そして酔うと……こうなる。
自信に満ちた蠱惑的な表情、色気が滴りそうな仕草に危うい言動。
相手が男だろうと女だろうと構いはしない。見境なくとにかく口説く。
はじめて迫られた時、綾はそのお色気っぷりにあたふたしつつ、
「言葉遣いまで変わってますけどーっ?!二重人格?!!」
全力でそう叫んだものだ。
そんな別人レベルに豹変なさる、「酔」の常連の中でも生粋の酒癖の悪さを誇るお方だ。
ほろ酔いなら問題ない。だけど完全に酔わせてはいけない。




